——期待以上だ!そうだ、その声だ!もっと響かせろ!
——素晴らしい…確かに折ったはずなのに。壊れる心配のない玩具を与えられた子供の気持ちがよくわかる
——おい、黙るな。気絶できないことくらい気づいている。もっと私を喜ばせ、ろっ!
——ん?なんだ今の嬌声は。こんな行為で感じているのか?なぁ答えろよ。なぁ!
————っっっ!!!!!!
飛び起きる。その勢いのまま辺りを見回す。部屋をぼんやりと照らす小さな電球。剥き出しの洗面台と便器。そして分厚い金属製の扉。この部屋には、僕一人。ほっと安心して体の力を抜く。脂汗でびっしょりの背中が気持ち悪かった。
出された食事の回数から見るに、この地下室に閉じ込められてからおそらく今日で一週間目。
そして、この夢を見るのは今回で七回目だった。ただの夢、ではない。確かに実際に起こった出来事。現実を直視したくなくて、顔を俯かせる。俯かせてしまった。当然視界に入る、自身の体。ぽっこりと膨らんだお腹に、柔らかな胸。湧き上がる吐き気に抵抗せず、洗面台へと走った。
———あの日、僕は蛇人に犯された。あの宣言通り、彼が満足するまで何度も何度も何度も何度も。
やめてくださいと泣き喚いたら、顔を喜色に染めた。殺してくれと呟いたら、恍惚に頬を染めた。
剛直を受け止めるにはあまりにも小さなこの体。地下室へ行くまでにすっかり出し切ったと思っていた涙は、むしろ勢いを増して出続けた。
酸っぱくなった口をゆすぐ。与えられた粗末な服を脱ぎ、洗面台から水を出す。少し濁った水で小さな手を濡らし、体を拭く。一週間も体を洗っていないのに不思議と体は清潔を保っていた。こうやって体を水で濡らすのに意味はない。自分がまだ人間だと信じたくて行っているだけ。ただの意地だ。
———あれから毎日、テレパシーがこの部屋を訪れている。日に日に大きくなる僕のお腹を見て、心底嬉しそうにしていた。獣系の交配と、性質系の交配の相性とかなんとかぶつぶつ言っていたことを盗み聞くに、この子を産んだらまた次の種が仕込まれるのだろう。
身重の体を労ってくれる人は存在しない。体を拭いてから、慎重に四つん這いになる。貧相なくせに女性らしい体から滴り落ちた水が、床を濡らしていた。その小さな水たまりを、一枚の布で拭く。その布はぼろぼろで、黒く燻んでいないところはもうどこにもなかった。
「……?」
ふと振り向くと、拭き取ったはずの床が濡れていた。不思議に思いながらも、再び身を屈める。その時、下腹部に確かな違和感を感じた。服をめくってみると、股から垂れる水。どうやらこれが原因だったらしい。臭いを嗅ぐ。尿ではないと思う。首を傾げていると、おもむろに扉が開いた。
耳朶を叩く不快な音。この扉が開いて良かったことが一度もなかったため、僕はパブロフの犬よろしく扉の音を聞くだけで胸中に不快感が広がるようになっていた。
扉から顔を覗かせるは、今日も分厚い眼鏡ごしにこちらを見る猫背の女。もうすっかり見慣れてしまったテレパシーの後ろを、見知らぬ少年が続く。黒檀の髪を短く切り揃えたまだあどけなさの残る少年。背丈は今の自分とほぼ同じくらいであろうか。
頭に走る最悪の妄想。僕に続く、二人目の被害者ではないか。
「ほらぁ、見てくださいマーダー様ぁ。ナーサリーちゃん、もうすっかり準備万端でしょう?」
「ほんとだ。見た目は子供なのに、お腹にも子供を抱えてるなんて面白いね」
僕のことを物としか見ていないような発言にぞっとする。理解した。この少年は
少年は僕のことを虫を観察する幼子のような目で見ながらこう言った。
「こんにちはナーサリー。はじめましての方が良いかな?ぼくはマーダー。この地下室の隣の
ナーサリー。今の僕の名前。数日前、僕に怪人としての名前がないことを憂いたテレパシーがつけた。普通は自分の姿や能力に応じた名前をつけるので、僕の名前は『
少年———マーダーの声に応じて、僕はぺこりと頭を下げる。顔を上げたときに見えた彼の目は、僕の濁った紅い目とは対照的に青く、とても澄んでいて綺麗だと思った。
「自己紹介は終わったかなぁ?それじゃあ、
「こんな目的でぼくを呼び出すなんて君くらいだよ、全く…」
「そんなこと言ってぇ。マーダー様、お顔から愉悦が漏れてますよぉ」
お楽しみ。テレパシーが嬉しそうに語るポジティブな言葉が、僕にとって良いことである事例は今のところ皆無である。無表情に努めていたはずの顔がひきつった。
「ナーサリーちゃん、動かないでねぇ」
テレパシーの妖しく光る目が、僕の膨らんだお腹を見据えた。
!!!!!!?!!!!!!???!!!!?!?!!!!!?!!?!!?!??!!!!?!!?!!
