冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして   作:fenderlemon

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7話:あと一歩の夏

「は〜い。あと一歩よ!」

「リーサル先輩っ! それ何回目ですか!!」

「喋る余裕があるならあと十歩〜!」

「しまったァ!」

 

 六月も末の末、期末試験を歴史以外は平均点やや上を取りなんとか補講を回避したプルガーネットは無事に闇堕歴珠(アンタレス)の夏合宿への切符を手にすることになった。

 

 夏合宿。多額の費用と引き換えに合宿所を貸し切り、普段と違う環境で心身共に追い込み、濃厚なトレーニングを積むことが出来る恒例行事のことである。例年多くのチームは海浜にある大型合宿所を借り、砂浜や無人島、山などを活用してより強度の高いトレーニングを行い、秋の重賞戦線へ向けて追切を行うのが通例で、それは闇堕歴珠としても外さない用事であった。

 

 六月を使い切ってマイル・中距離・長距離の全てに完璧でないにしろそれなりの適性を見出されたプルガーネットは、トリプルティアラを目標に掲げて闇堕歴珠での日々を過ごしている。失った前世での十七年を取り返すかのように一心不乱に走り込み続ける彼女は次々とフォームの改善に成功し、遂に他のウマ娘と同じくメイクデビューへの基礎トレーニングへ参加することが叶ったのだ。まだスタート地点にすら居なかった彼女がようやく並んだ。ただそれだけの事ではあるが、闇堕歴珠のメンバーはそれを祝福し──そして地獄へ引き摺りこんだ。

 

 二トンタイヤ引き。これが今日のトレセン学園のグラウンドで催される地獄の刑罰である。元人間たるプルガーネットにはイマイチイメージが掴めていなかったが、ウマ娘は膂力が人間の数十倍を誇っている。競走ウマ娘ともなると最早物理法則すら当たり前のように無視されていく。そんな世界に飛び込んでしまったのが運の尽きで、プルガーネットは自身の身の丈程ある巨大な重機用のタイヤを引く事を受け入れざるを得なかったのだ。

 

 夏合宿のトレーニング強度は非常に高い。フォーム矯正しか終わらなかったプルガーネットが「はい! 参加します!」と言ったところで全身がバラバラになってしまうこと間違いなしである。出された結論は「夏合宿が始まるまでにメンバーと同様のトレーニングメニューを軽くしていいからこなすこと」であった。闇堕歴珠が正常なチームであれば何の問題も無かったのだが──ここは闇堕歴珠である。

 

 一歩、一歩。ただの二歩でタイヤに繋がれたロープが全身を引きちぎらんばかりに身をつまみ、肩が大きく上下するように息を吸ってしまう。こんなの無理です! と言ってしまいたいプルガーネットであったが、悲鳴をあげようとした彼女の横を十トンタイヤを引くリムマナケルが現れ、通り過ぎていく。正気を疑いたい大きさのタイヤは身の丈なんて単語では済まされない凄味があり、リムマナケルが脚を落とす度に静かな地震が起きている事を感じた時は肝が冷える限りであった。

 

「プルガーネット! 脚を止めるな! 筋肉が冷える前に脚を出せ!!」

 

 リムマナケルからの激励を「は、はい! リム先輩!」と精一杯の大声で受け取る。灼熱とまではいかないものの、この不快指数の極みのような野外でのトレーニングをこなしながら声を出すのはかなりの辛さがある。 それを知ってか知らずか、いや、知らないはずは無いのだがヒシカワリーサルが()()()声を上げる。

 

「あらあら、リム、燃えてるわねぇ」

「リーサルはいつまでタイヤに乗るつもりだ?」

「無論、プルちゃんが倒れるまで〜」

「あ、悪魔ッ! あんまりだ!」

「はい百歩追加〜」

 

 「うわああああっ!」と叫ぶもヒシカワリーサルは情け容赦をするタイプのウマ娘ではない。話し方こそおっとりとしているがその実、内面は恐ろしくストイックである。最もそれはリムマナケル、モットフェイクらの全員に共通することではあるが。

 

「リーサル、あまり無茶をさせるなよ」

「リムは余程プルちゃんを気に入ったのねぇ、私の時とは大違いだわぁ」

「流石に初回で鼻血を出したウマ娘だ。もっと言うならデビュー前でもある」

「あら、私はデビュー前の初めてのトレーニングで指立て伏せをやらされたのだけれど?」

「リーサルは頑強だったからな」

「ひどぉい」

 

