孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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36.虫喰

 

 

「本当は、傷心の時に会いたくない顔なんだがね。仕方ないから我慢するよ」

 

「黙れ魔女。お前たちだけは絶対に殺す。そして——」

 

「まさか、『私も死ぬ』なんて言わないよね? 結局お前は何も変わっていない…いや、変われない」

 

「死ね」

 

ワームホールの姿が掻き消える。体の転送先はヘクセの数メートル真上。脳天を叩き割ろうと迫る男の足を、ヘクセはあえて大雑把な動きで避けた。

彼女が飛び退いた先は、棒立ちで二人の戦いを見つめる僕の隣。

 

「椿も、この男で()()なんだね?」

 

耳元で囁くヘクセの疑問に、控えめな頷きで返す。

ワームホールは追撃しなかった。まじまじと見つめるヘクセの瞳から目線を微妙にずらして、眉間に皺を寄せている。

ワームホールは魔女(ぼくたち)に濃厚な殺意を向けている。

 

二人の間に、決して埋まらない溝を幻視した。この殺しあいはヘクセから剣を抜いたもののはずだ。だからこそ不思議だった。

どうしてヘクセがワームホールに向ける感情はそんなにも義務的で、平坦で。どうしてワームホールは、ヘクセをそこまで強く思っているのだろう。

 

 

ワームホールはこちらを睨みながらも、決して僕らと目を合わせようとしない。その仕草がまるで現実を直視するのを嫌がっているようにも見えて、不思議と彼を怖いと思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「振られちゃったよ」

 

寂しそうに笑うヘクセの誘いに乗ってしまったのは、彼女の言葉があまりにも深く刺さりすぎたからで。

許可なく対策課を出ることに、罪悪感を感じなくなっていた。

 

 

マーダーへの感情。杏一への思い。全部を壊しきってから、今更気づいて逃げ帰ったあの日のこと。それは対策課の中で話題にあがるどころか、認知すらされていないようだった。

「マーダーの死骸は跡形もなく消した」とヘクセが教えてくれた。光の粒子となって消える怪人の姿が想像される。「魔法少女の力だ」とヘクセが言う不可思議を指摘しなかった。

 

 

——振られたって、どういうことですか。

 

出会い頭に言われた愚痴。前を歩く少女じみた魔女に、そう尋ねるべきなのだろうか。迷いが生じるたびに脳裏に浮かぶのは()の顔。胸には針が刺さったみたいな、硬く鋭い痛み。

また爪を噛んだ。傷がすぐに治る不思議な体であるのに、指先はぼろぼろの醜い状態を保っている。四六時中その行為を続けているせいで、皮膚と爪の間に滲む血は止まることを知らない。

 

「あぁ、何も言わなくていい。ただ傷の舐め合いがしたくてね」

 

その声色の軽さは、ヘクセが抜け殻になったことを示している。

僕は咄嗟に返事することができない。

だって彼女の目はどこか吹っ切れていたからだ。重荷を下ろしたようだからだ。それは寂しい強さだ。

彼が居ないと駄目で、でも彼の隣にいることはもっと駄目で、どうしようもなく膝を抱えている僕とは根本的に違う「別れ」だ。

 

「本当は、私も分かっていたのかもしれないね」

 

やめて。

 

声にならない。

一歩引いた諦めが僕の心を少しずつ削いでいく。

僕よりも彼に相応しい人がいる。考えれば至極当たり前のことで、そもそも僕は彼の友達だっただけで、こんなことを考えてしまう自分が気持ち悪くて仕方ない。

 

「——だから私は、『今まで』にお別れしたいと思う。それはきっと、君にも必要なことだよ」

 

ヘクセはこちらへ振り向いた。青い目が弱々しく光っている。ヘクセの言葉に賛同したくない。迷いの答えは見つからない。それでも彼女の言う通り、僕は誰かに傷を舐めてもらうことを望んでいる。

 

靄のかかった頭のまま、僕はヘクセの手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「余裕だな、ナーサリー。他人事気分で守られて、惚ける時間は楽しいか?」

 

またワームホールの姿が消える。今度は僕たちの真後ろで空気の揺らぐ気配がして、ヘクセは慣れたようにため息をつく。直後、

 

拳がぶつかり合ったとは思えないほどに硬い音が、()()()()響いた。

 

「衰えたな、初代魔女」

 

「…はは。反抗期かい?」

 

咄嗟に出したヘクセの手の甲の皮が、衝撃によって剥けていた。拮抗の間隙、ヘクセが青い目を見開く。弾けるようにワームホールは飛び退いて、大きく舌打ちをした。

 

「…今さら何のつもりだ」

 

「急に訪ねたことは申し訳なく思っているよ? でも私も、椿も。お前との別れが必要なんだ」

 

「なら死ね。俺の前から消えろ」

 

「ふふ、昔ならば良い助言だと言えたかもしれない。でももう終いだよ。何のために、私がお前を地上に出したと思う?」

 

