冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして   作:fenderlemon

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18話:永遠の閃光

 

 八月も末尾の末の末。

 夏合宿最終日イブであった。

 

 最終日は完全に移動日。そしてその前日である今日は合宿所に展開されたアレコレを片付ける日である。あちこちからウマ娘が現れ、荷物や機材をを抱えてはパタパタと小走りで何処かへと消えていく。聞いた限り一番大変そうなのは離れた無人島に大きなテントを展開したまま帰ってきてしまったチームがいた事だろうか。当然残したままには出来ないため、朝からそのチームのトレーナーは船を緊急で借り上げて海の向こうへ旅立って行った。なんともご苦労さまである。

 

 ウマ娘用のトレーニング機材は基本的に重く作られている。トン単位のタイヤや数百キロのバーベルが日常的に登場し、派手でなくてもウェイトやハードルですら人間には運べない重さで出来ているのだ。そうでないとウマ娘のトレーニングにはとても使用できないという都合があってもまぁまぁ不便である。管理者であるトレーナーの殆どは人間なのだ。管理者が運ぶだけで機材や重機が引っ張り出されていれば忙しないことこの上ない。

 

 そこで生徒であるウマ娘の登場である。運ぶだけでトレーニング! と実に都合のいい事を言って片付けさせるのが日常なのであった。トレーナー陣はこの事に少し胸を痛める者が多いのだが、ウマ娘は大体『使ったものは片付けよう!』と言い切って手伝っている。良い子が多くてよかった。そんなこんなで合宿所は昼過ぎまでドタバタとしているのだ。

 

「プルガーネットくん、次はこれだ。第三倉庫の入口まで持って行ってくれ」

 

 河田トレーナーの元に戻って早々にプルガーネットは新しい仕事を与えられた。並ぶハードルは数えるのが嫌になる量だ。

またハードルですかぁ。とプルガーネットは口を尖らせて抗議するも全く相手にされていない。仕方なしにハードルを両脇に複数抱えてよいしょと持ち上げる。

 

「良いですけど多くないですか?」

「君が2000m分では物足りないと言い出したから持ち出した品なんだよ。少しはそれを汲んでほしいものだが?」

「ぐ、何も言えない……。正論反対!」

「私が運んでもいいが、帰りのバスはとてもじゃないが運転できなくなるだろうね」

「脅迫ですか!?」

「これも正論だよ。合宿所までバスを押した時ですら私が一番にリタイアしただろうに」 

「分かってるけどなんか納得いかないです……」

 

 良い子ではないウマ娘も、まぁいる。プルガーネットは特にそうだった。前世が人間だったウマ娘としては種族差という慣れない観念を持ち出されてもイマイチ納得が出来ないのだ。勿論普段は表に出さないし、特に文句も付けずに生きているが、このアフロ畜生の前で今更取り繕う必要は感じられなかった。

 

「種族の違いなんて保育園から扱っているだろう。その代わり縁日は頑張って用意しておくから頑張ってくれたまえ」

「へ、縁日ですか?」

「なんだ、知らないのかい? 移動日前の夜は地元の人達と提携して縁日をするんだよ。合宿所だけじゃなくてこの地域一帯の人が来る大きなやつだ。てっきり誰かに誘われてると思ってたよ」

 

 知らなかった。確かにトレーナー陣は裏で何かを準備していたが、学園に戻る為にあれこれ準備を進めているのだと思っていた。この夏合宿において強化トレーニングを繰り返していく中でトレーナーの仕事の重さというのはよくよく伝わっている。それに加えて縁日にまで関わっているとなると、いよいよ休み無しである。ふと思い返せばトレーニング合間の焼肉パーティ、キャンプファイヤー、肝試し、怪談大会etc…レクリエーションはかなりの数を用意されていた。その締めに縁日が選ばれたのだろうと考えれば納得するが、膨大すぎる業務量を考えると納得できない。アフロ畜生はアフロ畜生だが、それでもチームの大事な人間なのだ。いつも脚をベタベタと触られたりマッサージされて嫌がるプルガーネットですらそう思っているのだから先輩方は尚更だろう。

 

「生徒が言うのもなんですが、トレーナーの業務量ヤバくないですか?」

「ははっ、何を言うのかね。そこを喜べない様ではトレーナーになんてならない方がいいんだぞ」

「マゾヒスト集団だったりします?」

「ウマ娘という種族へのアガペーがちょっと溢れちゃった人種にトレーナーという札をぶら下げてるんだよ」

 

