冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして 作:fenderlemon
『京都レース場第5レース、メイクデビュー芝1600mが始まろうとしています。トゥインクルシリーズに新たな蹄跡を刻むのは誰だ。生憎の雨でバ場状態は稍重との発表です』
『雨粒を肩で切り裂いて九人のウマ娘がターフに出てきます。一番人気は3番プルガーネット。チーム・アンタレスの名前を掲げて堂々とした様子。期待のウマ娘です』
ぱらぱらと雨音がゲートを叩く。朝から突然降り出した雨は芝を濡らすには十分な程で、悪路に強いプルガーネットとしては恵みの雨と言えた。他のウマ娘にはそうではないらしいが、それも含めての幸運だろう。プルガーネットはさっさとゲートに身体を納め、もう一度、先程の作戦会議の事を思い返していた。
◇
「作戦会議もこれで十分だろう」
「コースの説明をしただけですけど」
当日。レース場の選手控え室。プルガーネットと河田トレーナーが顔を突き合わせていた。ホワイトボードにあるのはコースの解説図。以上。もう部室の中で飽きるほどに見て覚えてしまっている図だけが残っていて、これで何を会議するつもりだったのかとプルガーネットは呆れた。
「だってねェ。これを見てくれたまえ」
「これは?」
「今回出走するウマ娘たちのデータだ。……といっても未デビューの子だからデータなんてたかが知れてるが、見るかい?」
「そりゃあ見ますよ」
情報は命だ。何にしても覚えていて損は無い。プルガーネットは並べられた八セットの調査書を順番に見ていく。そして浮かび上がった話は──
「……その、あの」
「濁さなくていい。今回は運が良かったのか……いや、良くないというべきなのか。
「……そうですね」
「だから作戦なんて必要ない。奇策だろうが絡め手だろうが関係ない。プルガーネットくん。キミはいつも通りに走りたまえ。勿論、油断は大敵だがね」
◇
『二番人気は4番ジョンスレオ。雨が振ろうと鋭い眼光はゆらぎません。三番人気は9番レガシイウタハ。応援団の期待に応えられるか』
『ゲートイン完了。各ウマ娘、体勢整いました』
沈むように呼吸を落とす。薄く呼気を吐いて、雨に晒された肌を伝う雨粒を感じて、冷えていく脳をフル回転させる。始まる。これからの人生の全てを決める戦いが、レースが、始まるのだ。
──今。
『スタートです!』
実況が叫ぶよりも速く、他のウマ娘より速く、ゲートが開くよりもコンマ数秒速くプルガーネットは地面を蹴り抜いた。
成功した。
それだけの実感を伴うスタートダッシュだ。
『雨で滑ったのかスタートダッシュがまばらです。3番プルガーネットと4番ジョンスレオが先行します』
スタートダッシュが綺麗に決まったこと、内枠であったこと、他のウマ娘が崩れたことが幸いしたのか、プルガーネットは早々にハナを取る事に成功した。このレース唯一の逃げウマ娘であるジョンスレオが逃げようと必死にスタミナを使うので追従。最内に切り込みたいジョンスレオの邪魔を徹底する。
『熾烈なハナの奪い合い、3番プルガーネットと4番ジョンスレオ。どちらも譲りません。後続も続々と立て直し尻尾を掴まんと走っています』
『3番プルガーネットの方が余裕がありそうですが4番ジョンスレオは苦しそうな表情。このまま拮抗状態とは行かなさそうです』
「はっ! はぁっ! どけよっ!」
「……」
まるで余裕のないジョンスレオが憎々しげに睨んで語気を荒げるが、プルガーネットは努めていつも通りに無視をした。ジョンスレオの走りは調査書と変わらない荒々しくて一匹狼のような走り。なら、ペースに付け込む余地があるということだ。そう、プルガーネットは調査書をキッチリ有効活用していた。河田トレーナー曰く、「頭に入れなくても百パーセントキミが勝つだろう」とのことだが、どうせなら有効活用して完璧に勝ってやろうという気概がプルガーネットの心に生まれていた。なに、いつも通りのことをするだけだ。
ジョンスレオの荒々しい怒気を黙殺した上で常に半バ身をキープし、肩が当たらないギリギリを走り続ける。この距離だと思う通りに逃げられないジョンスレオの苛立ちが全身から伝わってくる。そうだ。それでいい。プルガーネットの思惑通りにジョンスレオはフラストレーションを溜めている。
「どけってんだろぉ!」
『あっと4番ジョンスレオ更に加速する! 苦しそうな表情は変わりませんがこれは作戦通りなのか!?』
『いえ、プルガーネットが常に進路を塞いでいたためストレスが爆発したのでしょう。ゴールまでスタミナが持つでしょうか』
掛かった。プルガーネットは速やかに脚をゆるめ、素直にハナを明け渡した。相手の感情に同調して無闇にスタミナを減らす理由なんて無い。──それはかつて、リムマナケルがプルガーネットに掛けた技だ。視界と思考を占有し、冷静さを奪う技能。術中のジョンスレオはプルガーネットが並ばなくなっても加速を続ける。アレでゴールまでは持つまい。プルガーネットが容赦なく断じて次の標的を見繕う。
『後続集団の速度が上がっています。まだ淀の坂が控えていますが大丈夫でしょうか』
『ジョンスレオが先頭になってからも加速しているからでしょう。このままではバ群全体が際限なく加速してスタミナ切れを起こすのではないでしょうか。おっと気がついたのか1番ザクロビウムと8番セタンタイシがブレーキをかけて後方より脱出』
『これが3番プルガーネットの策略だとしたら相当な傑物です。今回が初戦であることを忘れそうです』
『さあ京都レース場にはこれがある! 高低差4.3メートルの淀の坂! 4番ジョンスレオが凄いスピードで突っ込んでいくぞ!』
ジョンスレオの速度を見て熱に当てられた者と冷静になった者が居る。だが冷静になった所で淀の坂はジュニア級の身体には大きな負担になるだろう。プルガーネットは更に脚を緩めてわざと油断しているように見せかけた。先輩達には通用しないが、
(今か!?)
