冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして 作:fenderlemon
プルガーネットは強者と対峙していた。砂に塗れた足元をものともせず川流れをするように移ろう足さばき。拳一つ打ち出すだけで異音を立てて空気を割る拳圧。プルガーネットの自慢の豪脚を回し入れてもなんなく下をくぐって回避する柔軟性。全てをとってプルガーネットの上位である。
払うばかりか切り落とそうと言わんばかりの足払いに砂煙が舞う。巻き上げられた砂粒が炎天下のダイヤモンドダストのように輝きを撒き散らす。砂塵による目潰しを警戒したプルガーネットの意図に反して光で目潰しをされる形となり、生まれたリズムの空白に轟速の拳が差し込まれ、プルガーネットのまつ毛の目の前で止まった。
「一本! 二本先取したためヒシカワリーサルの勝利!」
「また負けたっ!」
「シニア級がジュニア級の子に簡単に負けるなんて無いのよ〜」
砂浜。波打ち際ではなく、かんかんに照りつける太陽が反射する砂浜である。
グラウンドや体育館のマットの上とは余りに勝手が違う。踏み込めば脚が流され、引けば体幹が上手く動かずあっという間に崩されてしまう。
難しいだろう。と笑う河田トレーナーの言う通り、プルガーネットの現在の体幹では先輩たちから一本を取ることは果てしない難しさを誇っている。外宇宙からの使者を蹴り潰せる豪脚を持ってしても先輩からは一本を奪うことも出来ない。悔しさが背中に滲むのをプルガーネットは抑えることが出来そうになかった。
──昨晩の時は俺が守ってたくらいに弱かったのに。
プルガーネットとヒシカワリーサルを明確に分けることがあるとすれば場数である。何の因果かプルガーネットは神話生物の起こす事件に巻き込まれては豪脚を振るう事があるが、ヒシカワリーサルは悍ましい外宇宙の深淵とは無関係のただの──GIウマ娘をただのと形容していいのかは不明だが──一般ウマ娘なのだ。自らの命の危機が迫った時に躊躇いなく暴力を振るえるのは一つの才能と言っても差し支えないだろう。ヒシカワリーサルに出来るのは“武術”の範囲であり、プルガーネットは“実戦”の範囲である。この場においては武術としての立ち回りがルールとして敷かれている故にプルガーネットは負けたのだ。その違いを区分けせずに強さという単語一つで愚痴を零す所がプルガーネットの弱さでもあった。
「ほら、ドリンク持ってきたぞ二人とも」
河田トレーナーから手渡された程々の冷たさのスポーツドリンクが喉から胃へ流し込まれていく。水分が臓腑に染み渡るような感覚が心地よく、一気に飲み干してしまいたくなるが、塩分糖分の過剰摂取とならないようにちびちびと繰り返し繰り返し飲んでいく。
「ありがとうございますトレーナー。このままだと一本取る前に暑さにやられそうですね」
「この後は山の神社で階段ダッシュだ。木陰しかないから少しはマシになるだろうさ」
階段ダッシュという単語を聞いた瞬間、ヒシカワリーサルの顔色が悪くなる。等間隔でそれなりの高さがある階段を走り抜けるのはかなりの負荷強度がある。常に転ばないように体幹を感じながら太ももを高く上げ続ける必要がある。電撃戦になる短距離を中心に走ってきたヒシカワリーサルには苦戦する要素はないとプルガーネットは考えるも、ヒシカワリーサルはたまらないといった表情を隠すつもりは無いようだ。
「……嫌になるわぁ」
「リーサル先輩は階段ダッシュ嫌いですか?」
「前に石段蹴り崩しちゃった事があってねぇ」
なるほど。とプルガーネットは得心した。ヒシカワリーサルはプルガーネットの同室であるスイートパッションと同じ悩みを持っていたのだ。ウマ娘の特徴でもある膂力を制御しきれていない。パワーが溢れていたのだ。溢れすぎてしまい、階段が犠牲になったのだ。
「結局修理費が大変なことになっちゃって……申し訳ないから岩砕きトレーニングで出てきた岩を奉納して、そのまま工事までしたのよ〜。アレは大変だったわ」
「工事て」
「嘘じゃないわぁ、後でやった所見せてあげるわよ。そこだけ白くなってるから一目で分かるはずよ」
