きみにサチあれ   作:三月ウーナン

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一索の部屋

 床や壁は同じ白ではあるが、さきほどまでいた部屋のように奇妙な殺風景ではない。毛足の長いカーペットが敷かれ、窓には花柄のカーテンが掛けられている。本や雑貨の並んだ勉強机と、ピアノが置かれていた。奥の壁にはまた扉があり、素直には帰らせてもらえないことを予感する。春樹は気合を入れ直して、まずは情報の多そうな机から取り掛かることにした。

 勉強机には、教材や参考書、筆記用具のほかに、小さなぬいぐるみや写真立てなどの小物が備え付けの棚に並べられている。試しに引き出しも開けようとしてみたが、こちらは鍵が掛かっているようで開かない。しかし、何より目を引くのは、机の上の「Diary」と箔押しされた手帳だ。

 状況を考えると、読むべきなのは間違いない。が、他人のプライベートを暴くのはどうも抵抗がある。部屋のかわいらしさがそれに拍車をかけていた。

「情報源……でも、女の子の日記……」

 飾られたいくつかの写真は複数人で写されたものもあるが、どれも同じ少女が登場しているように見える。セーラー服を着ているものもあり、高校生くらいだろうか。この少女の机だと考えるなら、日記だってもちろんそうである可能性が高い。

「ごめんね、読みます!」

 春樹は謝罪をひとりごちてから、日記を開いた。じっくり読むのは申し訳なく、流し読みで要点だけを拾おうと試みる。丁寧な字をまとめると、およそこうだ。

 

 

~日記(一索)~

・今年に入ってからの日記のようだ

・1日に1ページが割かれている

・月、水、土曜日にだけ記述があり、他の曜日は白紙になっている

・書いた人物は高校生のようで、月、水曜日は学校に通っている

・水曜日はピアノのレッスンに通っている

・土曜日は、日によって行先がバラバラだが出かけていることが多いようだ

・以前、怪我をしたらしく、ときどき右足を気にする様子が見られる

 

 

 存外白紙のページが多く、春樹は少しばかり拍子抜けしていた。女子高生の日記を読むのはそれでも据わりが悪いことに変わりはないが。

 気を取り直して探索を続けることにする。ピアノのまわりにはいくつか楽譜が出しっぱなしになっていた。春樹には知識がなく、ピアノも楽譜も見てもさっぱり分からない。素人目にはおかしなところは無いようだが。念のため楽譜を集めて確認していると、その隙間から何かがこぼれ落ちた。拾って確かめれば鍵のようだ。それも家や車の鍵のようなしっかりしたそれではなく、もっと小さなものだ。

 春樹は閃いて勉強机の前に戻ってきた。引き出しについた鍵穴に差し込んでみると、軽い音を立ててすんなりと鍵は回った。

 引き出しの中には、封のされていない手紙が入っていた。これまた読みにくいものをとは思うものの、ままよと便箋を開く。

 

 

~祥華の手紙(一索)~

先生には、これまでたくさんお世話になってきました。

私にピアノを教えてくださったことはもちろんです。

けれど、それだけではなくて、親を早くに亡くし、おじいさまは忙しく、どうしようもない寂しさを抱えていた幼い私とただ一緒にいてくれたこと、とても感謝しています。

困ったように笑いながら私の頭を撫でてくれたときの、ぎこちなくて、けれどあたたかい手のひらをずっと覚えています。

週に一度だけ会う先生の優しい声が好きです。私がひとつ上手になると、よくできたね、頑張ったねと褒めてくださる、その声を聞くためだけにどんなにだって努力できると本当に思います。

漠然とこのままいつまでも、先生は私に寄り添っていてくれるのだと高慢にも思っていました。

もちろんそんなはずはなくって、そのことに先生が結婚してはじめて気づきました。

私は子どもで、教え子で、だから先生は気にかけてくださる。私が我儘を言わなければ、それはもう少し長く、ひょっとするとずっと続くのかもしれないと思います。

けれど、もうそれでは物足りないとも思ってしまうのです。私ではないひとに微笑みかける先生をみて、気付いてしまいました。私は

 

 