 ちょっと怖いしキモイな。プルガーネットは素直にそう思った。

 

 

   ◇

 

 

 夕闇もまだ手を伸ばしきっていない夏空の下だった。薄い月が太陽の反対に上り、それでも落ちる西日が支配的なままだった。波音と蝉時雨に挟まれた海風が頬を撫で、されど特別なセンチメンタルを感じるにはプルガーネットの情感はまだまだ未発達だった。

 

 かつて居た世界で、西暦世界において、プルガーネットの頭には思い出の三文字は存在し得ない物だった。変わることの無い乳白色の壁紙、病的に白く染められたカーテン、生活感のない病室がプルガーネットの全てで、彼にとって季節ごとのイベントというものは、せいぜい部屋に備え付けられたテレビの周りを飾る小道具のジャンルでしか無かった。いっそ機械的に進んでいくカレンダーを憎らしく思っていた所で進みが悪くなることは無い。明確に変わる事なんて、徐々に生活を侵食する病魔の進行位のものだった。

 

 それに比べれば、今世の生活は余りに劇物であった。駈ければ消えていく景色。止まることを知らない欲望。怖いほどに近づいていく夢。一日一日が止まってしまうように詰め込まれるトレーニング。それでも、それでも、決して時間は止まってくれない。

 

 今、何も無くなった砂浜を見ているように。朝方まで残っていたはずのトレーニング器具やレクリエーションの道具の数々は跡形もなく、ここで大規模な合宿が行われていたなんて信じられないほどだった。時は過ぎていく。不可逆で、止まることはなく、どうしようもなく全てを押し流していく。

 

 プルガーネットはこれを受け取り、センチメンタルに浸る余裕なんて無かった。これ程効率的に鍛えられる環境を失う事がただ怖かった。プルガーネットと同じように時間をかけて鍛えてくるであろう同期達を、既に勝利を手にしてもなお貪欲に戦う同期達を、果たして自分は同期達を越えられただろうか。メイクデビューを果たせるのだろうか。プルガーネットの頭にあるのはそれだけだった。

 

「変な顔してるね〜プルちゃん」

 

 ずい、と視界に割り込んできたのはスイートパッションだった。相変わらず丸っとしたお団子頭を二つぶら下げている。あざとい髪型だが不思議とスイートパッションの顔に馴染んでいて、随分な事だとプルガーネットは思った。

 

「……トパ程じゃないよ」

「なにおう!? 大切なルームメイトが砂浜で黄昏てたんだよぉ!? 少しくらい心配な顔するってぇ!!」

「……ん。ありがと。でも黄昏れるって程大層な事考えてないよ。ただ、終わったなーって」

「……」

「終わって、帰って、走って、勝てるのかなって、心配になってさ。もう、帰るしかないのにさ」

 

 等々と言葉を放り出した。愚痴を吐く、というのはこういう事なのだろうか。漠然とした不安感がただそこにある。あまねく自尊心をかき集めて身を守ろうとしても、それでも未知への挑戦がそびえ立っている。スイートパッションは何よりも知っていて、そして通り過ぎた道だった。

  

「……プルちゃん。違うでしょ?」

「そうかな」

「今日の縁日のたこ焼きは美味しいのかな! でしょ?」

「は?」

「別にたこ焼きじゃなくても、人参焼きでもソフトクリームでも──なんでもいいの。今日を楽しみなよプルちゃん! そんな不安そうな顔は美少女の顔にあっちゃいけないんだよ!」

「美少女て、わざわざ言う?」

「テレビの人達にべっぴんさん言われて喜んでたくせに〜!」

「うわうっさ。大体ウマ娘なんて皆大概が美少女でしょ。比べるのもなんか変なくらい綺麗な子ばっかだよ」

「んん〜、でもプルちゃんは綺麗だよ。比較とか美醜とかそういうんじゃなくて、もっと根っ子の方でさ」

「どういうことなの……」

「わかんない! それより今晩空けておいてよね。この最強鬼かわ未来の短距離王・スイートパッションがプルちゃんのために隣空けてるんだからさぁ!」

「……ふふっ、トパ、自信ありすぎでしょ」

「自尊心全一にしてプルちゃんの好感度ランキングトップランカーだよ! 嫌とは言わないでしょ?」

「それは、まぁ」

「決まりっ! ちゃんと可愛い浴衣レンタルしてきてよね!」

「えぇー……」

 

