冒涜のウマ娘 それは崇高であるとして 作:fenderlemon
うだるような暑さと形容できるならまだ可愛いものだ。とプルガーネットは顔を顰める。
七月前半、東北以南海岸沿い、
何故、闇堕歴珠のシャトルバスが王港ではなくこの蔭洲升村に止まっているかといえば、バスのエンジントラブルが原因であった。チーム闇堕歴珠を率いる河田トレーナーは大型バスも運転が可能な熟達のドライバーではあるものの、その技術は運転に注がれるものであって修理工の真似事が出来るほどでは無いのだ。プルガーネット他メンバーはどうにか出来ないかと一縷の期待を抱いたものの、「最悪だ……」とエンジンオイルに身をやつした河田トレーナーのアフロの萎び具合を見て即座に「あれは……アフロが」「ああ、アフロが潰れてしまった。今日はここで車中泊だろうな」と早々に諦め、今日は立ち往生だと理解したようだった。
プルガーネットは既に限界が近かった。何せ彼女の乗り物耐性はゼロと言って差し支えない。電車が本当に限界スレスレであり、長距離バスとなると特有の揺れで既に二回嘔吐していた。鼻がツンとする臭いが胃の奥から立ち込めていて、喉は焼けたうえで最初に逆流した時の残留物が喉に異物感を訴える有様だ。
ここでエンジントラブルによる空調のダウン。最早プルガーネットはここで果てるとさえ思った。
「おい、プルガーネット、おい!」
「リム先輩……私は……ここまでのようです」
「笑えん冗談だな。……いや本当に笑えない顔色だぞ」
「頭痛い……」
「まずいな。脱水が酷い。どうして早く言わなかった」
早く言いたいのは山々だったが、プルガーネットは嘔吐による虚脱感で手一杯だった。ただそれだけであるものの、ここまで悪化するとも思ってなかったのも事実であった。脱水の恐ろしさを舐めていた。アスリートにあるまじき失態である。バスの前方で荷物を漁っていたモットフェイクが小走りで後部座席へ戻ってくる。普段の柔らかい表情は何処吹く風か、汗で湿気ったロングヘアに影を作られた顔は心配に溢れている。
「プル、ヤバいか?」
「本気で限界らしい。凍ったスポドリ残ってたか?」
「これが最後の一本だ……。プル、ちょっと待っててくれ。リーサルが走って買い物行ってるからさ」
「うぇ、すみません、先輩方……」
視界はまだハッキリとしているものの、目に映る全てが蜃気楼のように溶けていくのは余りに近く容易い出来事で、河田トレーナーが慌てて電話をかけているのをプルガーネットは目にした。救急車を呼ばれるのだろうか──だと合宿に遅れてしまう。迷惑を掛けたくないなと思うものの、全ては吐瀉物と共に流れてしまった後なのだ。泥濘は水には戻らない。
「ホテルに連絡を付けた。すぐに車と医者回してもらえるそうだ 。そのペットボトルで少し持ちこたえてくれ。いいな?」
「河田トレーナーぁ……」
「ホテルまでどのくらいだ? トレーナー」
「片道三十分とのことだ。流石に遠いから近くの屋根があるところを探してくるさ」
それから程なくしてヒシカワリーサルが凍ったスポーツドリンク、ゼリー、水や塩タブレットなど一通りを買い込んで走り帰って来た。プルガーネットはようやくひと心地着いたようで大きく息を吐く。しかし、コンビニに行っただけなのに物々しい顔つきをするヒシカワリーサルは嫌に気が立っているようでいて、モットフェイクが「何かあったか?」と尋ねた。
「いや、ね。村のコンビニに行く途中で物凄い臭いが流れてきてちょっと戻しそうになっちゃったのよ」
「おいおいリーサル先輩まで吐いたら合宿崩壊だぜ?」
「フェイクだって爪ダメになってるじゃない。なんだかボロボロだわぁ私たち」
「ちなみにどんな臭いがしたんだ?」
「あぁと、なんか腐ったお魚みたいな臭いだったわぁ」
「腐った……そういえば漁獲量が村の規模にしては多いんだっけか。溢れるほどに獲れてるってことか? 勿体ない。」
モットフェイクとヒシカワリーサルの会話を聞いていたプルガーネットは名状しがたい不安感を覚えた。何か決められた道筋を辿らされているような、崖へ続く線路の上を走る列車に乗ったような、嫌な予感だった。その予感は早くも形となってプルガーネットへ近寄ってきたらしく、バスの車外から「倒木で今日はたどり着けないって、本当ですか!?」と河田トレーナーの悲鳴のような叫びが聞こえてくる。
「やはりアフロか……」
「潰れてたもんなアフロ」
「アフロ予報は外れないわぁ……」
三者三葉のアフロへの信頼を見せる先輩は一様に諦観を抱え、リムマナケルがプルガーネットを優しく抱き起こした。
