孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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38.2

 

 

 

振り下ろされた太い腕を、細剣(レイピア)を横に構えて受け止めた。普通なら折れてしまうような粗雑な使い方をしても、この剣はびくともしない。

 

「逃げて!」

 

後ろで尻もちをつく女性に向かって叫ぶ。女性は足を震えさせながらも、僕に感謝を投げかけてその場から去っていく。

それを待ってくれる相手ではない。眼前の怪人が僕の剣を鷲掴み、勢い腕を真横に振り払う。

 

その動作に対応できなかった。軽い体は簡単に吹き飛ばされる。受け身を取ることも失敗して、背中全体に硬い衝撃。

肺をやられて声が出なかった。

 

怪人は伏した僕に向かってゆっくりと歩いている。満足そうに笑みを浮かべているであろうことは想像に難くない。追撃を恐れて、なんとか立ちあがろうとする。落ち着け、まずは呼吸だ、攻撃を食らわないことだけを考えろ、そうすれば———

 

ずっ。

と、生々しい音がして、怪人の上半身だけが地面に落ちる。僕の身長よりも大きな太刀が、怪人を後ろから真っ二つにしていた。

怪人は何をされたのかまだ分かっていない。自分の下半身だけが立っている様子を地面から見上げて、不思議そうにしている。

 

すぐに怪人は光の粒子となって消えた。

その光の先から、人の気配が近づいてくる。

 

「…カメリア。単独行動は危ないから、その」

 

「ごめん。すぐに行かないと、あの人が危ないと思って」

 

「うん。気持ちは分かる。でも、行動する前に一言報告してほしいかな」

 

「…ごめんなさい」

 

「…あー、そんなに落ち込まなくてもいいよ。ただ、私たちも無敵って訳じゃないから」

 

 

あなたは例外かもしれないけど。

 

これは僕の被害妄想だ。目の前の少女はそんなこと思っておらず、ただ純粋に助言をくれているだけだ。

会話が終わると、彼女は変身を解いて逃げるようにその場から去っていった。

それを黙って見送る。彼女と対策課で鉢合わせないように、遠回りをして帰ろうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女カメリア。

 

それが今の僕の名前だ。

人間の味方となった怪人が、魔法少女となった例がある。それはまさに今の僕の状況を体現している。

ヘクセがこの世界を去ってから早数週間。「魔法少女ナーサリー」なんて悍ましい名前が膾炙し始めた時、僕は対策課にその名を捨てたいと言った。全てに嫌われるよりは遥かにマシとはいえ、僕はもう注目の視線にさらされるのはごめんだった。

 

だからとはいえ、僕の身体は変わらず魔女で、瞳には赤い魔眼が光ったままだ。普通の生活に帰ることなんて、夢想するだけでも滑稽だと分かる。

 

 

そんな中対策課が提案したのは、僕を完全に新しい魔法少女として新生させることだった。

 

僕の髪は特別製だ。放置していても艶は不気味なほどに残り続けるし、短く切っても次の日には元の長さに戻っている。

しかし染めることは出来た。もはやトレードマークとなった白髪を、赤みがかった茶髪に変えた。元々僕の髪はこの色だった。

 

目を隠す布は対策課が用意してくれた。今までつけていたような、間に合わせの切れ端じゃなくて、簡単に外れず、常にも着けていてもおかしくないような物だ。

 

目印となる瞳と髪を隠せば、僕と大して関わりを持たない人々は僕の正体がわからない。今の僕は、目が見えない新人の魔法少女でしかない。

しかし共に活動する同僚———魔法少女たちには、「椿(カメリア)」の事情は完全に公開された。

 

元魔女である魔法少女に、みんな興味しんしんで近づいて来る…そんなことはあるはずが無く。全員が僕と微妙に距離を取っている。

もちろん悲しいし寂しいけれど。仕方ないと納得している。むしろ、臆さず僕に歩み寄ってきた桜たちの方が例外なのだから——

 

「っ!」

 

携帯が通知を知らせた。驚きに喉が締まる。同時に湧き上がるのは、自責と疑問。

 

確かに通知はオフにしたつもりだったけど。切っておくのを忘れていたようだ。

 

こんなくだらないこと、ではない。

携帯が鳴ることが嫌いになった。自分で連絡先を消去したのに、彼からの連絡を待っている自分がいるからだ。

 

メッセージアプリはブロックしたし、彼の電話番号も着信拒否にした。

 

彼に失礼で、最低な行為だと分かっている。恋人のことをなにとなく聞いて、驚いたふりをして、祝福するのが最善だと分かっている。これからも、仲の良い友人として付き合っていく方が良いって分かっている。彼は彼女がいても、僕を蔑ろにしないことも分かっている。

 

でも、それでも、彼と繋がった糸があることが。辛くて仕方なかったのだ。

今ごろ彼は僕に怒りを抱いているだろうか。そうだったらありがたい。嫌ってくれたなら、僕も距離を取らざるを得なくなるから。

 

動悸が落ち着いてきたことにほっと息をついて、携帯の画面を覗き込む。

 

[今週末はそっちに帰れそうなの!良かったら一緒に遊ばない?]

