冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして 作:fenderlemon
『阪神レース場第11レース、本日のメインレース『チューリップ賞』が始まります。芝1600メートル、バ場は天気に恵まれ良バ場となっております』
『一番人気は無論このウマ娘、11番アハナギナツメ。圧倒的な支持に応えられるのか。二番人気、9番シンパシーセリヌ。無敗記録はこのまま彼女の伝説となるのか。三番人気、5番プルガーネット。アンタレスの新星は輝くことが出来るか』
刺すような青々しい空が少し和らぎ、太陽が頼もしくなった。三寒四温の半ばではあるが、寒暖差に影響されることもなく、コンディションは良好といっていい。
だというのにプルガーネットの心は晴れたとはとても言えなかった。
────レース前、控え室にて────
「今回のレースでの対抗バを上げてみろ」
「シンパシーセリヌ、クアンヌルブル、アハナギナツメの3名です」
「3名の得意戦法は」
「……シンパシーセリヌは差し、クアンヌルブルは逃げ、アハナギナツメは追込です。」
プルガーネットは何か言いたげな声を上げるが、河田トレーナーは努めて無視して作戦の確認を進める。こうする他ないのだ。
「その通りだ。今回プルガーネットくんはどう立ち回る?」
「豊富なスタミナを用いて坂でのすり潰しに専念します。場合によってはハナを奪って逃げ切ることもアリとする、ですね」
────────
『ゲートイン完了……』
少し冷たくて爽やかな風が尻尾を揺らす。削ぎ落とされた思考がゲートの開閉音を待たずにアクセルを掛ける。──今。
『スタート! あっと5番プルガーネット凄まじいロケットスタート。2番クアンヌルブルが追従します』
『2人とも他のウマ娘を突き放すように加速していきます。このペースは最後まで持つのか』
『プルガーネットはスタミナだけで語るのなら長距離を走れるウマ娘です。もしかしたらこのまま逃げ切るつもりかもしれません』
春の青臭い芝の匂いも、少し乾いた風も、全てを置き去りにする。感傷はゲート前に置いていったプルガーネットは、安定した瞳孔と心臓を片手に走り去る。スタート直後の緩やかな下り坂をこれでもかと蹴り飛ばし、芝を抉るように咥えこんで圧縮していく。こうなると後続集団はペースを釣り上げざるを得ない。
相手の作り上げるペースに適応し、相手のリズムの中に自分のビートを埋め込めるか。それはれっきとした才能なのだ。それを持たなかった者が早速ペースを崩し、無茶な加速をしてしまう。才能は目に見えないが、才能の齎した結果は顔色となって現れる。真っ赤に染まったウマ娘からリズムを崩してズルズルと下がっていく。
『9番シンパシーセリヌ、大外から先頭を睨んでおります。動きの大きなスタートダッシュの中でも余裕が出ています。その後ろに4番バレリー二、6番ムロヤナムネ、13番ハッカーアメが続きます』
『最内のプルガーネットから大外のシンパシーセリヌまで綺麗に壁が出来ています。捲るにはシンパシーセリヌの外を通るしかありません。スタミナ自慢にしか進出をさせない作戦でしょうか』
『自然に形成されたとは思えません。アハナギナツメを警戒して生まれた臨時の同盟でしょうか。おっと!? 急に壁が崩れました! クアンヌルブルが仲良しごっこなんて要らないと言わんばかりに更に加速! プルガーネットまで4バ身ありますが詰めるのか!?』
プルガーネットは逃げで一度大敗している。レース中のミスにより失速し、再加速をする事もできずに沈んだ、単純なスタミナ切れだった。だからこそスピードとスタミナをがむしゃらに積み上げ、このレースに備えたのだ。
しかし──
背後からの圧力が凄まじい。
後方集団でかなりの応酬があったのか、周囲の気配がかなり不規則に入り乱れている。唯一確実に追い上げてくる気配は恐らくクアンヌルブルだ。荒々しい音が徐々に近づいてくる。
「気に入らねぇ……! その冷めた面だ! アハナギナツメもお前もッ!」
「文句があるなら、その気にさせてみてよ。できる?」
「ぶっ殺す!」
