冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして 作:fenderlemon
1月はつつがなく終了した。とにかく走って、泳いで、また走っている。特にスタミナのために水泳を強化メニューとして加えているだけはあってか、プルガーネットの心肺機能は同年代に比べてもかなり安定性のあるものに仕上がっていた。
さて、2月も目前である。これからプルガーネットはスピードトレーニングを積んで行く予定だ。先輩方三人の最終直線での競り合いを想定したトレーニングに混ぜてもらう事になっている。無論、追い越せるはずがないのだが──それは走らない理由にはならない。
そんなトレーニング漬けの毎日だが、合間に日常は確かに存在している。
「プルガーネットさん……相談がしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「相談? ナツメが相談なんて珍しいね」
例えば、このような。
「
「あ〜。買う方? 作る方?」
「無論ッ! 手作りですわ!!」
とにかく寒い土曜日の朝である。吐く息が白いなどと甘ったれたことは言えず、マフラーに息を当てると結露が起きて肌触りが悪くなるレベルで寒い。空気は乾燥していて、世界の色彩は明瞭だ。そんな透明な空間にアハナギナツメの声は実によく響いた。
「プルガーネットさんも勿論作りますわよねッ!」
「圧がすごい。いや作るけどさ」
作り方を教えて欲しい、という話だろうか……。とプルガーネットが思案していると、アハナギナツメがカバンからタブレットを取り出して見せてくる。画面には見るからに設備の整った──有り体に言えば金持ちのキッチンが写っている。
「キッチン、もう予約してますの?」
「えぇ? まだだけど……」
「学園の調理室、もう埋まってますわよ」
「嘘!?」
それはマズイ。プルガーネットはトレセン学園に入ってすぐにデビューをしたという、まぁまぁ珍しい境遇である。中高一貫校にあたるトレセン学園では高等部の中頃まで本格化は来ないウマ娘も多い。言い方を変えれば、トレセン学園における季節行事の乗り越え方を知らないのである。バレンタインデー前の調理室レンタルはすぐに枠が埋まるので、早めに予約を取らないといけない……ということを知らないのもそうだ。
「えぇー……どうしようかな……」
「そこでさっきの相談なのですわ! お菓子作りを手伝って欲しいんですの。その代わり、私の伝手で良いキッチンを借りてきますわ!」
「……なるほど」
アハナギナツメの伝手。実家とあまり仲がよろしくないアハナギナツメに対しては、あまり深くは想像してはいけない領域なのだろうが──渡りに船である。
「悪い話ではないでしょう?」
「乗った」
「そう来なくては」
そういうことになった。
◇
セントラルキッチンとまではいかないが、かなり設備が整ったキッチンが目の前に広がっている。フラットで大型な排気ダクト、アイランド型の作業テーブル。中華料理も作れそうな火力のコンロ。多機能すぎて操作方法が分からない電子レンジ、何かと便利なオーブン、etc……。見る限りの設備が高級品である。
「スイートパッションさんに作るんでしょう?」
「うん。トパから『突然だけど私はね! フルーツの風味があって、甘めのやつが好きなんだ! 何とは言わないけどぉ!』って言われてる」
「あら、あらあら。可愛らしい方ですのね」
「半分は食い気だと思うな……」
「もう半分がプルガーネットさんなら素敵な贈り物をくれるだろうという期待なんですわ。応えてあげましょう?」
「ん」
「それで、何を作るんですの?」
「マカロン」
「マッ……えぇ!?」
「?」
バレンタインデーに渡すお菓子には種類毎に意味がある。というのが通説である。チョコレートは誰にでも渡せる。マドレーヌなら「仲良くなりたい」。キャラメルなら「そばに居ると落ち着く」。花言葉のように無数の言葉が紐付けられている。ではマカロンはと言うと──
「どうかした?」
「いえ、いえいえ。なんでもありませんわよっ!?」
アハナギナツメの反応が全てである。
「マカロンは小さいけど、フルーツの風味を混ぜやすいし、美味しいし、かわいい。うってつけだ」
「……そうですわね!」
ついでに言えば、マカロンは作る手間が凄まじく面倒くさい。プルガーネットの料理の腕は知らないアハナギナツメは、全身に不安が満ちていくのを感じた。
プルガーネットはゲテモノの入った缶飲料や正気とは思えない味の氷菓を食べることがある。好奇心が一際強いというのも加味しても悪食に片足を入れている側である。本人は食事をエンターテインメントとして受け止めることが出来る喜びに浸っているだけなのだが、アハナギナツメにはついぞ分かりえないことである。
そんなプルガーネットに、正しく料理が出来るだろうか──
「よし、できた」
「できましたわ!?」
出来たらしい。