 

メッセージの主は桜だった。

彼女は驚くほどに出世した。噂によると、県内一と名高い綾芽と五分五分だという実力まで成長したようだ。そんな彼女は今、対策課のプロパガンダとして綾芽や菫、ひまりたちと一緒に色々な場所を飛び回っている。

 

[誘ってくれてありがとう。僕でよければ喜んで]

 

桜は今まで僕に何かを求めていた。それがなくなったのに気づいたのは最近のことで、現在の桜は輝く顔で人々に幸せを振り撒いている。

僕に遠慮なく接してくれるのは、今や桜たちしか居ない。すなわち、今の僕の楽しみは彼女たちに会うことくらいしか無いのだ。これじゃあ僕の方が桜に依存しているな、と思って苦笑が漏れた。

 

 

 

携帯をカバンにしまって、街を歩く。もちろん目隠しは外さない。魔女の力で人の影だけは見えている状態なので、それでもあまり苦労はしなかった。気をつけなければいけないのは、道に転がる障害物だけだ。

例えば、まだ回収が終わっていない瓦礫。ヘクセが破壊した建物の一部。ヘクセは街の廃屋の大半を破壊したようで、街の交通は未だ滞っている。

そのせいか、外に出ている人はやや少なめだ。車はあまり走っておらず、道を歩く人もそう多くはない。

 

貸し切り気分で、鼻歌を歌いながら歩いた。好きなアーティストの曲。彼と見ようと約束していたアニメのオープニング。

結局、彼との約束は果たせなかった。その後ろめたさからか、そのアニメを僕は見ていない。これからも見ることはないだろう。僕は今後も、曲だけを知って生きていく。

 

道を曲がる。ちょうどサビに入って、声に少しだけ力が入る、瞬間に。

他の歩行者を発見した。ベビーカーを押す女性。すぐに鼻歌を辞めたが、遅い。

顔がかっと熱くなった。

 

下を向いて、意識しないように通り過ぎよう。それが一番恥を誤魔化せるはずだ。女性との距離はおよそ数メートル。さっさと女性から距離を取ろうと足を早めたのと同時だった。

 

「あっ」

 

女性は小さな瓦礫に躓いて、ベビーカーを押すようにつんのめる。ひっかかった車輪部分を作用点にして、ベビーカーが勢いよく前に傾いた。そうすれば当然、そこに座った赤ちゃんは——

 

「っぶない!」

 

ベビーカーと地面の間に滑り込んで、中に居た赤ちゃんの下敷きとなった。ギリギリでその行動は間に合って、なんとかクッションになることに成功する。

 

突然の衝撃に驚いたのか、大きな泣き声が空気を裂いた。

 

「すっ、すみません!大丈夫ですか!?」

 

気が動転した様子の女性の声。僕はベビーカーの下に伏せているので、手だけだして応対する。

まずは赤ちゃんが怪我をしていないかの確認だ。泣き叫ぶ赤ちゃんをベビーカーから救出し、自分の胸の中に子を据えて、安定するように軽く抱きしめると。

 

そのまま僕は動けなくなった。手に伝わる温かさがびっくりするほど幸せで困惑した。

僕に抱っこされて、なぜか赤ちゃんは泣き止んだ。僕の方をじっと見つめている。僕もまた、胸に湧いた感情に覚えが無くて、正体を確かめるようにこの子を見ている。

僕は影しか見えない。だから、この子の瞳の色は分からない。でも触れ合った肌から伝わる感情に恐怖の色は無い。あまりに無垢な視線に怯んでしまう。僕に向かって伸びてくる小さな手に反応できない。

この子の手は、誰にも阻まれることなく、

 

僕の頬に触れた。

 

限界だった。温かさが頭のてっぺんまで僕を満たす。それでも湧いた熱は留まらない。目に巻いた布がみるみる湿っていく。濡れていく。

両手でこの子を抱いているから、それを拭えない。拭えないから、次々と溢れ出す。もう目隠しはぐちゃぐちゃだ。

涙はまだ、一向に止まる気配がしなかった。

 

 

 

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