プルガーネットの真後ろに陣取っていた哀れな被害者、カーボンマスターが好機と勘違いして前進を始める。残念ながらここは好機ではない。カーボンマスターがプルガーネットまで1/2バ身になった所でプルガーネットは大きく地面を揺らした。震脚である。モットフェイクの十八番であり、一番弟子のプルガーネットが真っ先に習得した威圧だ。
「わぁっ!?」
轟音が突然足元から飛んできたものだからカーボンマスターは大きく身を逸らして驚き、そして姿勢を崩したことにより失速した。よりにもよって坂の始まりで失速したのだ。最早上がってくることは無いだろう。三番手まで上がっていたカーボンマスターが垂れてきた事により、後続集団はひとまとまりに頭を潰されることになった。
『ああっと6番カーボンマスターが失速!
巻き込まれる形で5番2番7番まで後ろに追いやられます!』
『4番ジョンスレオ3番プルガーネットが下り坂で加速していきます。後方集団との距離は6バ身ほどか』
坂を駆け下りる。勾配が急に強くなるものだから重力が身体を振り回す。しかし、これを味方に付けられなければプルガーネットはトリプルティアラなどという夢物語を手にすることはないだろう。ヒシカワリーサルと共に走り続けた神社の階段を思い起こす。プルガーネットにはまだ余裕があった。対して前を行くジョンスレオはかなり消耗しているらしく、見て取れる程に姿勢を崩していた。ああ、もうそろそろか。
「クソッ、クソッ!」
『第四コーナーに入ってついに4番ジョンスレオが失速! 先頭が交代しました! このまま3番プルガーネットの独走となるのか!?』
『9番上がってきた! 9番レガシイウタハがここで来た! まだ600メートルあるがスパートを掛けてきた!』
ここで仕掛けてくるとは。てっきり400メートル位から仕掛けられると考えていたプルガーネットは少し意外な顔をした。それを見たレガシイウタハがしてやったりと言わばかりの顔をしてからスパートを強めた。しかし、その速度は見慣れた世界よりもずっと遅い。
(……足りない)
それはレガシイウタハの速度に対した感想であり、同時にプルガーネット自身の行動に対するものでもあった。プルガーネットは、チーム
(決まってる)
蹂躙である。
プルガーネットは身体を沈みこませ、より大きく、より鋭い脚を繰り出す。音も振動も少ないが、スピードだけは他のウマ娘よりも一回りも二回りも上だ。ジュニア級にしては相応しくない速度がプルガーネットを包む。破壊的な暴風がその身を叩く。心臓がギュッとなってバクバクとがなりたてる。しかし、しかしそれでも左脚は燐光を発しない。身の毛がよだつような軋む音もしない。出血も伴わない。河田トレーナーのトレーニングが生み出した、プルガーネットの純然たる実力がようやく表面化した。
『3番プルガーネットまだまだ伸びる! 脅威的なスタミナ!』
『1バ身差まで縮んでいた距離がグングン引き離されていく!』
「う、嘘っ!」
数瞬ほど前まで勝ち誇っていたレガシイウタハは悲鳴をあげる。プルガーネットがまだ加速できる。ジョンスレオに競りかけられたままの身体でラストスパートが出来るなどとは思われていなかったのだ。
『残り200メートル! 3番プルガーネットがどんどん加速していきます! 初戦とは思えない脅威的な末脚!』
残り200メートル。誰も来ない。
残り100メートル。誰も来ない。
残り50メートル。誰も来ない。
残り──
『ゴールイン! 京都5Rメイクデビューを制したのは3番プルガーネット! アンタレスの名前に恥じない圧倒的な強さを見せつけてくれました!』
『今年のジュニア級は期待の新星だらけ! 皆さんと一緒に見守りたいですね! 2着は9番レガシイウタハ。3着は1番ザクロビウム』
……。
……。
歓声が身を包んでいた。フィルターを掛けたぼんやりとした画面を見るように聞いている。緩めた脚が止まってもプルガーネットはぼーっとした顔をしていて、レース中と全く違う顔をするのを見かねたレガシイウタハが背中を叩いた所でプルガーネットは我に返った。
「貴女への祝福でしょ! 手ぐらい振ったらどうなの?」
「私への……?」
言われるがままに手を振る。ぎこちなくて、たどたどしくて、人馴れのしていない動き。それでも、歓声が上がった。自分の向きに合わせて観客が歓声を上げるものだから、プルガーネットは見える観客席の全てに体の向きを変えながら手を振り、ようやくこの場にある祝福が自分への物だと理解した。