適当に受け流しておこうとしたプルガーネットは的確に煽りを当ててしまった。気性が荒いとかいう問題ではない。狂犬にも程があるだろう。色々言葉が出そうになったが、もうこのまま煽り散らす方が便利そうであったため、プルガーネットは見えるように後ろ手に「こっち来いよ」というジェスチャーを放った。
「グガアアアアアアアアッ!」
もう獣だろコイツは。犬歯を剥き出しにしてめちゃくちゃな加速をするクアンヌルブルがプルガーネットに迫る。
『2番クアンヌルブル5番プルガーネットによる熾烈なデッドヒート! バ群は伸び、前から後ろまで20バ身はあるのではないでしょうか』
『坂が終わり第3コーナーへ。後続集団も追い上げていきますが、何が起きているのでしょうか、先程からかなり動きが乱れております』
『9番シンパシーセリヌが周囲に何か吹き込んでいるようです! 次々と後続集団からウマ娘が飛び出しコーナーへ突っ込んでいきます。』
『11番アハナギナツメ、不気味に沈んだままです。しかし彼女の真骨頂は半ばを越えてから。ロングスパートがいつ始まるのか先行集団は気が気ではないでしょう』
────────
「作戦はしっかりと頭に入ってるようだなァ。特にクアンヌルブルは気性が荒いから逃げを選択しているタイプだ。坂での競り合いは仕掛け得だと思っていい。ただ向こうもそれは分かっているだろうから、こちらを利用してレースのペースを上げるくらいはやってくるだろう。根比べになるな」
「京都で出来たんですから阪神ならいけるんじゃないですか?」
「そういう発言が出来るのはいい事だが、まだ一人分だぞ。残り二人はどうするつもりだ?」
「シンパシーセリヌは好位を取るのが上手いです。しかし、今までのレースがスローペースだったのでペースの釣り上げに乗って絞れば何とかなるかもしれません」
「そうだな」
────────
阪神レース場の3、4コーナーは大きく広がった緩やかな弧を描いている。おおよそ600メートルに及ぶコーナーでの内ラチの奪い合いは熾烈だ。なにせ、最内と大外では実走距離が大幅に違う。この阪神レース場での数字の差はなんと、およそ70メートルもある。ティアラ路線を狙うウマ娘にとっての70メートルは、あまりに重い。そのため規定に反しない範囲で苛烈な闘いが発生するのは必然と言えた。
(マズイ……プルガーネットのスタミナとスピードはトレーナーの予測以上だ! いくら周りを追い立てて進出させてもプルガーネットに意識させられないのなら意味が無い!)
シンパシーセリヌは舌打ち代わりにわざと脚を踏み鳴らし、背後から迫る他の差しウマ娘を威圧する。シンパシーセリヌのトレーナーはプルガーネットのことを純粋な先行ウマ娘であり、モットフェイクの一番弟子として警戒していた。
当然である。学内No.1の座を射止めているチーム・アンタレスの技術を継承したウマ娘──それがプルガーネットの首に下げられた札なのだ。故にシンパシーセリヌのトレーナーは“先行策を専攻したモットフェイクを相手に”戦術を練ったのだ。
(私達は
歯軋りをしたくなるような鬱憤をそのまま後続のウマ娘への睨みに使い萎縮させ、酸欠に苦しむ脳を絞って即席の作戦を組みあげようとして、
地面が揺れた。
『アハナギナツメ! アハナギナツメが動きました!』
『一歩ごとに加速していく! 速い速い速い! 11番4番6番13番を抜いた! まだ加速していく! 誰が彼女を止められるというのか!?』
轟音が迫っていた。背後からハッキリと。疑う余地も無く。隠れることも無く、ただ在るだけで相手を潰す。巨大な音が迫っている。
「嘘でしょ……」
その呟きすら迫る轟音が飲み込み、シンパシーセリヌの前に巨大な獅子が現れた。
百獣の王。彼の者に破れかぶれの軍略など意味を成さない。シンパシーセリヌは本能で、このレースに勝てないと悟った。プルガーネットへの分析ミスによる作戦の崩壊に始まる失敗はあまりに致命的だった。届かない逃げウマ娘への牽制など、無益でしかない。先行集団を威圧することに成功はしたものの、それはアハナギナツメの進路を開いた事に繋がってしまった。
アハナギナツメは分かっていたのだ。
クアンヌルブルとプルガーネットが競り合い、勝手に全員が消耗していくことを。後半に入ったところでシンパシーセリヌが更に全体への消耗を加速させることを。
(策を弄しすぎた……っ!)