 不自然に途切れ、感情のまま書き連ねたような手紙は、まだ書きかけのようだ。

 春樹は、禁断の恋ってやつか、と考える。最初に読んだ手紙で予期していたが、どうもピンと来ない部分ではある。それは、日々を取り繕うことや、目の前のものを取りこぼさないことに精一杯だったからか、誰かに入れ込むことへの忌避なのか、単に縁がなかっただけなのか。分かりはしない。ただ、誰かを思うこと自体は否定されるものではないと思うのだ。春樹は今だって、失われた友のことを思っている。背中を蹴られたから、もう立ち止まりはしないけれど。手紙をしまって、引き出しの鍵を掛けなおした。

 この部屋で目に付く最後のひとつ、窓を調べる。上品な花柄のカーテンは遮光機能のついたものなのか、向こう側は一切伺えない。一息にカーテンを引くと、そこには男が立っていた。

 春樹は息を吞んで、窓を見つめる。体はピクリとも動かない。

 すぐそばから見知らぬ男がこちらをじっと見ている。春樹は図らずも、薄いガラス一枚を隔ててその男と対峙していた。

 男の口角が上がっていくのが良く見える。振り上げられる右手に鈍く光る包丁があることも。刃がまさに春樹に向けて迫ってくるその瞬間まで、確かに見えていた。

 しかし、痛みや衝撃がやって来ることはなく、窓ガラスも割れぬまま、確かにいたはずの男は忽然と消えてしまった。

「え、こわ」

 自分の漏らした声に、体の自由が戻っていることを自覚した。恐怖を感じないではないけれど、慣れなのかなんなのか、春樹にはそう応えなかった。

 改めて窓の外を見て竹林が広がるばかりで、手掛かりになりそうなものはない。この部屋はこれで一通り見て回ったはずだ。奥の扉を進んでみることにする。

 

 

 扉を開けた先には、部屋の中央に大きな天蓋付きのベッドが置かれている以外には何も見当たらない。近寄って中を確認すると少女が眠っていた。

 白いワンピースを着た、十代後半くらいの少女だ。勉強机の写真にあった人物のようにみえる。ただ眠っているだけでおかしな様子は見当たらない。春樹は迷ったものの、この部屋にはほかに何もなく、とにかく声をかけてみることにした。

「も、もしもし?起きて?ください」

 遠慮気味に肩を揺らすと、少女が目を覚ます。開かれたその瞳は、予想に反して赤色をしていた。

 少女は半身を起こしてゆっくりと周囲を見渡し、春樹に視点を定めると、困惑したような顔をしながら「ここはどこでしょうか?」と鈴を転がすような声で口にした。

「おはよう。俺もよくわからんくて……」

 眉を下げて答えると、少女も首を傾げる。その様子は不思議そうではあるものの、どうも危機感を感じてはいないらしかった。

「俺は相馬春樹です。君は?」

 春樹はコミュニケーションを図るためまずはと、名乗り、少女も応じる。

「はじめまして、金城祥華と申します」

 祥華はベッドに腰かけたままながら居住まいを正し、ペコリと頭を下げる。艶のある長い黒髪が肩を滑り落ちていった。

「君が祥華ちゃんか。俺は君の遠い親戚に当たるんだ。よろしくね」

 春樹は怪しい者ではないことを伝えたいが、君の祖父の葬儀に参列しにきたと言ってよいものか図りかた。結果、余計に怪しい物言いになってしまったが、祥華は気にならなかったようだ。むしろ表情を明るくしている。

「あら、そうなのですね!私親戚の方に会う機会が少なくって。どうぞよろしくおねがいします」

 好意的な反応に安堵しつつ、状況を伺う。祥華は春樹のように驚いたり焦ったりしていない様子だ。悪意は感じられないものの、何か知っている可能性はある。

「祥華ちゃんはなんでここで寝てたの?」

「私にもここがどこで、どうしてここにいるのかはよく分からないのです。ただ、どうも私の心の中に近いようで、この空間の中については少し感覚的に分かります」

 心の中か。春樹は苦笑する。それは祥華の発言に否定的な感想をお持ったわけではなく、むしろ、その逆だ。心の中や精神世界のような場所に、はっきりと意識を持って行くこともあると、経験則として理解していた。その経験が、春樹にとって複雑な感情を持って思い出されるものであるからこその表情だった。