思考回路がふわふわとして、足元が宙に浮いたように落ち着かず、尻尾はまとまりのない動きをして
「あ、ありがとうございます!」
最後に一礼をして、プルガーネットはウイナーズサークルへ駆け込んだ。
◇
インタビューがあって、作戦が思い通りだった事に改めて驚かれたり、次走が白菊賞である事を発表したり、なんやかんやをして、プルガーネットは目を回しながら控え室に逃げ込んだ。勝者は勝利と同等の責務を負う。とはいえレース直後の疲れは誤魔化せず、出来る限り取り繕っていたいプルガーネットは神経が張りつめるような思いで切り抜けたのだ。
「初勝利、おめでとう。プルガーネットくん!」
「おめでとう、プル。お前なら勝つと信じていた」
「嬉しいわぁ! やっぱりプルちゃんは強い子だって知らしめられたし!」
「ははっ、プルがメイクデビューに勝ったなら、俺も菊花賞に勝たなきゃだ!」
チームメイトに祝福されて喜ばないウマ娘は居ないだろう。観客からの声で勝利したという事実は飲み込んだが、未だに現実感のない夢を見ている気分で、チームメイトに祝福されるとなって途端に、プルガーネットは同じ世界に生きてていいような赦しを得たような気持ちになった。
「わ、私っ、勝ったんですね……。勝ったんですね!」
常勝チーム・闇堕歴珠に居ていいのだと、思った。未来の短距離王であるスイートパッションと同じ部屋に居ていいのだと思った。トリプルティアラを目指して走っていけると思った。スタートラインに立っただけだけど、それでも勝利を知った者になったのだ。
プルガーネットは歓喜を隠さずその場で飛び跳ねた。ミュージカル映画で見た奇怪なステップを刻んで踊り始め、控え室にあった何もかもをステージに仕立てあげようとして、リムマナケルにチョップを叩き込まれた。
「落ち着け」
「んべっ、痛いです!」
「テメェが踊るのはいいが、見せる相手は間違えるな」
「トレーナーと、先輩方がいるんですよ?」
「違ぇ」
「じゃあどこで踊るんですか」
「──ウイニングライブに決まってるだろぅが」
「……ほんとだ!?」
もっと強い照明があった。もっと大きな音響があった。もっと相応しい舞台があった。勝者が輝く舞台は、とっくの昔に設立されている。
◇
「響けファンファーレ 届けゴールまで」
ウイニングライブとは、ウマ娘が勝利した喜びを観客に分かち合うためのライブだ。こう書くと、幸せのお裾分けのようなイメージが付いて回る。
「輝く未来を 君と見たいから」
しかし、ウマ娘とは古来より一人では走らない生き物だ。その背に皆の夢を、その脚に皆の希望を携えて走る人類だ。
「駆け出したら きっと始まるstory」
「いつでも 近くにあるから」
夢、希望。それは人間の祈りの結実。日々の生活にある苦しみも、ちっぽけな希望があれば乗り越えられる。少しばかりの悲しみも、ちょっとした夢があれば振り切ることが出来る。
「手を伸ばせば もっと掴めるglory」
「1番目指して let's challenge 加速していこう」
それでも人間だけだと大きな苦しみや悲しみに追いつかれてしまいそうだったから、人間はウマ娘に祈りを託したのだ。
「勝利の女神も 夢中に させるよ」
「スペシャルな 明日へと 繋がる」
「Make debut!」
ウマ娘とは、歌い踊り、走る巫女だった。
ウマ娘とは、祈りを託された者だった。
それらが時代と共に形を変え、今こうして、
「響け ファンファーレ」
「届け ゴールまで」
「輝く未来を 君と見たいから」
──ウイニングライブとして残っているのだ。
「駆け抜けていこう 君だけの道を」
「もっと 速く」
光が降り注ぐ。焼き焦がすような
「I believe 夢の先まで」
小さな胸に抱いた野望が、その身に余るほどの大きさになつていく。視界の全てを抱かんと手を広げる。少年はその手に持つ鉛筆が勇者の剣でないと知る時に身の丈を知る。イカロスは蝋の翼で天に駆け出して身の程を知る。ならばこのウマ娘は?
確かに神に見初められた奇跡の子なのかもしれない。確かに優秀な教育者に恵まれているかもしれない。しかし、彼女の左脚は義足であることに違いは無いのだ。
プルガーネットは、既に祈る者に泥を掛けているのだ。
そんな事も、降り注ぐ光の中では見えなくて、プルガーネットは精一杯の力で観客席に手を振った。
カタカタと、左脚が震えていた。
まだ年内……まだ年内投稿……
ようやくデビューです
こんなに掛かるとは思ってなかった…………