横目に見ていたアハナギナツメも唸るほどの絶技であった。卵白を取り出すのも、メレンゲを立てるのも、粉砂糖とアーモンドパウダーを振るのも恐ろしく機械的にこなした。
三色しかない着色料で十五種類のカラーリングを用意し、対応する味も飾りもきっちり用意してくる姿は歴戦の菓子職人のそれである。
愛らしいサイズのカラーパレットは鮮やかだ。どこからともなく型紙を取り出したプルガーネットは、箱をテキパキと組み立てパッケージングまで済ませてしまった。出荷まで一人で完結してしまっている。
「プルガーネットさん……私付きの料理人になりません?」
「ごめん、先約がある」
「それは残念ですわ……」
お菓子の鉄人、スカウトならず。
アハナギナツメはこれ以上無いくらいに肩を落とした。
◇
「ナツメは誰に渡すの?」
アハナギナツメの作った可愛らしいクッキー生地をオーブンに放り込むなり、プルガーネットはアハナギナツメに問いかけた。
「クラスの皆様と、トレーナーと、あと、レインに渡す予定ですわ!」
「レインさんか……」
「はい。毎年毎年文句を言っている割には食べてくれますのよ」
レイントルマリンの名前が出るとは思っていたが──いざ出てくると反応に困る。半年間の付き合いの中で気安く遊ぶ仲になったアハナギナツメとプルガーネットであるが、そのアハナギナツメを挟んで向こうにいるレイントルマリンとは中々話すタイミングは無かったし、年末のあの邂逅により話すタイミングは潰えた。
友達の友達からヘイト発言を食らう、というのは飲み下すには難しい話であり、その事実を知らないアハナギナツメの口からレイントルマリンの名前が出るのは当然だとしても、眉を少しくらいは下げてしまうものである。
「レインさんかぁ……」
「あんまり二人では話しませんの?」
「ん……まぁそんなとこかな」
「確かに目つきも口も悪いのですが、良い子なんですのよ? 小さい頃から一緒ですから、よく知ってますわ」
ぼんやりとは知っていたが、やはりアハナギナツメとレイントルマリンは幼なじみであるらしい。レイントルマリンの素性はトレセン学園の者の殆どが知らない。名も無き寒門の出で、トレセン学園に入学するなり方々でトラブルを巻き起こした旋風のような存在なのだ。
誰かから反感を買うような立ち回りはしないので嫌われることがないが、他の生徒からレイントルマリンへ踏み込むことも許さないため、プライベートに纏わることは一切分かっていない。満場一致で奇妙なやつだった。そんなレイントルマリンが唯一付き従うのがアハナギナツメだというのだから、幼なじみという関係があるのは当然の帰結であっただろう。
「てことは、昔からアハナギ家にも出入りしてたの?」
「いえ。そうですわね、昔話をしましょう。私が小さい頃、家出をした事があるんです。そうは言っても子供ですから、府中市内の公園に逃げ込んだくらいでして。レインとはそこで会ったのですわ。私を初めて見たあの子がなんと言ったか、分かります?」
「……全然」
「『綺麗』って言ってくれたんですの。親から容姿を挙げ連ねるようなことを言われて家を飛び出した私に。薮にひっかけてズタズタになったドレス、ヒールの折れた靴、ボサボサの髪に尻尾。家の教えが嫌だった私が直そうともしなかったその姿を、『綺麗』って言ってくれたのですわ」
懐かしむように中空を見るアハナギナツメの目は、透き通っていた。相変わらずビー玉のような目だ。空を閉じ込めたような藍色と空色を混ぜたような色で、見ていると空中に居るような錯覚さえ覚えてしまう。頬を染め上げ、首筋すら上気させるその姿は紛うことなきウマ娘である。
「それからは何度も屋敷を抜け出して二人で過ごしていましたの。レインは私の知らないことを沢山教えてくれましたわ。尾行の巻き方、変装の仕方、ウマ娘向けサービスのある駄菓子屋、応急手当の仕方、走れる河川敷のこと、沢山、沢山、たくさんのことを教えてくれましたの!」
「……うん」
謳うように笑うアハナギナツメは、プルガーネットの目に焼き付いていく。しかしその笑みは続くものでは無かったようだ。顔に影を落とし俯き、続きが紡がれていく。
「ある時、家の者を振り切れず、二人で捕まったことがあったんですの。レインは声を張り上げて何人も投げ飛ばして……。それでも屋敷の侍従は沢山いますから、最後は押さえつけられてしまって……」
「……そんな大事に?」
いくら家出が褒められた行為ではないとはいえ、子供を押さえつけるなんて。プルガーネットの声に静かな赤が滲んだ。尻尾がゆらりと立ち上がる。
「ええ。アハナギ家って、そんな家ですのよ。だからぼんやりと、二人の楽しかった時間は終わりだと思ってしまったんですわ。私は抵抗するレインを助けようともせずに俯いて、諦めたのですわ」
「…………うん」
流星が燃え落ちて砂クズになるように、物事には必ず終わりがある。夢の終わりだ。決して褒められた物ではない家から、子供の抱えた世界の全てから解き放ってくれる英雄が、大人の腕で押さえつける姿は、とても受け入れられなかったのだろう。アハナギナツメの目に滲むものが増える。