「済まない。今聞こえたと思うが王港への道が倒木で塞がったらしい。今日は蔭洲升村で臨時で宿泊することになった。明日までには倒木をどうにかしてくれるらしいが……」
「期待しない方がいいだろう」
「リムマナケルの言う通りだな。今日の宿はあまりいい所じゃないが、我慢してくれ。村に宿泊施設がそこしか無くてねぇ……」
「トラブル続きですねぇトレーナーさん」
「申し訳ない。その分合宿所にもしっかりと伝えて期間の延長を掛けておいた。合宿が目減りする心配はない……プルガーネット、体調はどうだ?」
「リーサル先輩のくれた凍ったスポーツドリンクで大分楽にはなりました。ただ無理はしたくないですね」
「うむ。プルガーネットは自覚の通り、無茶をするなよ。悪いが三人も世話を手伝ってくれ。私は医者を探し直さないといけないからな」
こうしてプルガーネットはリムマナケルの背中に乗ったまま、蔭洲升村に立ち入ることとなった。
リムマナケルの背中の上から日傘を差す係となって十分程か、バスを路肩に押し込みヨタヨタと出てきた一行は蔭洲升村の土を踏んでいた。
「ここが蔭洲升村……。確かに嫌な臭いが少し流れてますね」
「なんだか寂れてますねぇ。顔を隠してる人も多いし」
「漁獲量が多いってほんとか? とてもそうは見えないけど」
情け容赦無い評が飛び交うのを見てプルガーネットは止めようとも思ったものの、全てが全くもって擁護しがたい有様であったからには閉口せざるを得なかった。
蔭洲升村。一目見てわかる閑散とした村のようだ。潮風に焼かれたままに塗装が擦り切れたままの屋根が軒を連ね、大通りだと言うのに一軒奥の路地に廃屋がある事が見て取れる。風が無い時は路地の隅から名状しがたい悪臭が立ち込め、それは住人と思しき人影が出てくる時にも感じられる臭いであった。
ウマ娘は半径二十メートルほどの人間であれば個人を特定出来る程度に鼻が利く。故に河田トレーナーが「潮の匂いがするな」と軽く扱ったことに些かの苛立ちを覚えるのも仕方の無いことだ。
それにしても──ここの住人は雰囲気が妙であった。容貌が一様に皮膚病に侵されたような変容をしており、フードなどで顔を隠して歩く者もいる。首の皮がたるみ、目が大きく露出し耳が小さく、鼻は低く潰れている。おおよそこのような様子である。差別的な事は考えまいとしているプルガーネットであったが、しかし心の奥で不気味だと感じる自分が居ることも否定は出来なかった。
しかしプルガーネットが一番気にかかった事は、老人に当たる年齢層の人間がどこにも見当たらない事である。地方の閑散とした村であれば人口の半分は五十代以上の壮年が占めるものが大半であろうに、蔭洲升村はそもそも老人の姿が見当たらないのだ。偶然にしては妙なことだ。
「トレーナー、ホテルは村に一つしかないらしいが」
リムマナケルが珍しく緊張感を表に出した面立ちで声を出す。河田トレーナーもそれを咎めるほどに余裕がある訳では無く、続くように話す。
「そうだ。そしてそこが私達の今日の宿になる。……しかしどこだか分からないな」
「どこもかしこも寂れてて、分かりやすい建物、コンビニしか無いものねぇ」
「なんか不気味だ……。早く入って寝ちまおう」
ヒシカワリーサルとモットフェイクは更に失礼な発言をしているのを聞き、思わずプルガーネットは周りを軽く見渡すものの、目に見えた悪意の返礼は感じられなかった。ただ、ぬぼーっとした湿り気のある視線を多数集めている事だけは感じられる。見える建物の多くはカーテンを閉じており、光が嫌いな住人が多いのかと考えていたのだが、大通り沿いまで来るとこちらの存在が知れ渡ったのか、閉じていたはずのカーテンの隙間から大きな目がギョロリとこちらを覗いているような気がして仕方ない。
「──見られているな」
「まぁ目立つだろ。だが倒木で足止めを食らったのは偶然なんだ。諦めてホテルに行こうぜリム先輩」
「……あぁ。さっきのコンビニに道を聞きに行くぞ」
「話せる方がいらっしゃれば良いんですが……」
「どうでしょう。店員さんは普通の人だったけどもねぇ」
「ほら、すぐそこだ」
村で唯一の商店にあたるコンビニは煌々とした明かりを周りに振りまくことに余念が無い。少しづつ太陽が山間へ溶けていき、夜の気配が濃くなるこれからへの不安に対する唯一の橋頭堡のようにプルガーネットは感じた。
店内に入ると優しさは欠片も感じられない刺々しい冷房とうっすらとした香水の香りがプルガーネット達を迎えた。外の熱気と悪臭への最後の砦という事なのかと感心しつつ夕食になる弁当やお菓子をカゴに放り込んでいく。今日の宿は食事が着いてない、素泊まりなのだ。寝床があるだけマシだと考えるべきか、あからさまに他所の人間を歓迎しない姿勢に惚れ惚れするべきか悩むプルガーネット達の前に店員らしき女性の姿が現れた。
