冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして 作:fenderlemon
三女神信仰というものがある。
基本的にウマ娘は宗教感覚が薄く、人類群体にありがちな民族的帰属意識や文化的主体と言ったものに無頓着である。勿論、熱心に十字教や拝火教、仏門や神道に身を捧げる物も居なくはないのだが、ヒトミミに比べると随分と数が少ないのが常だった。
そこに現れたのが三女神信仰である。三女神とはバイアリーターク、ゴドルフィンバルブ、ダーレーアラビアンの三者を指している。この三者はいずれも実在の人物だった。それも三百年前前後の生まれである。紀元前から続いた神代を終わらせた
三女神と仰々しく名乗っているが、三者は別に奇跡を起こさなかったし、革命ももたらしていない。
思わず後ろについて駆けたくなるような、そんな強い者達だった。
その程度の逸材ならきっと中世にも、古代にも、紀元前にだって居たかもしれないが、三女神として残ったのは三者である。神話になった者、星座になった者、王になった者、将として名を馳せた者、伝説となった者。数多くのウマ娘が名を残し、されど三女神と讃えられたのは三者のみである。
これには情報媒体が発展し、世界情勢なるものが形成されていたことが一つ。宗教の発展が頭打ちになり、ウマ娘の巫女としての役目を失いつつあったことが一つ。そして、近代国家の公営事業としてレース場が整備されるようになり、レース文化が世界に根付きつつあったことが大きいとされる。
「あのウマ娘が勝ったらしい」
「誰にも追いつかれないウマ娘が居るらしい」
「必ず先陣を切るウマ娘がいるらしい」
言葉は様々。賞賛の形も様々だったが、世界に声が駆け巡るたび、ウマ娘は沸き踊った。そしていつしか願うようになった。私も強いウマ娘になりたい。私も一番になりたい。私も、勝ちたい。勝負根性がヒトミミなんぞより遥かに強いウマ娘達が、レースという世界共通の概念における勝利を求めるのは難しい話ではなかった。
願いが駆ける力となり、声を頼りに世界中を駆けるウマ娘たち。噂を手繰り、ありとあらゆる部族が垣根を越えて旅をし、辿り着いた名前。それがバイアリーターク、ゴドルフィンバルブ、ダーレーアラビアンなのだ。辿り着いた頃には彼女らはこの世界から旅立っていたが、故郷に根付いた伝説は
プルガーネットは学園の祈祷コーナーを見る度に思うのだ。
「家康祀った東照宮がめっちゃ流行っちゃった感じに聞こえる……」
最悪だった。ヒトミミにも伝わりやすいスケールダウンであった。
「いや確かに家康凄いけど……。興りが現代に近い宗教ほどカルトっぽく見えてくるのは仕方なく無い?」
友人達に白菊賞への祈願をするべきだと言われ、河田トレーナーの許可を取って神社へ向かったはずなのだ。府中には国内でも特に大きな神社がある。大きくなくても様々な主神を持つ神社が転々としている。信仰心の欠片もない現代日本人であるプルガーネットからすれば、信仰の表れではなく、ウマ娘としての儀式的な行為を済ませる。風習があるから仕方なく従っている、という流れでマップアプリを起動したのだ。そうしたら神社よりもさらに近くの、学園内に祈祷コーナーが表示されたものだから足を運んだ次第だった。
学園の中にある宗教的なものなんて三女神像ぐらいのものだと思っていたのだが、案外色々な箇所に祈祷コーナーは点在しているようだった。
「地蔵様のテンションで設けられてるよねこれ」
小さな三女神の石像を守るように木造の社が建てられていて、その前にお供え物だったり不思議な品々が並べられている。きっと何らかの約束や願いが込められた物たちなのだろう。見れば見るほど地蔵様であった。三女神建築は既存の宗教施設を模倣した、というより軒先を借りる形で存在することが多い。十字教であれば三女神に対する聖人認定運動を起こして教会を建てたし、神道は特に何も言われなかったのでほとんど八百万の神々の一部として扱われている。地域によってまちまちであった。
「地蔵ってどんな感じでお祈りすればいいんだっけ……」
うだうだ言いながらもプルガーネットは手を合わせ、目を瞑って願いを胸の中で声にした。
『事故なくレースが終わりますように』
別に晴れやかな気分にはならなかったし、誰かに見守られている安心感も得なかった。声も聞こえないし、こうなるとやっぱり信仰心を持つ事なんて不可能であった。
神の実在を疑っているのではない。この世界にはプルガーネットには理解できない神格が確かに降臨し、混沌をばらまいている。凍てついた雪山で
