白い抱擁   作:suiru

1 / 9
序章

 青年は、目の前のテーブルに所狭しと置かれた皿の中身に釘付けになっていた。先端が尖ったビーニーが特徴的な青年だ。やがてその中から香り高いソースがたっぷりとかけられた肉のソテーをつまんで口に放り込むと、瞳を輝かせて感嘆の声を上げた。

「ンまいッ! 上流階級のヤツら、しょっちゅうこんな御馳走を食ってるのか⁉」

 彼は小柄な体格に似合わず、今宵の宴に出された料理を全て平らげんばかりの勢いで皿と取っ組み合いを始めた。

「ピエロ、そんなにがっつくな。お行儀が悪いぜ」

 その隣で、男が呆れた様子で言った。腰まで伸びた金髪を持つピエロと同じ年頃の青年だ。彼は酒の入ったグラスを口に運びながら、周囲を眺めている。

「しっかしよお……贅沢な飯を食ってばかりで、脳ミソまで脂ぎってんだろうな。ここにいるヤツら、どいつもこいつもクソみたいに呆けた面してやがる」

「食事のせいだけじゃないぜ、ティツィアーノ」

 ティツィアーノが吐き捨てるように言うと、唇についたソースを器用に舐めていたピエロが答えた。

「なんせヤツらは今、魔法の粉を思う存分味わって、超グラマーな女たちの胸の中で天国に行ってンだからよ。いいなー、俺も混ざりたい!」

「金さえあればどんな快楽も手に入る……で、目先の欲望さえ満たせればそれでいいって訳か」

 彼らが話しているのは、宴に招かれた客たちのことだった。客筋は著名な実業家や名門貴族等、裕福そうな者ばかりで男が多い。中には見るからに闇社会で幅を利かせているとわかる厳しい風貌の男たちもいた。

 彼らは贅を尽くした食事と美酒を程よく楽しむと、見目麗しい給仕の女たちからキセルを受け取り紫色の煙をくゆらせた。キセルを吸った者は一人残らず前後不覚になる程の陶酔境に浸るようで、うつろな目で呆然とソファーに座り込んでいたり、給仕の女に介抱されたりしていた。

 絢爛な屋敷の中で客たちは思うがままに飲み、食い、キセルを吸って酩酊し、自らの理性を放棄していった。狂気じみた客たちの高揚感と笑い声が大広間を包み込む。

 その異様な場の空気に飲まれることなく、獣と化した客たちを静かに睥睨している若者がいた。

 ティツィアーノは、隣に立つその男が並々ならぬ思いでこの宴に潜入したことを知っているし、その覚悟がここに来て一点の曇りもないままであることが誇らしく思えた。だから、ちょっと緊張をほぐしてやろうというくらいの気持ちで、気軽そうに彼に声をかけた。

「さっきから熱い視線を送ってるな、バルジェロ。妬いちまうぜ。お前まであの魔女の色香にあてられちまったか?」

「軽口叩くのはそれくらいにしておけ。お前たちは警戒心がなさすぎる……」

 バルジェロは少しも動じず批難の眼差しをティツィアーノに向けたが、そこには気心が通じる仲間への許容もあった。そしてバルジェロはすぐにテーブルを三、四卓挟んだ距離にいる宴の主へ鋭い視線を戻す。

 宴の主であるその女には、客たちに病的興奮をもたらすこの空間の支配者にふさわしいオーラがあった。

 彼女が身にまとう純白のドレスは、胸元や背中、臍周りを大胆に露出し、自らの滑らかな身体の曲線を強調する扇情的なデザインだが、微塵もいやらしさを感じさせず、むしろ神性のようなものすら帯びていた。

 彼女がしとやかに広間を歩く度、スズランの花弁のように腰から膨らんだスカートが愛らしく揺れる。スカートの一部は生地が透明になっており、そこから艶めかしく伸びた長い脚が覗いていた。

 素顔を仮面で隠していても、その瑞々しい肌に触れたが最後、彼女の全てを手に入れるためなら何を犠牲にしても構わない――神父すらそう思ってしまうようなエロチシズムが漂っている。

