孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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37.諦

 

 

いつも魔法みたいに人目を避けて、いろいろな場所へ僕を連れて行ってくれたヘクセ。そんな彼女が数多の魔法少女に囲まれた状況で(おこな)った行動は、

純粋な実力行使だった。

時には魔女の力で道を見つけて、時には魔眼の脅しで魔法少女を遠ざけて、ヘクセはまたもや捕らえられることなく包囲を脱した。

 

「此処もすぐに使えなくなるだろうね」

 

ヘクセが外を眺めながら淡々と言う。

彼女に手を引かれて転がり込んだのは、外れにある廃ホテルの屋上だ。何年前のものか分からない、こぢんまりと建てられたビニールハウス。何も無い(さび)れたここが、今のヘクセの居城らしい。

床には備品にしては綺麗すぎるジョウロが置かれていて、中には透明な水が入ったまま。最近までヘクセは此処で何かを育てていたのか、なんて妄想がよぎる。

 

 

 

 

「…ヘクセさんなら、簡単に殺せたんじゃないんですか」

 

あんなことをしなくても。言外に発した疑問をヘクセはきちんと読み取ってくれたようだ。ヘクセは困ったように笑う。最近、彼女の苦笑を見てばかりだと思った。

 

「殺したかったんじゃない。お別れがしたかったんだ……わかってくれるかい?」

 

ヘクセの瞳は輝いていない。しかし孤独の中に彼女は少しだけ、満足そうな感情を宿している。

 

ワームホールの表情が次々と蘇る。憎々しげに魔女(ぼく)を睨む顔。興味を向けない無表情。

 

たった一人にだけ向けた、すがるような必死の形相。特別を得られなかった彼の、幸せを掴めなかった彼の顔。二人の過去を、確執を僕は知らない。でもただ一つだけ言えること。ヘクセを望むワームホールの顔は、泣きたくなるほどに醜い。

 

「私は帰ることにするよ。それで、なんだけど。私と一緒に来ないかい?…椿となら、私は孤独じゃないんだ」

 

きっと僕も同じくらい、いや、それよりずっと醜いのだろう。

 

「…ごめんなさい」

 

ヘクセはこちらに手を差し伸べたまま固まった。彼女の目を見据える。深く傷ついている目だ。そんな顔をさせてしまったのは、他ではない自分だということが痛い。

でも、僕はヘクセのように生きることはできそうになかった。

 

()()()が諦めきれないのかい?それならあの子も連れていけばいい。私たちが望むものだけの、私たちだけの世界にすれば、ここよりもずっと——」

 

ヘクセは言葉を止めた。思わず止めてしまうほど、僕はぐしゃぐしゃに泣いている。僕の頬をとめどなく濡らす涙の理由を、誰にも理解してほしくない。この感情は自分だけのものであってほしい。

 

 

 

杏一が好きだ。

 

大切な友達として、頼れるヒーローとして、一人の男の人として。

立ちこめる靄は杏一以外の全てを見えなくして、赤い目はもはや杏一以外を捉えない。

杏一がいれば僕はなんにも要らない。全部、彼のためでいい。だから、代わりに、杏一の全てが欲しい。僕を杏一に全部あげるから。杏一にもそうあって欲しいと願う、

 

そんな自分が大嫌いだ。

 

奪いたいと望む自分は醜いものだ。杏一の幸せを願える自分がずっと良い。小さくて優しい自分が言う。

いてくれるだけでいい。僕を見なくていい。誰にも自分を与えなくていい。与えたっていい。

ただ、僕が杏一を汚してしまうことだけは駄目だ。

 

相反する二つの感情に勝敗をつけることは出来なかった。だからヘクセに頼んだ。

 

「杏一と、あの女の子の。一番近いときを見ることができますか」

 

「…それは、君が最も望まないことじゃないのかい?」

 

「はい。お願いします」

 

ヘクセの胸中もまた歪曲しきっているだろう。僕に振られて、振った僕に訳もわからず泣かれて、一番辛い映像を見せて欲しいと頼まれている。

それでも彼女は僕の「お別れ」に協力してくれた。

 

「よし。椿、目を閉じて。望むだけでいい。そうすれば、過去が見えるはずだ」

 

言う通りにした。

ふっと意識が軽くなった。夢の世界には入ったような気分。元の体の感覚は曖昧で、何も言われずに迷い込めば、ここを現実だと錯覚してしまいそうだった。

 

辺りを見回すと、そこは学校の近くの通学路。しかし僕と杏一の家の方向ではない。後ろで話し声がして、弾かれたように振り向いた。

 

杏一と、彼の後輩の女の子。名前はたしか、夏梅(なつめ)さん。

 

彼女が杏一に接吻(キス)をしていた。

少しだけ背伸びをして、杏一の唇に自分のものをあてがう。夏梅さんの顔は赤くなっている。

杏一は驚いたように目を見開いていた。不意打ちだったのかもしれない。でも多分、初めてではないだろう。杏一は昔から人気だったから、キスの一つや二つくらいは経験しているに違いない。

 

あの子は僕じゃない。

 

この期に及んで、壊れた心の蛇口から黒い嫉妬が吹き出す。それを真綿で絞めるように優しく抑えた。この感情が消える頃には僕は僕じゃなくなっていて、でもきっとそっちの方が生きやすい。

 

汚れた僕より、ずっと二人は綺麗だった。触れてはいけなかった。

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます」

 

目を開いた。先ほどより粒の大きい涙を産む僕を、ヘクセはおろおろしながら見ていた。

 

「対等な友人が欲しい…んですよね」

 

唐突に質問を投げかける。数秒経って、彼女は僕の視線が自分に向いていることに気づいた。不意打ちの疑問に当てられたヘクセは、僕みたいに弱く頷いた。

 

「じゃあ駄目だ。僕は、誰かに体を預けないと無理なんです」

 

どんな言葉を紡ごうとも、ヘクセを拒絶しているのは自分だから。しみったれた空気を作りたくなくて、唇の端を指先で吊り上げた。

 

「…それなのに。君はあの子から遠ざかるのかい? ただあの子が生きているだけで良いと言うのかい?…本当にそれで、満足なのかい?」

 

「いいえ?」

 

そんなわけがない。ただの願望だ。いつか諦められたらいいな、なんて夢。きょとんとした顔のヘクセ。理解を諦めたのか、はたまた全て分かったのか。呆れたように言う。

 

「……確かに。弱いね、君は」

 

「でしょう?」

 

顔を見合わせて笑った。

 

 

「それならば、君ともお別れしないといけないね。……でも、今生の別れは望まない。またこの世界へ来ないといけない理由ができてしまったよ」

 

柔らかい顔から反転、ヘクセは真剣な面持ちでこちらを見据える。

 

「私と一緒に居て、君の評判を荒らしてしまったからね。お別れ会をしよう——盛大に、ね」

 

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