間伸びした声に反した筋肉質な回答に面食らうものの、アレはいい気分転換になったなと曰うアフロを見ていると本当にそうなのだという確信が湧いてきた。別段ヒシカワリーサルの事を信じていない訳では無いが、それはそうとして先輩が神社の階段を破壊して修理工事をしました。と言われた所ですんなり飲み込めるはずは無いのだ。
遠景に向かって白く溶けていく青空の下、砂浜からすぐの山間の道沿いに階段はあった。人はそれなりに往来しているのか清掃はきちんと行き届き、苔むしている訳でもなく、枯葉や土が詰まっている訳でもない石畳である。
「ザックリと二百段はある。これをダッシュで往復してもらう。当たり前だがそれなりに危険だからな。しっかりと意識して脚を上げるんだ」
見上げても先が見えるか否かという塩梅の階段は威圧感を放つ花崗岩で出来ているらく、高く白く燦然と輝く姿は神域への道であることを如実に表していた。もしかしたら他の参拝者もいるんじゃないだろうかという小さな心配もあったが、プルガーネットの心中としては「うわぁ……」の一言である。
「見れば分かる通り勾配はかなりある。……具体的には淀の坂くらいはな」
「これはまたおあつらえ向きの、ということですね」
「坂路トレーニングが合宿中は出来ないからな。ほら、タイムをここまで縮めるのがこの夏の目標だと思たまえ」
ずい、と河田トレーナーが腕を押し出し目の前にタイマーを見せつける。
「……まだ登ってないから分かってませんけど、結構早くないですか?」
「リムマナケルは一度目で出したタイムだ。トリプルティアラを欲するなら、という事だなァ」
「ひぃ」
◇
間断なく脚を振り上げ、打ち下ろす。
振り上げ、打ち下ろす。
振り上げ、打ち下ろす。
森が流れていくのを横目に走り続けるプルガーネットは何度目か分かったもんじゃない溜息を心の中で吐き出した。
まだ肺機能にも足元にも限界は来ていないが、だからといって階段ダッシュを好きになれるかと言えば確かに違った。ヒシカワリーサルの起こした通り、この階段の石は
地面を蹴り飛ばして肉体を前進させる。これはヒトでもウマ娘でも変わらない行動である。そこに隔絶した歩幅の差や膂力の差があっても、地面を蹴り飛ばす事だけは変わらないのだ。だからこそ階段が脆いこの神社を犠牲にしている。走って階段が砕けたということはすなわち、走りに関係ない無駄なエネルギーを発生させているという事だ。脚力全てを前進エネルギーに変換できているなら高らかな蹄鉄の音も、すり減って飛ばされる砂塵も起きないはずである。そればかりか階段を蹴り砕いたと言えば余程パワーに指向性を与えられていないという証明になってしまう。
神社に迷惑を掛けたくないなら、脚力をコントロールして階段を破壊しないように燃費よく走れ。
河田トレーナーの薄ら笑いが頭に浮かんで、プルガーネットは思わず掻き消すように頭を振った。性格の悪いことこの上ない。自身の性格と能力を把握した上で階段まで誘導されたことが何とも憎たらしい。しかし明らかに負荷が肉体に掛かっていくのを感じると、悲しいかな、競走ウマ娘の性として鍛えられる! と喜んでしまうのである。
心中複雑骨折を起こしたプルガーネットが考えることを辞めて走り続けていく。彼女の心肺機能と走力は確実に積み上げられているのである。
◇
「往復十本、終わりましたぁ……」
「ふむ、タイムは届かなかったが──悪くないな」
「お疲れ様プルちゃん」
先にゴールしていたヒシカワリーサルがプルガーネットにドリンクを手渡す。このドリンクも河田トレーナーのお手製のドリンクで、なんでも毎日やる予定らしい朝の健康チェックを元にして成分の調整を行うらしい。トレーナーとはげに難しき職業なのだとプルガーネットは感心しつつも、でもアフロは嫌だな……と残念美人を見ながらトレーナーへの憧れを取り下げた。
「さァてプルガーネットくん。クイズだ」
「はぁ」
「ヒシカワリーサルが破壊し、修繕をした階段は下から数えて何段目!?」
「はぁ!?」
突然のクイズに面食らう。河田トレーナーは「どうだ分からないだろう」という満面の笑みを浮かべていて、それが実に腹立たしいことこの上ないのだが、実際問題分からないのである。