 彼女の存在そのものが蠱惑的で危険な麻薬であった。

 そして会場内を見渡しながら、彼女は微笑み、艷やかな唇を動かした。

「世は辛く、残酷です」

 甘美な囁きは、酔いしれている客たちをさらなる悦楽の深みへ誘い込む。

「ですのに、立ち向かう程価値もございませんの」

 彼女こそが、独自に開発、大量生産した破滅の粉をヴァローレの町に売り捌き、巨万の富を独占している大富豪ヘルミニアである。

 彼女の所業によって変わり果てたヴァローレを救うべく、バルジェロたちはヘルミニア打倒の野心を抱き彼女が開くパーティーへ忍び込んだ。それは自分たちの後ろ盾となりうる裏社会の有力者を見つけるためだ。

「……夢を見ましょう。わたくしは皆様に、至極の夢を約束しますわ」

「あの女……」

 ヘルミニアを見据えていたバルジェロが何か言いかけた時、会場内が一段と騒々しくなった。彼女が台頭する以前に粉の流通を取り仕切っていたマフィアのボス、ドン・タヴィアーニとその配下たちの来訪である。

 ヘルミニアによって粉の利益を奪われたタヴィアーニが心中穏やかでないことは周知の事実だった。二人は相対すると一見和やかに会話を弾ませていたが、その端々に皮肉や相手への牽制がしっかりと込められていた。

 しばらくすると、ヘルミニアの指示でタヴィアーニの目の前にワインが入った盃が運ばれてきた。酒が飲めない自分の代わりにこのワインを飲める者がいないか、とタヴィアーニが盃を掲げて周囲の客たちに投げかける。

 会場内の沈黙を破り、群がる客たちの中からタヴィアーニの前に進み出たのはバルジェロだった。バルジェロは仲間たちの制止を意に介さず、タヴィアーニから盃を受け取るとそれを一気に飲み干した。手の甲で口元を拭いながら平然とワインの銘柄まで言い当てたバルジェロに、客たちはどよめき、タヴィアーニは満足顔で彼を褒め称えた。

「あら……勇ましい坊やがいること」

 一部始終を見ていたヘルミニアがバルジェロの許へ歩み寄る。二人の視線が確かに交わった。ヘルミニアは魅惑の微笑を浮かべると彼に背を向け、そのまま傍にいた女執事を伴って宴を中座した。

「ヘルミニア様」

 大広間からヘルミニアの私室へ向かう途中、主の後ろを歩く女執事が彼女へ声をかけた。

「先程、会場で何かお気に召すことがあったのですか?」

 いつもは冷徹に職務を全うしている彼女が、小首を傾げている。

 ヘルミニアは足取り軽く鼻唄混じりに通路を歩いていた。

「ええ……ちょっとね」

 彼女の胸中を占めているのは、宴の会場で自らを鷹のような眼光で射すくめていたバルジェロの姿だ。

(あの情熱的な眼……視線だけでわたくしを焼き殺してしまいそう……)

 その瞳には剥き出しの敵意が表れていた。

 ヘルミニアは現在の地位を築くまでに、同じ眼をした競合相手を金に飽かせて何度も屈服させてきた。野心をみなぎらせた男たちが完全なる敗北を突きつけられ、醜態をさらしながら命を散らす様を見ると、ヘルミニアの心はぞくぞくと浮き立った。

(豪胆で気骨のある殿方は好きですわ。叩き潰し甲斐がありますもの)

 だが、ヘルミニアはまだ気づいていなかった。バルジェロの瞳の奥には敵意だけでなく、かつて自分が惹かれた男が抱いていたものと同じ信念が潜んでいたことを。




お読みいただきありがとうございます。貴重な時間を割いて拙作を御覧になってくださったこと、とてもとても嬉しいです。
序章を書けただけで何だか満足してしまってますが、続きものんびり書いていきたいです。
バルジェロファミリー書くの楽しい!でもフラを登場させられなかった泣
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。