「あっ、さっきのウマ娘のオネーサンの友達さんッスか? こんな変な村に来るなんて何かあったんですか」
話好きそう、というよりは村で話し相手になる人間が居ないのか
「ああ、王港にチームで合宿へ向かう途中でバスがエンストして、更に倒木が起きてしまってな。今夜はここに泊まることになった」
「うわぁ、本当に災難ッスね。夕方の納品来なかったのはそれか〜」
話から類推するに倒木で塞がった道は王港への道というだけではなく村への唯一の搬入ルートであるらしい。「ここは唯一の店なんだろう? 納品が来なかったらマズイんじゃないのか」と河田トレーナーが返すと店員はマズイ物を見つけられたようなバツの悪い顔で「アタシ、ここの人間じゃなくて飛ばされてきた人間なんスよ。だから余所者の店として知られちゃってるんです。誰もこの店を使ってくれませんって。来てもめちゃくちゃ若い子だけだから納品なんて腐らない缶詰と駄菓子をテキトーに入れるくらいです。あんま困ってないっスよ」と笑った。
「……そりゃ難儀なこって」
「だから珍しく観光客、観光ではないんでしたね。まぁ話してくれるお客様が来て嬉しいんスよ!」
「おしゃべり好きで何よりだ。では──」
河田トレーナーは店内に人影がない事を改めて確かめてから店員へ口を向けた。
「この村、随分と奇妙なことが多い。特にあの悪臭と住人の様子はな。何か聞いてもいいかな?」
「あぁそっちの質問ですか。まぁ言っちゃいけない雰囲気はありますけど──アタシ村の集まりに呼ばれたことないんで、ルールとか関係ないっしょ。話しますよ」
「頼むよ」
話好きの店員の口が回り始めた。
「昔の話らしいんスけど、蔭洲升村って何も無かったんですよ」
「今も無いだろう?」
「今よりも無かったんス。今は魚が取れるだけなんですが、昔は魚すら取れない不毛地帯だったんスよ。その頃は変な顔の住人も居なかったとかなんとか。それで数十年前の老人方が海に向かって“贄”を捧げたらしいんです。すると海から“深き者”なる神様が出てきて、魚が取れるようにしてくれたんですって」
「深き者とは?」
「ここら一帯で信じられてる漁の神様……みたいなものらしいッス。その深き者達は豊漁の礼として人間と交わって子を成すようになり、その子孫がこの村の人達らしくて……。ほら、ここの人の顔って魚っぽいじゃないッスか。それで結構信ぴょう性のある話というか……。まあまあ、それはともかくこの村はこうして怪しい顔立ちの人が沢山いる代わりに魚が取れる村になりましたとさって話ッス」
「……ホラー映画みたいな村だねぇ」
「正直、この村泊まるより離れた所で野宿する方がオススメッスよ。この村、稀に来た人が住み着いて、半年も経たずにあの顔に変化したりするんで、何かヤバい感じあります」
「悪臭についてはどうだい?」
「あれは……多分体臭っすね。歳をとるほどあんな臭いになっていくんスよ。マジでキッついんで香水買わなきゃやってられないッス。……夜になると村の臭いが一段とキツくなるんですよ。これ、もしかしたら年寄り達は深夜に出かけているんですかねぇ?」
「深夜に?」
「村の集まりには参加出来ないアタシにすら、『深夜は出かけるな』って言われてるんすよ。きっとあの顔が酷くなった老人たちが日の出ない夜の暗がりに乗じて出かけてるんスよ。破ったらどんな目に遭うか分かったもんじゃないんで真実は分かりませんけど」
「……色々と参考になったよ。君はこの村を離れないのかい?」
「離れたいですよ、一刻も早く。でもアタシ本部の人に嫌われてて、ここに押し込められてるんスよ」
「それは災難だ」
「全くで」
「最後になんだが、ホテルの場所が分かるかい?」
「ここ出て右手づたいに進んでニ番目の路地に入って、二つ先の通りに行けば看板が出てますッス」
「助かったよ」と声に出すものの、途方もないオカルトを浴びせられた河田は多少の疲れを感じていた。買い物かごを持たされていた一行も同じだ。河田トレーナーはかごを受け取り店員に託した。
「これの会計も頼んだ」
「あいー! お買い上げありがとうございます!」
プルガーネット達はホテルへ向かって歩き出す。早くこの村を出ようという決心を胸に。一様にそれを抱えてホテルへ向かった。
そして、これまでの話を盗み聞いていた者がいた。
悪臭が、過ぎる。
イラスト本を作っていたので文章書く脳がどっか行ってました。
ここからゆったりペースに戻していきたいと思います。
また、なんやかんやで匿名を辞めて、誤字を直し、ついでに5話の冒頭が消えてたのを修正しました。