冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして 作:fenderlemon
初日の出が府中を焼く。眩い黄色は雲にも遮られることはなく、駅近くの神社に届いている。
「……」
初詣のために参拝に来ていたプルガーネットと
プルガーネットが白菊賞を勝利して以来、闇堕歴珠の面々の事を思い起こすのは避けていたのだ。もちろん、嫌いになったとかそういう話ではない。
空気が最悪すぎるからである。
距離延伸を掲げたヒシカワリーサルによるマイルチャンピオンシップの圧勝。それは、ライバルを、熱い勝負を求めて挑んでいたヒシカワリーサルにとって、決して祝福にはなり得ない。ヒシカワリーサル伝説に刻まれたマイルにおいても敵無しという事実は、彼女にとってあまりに残酷だ。誰も挑む気を起こせない程の強さに辿り着いてしまった時、その強者は何を思うのか。
リムマナケルの天皇賞・秋に続く形で起きた有馬記念での乱戦。未だ衰えないタカサブロウとそのライバル達が、果敢に新王リムマナケルに挑んでいって、散った。そのついでにモットフェイクもボコボコにされた。
リムマナケルは1着で、モットフェイクは7着である。
この有馬記念を最後に引退する者も数名。春シニア三冠を終生の地と宣言する者も、宝塚記念へ向かうと応える者もいた。
ヒシカワリーサルに比べれば恵まれている。ライバルが居てレースで戦って勝ち続ける。しかし、時間は常に一方通行で現役期間は有限だ。徐々に近づくレース人生の終わりがリムマナケルを蝕んでいる。
敗北したモットフェイクは思ったよりもケロンとした顔をしていて、敗戦の理由を早速分析して、河田トレーナーと共に走法を語り合っていたが、シニア2年目となった二人は勝利を重く引きずっている。
この絶妙なミスマッチが、闇堕歴珠の空気をおかしくしているのだ。ここにオープンの冠一つで放り込まれる身になって欲しいというものだ。プルガーネットは嘆息した。
吐く息は白く、空気が澄んでいる。朝の冷気がタイツ越しに脚の血管を冷やし、つま先がかじかんでくる。手袋をしているのに指先は真っ白だと分かるほどに、隙間から見える肌に血色は無い。
「この進みだとあと一時間半は並ぶだろうねぇ」
「……トレーナー。お汁粉」
「……甘酒」
「オレはココアな」
「ええと、私はコーヒーで」
「ノータイムで暖かい飲み物を要求するんじゃないよ。手袋しながらそんな沢山持てるわけが無いだろう。プルガーネットくん、手伝ってくれ」
「えぇ〜……分かりましたけども」
渋々河田トレーナーの後をついて行く。参拝列から横に逸れて少し歩いて、屋台の裏にある自販機コーナーで河田トレーナーは口を開いた。
「なぁ、プルガーネットくんはあの二人どうすればいいと思う……?」
「今トレーナーさんが一番言っちゃいけない発言しましたからね?」
「私だって言いたくはないよ! でもあの二人に関してはどうすればいいんだい!? 勝ったんだぞ!? 距離延伸一発目のGIで! 二度とない豪華なグランプリで! 喜んでくれると思ったし私は嬉しかったのにウイニングライブ後のお迎えで凄い淀んだ空気を纏ってきてさぁ!」
「声がデカイんですよアフロのサイズに比例させないでください毟りますよ」
「もう闇堕歴珠はおしまいなのか……」
「めちゃくちゃ困るんで辞めないでください」
「心理学は学んできたさ。トレーナー試験で使うから。だけど幾ら心理学が先人たちの積み重ねだとしても、目の前の困ってるウマ娘にそのまま適用出来るわけがないんだぞ!? どうすれば……熱っつい! 頬が落ちたらどうするんだ!」
「これ以上余計なこと抜かしたらこのアツアツのブラックコーヒーを鼻から流し込みますよ」
「キミはやると言ったら本当にやるタイプだからシャレにならないねェ……」
普通のウマ娘ならGIを勝ったら一生物の喜びを受け跳ね回り、その余力でウイニングライブをこなして帰ってくるのだ。それが普通だし、それ以外の反応は控えめに言って異常である。クールぶった子だろうが、ポーカーフェイスの上手い子だろうが、勝利した瞬間のウマ娘というものは獰猛さと勝利の悦楽をごちゃ混ぜにした笑顔を見せてくれるものなのだ。
