冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして 作:fenderlemon
炎天荒ぶく浜辺で今日もプルガーネットは走り続けている。ついさっきまで目隠しスイカ割りトレーニングをしていたのだが、うっかり本気を出してしまい、スイカを通り越して浜の砂まで一刀両断してしまい河田トレーナーから「もう私が居なくてもスイカ割りは出来る……キミは自由だァ……」としみじみとした顔で卒業宣言をされてしまったのだ。
河田トレーナーとしては視界不良でも状況把握する能力を養いたかったのだろうな、と考えながらも午前の予定が吹き飛んでしまったプルガーネットは致し方なく浜辺ロングシャトルランに励んでいた。
無心で走り続けていくら経ったか、足で握り込む砂の量と蹴飛ばす力のバランスを追求しているとついつい走りすぎてしまう。折り返しの海の家に着いて一旦立ち止まろうとして──
「あ、貴女っ! もう終わりですの!?」
──知らぬ間に併走していた隣人が居たことに気がついた。艶のある芦毛のロングヘアーに、同い歳にも関わらず百七十はありそうな高身長。彼女はアハナギナツメ。六月の選抜レースにてプルガーネットを追い込みで打ち破り、既にデビュー戦を終え勝利している同期のウマ娘である。一体いつの間に併走していたというのか。
「いつから? って顔をしないで下さいまし! 見かけた貴女が『併走してもいいけど』って仰ったんですのよッ!」
「急に怒らないでよ声が大きい」
「あらっ、あらあら。失礼しましたわ……」
昂ったアハナギナツメの語気が強くなるのを見てプルガーネットは嘆息する。どうしてこう、プルガーネットの周りには大きな声の持ち主が多いのだろう。スイートパッションだけなら耳障りの良い言葉なので自己肯定感を上げるのに役立つし、明朗な笑顔は周囲の人物を明るくするにはピッタリだ。
しかしアハナギナツメの声は最早怒声に近い。悲しくなるほどにキレている。怒りほど伝播しやすいものはなく、それをわざわざ日常の片隅によいしょと置かれても歓迎できるほどプルガーネットの心は広くない。それでも同期であり、選抜レースで再戦の約束をした相手だ。プルガーネットは諦めて会話を試みることにした。
「それで……ナツメさんはどうして併走を?」
「あぁと、トレーナーさんから『今日は休息日だ』と言われまして……。しかし入学してからというものの、自主練をしない日は無く、走らない日では家の用事を片付けていたため、私は休み方を知らないのです」
なんだかつい最近も聞いたような話である。この世代はワーカーホリックが多いのだろうか。かく言うプルガーネットも自主練の時間は学年平均よりはずっと多く取っているために言うことは無い。
「どうすればいいのか途方に暮れていたのですが、丁度プルガーネットさんを見かけたので声を掛けて……」
「それで私がボーッとしながら生返事をして併走になっていたと」
「そういう事ですわ」
「分かる。私も休み方ってイマイチ分からないから。最近はトパと映画を観たりするけども」
以前スイートパッションと映画を見て以来、プルガーネットの趣味の欄には映画という項目が追加されていた。存外ハマってしまったのだ。映画オタクを名乗るほどでは無いが、サブスクリプションに加入し、暇さえあれば映画を観ては余韻に浸る日々を過ごしている。この余韻が感じ入られるのならば自身に余裕がある、という自己判断プロトコルのような扱いもしているが、それ以上に映画を鑑賞するのが楽しいのだ。
「映画……そんなには観ませんわね。何か最近のおすすめってあります?」
「キッキン・オン・ヘヴンズ・ドアかな。ラストシーン、めちゃくちゃ泣いたよ」
「……天国では海の話が流行ってる。ですわね。全然最近の作品ではありませんけども」
「知ってるの!? いやさ、サブスクで見たものだから」
「サブスクリプションも悪くないですけど、劇場でやってる話を聞きたいですわね」
「じゃあ『ちょうるいの子』とか。あんまり邦画観ないんだけどこれは良かった」
「鳥類博士のちょークンさんの自伝を元にしたドキュメンタリーでしたっけ? まだやってましたわね」