 なんだかプルガーネットは全てが馬鹿馬鹿しくなった。いかにもな夕焼けの中で黄昏ていたことも。ジュニア級のありがちな悩みを吐露したことも。沈んでいた気持ちを抱えるよりも、スイートパッションが差し出す人参焼きにかぶりつく方がよっぽどありがたい。

 

 くつくつと笑う喉が声を漏らす。スイートパッションはふふん、と胸を張るのでプルガーネットは思わず肩をぺしぺしと叩いてホテルの浴衣レンタルサービスへ脚を向けるのだった。

 

 数十分後。持ち込んだ、というよりはスイートパッションに持ち込まされた化粧ポーチを久しぶりに使い、浴衣レンタルサービスで借りた浴衣を身にまとい、いつかだかに走り込んだ神社の元へ歩いた。草履も浴衣も何もかもが動きにくく、それに道行く人も多い。拘束具で捕まえられた時の事を思い出しながら歩いているとお目当てのお団子頭が視界に写った。

 

「お待たせ。待った?」

「ううん。今来たとこ!」

「早速嘘つくじゃんその手にある焼きそばは何だ!」

「せっかくお約束に乗ってあげたのに酷いっ!」

 

 えぐえぐ泣くスイートパッションは、正直に言えば可憐だった。大輪の花火を咲かせる黒地の浴衣は意外な大人らしさを醸し出し、お団子に刺された簪は絢爛な飾りを拵えているにも関わらずスイートパッションの顔を引き立てるように鎮座していた。イベント用の橙色のライトがそこらかしこで炊かれていて、夕焼けも終わる逢魔が時の空から降る光の色も派手に降り注いでいる。それら全てを飲み干してもなお、スイートパッションが主役の様に輝いていた。しかし、せっかくの姿を焼きそば一つで台無しに出来るのだから凄まじい物がある。良くも悪くもスイートパッションだった。

 

「それにしても本当に浴衣着てくれるなんて、ありがとうね!」

「本当にって何だよ本当にって」

「年中ジャージしか持ってなかったウマ娘がなんか言ってる〜!」

「ぐっ……」

「でも、すごく、いいと、思うかも……うん」

「……そう? そっか」

 

 スイートパッションは何かを飲み込むように口をパクパク動かして、それだけ言うとまた口を窄めた。金魚みたいだった。アヒル口を悪化させた感じだった。プルガーネットは無言でスマートフォンをカメラで起動し、即座に写真を撮った。

 

「ちょっ、それダメ!」

「ダメでーす。一ヶ月壁紙の形に処す」

「やだーっ! スマホ開いたらニヤけるくらい可愛く撮られてあげるからその顔は止めて!!」

「私にわざわざ浴衣なんて着せたんだから、その分楽しませてよ。ねぇ?」

「ぐぬぬ……。分かった! パーフェクトキュートなスイートパッションにかかればプルちゃんがデートだと思っちゃうくらいのリードしてあげるんだからぁ!」

「私はずっとデートだと思ってたのにトパは違ったんだァ……。あーあ。泣いちゃいそうだぁー」

「ズルいよ!? 今のは流石に誘導が酷くない!?」

「冗談。今日はリードしてよね」

 

 指を差し出して、スイートパッションが受け取って絡める。全体的に小柄なプルガーネットの手より一回り大きな手だった。子供っぽい、というか子供そのものであるスイートパッションの印象からは大きくて、少しだけプルガーネットは驚いた。指を一本一本交互に絡めた手を、少しだけ力を込めて指の付け根をくっつける。いわゆる恋人繋ぎだったが、プルガーネットもスイートパッションもそこに言及することは無い。二人とも自分の脳内で言い訳をするのに忙しいだけだった。思い出したようにプルガーネットが声を上げる。

 

「ね、ねぇ」

「は、はい?」

「……はぐれないようにしよ」

「そう、だね」

 