「リムマナケルはまだ私にも分かる。未だ本格化が終わらない彼女だが、王権世代を下して最強の座を射止めたんだ。燃え尽きる可能性も、引退する可能性も大いにあると思っていた」
「……私はまだリム先輩に走って欲しいですよ」
「それは本人に言ってあげるんだ。多分喜ぶだろう」
それよりだ。と河田トレーナーは前置きする。もちろん続く言葉は分かっていたが──プルガーネットには全くどうすればいいのかが分からない。
「リーサルが一番マズイ。あのマイルチャンピオンシップに誰が居たか知ってるかい?」
「マイル王、クウェートトウヘイ。変則トリプルティアラ、クイーンビッグズ。……他にも強豪揃いだったはずです」
「だが彼女らはリーサルの4バ身後ろまでしか辿り着けなかった。それが事実なんだ」
短距離で7バ身差が作れるウマ娘だ。距離適性さえクリアすればマイルで4バ身差を作れてもおかしくはないだろう。そもそもの前提からして正気を大いに疑いたくなる話ではあるが、現実である。
「スターダムボイスがマイルまで追いかけてきてくれれば少しはマシだったんだが……。彼女は骨折してしまった。綺麗に折れたから治りは早いそうだが、メンタルの方が前のように走れるとはとても言えない状態らしい。担当トレーナーに凄い顔されたよ」
「それは……ご愁傷さまです」
「スターダムボイスにも、そのトレーナーにもだよ。結果として今のリーサルは孤独の中だ。誰も追いつけない背中になってしまった。これが単なる観客側の煽りだったらいいが、ウマ娘たちにもいよいよ追いつけないと認識されつつある」
「休養中のマイル走者は居ないんですか?」
「居るには居るが……ハッキリ言えばマイルチャンピオンシップの面々に比べれば劣るな」
「じゃあ、今のリーサル先輩って、短距離王じゃなくて、短距離・マイル王になってるんですか?」
「そうだ。かの王権世代のように王が何人も居る群雄割拠ではなく、2000メートル以下全てを制した絶対の王になってしまった」
しまった。と言う辺りに河田トレーナーの焦りは聞き取れた。河田トレーナーの目論見通りならクウェートトウヘイらに敗北し、新たなライバルを得てマイル路線で切磋琢磨して行く──そういう絵を描いていたはずなのだ。もちろん負けるために走るわけがなく、勝たせるためのトレーニングを組んで、ヒシカワリーサルはそれに応えた。
応えた。
応えたのだ。
圧勝、という札を抱えて。
ゴール板を通り過ぎて、左右に誰も居なくて、実況はヒシカワリーサルの名前を叫んで、観客が沸いて、それで、
それで?
ヒシカワリーサルはそこで知ったのだ。
ここにも敵は居ないと。
「今必要なのはリーサルに勝ちうる可能性を持つウマ娘の次走の情報だ。誰だっていい。GI初挑戦でも、寒門の出でも構わない。あの子を、誰もいない世界から引き戻してやれるウマ娘が必要なんだ」
「トレーナー……」
「プルガーネットくん。心当たりが、あったりしないか」
これまで全能のように見えていた河田トレーナーが、なんだか小さく見えた。必死でもがいて、泥をすすって、醜いと笑われるような姿だった。だが、担当ウマ娘のために小さくなれるヒトだというなら、プルガーネットにとって大事なヒトたりえる。大事なヒトが困っているのであれば、手を差し伸べるべきである。前世で
……少し頭が痛い。鼻先が赤く、息を吸うだけで気道に冷えた空気がぶつかる。プルガーネットは冷えすぎたから痛いのだろうと考え、ブラックコーヒーのプルタブを開けて喉に流し込んだ。
「……一人心当たりがあります」
「……言ってみてくれ」
「リーサル先輩をこのまま距離延伸トレーニングで鍛えます。具体的には、2200メートルまで」
「っ、それは。そういう事かい?」
「はい」
河田トレーナーは少しだけプルガーネットから目を逸らした。いや、教え子の全てから目を逸らした。勝利の栄光を掲げる闇堕歴珠にとって、美学を尊ぶ闇堕歴珠において、簡単に容認できることではない。
「リーサル先輩に勝ちうるウマ娘、リム先輩をぶつけます」
同士討ちである。
「2200メートル。……宝塚記念だね?」
辛酸を舐めたような表情がいやに似合っていた。大人にしか出来ない顔だった。教え子の責任を引き受ける大人だから出来る顔だった。