「本物のちょークンが逮捕されるシーンは流石に笑い声出てたよね」
「待って下さいまし!?」
「ネタバレしてる様に聞こえるけど冒頭二十分も無いよ今の話」
「嘘ですわよね……? 本当なら流石に観に行かないと嘘ですわよ」
「この後も凄い濃厚な展開が続くから是非」
プルガーネットの思いの外、アハナギナツメには映画の話が好感触であった。今挙げたタイトルは二つとも学内でメジャーかと言われればノーだろう。映画好きなら反応するタイトルではあるが、あんまり観ないと称した子が反応するには渋いタイトルだ。プルガーネットの中で下がり気味だったアハナギナツメの評価が少し上方修正される。同好の士であれば少しは話が通じると判断されたのだ。
「というか映画好きじゃん」
「いえ! 教養の範囲でしか観ていないので……オールドスクールな作品しか知らないのです」
「あー、だから劇場でやってる奴をって」
「そういうことですわ」
アハナギナツメの実家ことアハナギ家は現在のウマ娘界におけるトップの上澄みも上澄み。名家の極みのような存在である。八大競走全てに家名を刻み、過去の凱旋門賞へ挑戦を試みたウマ娘の中で最も高い順位である二位を記録したのもアハナギ家だ。引退後も政財界にて高い影響力を示す姿は度々ニュースに取り上げられていて──アハナギナツメが『映画をあんまり観ない』と言ったのも、きっとそういった出自による自意識による物だろう。名家の教育で付き合わされるだけの映画活動なんて勿体ない。映画とは、自由に見てしかるべきなのだ。
ふとプルガーネットの頭にスイートパッションの笑顔が浮かんだ。かわいい。違う。そこではなく、映画好きであるスイートパッションにアハナギナツメの事情を伝えればきっと自分と同じ様に感じるはず。そう判断したプルガーネットは早速口を開く。
「じゃあ今度トパに会わせてあげよう。スイートパッション。その子は映画大好きなんだよ」
「えぇっ! あのスイートパッションさんに映画趣味が?」
「あの? そんな有名なの?」
「有名も何も、私たちの世代で最も早く重賞ウマ娘になった最速のウマ娘ですわよ!」
「あはは、確かにそうだ。なら本物に会うともっと凄いよ。あの子、見てくれに反して闘志の塊みたいな子だから」
「それは……会いたいですわね」
「映画好きとして? それとも、ウマ娘として?」
「当然、両方ですわ」
映画研究部を設立、とまでは行かないが誘うグループを作りたいプルガーネットであったが、アハナギナツメの目は爛々と炎に塗れていて、これは口以上に走欲が出ているなと感じる。名家の出なだけはあり、プルガーネットのように蹄鉄で足元をエグったり耳や尻尾を立てることは無いが、それでも目だけは誤魔化しようがないほどに燃えている。
「あ、ナツメ」
「あら? レイン、どうしたのかしら?」
炎の影が他のウマ娘を呼び寄せたのか、アハナギナツメの知り合いらしきウマ娘が彼女を呼び止めた。教官の元で何回か会話した事のあるウマ娘だ。新たに現れたウマ娘はレイントルマリン。柔らかな月毛のボブヘアーが特徴で、彼女も今年デビューしたクラシック戦線の有力バ──つまりプルガーネットの越えるべき目標の内の一人である。レイントルマリンは心底心配そうな顔をしてアハナギナツメに話しかける。
「走ってるの見つかってたよ。トレーナーが呼んでた」
「あ、あらあらあら。走ってなんかいませんわよ。ねぇプルガーネットさん」
「え、」
突然のキラーパスに面食らうプルガーネット。いくら面倒見がいいプルガーネットといえどオーバーワークを隠す真似は見逃せない。しかし初対面のウマ娘にどう上手く説明したものかと迷っている間にレイントルマリンは口を開いてしまった。
「む、わたしが初対面の子に話すのが苦手だからと逃げたな。その、プルガーネットさん? ナツメは走ってた?」
どうやらレイントルマリンも同じように心配しているようであった。同じ考えを持つのであればすぐにでも返事が思いつく。
「走ってたらしいよ」
「らしい……?」
「私がロングシャトルランしてて、切り上げたらいつの間にか隣に居たんだ。なんでも生返事で並走を許可してたらしくて……」