「『どうしたら一緒に居られるんだ』。レインはやってきた侍従長にこう言ったんですの。私は諦めたのに、レインは諦めないんですわ」
きっとその時と同じようにアハナギナツメが顔を曇らせる。うっすらと目に入るぼんやりとしたオーブンのオレンジ色の光が、やけに冷たく見えた。
「『お嬢様はトリプルティアラを目指すお方なのです。どこの鼠とも知れない貴様如きが触れていいお方ではありません』って侍従長が金切り声を上げて、それで、私は泣いてしまって……。それでもレインは諦めませんでした。『わたしが三冠を取る! それならティアラと釣り合うだろっ! テメェらを黙らせてやる!』って」
二人の関係性が見えた。元通りに、対等になりたかっただけなのだ。二人はただ、走りたかっただけなのだ。
「馬鹿みたい。家の皆もレインも。でも、レインのその言葉が嬉しくて、その場で侍従長と、通信越しに聞いていた血族の人に約束したんです。『二人でクラシックを走り尽くす。その実績で二人で居ることを認めてもらう』と」
「……っ」
「レインは、誤解されやすいのですが、良い子なのですよ。プルガーネットさん」
「うん」とか、「そうなんだ」とか、そんな返事は許されなかった。既にそんな言葉が許される段階は踏み越えているし、許す段階も踏み越えられてしまった。
一拍の静寂。
指先二つ分の距離。
友達という距離の隙間。
二人の間に、クッキーが焼きあがったという、オーブンの通知音が割り込んだ。
「……焼けましたわね。色も上々。味はいかがでしょうか」
広い作業テーブルに鉄板を上げて粗熱を抜いていく。クッキーも、二人も。
「……プルガーネットさん」
「ん?」
「あーん」
「ん、おいしい」
「レシピ通りにしましたから」
「私がレシピに従えって言い続けたからね。ほらナツメも、あーん」
「はい。……美味です」
お互いに食べさせあって、お互いの実力を測りあった。
お互いに笑顔で、お互いにお菓子を渡す相手のことを想い、そして──
「ナツメ。チューリップ賞を楽しみにしてる」
「プルガーネットさんこそ。貴女の本気、見せてくださいませ!」
良いレースにしようと、願った。
勝者は一人だ。二人の夢は両立しない。片方は必ず夢破れる定めなのだ。だから、良いレースにしようと願った。
◇
「トパ、ハッピーバレンタイン」
バレンタインの朝。プルガーネットは起きて顔を見合わせた第一声でこう言った。
「……へっ!? ほんとに!?」
「他に誰が居るの」
「居ないけど、居ないけどぉ!」
寝起きで頭が回ってなさそうなスイートパッションはワタワタと表情を目まぐるしく変えてから「その、私からも」と小さな箱をおずおずと差し出した。
可愛らしい小包の中に小さなカップケーキが入っている。チョコブロックが混ぜられているようで、甘いチョコの香りとバターの香りが入り交じった良い香りがした。
「……」
「……」
少しばかりの静寂が訪れた。それはつい最近誰かと感じたような青い静けさではなく、もう少し柔らかくて甘い雰囲気のものである。
「トパ、そのマカロンは貴女にしか作ってない。味わって、感想を教えて欲しい」
「──〜っ! もう! もう!」
口火を切ったプルガーネットの言葉にスイートパッションはすぐに白旗を上げた。頬から首筋までカッと赤くしたまま、マカロンを食べ始めた。一口が小さく、大切に食べているようでプルガーネットは嬉しくなった。一個を食べ終わった後、「私のは食べてくれないの…?」と聞かれたものだからプルガーネットもカップケーキを食べ始めた。痺れるような甘さが脳を包んだ。
「……」
「……」
また静寂が部屋を囲んだ。エアコンの吐く暖気がダクトを通る音。寮の誰かが使う水道管の音。朝に気がついた鳥と木がざわめく音。遠くから聞こえる電車の音。二人が小さくお菓子を咀嚼する音。
「プルちゃん」
「なに」
「とっても美味しいよ」
「そりゃ、当然」
「そっちも感想、言ってよぉ 」
「……美味しい。ちょっと甘いけど」
「そりゃあ、私が作ったからね」
にっ、と笑うスイートパッションを見ていると、なんだか救われる気がする。失くした左脚のざわめきが、少しだけ収まる。これを救いと呼ぶべきか、縋る灯火とするべきか。青二才のプルガーネットには未だ判別のつかないことだ。
ゆっくりと街が起きていく。二人だけの世界が、止めることも無く終わってく。
「来年はもっと美味しいやつつくるからね!」
「うん。とびっきりのを用意する」
「約束だねぇ!」
指切りをした。約束は、いつか果たされる。そう思い込むことで、明日を目指す道標となる。願わくば、それが果たされんことを。プルガーネットは信じてもいない神に祈った。
読み返す度に矛盾した描写と誤字脱字が見つかるので、なんか修正されてても流しておいてくれると助かります……
もう畑から取れるとかそういうレベルで生えてくる……