「なんで俺がここにいるか理由は分かったりする?」

 しかし、その感傷をこの場で持ち出してしまわない程度には分別があり、今優先すべきはこの場所からの脱出だ。ここが祥華の心の中なら、彼女が鍵であるはず。それはつまり、辛いことがあるとすれば、彼女の身に起こるのだろうとも春樹は思った。

「それが、どうも巻き込んでしまったようで……。本当はおじいさまにお願いしたいことがあったのですが、相馬さんがなぜか呼ばれてしまったようです。申し訳ないのですが、お願いしてもよろしいですか?」

 祥華は本当にすまなそうに春樹を見やった。

「俺にできることなら、なんでもするよ。ちなみに、何をお願いしたかったの?」

 だから、春樹がこんなふうに安請け合いしてしまったのは、祥華を案じてのことだった。彼女が美少女であることや、過去の自分や親友を重ねたことも関係ないとまでは言わないが。心底、助力を厭う気は無いのだ。

「ありがとうございます!私の中から一人を選んでほしいのです」

 それが伝わったのか、祥華はニコッと笑って要望を伝える。簡潔に伝えられたはずが、イマイチ何を言われたのか分からず、春樹は間の抜けた声を上げることになった。

「……ん?えっと、どういうこと?もうちょっと詳しく聞いていい?」

「ここは私の心の中のようなものなので、私が3人います。その中からひとりを選んで外に連れ出してほしいのです。本当は責任を持っておじいさまに選んでいただきたかったのですが、そうもいかなくなってしまいましたので。どうかよろしくおねがいします」

 祥華はなんでもないことのように言って、微笑みかけた。春樹はどうも嫌な予感がくすぐられて、眉をひそめる。

「それって選ばれなかった2人はどうなるの?」

 思いのほか低い声が出た。

「誰を選んでも私が祥華であることに変わりありませんから、大丈夫ですよ。ちょっと見えなくなるだけです。きっと」

 祥華は変わらぬ調子で答えるけれど、赤い目の中に暗い感情がある気がした。あまりに他人事でない事情のせいで、自分の気持ちを彼女に見たのかもしれない。それでも、表面通りに笑っているわけではないのは確かだろう。

「きっとかぁ。責任重大やな」

 当事者が笑う努力をしているのであれば、自分ばかり暗い顔をしているのは駄目だ。春樹はできる限り軽く言って、表情も緩める。どうしようもない雁字搦めの状況で、それでもと手を伸ばすことの困難も、取捨選択の苦しさも、身に覚えのあることだ。

 春樹を見て祥華も形ばかりでなく気を緩めた。このひとに任せることになったのは偶然で本意ではなかったが、そう悪くない偶然だったかもしれないと思ったのだ。彼なりに努力の上で最善を尽くしてくれるだろうと。だから、私のことを知ってもらいたい。

「2人とも良い子なんですよ。支えあってきましたから、良く知っています。これから先の2人を知ることが出来ないのは、それは、素晴らしいものに違いないから、残念ですけれど」

 祥華は思いをはせて逸れていた視線を春樹に戻す。真摯に向けられていた目と合った。

「見ず知らずのあなたに選択を押し付けてしまったことは申し訳ないですが、どうかよろしくおねがいします。どの私も素敵なひとであることは保証しますよ」

 春樹はしかと頷いて了承する。

「わかった。とりあえず、ほかの祥華ちゃんに会ってくるよ」

「はい、よろしくお伝えください」

 そう軽く挨拶をして、春樹は部屋を出た。

 これは、本当に責任重大だ。

 




金城祥華について

 お嬢様学校に通う、18歳の女子高生。文武両道、才色兼備。芸術分野でも幅広く功績を残している。人柄も品が良く朗らかで、非の打ち所がない美少女。あまりに高嶺の花なためか、特定の仲の良い人物が男女問わずいない。
 3歳のころ両親とともに事故にあい、1人だけ生き残った。事故の影響でそれ以前の記憶はないらしい。
 実際には――。
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