シンパシーセリヌにだって分かっていたのだ。レース全体を疲弊させて一気に差すこの作戦が、アハナギナツメに通用しないことは。分かっていても、直視し難い事実だったのだ。
────────
「……問題は」
二人の顔がみるみる渋面になっていく。年明けからトレーニングの強度が欠片も下がらなかったのは一重に彼女のせいなのだ。
「アハナギナツメ」
その名前は競走ウマ娘界において、絶対的な力がある。
そしてそれは、この控え室においても同様だった。
「問題しかないな。170センチを越える巨躯、爆発するような加速力、冷静な知能と熱烈な闘争本能、中距離まで問題のないスタミナ。間違いなくアハナギ家らしい娘だ」
「今の所ある欠点は短気で挑発に乗りやすいところ……ですけど」
「挑発に乗った上でしっかりと差して勝利をもぎ取るだろうな、コイツのスペックなら」
プルガーネットの天敵と言っていい。プルガーネットの強みはどんな作戦もそつなくこなしつつ、妨害をばら撒くことが出来る器用さにある。言い換えれば器用貧乏であり、素のスペックで凌駕されてしまうと打つ手が途端に無くなるのだ。
左脚の疑似領域の使用許可さえあれば最終直線の一騎打ちに持ち込めるだろうが、それは河田トレーナーにより禁止を言い渡されている。擬似ではない、プルガーネットのウマソウルによる領域なんて都合のいいものがあれば良かったが、ないものねだりをしても無駄である。
河田トレーナーが机の上に書類を広げる。アハナギナツメの公開データから様々な調査の報告書まで様々だ。
「アハナギナツメに明確な弱点は無い。が、一つ気がかりな点がある」
「はい?」
「選抜レースのことを覚えているかい?」
「あのボロカスに負けた時のことですか?」
「そうだ。レース前、あの会場は世代の全員がいた。全員が未出走で、ズブの素人だった。あの時のアハナギナツメは、どうだった?」
選抜レースの時のアハナギナツメ。そう言われてもプルガーネットの頭に出てくるのは、プルガーネットが偶然飛ばした芝と土の塊にぶつかり、激昂して全員を撫で斬りにしたアハナギナツメの姿しか出ない。……いや、その前だ。プルガーネットは入れ込んでいて、それをスイートパッションに咎められたの思い出した。
プルガーネットだけではない。あの選抜レースは全員が入れ込んでいた。
……。
あのアハナギナツメが?
プルガーネットの脳裏に浮かぶ彼女の泣きっ面は無様だった。交流を重ねた今ではとても想像がつかない光景だ。
「選抜レースの前、ナツメは『目標タイムが切れていない』って泣いていました」
「そうだ。今の彼女ではとても考えられない弱り方だが、事実、選抜レースにおける彼女のラップタイムはかなりひどい」
「でもナツメは勝ちました。終わった後、『勝てないって思いましたわ』なんて言ってましたけど、あんな追込かけられたら勝つに決まっているじゃないですか」
あんな追込。そう、プルガーネットが蹴飛ばした芝と土塊がアハナギナツメに当たって、アハナギナツメが激昂して掛かったかのように早すぎるスパートを始めて──
「……え?」
そうだ。きっかけはプルガーネットなのだ。プルガーネットに喧嘩を売られたと勘違いしたから、アハナギナツメはスパートを強行し、レースで勝利した。
「トレーナー。もしかしてなんですけど、アハナギナツメに追込が向いてることを教えたのは、私かもしれません……。だってあの時、
「そうだ。あの選抜レース、アハナギナツメは
「ナツメ自身は先行策で勝てないと思った……。デビュー後は追込で全戦全勝……まさか!?」
「ああ。アハナギナツメはバ郡、もしくは隣にウマ娘が居る状況が苦手な可能性が高い。彼女のレースは常に差しウマ娘の後ろを悠々自適に追い立て、コーナーの大外から加速して撫で斬りにするものがほとんどだ。威圧感を振りまくから彼女のスパートに強気で競りかける者はいない」
「じゃあ、強気で競りかけられるウマ娘をぶつけるとどうなりますか?」
「さぁな。それは実際にやらんと分からないだろう。現状我々に使える勝ち筋はこれしかない」
「クアンヌルブルを、アハナギナツメにぶつける」
────────
『アハナギナツメが止まらない! どこまでも届いてしまう! 先頭争いを続ける2番クアンヌルブル・5番プルガーネットからわずか4バ身まで追い上げております!』
『4コーナーも終わり3人の争いは最終直線に持ち込まれた! クアンヌルブル、未だに脚色が衰えません! 驚異的な粘り強さ!』
『しかし阪神レース場には1.8メートルの坂がある! デッドヒートを続ける2人は持ちこたえるでしょうか!』
プルガーネットにはハッキリとした異常な音が流れてきていた。地面を蹴り砕く様な豪脚が後ろから迫っている。アハナギナツメが牙を剥いている。
「グアアアアアアアアッ!」
隣からも牙を剥き出しにした異常な声が聞こえてくる。期待以上の働きを見せるクアンヌルブルが滝のような汗を流しながら荒々しく走っている。
クアンヌルブルは気性が荒い。とんでもなく荒い。具体的な例えがあるとすれば熊のような、異様な執着心と凶暴さを兼ね備えた荒さなのだ。ゴールという獲物を邪魔する異物──ここではプルガーネットのことだ──の存在を決して許さない。その怒りは、自らの脚で下すまで収まらない。
そんなレポートが上がってきたからには、利用しない手はなかった。プルガーネットはレース開始の時からずっとクアンヌルブルの邪魔をし続け、彼女のフラストレーションを貯め続けた。そしてクアンヌルブルにギリギリ捕まらない速度を維持し続けることで、レース全体の速度を釣り上げ、その上でクアンヌルブルの怒りが収まらないように立ち回り続けたのだ。
結果、クアンヌルブルは怒りのパワーのみで最終直線のデッドヒートに残っている。
ここに敵視しているもう一人、アハナギナツメが飛び込んできたら?