だとするならば、目の前にある三女神はやっぱり、ただの故人でしかない。レース文化の興りの中で才覚を表した傑物であることは違いないが、それでもただのウマ娘である。恐らく神の御業によって転生し、神話生物と相対すること幾度ともなるプルガーネットには、肉体が現実に実在せず、声を交わすことも出来ない神など、おとぎ話の登場人物と同じである。
化け物ではなく、人を慈しみ愛し、御業を人に下ろす神が本当にいるとすれば、プルガーネットの左脚は喪われる事は無かったはずだ。プルガーネットは異端の苦しみを抱える事は無かったはずだ。プルガーネットは、いや、彼は病魔に伏せることは無かったはずだ。
故にプルガーネットは信仰心を持たない。そんなものは左脚を喪った時に既に亡くしているのだ。
「……やっぱり祈るより走る方が性に合ってる」
小さな三女神の石像は、遂に何も話すことは無かった。
それだけだ。
◇
トレーニングを終えて寮の自室で俯いていた。一つだけ、気がかりな事があったのだ。
「バイアリーターク、ゴドルフィンバルブ、ダーレーアラビアン……」
三女神の名前だ。歴史に刻まれた名前だ。これは前世でも同じ名前だったはずだ。
それなら、
「なんで、この世界には史実のウマ娘は居ないんだろう」
ずっと気になっていた事だ。この世界はウマ娘プリティーダービーの世界であるはずだ。そうでなければ説明が何一つ出来ない程に寄せられている。ウマ娘なんてピンポイントな種族がいて、積み重ねた歴史も前世における馬の立場がウマ娘に置き換えられ、しかし、この世界には前世における著名な競走馬の名前は無い。ウマ娘は競走馬の魂を受け継いだ種族という設定があるにもかかわらず。
著名な三冠馬といえばシンボリルドルフやナリタブライアンではなくワイルドハピネスである。天皇賞を春秋共に制覇したのはタカサブロウだし、凱旋門賞二位にまで辿り着いたのはアハナギカルメだ。中山大障害を何度も勝ち抜いているのはドロウテンタクルで、ここまで名前が出たウマ娘はきっと前世を持っていない。
何故三女神は史実と同じ名前を保持し、近代競馬の競走馬の名前は残らなかったのか。プルガーネットは別にウマ娘プリティーダービーに詳しくは無い。競馬史なんて以ての外だ。病室での娯楽なんてテレビか時間で貸してもらえるスマートフォンくらいのもので、コマーシャルをやっていたから試しに遊んでいたくらいのものだ。それでも結構ハマって楽しんでいたのだが、競馬場に行く程の熱量・体力・健康を持ち合わせてなかった。そんなプルガーネットでもウマ娘としてゲームに実装された競走馬は類まれな能力やドラマを持ち合わせ、多くのファンに愛されてきた事を認識していた。
では、ウマ娘の前世にあたる競走馬が存在しないこの世界のウマ娘は何なのだろう。プルガーネットは元人間である。これは確かであり、この世界における異物である。しかし、プルガーネット以外のウマ娘はこの世界にとって自然な存在であるはずだ。プルガーネットの極彩色の脳細胞が回転し、三つの考えが浮かんだ。
①この世界は前世と全く関係無く、ウマ娘という種族が偶然誕生してしまっただけの近似世界。
②原作ウマ娘から見たパラレルワールド。
③プルガーネットが住んでいた世界より未来の時間軸での競走馬の魂がウマ娘になっている。
とりあえず、③はないだろう。プルガーネットが呼吸している今は二〇二六年だが、数十年遡っても聞き覚えのある名前は出てこなかった。
かといって①もありえないだろう。前世における創作物まんまの近似世界が発生して、そこに転生するだなんて。あまりに都合がいい。
一番無難な②が有力ではあるが、なんだか不安になる。まるでそうたどり着くように差し向けられたようだ。
別にプルガーネットは世界を管理する神様にはなれない。どういう経緯でウマ娘になったかも覚えていないし、そこに自身の意思が介在したとは思えない。世界全てを観測する力なんてないし、改変する力もない。
結局のところ、与太話である。プルガーネットが一勝を収めて、少しだけ余裕が出来たから記憶の表層に飛び出てきた疑問なのだ。レースが近づく中で集中し切れていないと言っていい。
「んー……」
しかし、プルガーネットの直感はこの疑問を忘れない方がいいと言っていた。
賢くないし、特別でもない。そんな頭では考えたところでレースに何の寄与も無いのだが、不思議とこの直感は正しいと思った。プルガーネットの直感はそれなりに当たるのだ。
プルガーネットは胸元にあるメモ帳に「私たちは何に願われている」と書き記した。今はこれが精一杯である。
◇