「答えは百二十四段目だ」
得意満面の顔で言われるとそれはもう、拳が出そうであった。プルガーネットの力で拳を抜こうものならヒトミミなど一瞬で全治半年にする事が出来る。幼稚園の頃から叩き込まれる「ウマ娘は力が強いので注意しましょう」の倫理が無ければプルガーネットはまた手を汚す所であった。プルガーネットよりも煽りに強いヒシカワリーサルは声音を冷たくして、
「酷いわぁトレーナー。いきなりゲリラクイズを仕掛けても分からないでしょう」
と援護してくれるので、
「そうですよ! 流石に知りませんって!」
と続けてみるも、河田トレーナーは顔を引き締めて解説に入る。
「そう言うなリーサル、プルガーネット。これはレース中に視野を保てるかという問題なんだ。走っている内に感じた違和感は見逃してはならない。それが競争相手の布石かもしれんからな」
「うぐ、」
「上がってくるタイミングじゃない差しウマ娘が突然上がってきたら? 知らない間に徐々に囲まれて自身の脱出路が塞がれていたら? 気づかなければ“詰み”に入ってしまう。そのためにも視野は広く持っておく必要があるんだ」
「そう言われると……」
納得せざるを得ない。高速走行中でも階段の白色が一際強い所を見つけ、何段目か当てる。これだけで動体視力、的確な判断力、そして自身のいる位置の把握が必要なのだ。単に全身に高い負荷をかけるトレーニングだと考えていたが、更に頭を使うとなるとラムネが恋しくて仕方がない。ブドウ糖の補給をねだるしかないだろう。
「分かったらインターバルを挟んでもうワンセット行くぞ!」
「プルちゃん。そのワンセット終わりにまた意味不明なクイズが来るわよこれは」
「目が疲れそうです……」
河田トレーナーとヒシカワリーサルの声に身も心もへとへとになるプルガーネットであった。
◇
人参焼き。人参焼き。人参サラダに人参ソテー。人参ハンバーグからの人参サラダ。人参スープを飲んで喉を湿して人参グラタン。デザートの林檎ケーキのために節制しながらもやはり人参料理を食す。
人参尽くしである。
前世から人参はそんなに好きでは無かった筈なのだが、ウマ娘になってからというもの、人参がいくらあっても足りないのだ。プルガーネットは大食漢とはいかないものの、平均よりはずっと食べる方であった。
夕食どき、合宿所の食堂には多くのチームが並んでいた。全国に幾つかある合宿所の中でもそれなりの値が張るこの王港の合宿所には人気の理由があり、そのひとつが食堂の充実であった。
トレーナーから提出されるメニューを完璧に再現し、その上で美味に仕立て上げる料理人チームは夏合宿の為に集められた精鋭。地元の料理店から生え抜きで選ばれたエリート集団である。
「凄い美味しい! 昨晩のコンビニ飯が嘘みたいです!」
「この人参焼売、アリだな」
「あらぁ、林檎プリンのお代わり欲しい? フェイク」
「いやっ、いい!」
「『いや、欲しい』?」
「ぐぅ、」
やはり前世に比べて人参やリンゴの品種改良が著しいとプルガーネットは思う。味覚が甘味寄りになった事を含めても食生活はずっと野菜が多くなり、そして量が正気では無い。
いや、慣れてしまったので思うところは無い。無いはずなのだが、ふとした瞬間に「俺、こんな量食べられなかったよな 」と心中で思うのだ。
そしてあんまりに食べすぎると太ってしまうと考える自分が少しおかしく感じている。いくら食べても痩せていくばかりの痩躯であり、食事が苦痛ですらあった前世とは大違いだ。
そう考えれば前世の分までしっかりと食べておこうという考えに至るのも自然なことであり、食事を至上の幸福として扱える幸せに浸りたいのもまた自然な事だった。
走る度に課題点が見つかる。走る度にまた速くなる。走る度にお腹がすいて、食べていくだけで身体が成長していく。
あり溢れたウマ娘の幸福は、プルガーネットにとっての至上の幸福なのだ。
「明日からも頑張ろう、って言えるんだ、俺」
「どうした? プルガーネットくん」
「いや、なんでもないですよ。トレーナーさん」
18時になる前に投げられると思って急いだので誤字がチラホラありました。
直しました。
次回はちょっと遅くなります。