振り下ろされた太い腕を、
「逃げて!」
後ろで尻もちをつく女性に向かって叫ぶ。女性は足を震えさせながらも、僕に感謝を投げかけてその場から去っていく。
それを待ってくれる相手ではない。眼前の怪人が僕の剣を鷲掴み、勢い腕を真横に振り払う。
その動作に対応できなかった。軽い体は簡単に吹き飛ばされる。受け身を取ることも失敗して、背中全体に硬い衝撃。
肺をやられて声が出なかった。
怪人は伏した僕に向かってゆっくりと歩いている。満足そうに笑みを浮かべているであろうことは想像に難くない。追撃を恐れて、なんとか立ちあがろうとする。落ち着け、まずは呼吸だ、攻撃を食らわないことだけを考えろ、そうすれば———
ずっ。
と、生々しい音がして、怪人の上半身だけが地面に落ちる。僕の身長よりも大きな太刀が、怪人を後ろから真っ二つにしていた。
怪人は何をされたのかまだ分かっていない。自分の下半身だけが立っている様子を地面から見上げて、不思議そうにしている。
すぐに怪人は光の粒子となって消えた。
その光の先から、人の気配が近づいてくる。
「…カメリア。単独行動は危ないから、その」
「ごめん。すぐに行かないと、あの人が危ないと思って」
「うん。気持ちは分かる。でも、行動する前に一言報告してほしいかな」
「…ごめんなさい」
「…あー、そんなに落ち込まなくてもいいよ。ただ、私たちも無敵って訳じゃないから」
あなたは例外かもしれないけど。
これは僕の被害妄想だ。目の前の少女はそんなこと思っておらず、ただ純粋に助言をくれているだけだ。
会話が終わると、彼女は変身を解いて逃げるようにその場から去っていった。
それを黙って見送る。彼女と対策課で鉢合わせないように、遠回りをして帰ろうと思った。
魔法少女カメリア。
それが今の僕の名前だ。
人間の味方となった怪人が、魔法少女となった例がある。それはまさに今の僕の状況を体現している。
ヘクセがこの世界を去ってから早数週間。「魔法少女ナーサリー」なんて悍ましい名前が膾炙し始めた時、僕は対策課にその名を捨てたいと言った。全てに嫌われるよりは遥かにマシとはいえ、僕はもう注目の視線にさらされるのはごめんだった。
だからとはいえ、僕の身体は変わらず魔女で、瞳には赤い魔眼が光ったままだ。普通の生活に帰ることなんて、夢想するだけでも滑稽だと分かる。
そんな中対策課が提案したのは、僕を完全に新しい魔法少女として新生させることだった。
僕の髪は特別製だ。放置していても艶は不気味なほどに残り続けるし、短く切っても次の日には元の長さに戻っている。
しかし染めることは出来た。もはやトレードマークとなった白髪を、赤みがかった茶髪に変えた。元々僕の髪はこの色だった。
目を隠す布は対策課が用意してくれた。今までつけていたような、間に合わせの切れ端じゃなくて、簡単に外れず、常にも着けていてもおかしくないような物だ。
目印となる瞳と髪を隠せば、僕と大して関わりを持たない人々は僕の正体がわからない。今の僕は、目が見えない新人の魔法少女でしかない。
しかし共に活動する同僚———魔法少女たちには、「
元魔女である魔法少女に、みんな興味しんしんで近づいて来る…そんなことはあるはずが無く。全員が僕と微妙に距離を取っている。
もちろん悲しいし寂しいけれど。仕方ないと納得している。むしろ、臆さず僕に歩み寄ってきた桜たちの方が例外なのだから——
「っ!」
携帯が通知を知らせた。驚きに喉が締まる。同時に湧き上がるのは、自責と疑問。
確かに通知はオフにしたつもりだったけど。切っておくのを忘れていたようだ。
こんなくだらないこと、ではない。
携帯が鳴ることが嫌いになった。自分で連絡先を消去したのに、彼からの連絡を待っている自分がいるからだ。
メッセージアプリはブロックしたし、彼の電話番号も着信拒否にした。
彼に失礼で、最低な行為だと分かっている。恋人のことをなにとなく聞いて、驚いたふりをして、祝福するのが最善だと分かっている。これからも、仲の良い友人として付き合っていく方が良いって分かっている。彼は彼女がいても、僕を蔑ろにしないことも分かっている。
でも、それでも、彼と繋がった糸があることが。辛くて仕方なかったのだ。
今ごろ彼は僕に怒りを抱いているだろうか。そうだったらありがたい。嫌ってくれたなら、僕も距離を取らざるを得なくなるから。
動悸が落ち着いてきたことにほっと息をついて、携帯の画面を覗き込む。
[今週末はそっちに帰れそうなの!良かったら一緒に遊ばない?]