『強い強いぞ1番プルガーネット! 淀の坂は最早なんのその! 1バ身差を付けてゴールイン! 白菊賞を制したのは1番プルガーネット! 2着はヘパイストレート。3着はハルバンドート』
祈願のおかげとはちっとも思えない、純然たる実力でプルガーネットはOPウマ娘になった。特筆するライバルが居なかった訳では無い。へパイストレートの卓越したコーナリング技術は最内に切り込むことを許さず、ハルバンドートのパワフルな走りは他の出走バを震わせレース全体を掻き回され、プルガーネットは自身のペースを破壊されそうになった。
しかし、その全てをプルガーネットは跳ね除けた。淀の坂で減速することも無く、他のウマ娘に潰されることも無く、常に先頭を狙えるポジションを譲らず、最終コーナーでズルリと抜け出して差し切った。
疑問の余地なくプルガーネットの完勝だ。河田トレーナーが言っていたように、プルガーネットは重賞に挑むだけの器があり、不足していた自信もこのレースにてしっかりと着いた。何もかも順調と言っていい。
──。地下バ道の暗がりの向こうに泣いている影が居る。プルガーネットにより差し切られ2着になったへパイストレートだ。
「ごめんなさいっ……トレーナーさんが言ってたのに、私、プルガーネットを舐めてたっ……あんなチビが私を抜けるわけがないって! でもっ! 負けたの! 無敗なんて、できっこなかったの!」
「ストレート……いや、これは俺の責任だ。戦力を見誤り、十分なトレーニングを積ませてやれなかった俺の責任なんだ……」
「でも! 私は先輩と同じ道を辿って、追いつくって言ったのに! もう出来なくなっちゃったんだよ!?」
聞いていられなくて、プルガーネットはそっと控え室に逃げ込んだ。勝者は常に一人だ。勝つということは、奪うということだ。勝利、賞金、栄誉、約束、思い出、……夢。プルガーネットは既に十六人のウマ娘を負かせている。十六人の夢を簒奪し、踏み躙った。
「……トレーナー」
「祝われるウマ娘の面じゃないねぇ……。どうしたんだい。負けたウマ娘でも、見たかい?」
「……はい」
齢十三の小娘の思うことなんて年齢不詳の河田トレーナーには手に取るように分かるらしい。河田トレーナーは何の感慨もない目で「一つ、シンプルな言葉を伝えてあげようか」と口にした。
「キミは勝利した。以上」
酷くシンプルで無機質で、残酷な程に鋭い言葉だった。
「そこは気を利かせて、『負けたウマ娘の夢すら背負って走るんだ』とかそれっぽいこと嘯く場面じゃないんですか」
「バカを言うんじゃない。キミは──キミが背負う夢を誰かの背中に預けられるのかい?」
「……いえ」
「そう思える内はキミは勝者なんだ。それっぽく言ってあげれば、『勝ったことを誇るのも勝者の責務』さ。トリプルティアラなんて大層な夢を掲げたんだ。踏み躙る夢の数は千人を越えるだろう。それでも、キミは掲げた夢を下げることは許されない。その腕を下げるなんて、踏み躙ってきた全てへの侮辱だね」
「……」
「もう少ししたらインタビューだ。こうなるとは思っていたから応対マニュアルを用意してある。目を通しておいてくれたまえ」
プルガーネットの目の前のテーブルに印刷されたA4コピー用紙が何枚か置かれた。小説みたいなフォントサイズでビッシリと書き詰められている文章に目を通すと、少しだけ考えが逸れて、気が楽になった。無駄に用意がいい河田トレーナーは気味が悪いことこの上なかったが、今だけは有難かった。インタビューはつつがなく終わった。幾らかの質問をかわし、プルガーネットの次走はチューリップ賞であると発表され、それでおしまい。
ティアラの最初の関門、桜花賞のトライアルレース、チューリップ賞。女王への道が近づいてくる。草野を掻き分けてもがく時間は終わったのだ。舗装された道が見えてくる。この道から外れてしまえば、トリプルティアラなんて夢物語を掲げていられない。失敗は、許されない。
少しだけ苦しくなった胸を叩いて息を吐き、背伸びをするように脚先をほぐす。
◇
勝者を讃える為のステージには苛烈な炎が投げ込まれ続ける。期待、羨望、嫉妬、身勝手な感情が沢山。無垢な祝福で満たされた前回と違い、今回のファンの声には色が付いているような気がした。名誉も高潔な魂も持ち合わせていない器に祈りが落とされていく。
過ぎた願いは毒にもなる。
URCの原稿に追われたり胃腸炎で1週間熱を出したり旅行のためにアクスタの絵を描いていたら1ヶ月過ぎてました……こわ……
熱でうなされてると原稿が出来ないのに別の長編のネタは浮かぶんですよね……次の作品を書くことがあれば完結させてから投稿します……