 祭りも始まり人の気配は濃くなり続けている。屋台の通りなんて肩先で群衆に割り込まないと移動が難しくなってきている程だった。その現状を見るに自然な提案ではあったが、プルガーネットの方からそうお願いをする事は珍しかった。スイートパッションは「離れないでね」と耳打ちして手を引き寄せた。五センチ差の二人が肩を寄せ合うと、背が高い側であるスイートパッションが少しだけ大人っぽく見える。それでも一五四センチなのだが、一四九センチのプルガーネットよりは上だった。

 

 スイートパッションが宣言通りにリードしながら歩き始める。どこかで鳴っている祭り囃子とステージの音響が山辺を流れ、串肉やたこ焼きが焼かれてパチパチとした油が跳ねる。スイートパッションの強気な歩に少しばかりの意外性を感じつつもプルガーネットのお腹は食欲を刺激されて活動を開始していた。

 

「とりあえず人参焼きでしょ! おじさん! 人参焼き二本!」

「あいよ」

 

 祭りはウマ娘の合宿所を発端にしたイベントであるがためか、並ぶ屋台はウマ娘の好む人参やリンゴを初めとして、バナナや食べ応えのある肉などが続く形で扱われているようだった。スイートパッションが屋台のおじさんから受け取った人参焼きを、その手に持ったままプルガーネットの口元へ差し出した。プルガーネットは迷うことなくかじりつき、前世では口にすることは不可能だった快楽を味わう。

 

 美味だ。やはりこの世界の人参は前世の数倍は改良が進んでいるのだろう。カリッと鳴る皮目に牙を立てると果汁のような甘みがふわりと広がる。優しく口内を包む甘味を引き締めるように粗塩が後から追いかけ、たるみの無い味付けのまま嚥下する。後味にほんの少しの植物らしい風味が残るのだが、青臭さとは無縁の爽やかさだ。

 

「ん! 美味しい!」

「良かったぁ! 私も……んんっ! これおいひい!」

 

 続けざまに焼きそばやたこ焼きを買っては口に放り込まれていく。毎度毎度スイートパッションが手に持って食べさせようとするのだから少しばかりの気恥ずかしさがあったものの、どちらかと言えば食欲が勝った。食べさせられることに慣れるのはいかがなものかと思うが、スイートパッションの満足気な顔を見ているとそれもどうでも良くなるのだ。

 

「んく、トパ、そんな食べてないけど大丈夫?」

「えぇっ!? いやいや食べてるし。いやさ、ほら。プルちゃんが食べてるの見てたらなんかおなかいっぱいになるし──」

「この量で!? 良くないよトパ! ウマ娘ならもっと食べないと。今身体作らないと学校戻った時に後悔するからね」

「プ、プルちゃん……その、プルにご飯あげてるのが楽しくなっちゃっただけだから、気にしないで── 」

「分かったトパ。それなら私がトパにあーんしてあげるね。それならトパも、嫌じゃないよね?」

「うぅっ! 分かったよう……」

 

 ベビーカステラを買ってきて屋台通りから外れ、少し薄暗い木のそばでプルガーネットは食べさせてあげることにした。スイートパッションは恥ずかしそうに足元へ目線を落としていたので、プルガーネットはさっと頬に左手を添え、薬指と小指で顎を持ち上げた。右手で爪楊枝に刺したベビーカステラを構えてゆっくりと口元へ近づけ──ふにっ、とした感覚が爪楊枝を持つ右手に帰ってきた。

 

 スイートパッションは口を開けておらず、唇でベビーカステラを受け止めていた。そればかりか反抗するように目を開いてプルガーネットを見つめているが、生来の可愛らしい顔があってはただの上目遣いに見えた。──さっきは散々私に餌付けしたくせに。プルガーネットの内心が燃え上がる。左手で持ち上げていた指を解き、代わりに親指を唇をなぞる様に滑らせた。艶やかなスイートパッションの唇は少しだけ震えていて、反抗的な目付きとは裏腹に期待するように揺れていた。

 

「いい子だから……ね?」

「んっ」

 