「でも近くに誰もいなくて、トレーナーに目撃情報を渡した人以外は誰も見てない、と」
「そうですわ! 私が走っていたなんて誰も証明出来ませんことよ! うふふふふっ!」
アハナギナツメはてっきりプルガーネットに庇われているとでも認識したのか、得意げに高笑いをする。しかしながらこの言い草では走っていたと自白しているようなものである。少しばかり呆れたように目尻を落とすプルガーネットと、それを見て口角を上げるレイントルマリンは実に対照的である。楽しげに口元を裂いて笑うレイントルマリンは先程までの優しげな心配した顔と一転して悪者然とした厭な笑みを浮かべてスマートフォンを二人に向ける。
そこに映っていたのは、
「じゃあこの『プルガーネットさんと並走している映像』みたいな決定的な証拠が無い限りはトレーナーさんはナツメを怒れないんだ」
「なッ! なんですのそれは! そんな映像を何故レインが……! まさかッ! トレーナーに情報を渡したのはッ!」
「くふふ……。悪いねナツメ。キミのトレーナーにはバナナを融通してくれると約束してもらったんだ……」
そうだ。数々の個性的なウマ娘が集う教官の元に居たウマ娘の中で、レイントルマリンの事をすぐに思い出せたのは、この強烈な二面性のおかげであった。優しげな顔の下で何かにつけては悪どいイタズラを仕掛け、あの手この手で出し抜いては嘲笑う。実に性格の悪い姿が度々見受けられたからだ。
「この果物狂い! それで友人を売り飛ばすなんてッ!」
「まぁ待ってよ。まだ『映像』はトレーナーに渡していない。撮ったのはついさっきだからね。そこで、だよ。これからレースをして、先着した方に映像の権利が譲られるとしたら? もちろん、トレーニング外だから全速は出さないけど……それなりには本気出してもらうよ」
「貴女……ッ! 受けて立ちますわ! プルガーネットさんも!」
アハナギナツメがビシッとこちらに名指しをしつつ勝手に挑戦を受ける。やはりと言うべきか、アハナギナツメは喧嘩っ早い。選抜レースという大舞台でも挑発だと勘違いしてスパートを仕掛けただけはある。しかしプルガーネットがミスをした前回と違い、今回ばかりはとばっちりに巻き込まれたような気がする。
「私もぉ!?」
「当然ですわ! そもそも走り出した原因はプルガーネットさんが走り込んでいたのを見かけたからですもの!」
「か、勝手すぎるこのお嬢様!?」
「相手が二人居ようが私は、強いよ?」
「そっちも乗り気なの!?」
「まさか走らないなんて言わないよね? 同室のスイートパッションはあんなに強いのに──一番近くで気にかけられているあなたが弱いなんてことは無いでしょう?」
「ッ! 随分言うじゃん!」
ついカッとなって野良レースに参加することになってしまったプルガーネット。しかし、デビューから連勝し、最速で重賞ウマ娘となったスイートパッションに対して思うところがあったのは何も否定できない。プルガーネットは未だにデビュー戦を済ませていないウマ娘なのだ。即座にプルガーネットの心弱い位置を蹴り抜いた口ぶりはジュニア級とは思えない程の狡猾さに溢れていたが──レイントルマリンからすれば日常茶飯事である。
「じゃあ走ろっか! 距離はあの海の家まで。大体千八百メートル。直線だから分かりやすいね。この石が海に落ちたらスタートだ」
まくし立てるようにしてレイントルマリンがレースの条件を作り上げる。主導権を完全に握られた二人であるが、マイルレースならば二人が走れない道理は無い。レイントルマリンが高々と掲げた右手から小石が打ち出され──海面に落ちると同時に三人は風となった。
先陣を切ったのはレイントルマリン。プルガーネットの二歩先を行くスタート技術は圧倒的だ。一歩目は並べていた気がする。しかし二歩目になると途端に伸びが違う。あっという間にハナを取り砂煙を舞上げながら逃げていく。その姿を見てプルガーネットは即座に『逃げ』ではなく『先行』の足捌きに切り替えた。アレを現時点のプルガーネットが追い越してハナを取ることは、業腹ながら不可能だ。
「速いッ!」
「デビューすら出来てない赤ん坊とは違うんだよッ!」