 ヒシカワリーサルが悲しげに目元を拭う仕草をするものの、涙などは欠片も見当たらなかった。短距離戦と全く同じフォームで二〇〇〇メートルを走りきることが可能であるヒシカワリーサルの頑強さは伊達ではない。同じように頑強とは言い難いリムマナケルが目標としたゴール地点である倉庫横を経過し、湯気を立ち登らせながら身体のロープを外し、十トンのタイヤから解放されて戻ってくる。鬼気迫るような顔つきも後輩の前では緩むのか、僅かばかりに口角が上がったことをヒシカワリーサルは見逃さなかった。

  

「それよりトレーナーは?」

「フェイクと次走の相談のはずよ」

「フェイクの脚、まだ状態は……」

 

 切り出したのはリムマナケル。この場に居ないトレーナーの事を尋ねるその顔つきは至極どうでもよさげであるものの、新入りであるプルガーネットを放置してタイヤ引きをやらせていた事への僅かな殺意が孕んだ目をしていた。しかし帰ってきた答えはモットフェイクの次走、ないしは将来に関わる事であったためリムマナケルは閉口した。プルガーネットはヒシカワリーサル含めて先輩二人が暗い表情になったことを見るなり、「モットフェイク先輩、脚部不安がありましたよね?」と声を上げた。

 

「なんだ、プルガーネットも知っていたか。その通りだ。フェイクは爪が割れやすく、更に体重が変動しやすい。この間は調子が良かったから模擬レースが出来たが、ここ最近はまたダービー直後のように悪くなっている」

 

 裂蹄。爪が裂けること。爪が割れやすい程に弱いという事は踏み込みが効かず、長時間の負担にも弱くなる。引退に繋がるほどでは無いが、競技ウマ娘を苦しめるには十分な症状である。そのストレスを受けて体重が変動しやすいとなると身体のバランスがすぐに変わってしまう、という事だ。モットフェイクの日本ダービーを勝ち抜くほどの技巧派の脚さばきを見るにそれは致命的な症状なのでは、とプルガーネットは思索する。

 

 皐月賞を大敗し、それをバネに日本ダービーを勝ち抜いたモットフェイクはプルガーネットを大きく凌駕するようなスタミナの持ち主であり、チームの中では特に長距離路線を目指すウマ娘であった。

 

「順当に行けば菊花賞……ですよね?」

「……まだ分からない。フェイク自身は長距離を目指しているが──長距離は脚への負荷が大きすぎる」

「……」

 

 聞いた時から分かっていた話ではあるが、プルガーネットは信じてもいない(三女神)に石を投げつけてやりたい気持ちで一杯になった。少しばかりの特別を抱きかかえたプルガーネットを容易く蹴散らす──本物のダービーウマ娘。彼女こそ輝くべき存在であり、こんなつまらない事で脚を止めていいヒトではないのだ。リムマナケルは僅かに歪んだプルガーネットの表情を見て言う。

 

「プルガーネット、これはテメェも他人事じゃない。バランスの悪さは骨格に及んでいると聞く。いくら本格化と同時にトレーニングを始められたからとして、フォームをすぐに直せたとしても一度手にした骨格や筋肉を修正するのは大変な手間がかかる。まだまだ修正のためのトレーニングは続くと思え」

 

 他人の事を気にしていられる立場ではない。暗にリムマナケルはそう言っているのだろう。事実プルガーネットの身体は発展途上でありながら非常にバランスが悪く、正しいフォームを覚えたとしてすぐに整うようなものでは無い。少なくとも夏の間は全速で走ることは無い。それほどに歪んでいるのだから。

 

「……はい」

「やだ、ほんとに気に入ってるのね」

「うるさいぞ」

 

 確かにあれだけツンケンしていたリムマナケルはいざプルガーネットが後輩になるとだいぶ当たりが弱くなっている気がする。一昨日も手彫りの将棋盤を持ち出して何局か打ったのだ。勿論ボコボコにされてしまい腹いせにポーカーを始めてイカサマで勝ったのが記憶に新しい。リムマナケルは結局イカサマを見抜いたものの、「それだけの技術を会得しているのは褒めてやる」と花を持たせてくれたのだ。チームに入る前なら確実に喧嘩になっていた自信があるプルガーネットはもしかしたら気に入られているのか? と考え礼を言う事にした。

 

「リム先輩、俺のために、ありがとうございます!」

「うるさいぞ! 感謝する暇があるなら一人称を統一しろ。どっちでもいいがどちらかにしろ」

 