 なら、お望みのままに。プルガーネットは左手の親指をそっと腔内へ差し入れた。素振りがあったとはいえ急な異物感にスイートパッションが驚き、少しだけ口を開いてしまう。プルガーネットはすかさず右手のベビーカステラを差し込んだ。指より大きなベビーカステラが入るとスイートパッションは驚いて顔を引くものだから、プルガーネットは一切の容赦なく顎を持ち、「喉に詰まっちゃうと危ないから、咀嚼しようね」と誘導する。すっかり赤子をあやす様に扱われるスイートパッションは想像よりもずっと恥ずかしかったからなのか、耳の中が真っ赤になり、木の幹に押し付けられている尻尾は逃げ場がないのに身体との間でジタバタと暴れ回っていた。「んくっ」と小さな声が喉から漏れて、嚥下する様に頭を動かしたスイートパッションを見て、プルガーネットはまた咥内に指を差し込み、「ちゃんと飲み込めた?」と言いながら舌を引き出した。口の中に残っていない事を確認したプルガーネットはそっとスイートパッションの耳元で「いい子だね」と囁いた。すっかり腰が抜けてしまったスイートパッションはへなへなと座り込みながら抗議の声を上げた。

 

「んんっ! んくっ、急! 急過ぎるよプルちゃん! まだ私には早いって! それに私だってここまではしなかったでしょう!?」

「素直にあーんを受け入れないトパが悪い」

 

 顔を赤くして怒るスイートパッションを横目に引き抜いた親指を見ると、ベビーカステラの粉砂糖がべったりと付着していた。美味しそう。プルガーネットは何の躊躇いもなく親指を口に入れて舐めて綺麗にした。やっぱり甘い。上白糖がよりキメ細やかな味になっていて、美味しい。

 

「ばっ、ばか!! ばかぁ……」

「……? 美味しいよ?」

「……プルちゃん、そのうち刺されるよ。というか刺すよ」

 

 赤って二百色あんねん。と言わんばかりに豊かなカラーシフトを見せたスイートパッションは余りの事態に、極まって力が入りすぎていた筈の肩からドッと力が抜けていくのを感じていた。少々浮世離れした風貌をしたプルガーネットの中身は、これまた浮世離れした挙動をする。真っ当な人生経験の無いまま精神年齢を重ねってしまった弊害なのだが──スイートパッションには知りようもない話だった。

 

 配られていたウェットティッシュで手と口元を拭う。次は何の屋台へ向かおうかと声をかけてスイートパッションへ手を差し出すと、先程よりもたどたどしく指を絡められた。躊躇する、というよりは気恥ずかしさを覚えたような遠慮の仕方。スイートパッションらしくないな。とプルガーネットは思った。先程まで主導権を握っていたのはスイートパッションだったが、今となってはプルガーネットが先導する形で人混みを割っていた。

 

「射的だ。トパ、どう?」

 

 触れたことの無い屋台が視界に出てきたものだからスイートパッションに振ってみるも、当の本人は上の空だったの「へ!? え、うん! やる。やるよ!」と妙な気合いの入れ方をしながら返事をした。もじもじとした視線は先を定めておらず、指先をねっとりと蠢かせている事からもスイートパッションは目先よりも手先を気にしているようだった。

 

「すいません。二人分お願いします」

「はい〜。嬢さん方はやった事は?」

「あ! わ、私分かります!」

「じゃあ、トパに教わろうかな」

「っ! 分かったよぉ!」

 

 少し惜しげにスイートパッションは指を離すと、手慣れた手つきでおもちゃの猟銃にコルク栓を詰めていた。「こうやって詰めて、利き手で構えたら転ばない程度に台に身体を預けて、こう!」と手早く撃ち抜く。コルク栓が向かった先のぬいぐるみが大きくノックバックし、右半身を奥の方へ投げやられていた。 理屈は分かった。プルガーネットは見様見真似で装填すると、滑らかに身体を伸ばして銃を向けた。ぽすっ、と軽妙な音と共にコルク栓が打ち出され、ぽとっと続けざまに鳴った。ぬいぐるみが棚から撃ち落とされた音だった。店主がおめでとうと言いながらぬいぐるみをプルガーネットに渡した。

 

「はい、トパ。あげる」

「えっ、いいの?」

「欲しかったんでしょ?」

「うん、なんかメンダコって良いなって。嬉しい!」

 

 喜びから小躍りを始めるスイートパッションを見てプルガーネットは渡してよかったと安堵した。正直、さっきは少しやりすぎたと思っていたのだ。なんだかそれからよそよそしく感じていたし、距離感を測り損ねたのかと思ったのだ。だけど、一番プルガーネット自信を不安にさせていたのは──スイートパッションが驚いてえづきそうになった、苦悶の顔を見て打ち震える自分が居た所だ──自身のよく分からない欲望が胸に渦巻いていることを自覚した所だった。