ヘクセの言葉にワームホールはぴくりと眉を動かして、辺り一面に注意を向ける。

ワームホールの行動につられて、僕も意識を周りに向けた。そのまま体を硬直させる羽目になった。

 

男は再び大きく舌打ちをした。

 

 

「…気狂いめ」

 

それは考えなくても当然のことで、むしろ今までそうならなかった方がおかしいのだ。

だって僕は魔女で、ヘクセは七年前の大事件の犯人なのだ。そんな二人が、『農場』の幹部と対峙している。

 

その周り一帯を、莫大な数の魔法少女が包囲していた。

 

「お前の逃げ足は私を凌ぐからね。ちょうど、対策課で()()浄化計画が立っているのを利用させてもらったんだ」

 

ことも無げな語りは常軌を逸している。「ワームホールを殺す」。その話を聞かされていた僕にとっても、ヘクセ浄化計画に関しては寝耳に水で、思わず彼女の顔を見上げる。

しかし、ヘクセの目線はただ一人に向けられていた。

 

「…桜」

 

僕たちを包囲する魔法少女たち。その前線に立つ少女は、見覚えのある人が少なくない。大きな和弓を持った、桃髪の彼女も例外ではなかったのだ。

 

ヘクセの呟きは本当に微かだった。彼女の青い目が、桜の瞳と交差する。

桜は静かに矢をつがえた。弓をまっすぐ持ち上げて、儀式のように鷹揚に引き絞る。その一連の動作があまりにも綺麗で、誰もが黙って桜を見ていた。

 

矢風に揺られて、ヘクセの長い髪がはためく。いつ放たれたのか分からない。しかしその矢はすでに地面に突き刺さっている。その位置を確認した桜は、

ふっと微笑んだ後、口元に人差し指を当ててみせた。

 

「…参ったな」

 

ヘクセは苦笑を一つ漏らして、その矢の元へ歩み寄る。

 

「ワームホール」

 

ヘクセは初めて男の名を呼んだ。

 

「お前が逃げなければそれで良かったんだ。魔法少女を集めたのは、お前を殺すためじゃない」

 

硬く握った拳を、矢が刺さった地点に振り下ろす。

 

硝子に釘を刺したかのごとく、コンクリートの地面は勢いよく割れた。

 

「ッ!?」

 

ワームホールは咄嗟に対応できない。転送しようとした瞬間、ヘクセに手を握られて妨げられる。

三人だけを綺麗に切り取って、突如できた陥没は僕たちを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…どこまであの子(さくら)は気づいてたんだか」

 

暗がりでヘクセのぼやきが反響する。

 

僕らを落とした穴の大きさに反して、地下に在った空洞はかなり大きかった。割れた下水管から漏れる悪臭。真っ暗な視界の中では、それは余計に鼻をついた。

意外にも地上からの追手は一人も来なくて、陥没の中は耳鳴りがするほどに静かだ。

やっと目が慣れてきて僕はヘクセの姿を探す。それはすぐに見つかって、僕は目を疑った。

 

ワームホールの両手が、ヘクセの白い首を強く締めていたから。

 

「…お前と話す時は、いつも首が絞まる思いだったんだけど。やはり実際にされるのとは違うんだね」

 

「………んで

 

男は先と同様、軽口に応えない。ただ一つ。決定的に違うこと。ワームホールは、ヘクセの魔眼と目を合わせていた。

 

「ッなんで今さら帰ってきたんだ!!俺を捨てて、魔女しか、貴女しか居なかった俺を切って!!!あの日からずっと俺は俺じゃない!!壊したのはお前なのに!俺には貴女しかいなかったのに!!」

 

 

ワームホールの言葉の意味は分からない。しかし、彼の顔に浮かんだ逃げ場のない絶望から僕は目を離せない。威圧するように何かを求めるさまが、痛いほどに僕の心をも揺らす。

 

「なんで俺じゃ駄目だったんだ!!!」

 

男の叫びに、心臓を鷲掴みにされた。

唯一の希望にどうしようもなく焦がれて、注いだ全部に返事があることを信じ切って、独りぼっちで泣き叫ぶ。

ワームホールの姿が、寸分違わず僕の姿と重なった。

 

「…ワームホール。ある意味、お前は特別さ」

 

男はぴたりと動きを止める。ヘクセは首を絞められたまま、男の顔に手を伸ばした。暗くてよく見えない。しかしヘクセはその手に何かを持っていて、

 

「誰かを怖いと思ったのは、お前が初めてだ」

 

ぴっ。と、肉を切り払う音がした。

 

 

 

 

 

「…なっ、なんっ、えふっ、おれ、わたっ、しは…ただ。せめて、へくせ、さま、の、てで」

 

ヘクセが持っていたのは、どこの魔法少女から拝借してきたのか、華美な装飾がされた短剣だ。

首から噴水のように光の粒子を吹き出して、あっけなくワームホールは地に伏せた。

 

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