「延伸を宣言した時、有馬記念の投票がありましたよね? あの時、入ってたんです。リーサル先輩の名前が」
「得票数は申し分無し。既に2000メートルは走れるから、ギリギリになるが間に合うだろうな」
「……間に合うんですね」
「間に合うウマ娘だからこんな事になってるんだよォ……」
プルガーネットの発案は衝撃的な選択ではあるが、かなり現実的であるように河田トレーナーは感じていた。いくらヒシカワリーサルが怪物として優れているとしても、中長距離の王道を全てを走り抜いたリムマナケル相手であれば絶対的にはなれないのだから。
だが、ヒシカワリーサルの異様な成長曲線を見ていると、こうも思ってしまうのだ。ヒシカワリーサルがリムマナケルすら下してしまったら? その時彼女は、どうなる? 分からない。河田トレーナーは若くして才覚を現したトレーナーだが、神ではない。全能ではなく、ただの人である。未来のことなんて分かる筈もない。それ故に、孤独に溺れるヒシカワリーサルの背中を幻視する。
「……戻ろうか。せっかくの暖かい飲み物が冷えるだろう」
「もう既にぬるくなってきてますから。文句言われますよ」
「参拝が終わったら屋台でも巡ろう。終わる頃には大体の屋台が開いているだろ」
「人参団子がいいです」
「はいはい……」
◇
新年明けてすぐのトレーニング日である。帰省から戻ったウマ娘がモチモチに肥えているので、街の中は走り回るウマ娘でいっぱいだ。プルガーネットとモットフェイクの河川敷ランニングもその一団に混ざっているのである。
「プル、ちょっといいか?」
「どうしましたフェイク先輩?」
「……なんか悩んでるか?」
「えっ、なんですか急に」
モットフェイクの顔つきは真剣そのものだ。少なくとも何の根拠もなく話している訳ではなく、なにか思うところがあって尋ねるものだろう。
「そんなに耳を絞って目元に力を入れられてみろ。何かあったか気になるだろ」
「えぇ? そんな出てました?」
プルガーネットは耳と尻尾を意識的に動かす事が出来ない。全て本能のままに動いている。だってある日突然尻尾が生えて、思う通りに動かせるヒトがいるだろうか。それが幼い肉体であっても、人間として生きた精神年齢を重ねてしまえば難しいものである。
そんなプルガーネットは周りのウマ娘からすると、感情のままに耳と尻尾を動かすウマ娘として見られていた。言い方を変えれば、表情豊かで正直なのだ。モットフェイクが声をかけるのも無理はなかった。
「で、どうなんだ」
「うーん……無いわけじゃないですけど」
「こう見えてオレは口が堅い」
「わざわざ言われるとちょっと嫌じゃないですか。モツ肉の販促ポップに『よく洗ってあります』とわざわざ書いてたら誰も買いたがらないのと一緒です」
「例えが嫌すぎるだろ。もう少しいい例にしてくれよ」
「そう言われても」
ヒシカワリーサルとリムマナケルの対決。これは朝のミーティングで明かされる所となった。闇堕歴珠として同士討ちするのに抵抗がない訳じゃないが──二人は犬歯を見せて笑いあった。年末の淀んだ空気を纏った二人とは別の生き物みたいだった。じったりとした重苦しい空気ではなく、眼球の裏がチリチリするような、一触即発となった空気に入れ替わったものだから、たまらず後輩二人は外に逃げてきたのだ。
つまり、先輩二人に対する悩みは本人達が解決する流れに乗ったのだ。なら今のプルガーネットに残ったしこりと言えば──
──私たちのクラシックに、余計なものは要らない。
「……フェイク先輩は、誰かに直球で悪意をぶつけられたことはありますか?」
「おう? んー……山ほどある。特にネットだとオレの戦法のウケが最悪でな。ボロカスに言われてるぞ」
「一緒に走る相手からは?」
「いや、ウマ娘からは好評だし、教えてください! って言われ続けて──ってプル、そういうことか?」
「まぁ、はい」
「誰だソイツ! シメてやるから名前教えろ!」
モットフェイクは一瞬の隙間もなくシメると宣言した。プルガーネットはそれが嬉しくて、作り笑いをしていた口元を緩めた。まだ、笑っている形をしていた。
「暴行事件は不良相手で十二分ですから言いません」