 

 スイートパッションには優しくありたい。なのに、少しだけ意地悪をしてしまいたい、それを行うのも、見るのも、許されるのも自分だけでいたい。心が二つあるようだった。プルガーネットは自身の加虐性の様な心の芽生えに僅かばかりの興奮を覚えた。頬が火照るのは、夏のせいだろう。そう誤魔化しながら。

 

 雑踏に紛れて食べ歩き、少しばかりの意地悪を無自覚にスイートパッションにぶつけ、それでも許されてしまう。その繰り返しは恐ろしい程に心地よかった。悪いことをしている自覚はあるから、相応のの優しさや気遣いを持って返すと、スイートパッションはいつもよりもずっとしおらしく喜んだ。不思議な日だった。それを繰り返す内、回っていない食べ物の屋台は残り一つだった。

 

「りんご飴だね〜! デッカイね!」

 

 サイズのおかしなりんご飴だった。ソフトボールの玉くらいはある。随分と立派な実だった。プルガーネットが「そろそろ腹八分目……大きいなら二人で分けない?」と提案するのも無理はなかった。ちょっとした意地悪心もあったが、スイートパッションは「いいね!」と一言で同意した。

 

 店主から渡されたりんご飴は法外な重さだった。ウマ娘ならともかく、ヒトミミが気安く受け取ったら手首を捻りそうな程だ。驚きながらプルガーネットはスイートパッションとの間に構えた。

 

「いただきまーす!」

「頂きます」

 

 シャクシャクともバリバリとも違う不思議な音がした。サイズが大きすぎて歯跡を見ても全然食べ進められてない程で、食べ切るのにも時間が必要だろう。と、プルガーネットは思っていたのだが、手に持つには些か太すぎるりんご飴の串に大きな振動が伝わっていた。かじられているのだ。りんご飴が。どこから? プルガーネットの真反対から。スイートパッションがガリガリと食べ進めていた。

 

「このりんご、食べたことない品種だねぇ!」

「よくそのスピードで食べ進められるね……」

「むー、美味しいんだよ? 食べ尽くしちゃうよ?」

「そう言われると……勿体ない……!」

 

 プルガーネットも結局りんごにかぶりついた。食べ慣れないものは味わっておきたい一心だったが、大きなりんごはみるみるその体積は減っていき、既に一枚岩の様な形状になってしまっていた。ラストスパートと言わんばかりに二人は加速し、距離だけが縮まっていく。もう飴も何も無い芯だけが白く輝いていた。りんごでお互いの顔が良く見えていなかったけれど、ようやく見通しが着いたと思えば果汁まみれ。ちょっと酷い顔になっていたから思わずプルガーネットが鼻で笑い、スイートパッションもケラケラと笑った。嫌になるくらいの甘ったるい口の中も、目の前の大切な人の油断した顔に比べれば、大したことではなかった。

 

  ◇

 

 祭りの最後は花火なのだ。誰が決めたかも分からないが、プルガーネットは初めての季節イベントの、それらしい締めに期待をしていた。もっと言うなら、スイートパッションと一緒に過ごした時間の締めに期待していた。

 

 二人は神社の境内から離れた林を歩いていた。じっとりとしていて鬱蒼とした竹林を抜け、藍色と墨色のグラデーションが綺麗な空が、林ばかりの景色を割るように出迎える。プルガーネットが階段ダッシュを繰り返す中で見つけた、海岸から海原を一息に見渡せるお気に入りの場所だ。

 

「見てプルちゃん! 人がゴミのようだぁ!」

「わさわさしてる」

「見下ろすのは良いねぇ!」

「この後は見上げるんだけどね」

 

 他愛のない会話をしながらその時を待つ。本当は終わって欲しくない。大切な人に精一杯のお洒落を見せて、沢山食べ歩きをして、二人だけの思い出を作ろうとする時間が終わって欲しいなんて、望むはずがない。しかし、しかしながら時間は止まらない。どれだけ願おうとも流転は続く。不可逆の存在にして力なのだ。たかだか世界を跨いだ転生をした程度のプルガーネットには、とうてい起こせない奇跡だった。

 