カンカン照りの砂浜の砂が飛び交う中、それでも三人は疾走する。トレーニング外の野良レースと知っているからこそ八割の速度で済んでいるが、それでもレイントルマリンの脚は尋常ではない速度を出している。一目で本気では無いと分かるフォームであり、その走りでプルガーネットとアハナギナツメは置き去りにされているのだ。
コーナーがあるなら第三コーナーに差し掛かる頃合いだろうか。直線のレースは足の溜めが何時まで必要なのか判別が付きにくい。大きく突き放すようにしてレイントルマリンが先頭を行き、三バ身は離れてプルガーネットが追従。そこから二バ身は離れた場所にアハナギナツメが陣取っている。大きく戦局が動くことは無い。直線コースにおいて駆け引きをする余裕は無く、唯一優位を保っているレイントルマリンはフィジカルのみで二人を圧倒している。小細工を弄するまでもなくこのレースはレイントルマリンが支配していた。
「このままっ」
「私をお忘れでなくて?」
残り三百メートルを切った頃合いにてアハナギナツメが大きく進出する。蹴り込まれた地面が削れ飛んでいき、大きく砂浜を抉っていく。五バ身あったはずのレイントルマリンとアハナギナツメの差が次々と縮まっていき、プルガーネットが、プルガーネットだけが置いていかれる。
「またっ! またなのかっ!」
いつかの入部テストの時のようだ。プルガーネットとのレースではなく、先輩三人組の叩き合いに変化したあの瞬間。激情ばかりが先行して、ちっとも追いつかない身体。またなのか。今も同じように、いや、今度は先輩でなく
そっと意識を左脚に向ける。
前回みたいに左脚に振り回される無様はしない。
今回は、上手くやってみせる。
『擬似領域顕現──
地面が、空気が、炸裂した。
音と共に極彩色の明かりが左脚から燐光のように散る。
怖くなるくらいに身体が前に進む。
全能感と恐怖が入り混ざった奇怪な感情が全身を満たす。
目尻が裂けそうな風が顔に当たって、それでも姿勢だけは崩さないようにして、砲弾のように飛んだプルガーネットは二人を交わしてなお進む。
「こいつ、既に──!?」
「プルガーネットさん!?」
ゴール地点を最初に駆け抜けたのは、プルガーネットだった。
「俺の、勝ち、だ! げほっ、げっ、えふ、うえ」
ゆっくりと速度を落として止まったにも関わらず激しく咳き込んで呼吸を大きく乱す。それでも出血はしなかったし、肉体や精神に不調は無い。やはり代償とは不相応な力を呼び出す時に支払うものなのだ。そしてプルガーネットは代償無くこの力を呼び寄せてみせた。実力が成長している証だ。疲労感だけは誤魔化しようがない程に全身に広がっていっているが、それでも野良レースであろうと、勝利の美酒が心地よく脳に回っていく。
「あーあ、まさかデビューしてない子に負けちゃうとか」
レイントルマリンが悔しそうに笑うも、それはあまり心地のいい笑いでは無い。獲物を見つけたように口の端を広げて笑う素振りは背筋が凍るような想いがある。
並ぶようにアハナギナツメも笑っているのかと戦々恐々としながら顔を向けると、心配するような顔つきをしたアハナギナツメが目に入った。
「プルガーネットさん、やりすぎよ」
「え?」
「トレーニング外、でしょ」
「あ」
プルガーネットの脳にあったのは衝動的な敗北への恐怖だけだった。つまり、トレーニング外のレースで出しては行けない速度を出していたということである。左脚のアレは公式戦で使うなとは言われていたが、要は普段から使うなという話であるし、二重に禁止事項をぶち抜いたのである。
三人のウマ娘の背後にそれぞれ馴染みのある気配が並び立つ。
「プルガーネットくぅん。少しばかりお話があるんだよ。なぁ?」
「ナツメさん! ちょっと私は怒ってますよ!」
「レイン! バナナはやるが説教もくれてやる!」
「……これ誰が悪いと思う?」
「どう考えても全員よ」
「そんなぁ」
三人の喧嘩バカはキッチリ絞られた。
悪はここに滅んだのである。
ライバル枠の二人が出ました。
やっぱりいい子ちゃんだけだと書きにくい所はあるので、レインやナツメのような子が居ると話が動かしやすくて良いですね。