「あぁ!? ……じゃあ殴らないから詳細をだな」
「探偵行為もいりません。でも、愚痴は聞いて欲しいです」
おう。とモットフェイクが軽く受け止めるものだから、ついプルガーネットはこのヒトに全てをぶち撒けたくなってしまう。欲望に際限はなく、秘密はいつだって声帯から這い出てくる。それを抑えて、レイントルマリンとのやり取りを伝える。もちろん、義足の出処や疑似領域のことは隠した上でだ。
「……生体義足が原因か」
「はい。やっぱり悪感情を持っているウマ娘も居るみたいですね」
「プルガーネットはともかく、生来の障がい者だったら十分ヤベェ発言だろ。……と言いたいんだが、足が欠けて、そこに本物みたいな紛い物がある。って事への忌避感はオレも否定できない」
「あるはずのものがなくて、あってはならないものがある。やっぱり怖いですか?」
「そうだな。怖い。正直どう扱えばいいのか分からない。プルが当たり前のように走れて、オープン戦を勝って、ウイニングライブをやってさ、だから気にせずにいられるんだろうな」
スイートパッションの次に仲がいいモットフェイクですら忌避感を覚える。やはり、この左脚は異端の証なのだ。現代の科学技術で造られた、義足らしい義足だったら社会倫理が差別を許さないだろうが、この脚は生体義足である。生きているように成長を続け、長さが伸びなくなった今でも筋組織が発達していっている。
「話を聞く限り、そのレインってやつはナツメに約束でもしてるんだろうな。クラシックとティアラをそれぞれ完走する、だとか。有馬記念に一緒に出るために頑張る、とかさ。内容は分からないけど、クラシック級でなんかあるんだろ」
「その約束の道を汚されないように私を消そうと?」
「よく居るだろ。誰かと約束して、そいつのために走って、だから他の奴らが目に入ってないやつ」
「……居ますけど」
「二人で栄光の道を走って、最後に本気のぶつかり合いをするんだ。オレにもそういう相手が居たらそんな約束をしてたかもな。そしたらきっと、他の奴らには見向きもしてないだろうさ」
「だからって消えろだなんて……」
「そこで暴言を吐く程に思い入れが強いのか、汚れて欲しくないって願望が強いのか……分かんねぇけど」
モットフェイクはそこで言葉を切って、もう一度真面目な顔をした。
「だがプル。お前がするべき顔はそんなんじゃない」
「そんなんって、悩んだりするのがおかしいんですか? ちょっとは仲良くなれるかもしれなかった子が急に豹変したんですよ? 悩んだって不思議じゃないでしょう」
「いいや、違うね。プルガーネット。お前に暴言を吐くやつがいようが、強い思い入れに晒された共通の友達がいようが関係ない。お前はそんな言葉に負けてセンターを譲るのか?」
「っ!」
「違ぇよな。横からごちゃごちゃ言うバカが出てこようが、大切な約束を抱えた誰かが出てこようが、勝てばそれが全てだ」
「勝てば……」
「そうだ。ゴールを一番に駆け抜けたやつが勝つ。世界一分かりやすくて、誰にだって分かる不文律だ。勝利の前では、全てが些事だ。なぁ、プル。お前がやるべき事は?」
「レースで勝つこと……」
「勝つために今やるべき事は?」
「走って、走って走って、走り続けること」
「ほら、余計な事を考える余裕があるか?」
「ありません!」
快活な声が河川敷を駆け抜けた。悪く言えば思考放棄であったが、よく言えばトレーニングへ集中する環境を整えたと言うべきか。モットフェイクはプルガーネットの背中を軽く叩いて走り出して、プルガーネットもそれに続いた。
「そうだ。そうだね。私のクラシックに、余計なものは要らない」
一月の風は冷たく、乾燥している。
プルガーネットもそれに続いて、研ぎ澄まされていくのだ。
エタりません!!!!
先生!俺まだやれます!やらせてください!
いや本当にお待たせしております。申し訳ないです。
おかげで原稿はなんとか仕上がりました。このまま無事に校了を過ぎて告知許可が出たらお知らせしますね。
次はもっと早く書きたいんですがリアルのアレコレでやることが大量にあるのでどうかな……最悪でも月1は書くんで……。
何話か挟んでチューリップ賞をやると思います。
よろしくお願いします。