先週の惨劇を遥かに超えた痛みが僕のお腹を襲った。体内から内臓を食い破られるような感覚。あまりの痛みに呼吸すら忘れ、声も出ない。口からかひゅ、かひゅと僅かに空気を漏らし、激しく痙攣する。その痙攣が、突然万力のような力で固く押さえ込まれた。おかげで痛みを逃すことすらできない。何かが下腹部から出てくる感覚。産道をずたずたに切り裂きながら、出口へ向かっている。僕は数瞬ごとに気絶と覚醒を繰り返し、釣り上げられた魚のようにびくびくと体を揺らすことしかできなかった。
「あははぁ、やっぱりマーダー様を呼んでおいて正解でしたねぇ」
「すごいね、この動き。拘束を外したら跳ねて空まで飛んでいくんじゃない?」
呑気に話す二人の声は、もちろん聞こえない。全身が悲鳴をあげている。痛みを感じる処理限界を超えたのか、脳細胞がぶちぶちと切れる音が聞こえた気がした。
ずるん。
千秋にも等しかった地獄が終わる。産まれた。体長は約50cmほど。不気味なほどに全く泣き声を上げない赤子の頭には、百を超える蛇が鋭い牙を剥き出しにしながら激しく蠢いていた。
「自分のお母さんなのに、産まれる前からすっごく攻撃してたねぇ」
「それは君が促進したからじゃないの?」
楽しげに話す二人を傍目に、赤子を見る。胸に微かな熱が広がり、感じていた痛みが少し引いた気がした。無意識に手を伸ばす。赤子の目が、開いた。
「あ……」
血で染色したかのような濃く、紅い目。その目は、前に鏡で見た自分の目と全く同じであった。それと目を合わせた瞬間、伸ばしていた手が止まった。
「この魔眼…!ナーサリーちゃんと同じ『恐怖』の魔眼!?しかも持続型。偶然?もしそうでなければ…」
あ、と思い出したかのように、申し訳なさそうにこちらを見るテレパシー。
「ごめんねぇ、そんなことより先に赤ちゃんを抱いてみたいよねぇ」
そういって腕の中の小さな蛇人をこちらに向ける。そういった人間らしい感性を残しているところが、逆に気持ちが悪い。しかし、今はその好意を大人しく受け取ろうとする———また、目が合った。死体の血液を調べたら、こんな色をしているのだろうか。燻んだ紅色の瞳に縫い止められる。瞬間、胸中から湧き出る根源的な恐怖。また、赤子に手を伸ばすことは叶わなかった。
「…もしかしてぇ、ナーサリーちゃん自身は耐性を持っていない?……。難儀だねぇ」
そう言うと、赤子を抱きかかえたまま彼女は地下室から出ていった。それに続くマーダーは、こちらに微笑を送り、ひらひらと手を振っていた。