 訂正。リムマナケルは依然として厳しい存在であった。油断するとぶれる一人称は手痛い場所のままなのだ。プルガーネットは可愛く整えておきたいイメージを理想にかがげているものの、その試みが上手くいった試しは無い。精々化けの皮がまだ剥がれていないクラス内で一際毛並みがいい事でクラスメイトに一目置かれているくらいのものである。

 

「うぐ、また俺って言っちゃった……」

「テメェは妙な所で男っぽくなるな……」

「そこ突っ込まないで下さい!」

「私は嫌いじゃないわよ? 柔らかい表情に反してギャップがあっていいもの」

「そうですかね……?」

「締まりのない顔つきってことだ阿呆」

「ぐぅ」

「あらあら、プルちゃんは可愛いのよ〜? もしかして照れ隠しかしら?」

「最近、トレーニングに組手が足りてないと考えたんだヒシカワリーサル。どうだ?」

「分かったからその手を下ろしてちょうだい……」

 

 

  ◇

 

 

「モットフェイク、もう一度聞くが、良いんだな?」

「はい。トレーナーの方針に異議は思いつきませんでした──治療に目処が経つまで休止します」

 

 闇堕歴珠の部室には重々しい空気が詰まっていた。

 リムマナケルが作った来客用の豪華なソファーに靴を脱いだモットフェイクが身体を預けている。その脚先は、血に汚れた包帯が巻かれている。河田トレーナーは見ていられなくなり、さっさと包帯を取り替える。包帯の合間に見える指先には、爪が無かった。

 

「プロテクターが明日には届くように手配した。走るのは厳しいが、日常生活には支障が無いはずだ」

「……はい」

 

 モットフェイクを満たすのは辛酸を舐めるような屈辱ではない。ただ空虚な焦りが爪先を動かし、トレーナー室の床に擦り跡を産む。その動きでさえ、痛みに変わる。慣れない爪の痛みが筋肉痛なんかよりもずっと割れるように痛く、モットフェイクの顔はゆっくりと歪んだ

 

「裂蹄の悪化がここまで進むとは予想出来なかった、というと言い訳にしかならないな。すまない。私の力不足だ」

「トレーナーのせいじゃない……です」

 

 誰のせいではない。そう思うモットフェイクの心を置いて河田トレーナーは言葉を重ねる。

 

「いや、防げたはずの事態だ。ここは言わせてくれ。申し訳ない。君の貴重な成長期に穴を開けてしまうことになる。その上で、夏を使って治療に勤しむことになる──」

 

 しかし何よりモットフェイクが聞きたい言葉はそれではない。ただこれだけだ。

 

「──菊花は厳しいですか?」

 

 押しつぶすように閉じられた河田トレーナーの瞼こそが答えであった。しかし、許容できない。許容してはいけない。トレーナーのミスでウマ娘の夢を潰すなどあってはならない。嘘を言えない河田トレーナーの精一杯が胸から吐き出されていく。

 

「正直に言えば厳しい、が、夏の内に治し切れば希望はないことも無い」

「分かりました──希望が無いわけじゃないなら、それで十分です」

 

 モットフェイクにはそれが必要だった。

 モットフェイクはそれで十分だった。

 

 

   ◇

 

 

「フェイク先輩、どうでした?」

「夏を使い潰してでも治療して間に合わせる。そう約束してくれたよ」

「……そんなに状態が」

 

 部室を出たモットフェイクを迎えたのはプルガーネットであった。ターフで見せるアップテンポな表情筋はどこへやら、沈んだ顔もちをしたプルガーネットを見ているとモットフェイクの胸には痛みよりも不甲斐なさの方が勝る程に押し寄せてくる。初めての後輩にこんな顔をさせてしまうのか。それも自身の身体のことで。

 

「プルガーネット。」

「は、はい」 

「俺は菊花賞を獲る。お前を心配させる先輩にはならない。だから、お前も無事にデビューして俺たちを安心させてくれ。どうだ?」

「……フェイク先輩に言われなくても!」

「言うじゃないか! ……それでいい」

 

 爪を歪ませたダービーウマ娘。全身が歪んだ何も成していない(未デビュー)ウマ娘。二人を包むのは奇妙な高揚感。今も他のウマ娘がトレーニングを積んでいる。今も他のウマ娘が己を超えていっている。今が、過去が、未来が、全てが二人を置いていこうとしている。焦燥感が背中をなぞる。強烈な虚脱感が足首を掴む。だが、二人の脚はトレーニングコースへ向かった。走れなくても、走り方を知らなくても、今日のために一歩を踏み出した。

 

 蝉時雨がやってくる。

 六月が、終わろうとしている。

 

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