メッセージの主は桜だった。
彼女は驚くほどに出世した。噂によると、県内一と名高い綾芽と五分五分だという実力まで成長したようだ。そんな彼女は今、対策課のプロパガンダとして綾芽や菫、ひまりたちと一緒に色々な場所を飛び回っている。
[誘ってくれてありがとう。僕でよければ喜んで]
桜は今まで僕に何かを求めていた。それがなくなったのに気づいたのは最近のことで、現在の桜は輝く顔で人々に幸せを振り撒いている。
僕に遠慮なく接してくれるのは、今や桜たちしか居ない。すなわち、今の僕の楽しみは彼女たちに会うことくらいしか無いのだ。これじゃあ僕の方が桜に依存しているな、と思って苦笑が漏れた。
携帯をカバンにしまって、街を歩く。もちろん目隠しは外さない。魔女の力で人の影だけは見えている状態なので、それでもあまり苦労はしなかった。気をつけなければいけないのは、道に転がる障害物だけだ。
例えば、まだ回収が終わっていない瓦礫。ヘクセが破壊した建物の一部。ヘクセは街の廃屋の大半を破壊したようで、街の交通は未だ滞っている。
そのせいか、外に出ている人はやや少なめだ。車はあまり走っておらず、道を歩く人もそう多くはない。
貸し切り気分で、鼻歌を歌いながら歩いた。好きなアーティストの曲。彼と見ようと約束していたアニメのオープニング。
結局、彼との約束は果たせなかった。その後ろめたさからか、そのアニメを僕は見ていない。これからも見ることはないだろう。僕は今後も、曲だけを知って生きていく。
道を曲がる。ちょうどサビに入って、声に少しだけ力が入る、瞬間に。
他の歩行者を発見した。ベビーカーを押す女性。すぐに鼻歌を辞めたが、遅い。
顔がかっと熱くなった。
下を向いて、意識しないように通り過ぎよう。それが一番恥を誤魔化せるはずだ。女性との距離はおよそ数メートル。さっさと女性から距離を取ろうと足を早めたのと同時だった。
「あっ」
女性は小さな瓦礫に躓いて、ベビーカーを押すようにつんのめる。ひっかかった車輪部分を作用点にして、ベビーカーが勢いよく前に傾いた。そうすれば当然、そこに座った赤ちゃんは——
「っぶない!」
ベビーカーと地面の間に滑り込んで、中に居た赤ちゃんの下敷きとなった。ギリギリでその行動は間に合って、なんとかクッションになることに成功する。
突然の衝撃に驚いたのか、大きな泣き声が空気を裂いた。
「すっ、すみません!大丈夫ですか!?」
気が動転した様子の女性の声。僕はベビーカーの下に伏せているので、手だけだして応対する。
まずは赤ちゃんが怪我をしていないかの確認だ。泣き叫ぶ赤ちゃんをベビーカーから救出し、自分の胸の中に子を据えて、安定するように軽く抱きしめると。
そのまま僕は動けなくなった。手に伝わる温かさがびっくりするほど幸せで困惑した。
僕に抱っこされて、なぜか赤ちゃんは泣き止んだ。僕の方をじっと見つめている。僕もまた、胸に湧いた感情に覚えが無くて、正体を確かめるようにこの子を見ている。
僕は影しか見えない。だから、この子の瞳の色は分からない。でも触れ合った肌から伝わる感情に恐怖の色は無い。あまりに無垢な視線に怯んでしまう。僕に向かって伸びてくる小さな手に反応できない。
この子の手は、誰にも阻まれることなく、
僕の頬に触れた。
限界だった。温かさが頭のてっぺんまで僕を満たす。それでも湧いた熱は留まらない。目に巻いた布がみるみる湿っていく。濡れていく。
両手でこの子を抱いているから、それを拭えない。拭えないから、次々と溢れ出す。もう目隠しはぐちゃぐちゃだ。
涙はまだ、一向に止まる気配がしなかった。