「テメェもか! 失せろ! このゴールは俺のモンなんだよッ!」
「あら、プルガーネットさん。元気な犬を飼っていたんですのね!」
「ハッ! 散歩の度に走り回るからこんなにデカいドックランが必要なんだ!」
「て、テメェらァァァッ! 殺す! ぶち殺す!」
こうなるのだ。
怒り狂うクアンヌルブルはしかし、頭脳は冷静なようで後方から迫るアハナギナツメをブロックするように進路を取る。アハナギナツメのパワーなら突っ込んで進路をこじ開けられそうなのだが、そうしない。
「っ!」
アハナギナツメの顔がようやく歪んだ。プルガーネットの口角も歪んだ。クアンヌルブルは更に歪んでいた。
アハナギナツメが細かく進路を切り替えようとする度にクアンヌルブルが今日に左右にフェイントをかける。ならば先頭であるプルガーネットはフリーになるかと思えば、そんなことは全く無く、アハナギナツメの妨害をしつつも差そうと進出をしてくる。徐々にクアンヌルブルの脚音が重々しくなり、全身に纏う気配が一段と濃くなる。プルガーネットは突然、猛烈な嫌な気配を感じた。それに応えるように、
何かが、変わる音がした。
「気に食わねェ! アハナギ家だかアンタレスだか知らねェけどよ! テメェらの『勝って当然』って面が気に食わねェ! 俺が勝つ! 俺が先頭! お前らは後ろだッ!」
『領域顕現──| 656.3mm ballet Lv.1』
それは、黎明であった。
この世界の26世代における、最初の領域顕現。
偽物でもなく、耳目ばかり集めた者でもなく、ただ──ただ怒れる者が、領域を行使した。
瞬間、プルガーネットの視界が暗くなった。炎と煙に包まれた黒々とした空の中に巨大な影がいる。それはウマ娘だ。数十メートルもあろう巨大なウマ娘が、街を見下ろしている。
ビルよりも巨大なクアンヌルブルが、大地を目掛けてストンピングを放ち──全てを爆砕する。
「ぶっ飛べ!」
轟音。視界がホワイトアウトし、鮮烈な熱がプルガーネットの全身を焼く。巨大な砲弾が地面すら抉り飛ばすように足元を砕き、クアンヌルブルは空へと飛翔する。
第二宇宙速度を越え、生命という枠組みを捨て星から飛び出すような強烈なイメージがゴール前に展開される。
『2番クアンヌルブル凄い伸びだグングン進む! プルガーネットを引き離しアハナギナツメは上がらない!』
『誰が予想したでしょうか!? アハナギナツメ上がらない! 苦しそうにしている』
「あははっ! プルガーネットさん! 競るのは貴女だと思ったのよ! そう思ってたのにッ!!」
「犬は犬でもケロベロスだったみたい……ッ!」
クアンヌルブルの底力はプルガーネットの予想を遥かに越えていた。領域。領域の行使である。
その世代の中心となるような強者のみが発現するという、ウマ娘の不思議な力の中でも特に解析の進んでいないトップシークレット。それが、現時点のアハナギナツメにもプルガーネットにも持ち得ないクアンヌルブルだけの強大な牙。
「
だがそれは、アハナギナツメの敗北を意味しない。
クアンヌルブルが頭一つ抜けたということは、アハナギナツメを抑えるウマ娘はプルガーネット一人になったということだ。そしてプルガーネットただ一人でアハナギナツメを抑えるのは、事実上不可能だった。
爆風が彼女の身体を支えるようにして、アハナギナツメは前方へ打ち出された。
前方へ飛び出して行ったクアンヌルブルに肉薄し、二人との距離は最早小手先のスピードではどうにもならないくらいに空いてしまっていた。
これがクラシックの前哨戦だと誰が信じるのだろうか。冠の前の、出走権が手にできるかどうか、そんなレースのはずなのに。目の前では領域に覚醒した寒門の出のウマ娘と、肉体のみで凌駕せんとする名門の出のウマ娘による頂上決戦が繰り広げられている。