 起きない奇跡を願うからこそ、今に永遠を求めるのだろう。奇跡だと認識している限り、永遠は訪れないのだろう。プルガーネットはただ笑った。プルガーネットは自身の命を奇跡だと認識していた。神々の戯れであるこの命は、ヒトには有り余る神秘に満ち溢れている。つまり、プルガーネットには永遠は訪れないのだ。火をつけたロウソクのようにしか生きていけない。ならば、せめて誰かの灯火になりたい。綺麗に燃え盛って、暗い心を照らす誰かであって欲しい。

 

 プルガーネットは隣を見た。花火を今か今かと待つスイートパッションはキラキラと輝いて見えた。眩しかった。彼女は夜道で一人だったとしても灯火は必要そうに見えなかった。それがなんだか、悔しかった。燃え盛る炎の様な彼女には、小さな明かりなど不要なのだ。

 

 眩しいな。

 

 不意に夜空を裂くような音が登っていき、光となって大輪が咲いた。どーん。ぱらぱら。静寂だけが取り柄のこの崖っぷちに極彩色の光が降り注ぐ。花火が始まったのだ。

 

 眩しい。

 

 沢山の燐光が大輪を輝かせる。誰もが空を見上げている。星空でさえも今は花火を見つめている。プルガーネットもまた、大輪を眺めている。

 

 私じゃ、足りないな。

 まだ、足りない。

 

 光を失ったはずの夜に咲く小さな太陽。一瞬の輝きのためだけに消えていくそれらは、スポットライトとして大輪を輝かせた。可憐だった。全ての光を飲み干して、自らを輝かせる尊大な炎。

 

「プルちゃん! 綺麗だねあれ!」

「うん。とっても綺麗」

 

 独占欲、憧憬、友愛、少しばかりの自負。声に出すには余りに複雑な感情が臓腑から零れ出してしまいそうで、思わずスイートパッションの背に手を回し、優しく背後から抱きしめる。スイートパッションは背後から現れた手に指を一本ごとに絡め取り、自身の側へ引き寄せた。スイートパッションの手は震えていた。耐えられなくなったスイートパッションが零す様に口を開いた。

 

「プルちゃん。今、きっとキミと同じ気持ちだよ」

「ん」

「プルちゃん。私ね、今日が楽しくてさ、終わって欲しくないんだ。それなのに花火ってさ、空気に触れたらすぐに消えてしまうでしょう? 綺麗なのに、凄い寂しい」

「ん、」

「時間なんて止まっちゃえばいいのにね」

「ん……」

 

 プルガーネットは曖昧な声を上げることなく、絡めた指に少しだけ力を入れた。くくっとスイートパッションの手が圧迫されて、押し返すように力を入れられた。

 

 星空は回るし、咲いた花は枯れる。

 花火は煤にも満たない灰となって空へ消えていく。

 なら、私たちは?

 空の明かりも無くなったのに輝く大輪がある。誰に頼ることも無く輝かしく生きている。

 誰よりも近い距離にいるはずなのに、プルガーネットは大輪を輝かせる光にすらなれていないと感じた。

 

 悔しかった。

 

 

  ◇

 

 

 燻る火種がある。手をかざしても熱を感じないほどの弱々しい火種だ。余りに弱く、風向きが変わるだけでも消えてしまうだろう。

 

 彼の者の願うは苛烈な悲劇。大きくて、沢山の悲鳴を聞くことで特に益は無いが、そういう存在だった。故に火種に薪をくべる事にした。沢山の炎と薪と少しばかりの風。火種を育て、沢山の願いを託され縋られる炎になったその時、彼の者が炎を消す。

 

 その時、願いはどこへ向かうのだろう。祈りは何処へゆくのだろう。信仰を手折られた羊の群れは、どのように鳴き叫ぶのだろう。想像するだけでも楽しそうであった。

 

 彼の者の名は千の貌を持つもの。

 そんな名前も持っていた。




えっ!!?!??
前回から一ヶ月!!?!!??
まだエタりません!!!!!!

気温差でアレコレ調子を崩したりしてたら遅くなりました。
寒いのは好きだけど寒さ一本で勝負してください。
まぁいつもの二倍の文章量だから許してくれよ。
二人がイチャイチャするの好きだろう?
好きじゃない?
好きになるまで二人をイチャつかせます。
お覚悟を。
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