実況がクアンヌルブルとアハナギナツメの名前を叫ぶ。観客の誰もがクアンヌルブルとアハナギナツメによる世代の幕開けを夢見ている。そこにプルガーネットの名前は無い
掲げた夢のスタートラインに経つためのレースだった。
チームの期待を背負ったレースだった。
1000人を超えたファンの夢を受け止めて走ったレースだった。
それはプルガーネットの勝利の要因になりえない。
「認め、られない!」
これを見てプルガーネットが黙っていられる訳がなかった。
「私は、こんなところで
『擬似領域顕現── 煌めけ
左脚が、大きく跳ねた。そして、プルガーネットの全身が深く沈み込んだ。異様な歩様だった。明確な違和だった。先頭で輝く二人の星に釘付けだった大衆でさえ一度目を奪われるほどの異常だった。
「プルガーネットさんの、領域……!?」
「んだよ、これ……ッ!」
プルガーネットの左脚が何かと置き変わっていた。ぬらりとした光沢だ。肌色の皮膚が割れた塗装のように削ぎ落ちていく。その下から不快な黒が現れる。その黒は光を吸い込むように黒く、所々に真っ赤な線が入っていて、光沢が示す立体感はおよそウマ娘の脚とは程遠い、不揃いな切子面でできたクリスタルのような輪郭を描く。石材を無理やり削り出したようなその脚は、関節部に奇妙な彫刻が仕込まれている。血で汚され続けた未開の地の具足のようだった。
「私はっ! 負けない!」
左脚が一歩芝を蹴り飛ばして、プルガーネットは砲弾のように前に吹き飛んだ。その速度はクアンヌルブルを抜き去るには十分であり、アハナギナツメさえも置き去りにする程だった。
『プルガーネットだ! プルガーネットが来た!』
足音と共に裂帛の気合いが入った声が響き、それを覆い隠すように黒い塵が土埃と共に舞う。
『プルガーネットだ! プルガーネットが驚異的な末脚を発揮して今ゴール!』
──塵の中に錆びた鉄のような匂いがむせ返る。
本能で感じ取る。プルガーネットの左脚は危険だと。クアンヌルブルも、アハナギナツメも。恐怖しているのだ。
萎縮したクアンヌルブルの領域が閉じた瞬間、領域のぶつかり合いによる空間の歪みが正され、二人はプルガーネットの後を追うようにゴールを迎えた。
二着はクアンヌルブルだった。
アハナギナツメの手は震えていた。
『チューリップ賞の勝者はプルガーネット! ティアラへの道を磐石なものへ! 彼女の行く末がこれから楽しみです』
その場にいるどのウマ娘もプルガーネットの左脚を見ていた。ゴールを迎えてようやく止まった彼女の脚は、至って普通の肌色だった。生物らしさもない、あの無機質な血に汚れたクリスタルなど、影も形もない。
剣山のような視線の中、プルガーネットは静かに一礼をして、控え室へ向かった。観客たちが万雷の拍手を送る中、出走者達は呆然と立ち尽くしていた。
◇
煙を吐く汚濁した泥たまりが揺れる。血染めの産衣が乾いていく。骨格の感じられない蝕腕が伸び、小さなビー玉のような輝きを放つ球体を掴んで一瞥した。
きっとこの時、冒涜者は破滅すると決められたのだろう。
深遠なる宇宙の摂理は、ただ一人の人間のために捻じ曲げられる訳がなく、いつだって不可逆的で理不尽に作られているのだ。
生きるのに必死になっていたら半年くらい放置することになっていました。居るかは分かりませんが待っていた方、すみませんでした。
凡人は働きながら転職活動をしつつ冬の原稿を書いて更に連載を進めることは出来ないんですよ。初めて知りました。
なんとか転職には成功したんですが、同人誌の原稿が気がついたら発生していたので今後も不定期更新です……。
いや、流石にここまで開けないつもりですよ。うん。
この小説はなんとしてでも完結させるので……。