春樹はまず、はじめに気が付いた白い部屋まで戻ってきた。祥華は3人、プレートも3枚ならば、扉に掛けるプレートによって違う祥華に会える可能性が高いと考えたからだ。
一索{一索}のプレートを取り外し、一筒{一筒}のプレートに取り換える。
扉を開くと、白を基調にしたかわいらしい部屋が広がっていた。一瞬当てが外れたかと思うほど、ついさっき入った部屋と似ている。勉強机なんてそっくりそのままだが、異なる部分もある。窓とピアノが無く、観葉植物と画材と描きかけの絵が置かれていた。
同一人物の心の中ならそんなものか、と春樹は納得する。ましてや、同じ名前を名乗り、同一の存在だと認識している様子なのだから。
細部が異なるなら一番それが顕著に表れそうな部分から、ということで勉強机の前に立つ。チラと棚を確認したとき、飾られた写真が1枚だけ異なることに気が付いた。
残念ながら、さきほどの写真の詳細は覚えていないが、この1枚には、見覚えのある建物の前で祥華が遺影の中にいた人物と写っている。この男性が金城功であると認識すると、背後の建物が金城邸だと理解できた。写真を飾るくらいだから家族仲は悪くなかったのだろうか。そうだと良いと春樹は思う。なにか特殊な事情があったって、仲が悪い必要はないのだから。
改めて、机に向かう。その上にはやはり日記が置いてあった。進んで読みたいものではない。しかし、彼女らから一人を選ぶという任を負ったからには、読んでおいたほうが良いと思う。それに、なにか画期的な案が見つかれば「どちらか一人」以外の選択肢だってありえる。春樹は1冊目以上の意気込みで、2冊目の日記を手に取った。
~日記(一筒)~
・今年に入ってからの日記のようだ
・1日に1ページが割かれている
・木、日曜日にだけ記述があり、他の曜日は白紙になっている
・書いた人物は高校生のようで、木曜日は学校に通っている
・祖父と二人暮らしのようで、たびたび登場する「おじいさま」との関係は良好なようだ
・日曜日は家にいることが多いようだ
・なにか病気を患っているようで、症状か副作用かは分からないが、時折酷い眠気を感じるようだ
日記はどうやら3人の祥華が曜日ごとに持ち回りで書いているらしい。通してひとりのものとして読んだなら気づかないかもしれないが、こうして分けて読むと性格や趣向に違いが感じられる。この一筒の部屋にいる祥華は、さきほど会った一索の彼女より内向的なようだ。家の中の描写も多い。
気がかりなのは、病の気配があることだ。前の日記には怪我をしたと書かれていたし、実際の彼女の肉体はどんな状態なのだろう。日常生活に支障はないのか、辛い思いはしていないのか、心配だ。
しかし、帰らないことには如何ともしがたい。情報収集に戻ろうと引き出しに手を掛けるが、鍵が掛かっていて開かなかった。すっかり鍵のことを忘れていた。一索の部屋と対応しているなら、と絵が立てかけられている辺りを探す。
だが見つかるのは画材ばかりで、鍵らしきものは出てこない。違ったか、と首を傾げて何気なく絵を見る。キャンバスに描かれているのは男性のようだが、まだ途中なのか誰かが分かる状態ではない。この部屋の持ち主が描いているなら、祖父か好きなひとあたりだろうか、と手持ち無沙汰で喪服のポケットに手を入れる。指先が固いものに触れた。
取り出すと、一索の部屋の引き出しの鍵だ。うっかり持ってきてしまったらしい。春樹はふと思いついて、この部屋の引き出しに鍵を差し込んでみた。こうも似ているならもしかすると考えたのだが、案の定、鍵は開いた。
ここにもやはり手紙が入っていた。しかし、明らかに異なるのは、中身の便箋が下半分ほど燃え焦げてしまっていることだ。
~祥華の手紙(一筒)~
金城功様
親愛なるおじいさま、この手紙は私からおじいさまへのラブレターです。私のこの恋をなかったものとして扱うのであれば、ここで読むのをやめてください。
けれどもし、少しでもお認めくださるのであれば、どうかこの祥華の気持ちを知ってください。
おじいさまに思いを返していただけるとは思っておりません。ただ、知っていて欲しい。それが望みです。
おじいさま、お慕いしております。
おじいさまの孫として目が覚めたあの日から、空っぽの私に愛を注いでくださった。
それが、家族としての情であると私はもちろん知っています。あまりに温かく眩しくて、私はいつしかおじいさまに同じものを返したいと思っていました。
けれど、大切に抱えて育てていた私の気持ちは、おじいさまにいただいたものとはどうしたって違う色をしていて、(以下は焼失している)
春樹は読み終わった手紙をそっと元通りに直し、頭を抱える。状況を鑑みて女子高生のプライベートに踏み入る覚悟はしたが、予想以上に反応に困るものが出てきてしまった。実の祖父、それも故人への恋心は、恋愛経験の乏しい男子大学生の手に余る。誰かを好きになる気持ちを否定はしたくないが、倫理的に肯定してよいものとも思えない。だが、これも踏まえて、春樹が彼女らを選ぶ立場になってしまったのだ。
しばらくその場で頭を悩ませていたが、悩んだとて解決するものでもないかと顔を上げる。今はまだ足を止めて考え込むよりまえにやることがいくらでもある。先送りにできるものはしておけばよい。どっちみち後で悩まなければいけないのだし、と。
会ってみれば分かることもあるだろう。このまま気もそぞろに部屋を探し回るよりは、奥の部屋にいるはずの本人と話してみよう。
扉を開けた先、一索のそれと瓜二つのベッドには、やはりというべきか少女が眠っていた。春樹が見るかぎり、さきほど会った祥華と見分けはつかない。
彼女らはそれぞれ「金城祥華」の別人格なのだろうか。多重人格にしては、やけに似ているのに違和感がある。もっと別人としてあるのが自然なような気がして、しかし、これは極めて特異な経験則でもあり、春樹には判断がつかない。そもそも、普通や常識が通用する状況とも思えない。結局、彼女らの語ることをもって判断するほかないのだ。
「祥華ちゃん、起きて」
肩を揺らすと、少女が目覚めた。半身を起こし、春樹に視点を定めると、「おはようございます」と鈴を転がすような声で口にする。白いワンピースも、黒い髪も、声だって見紛うほど似た中で、その瞳の色だけが違っている。黄色の目がまだ眠そうに瞬いていた。
春樹はその強迫的なまでにそっくりなカタチの中、揃わない色や表情こそが本質の気がした。違いを探してしまうからこそ、なのかもしれないが。
「うん、おはよう祥華ちゃん。俺は相馬春樹です。君の遠い親戚です」
相変わらずの端的な自己紹介を、こちらの祥華は事もなげに受け取って、穏やかに微笑んだ。
「あら、そうなんですね。はじめまして、で合っていますよね?他の私にはもうお会いしたようですけど」
「わかるんだ」
祥華はひとつ頷いて、片目を閉じた。あたかも閉じた目で見えないものを見ているようだ。
「こういう空間ですから、ある程度は。厳密に私の心の中とは違うみたいですけど」
パチリと瞬いて両目を春樹に向ける。春樹はベッドの上の彼女と視線を合わせながら、首を傾げた。
「あれ、違うん?」
「普通の女の子にこんな不思議空間をつくる能力はないですよ?」
「それはそうやわ……」
3人が現実には同一人物なら、心の中にいるのはおかしくないのかもしれないが、部外者の春樹がいるのはおかしい。他人がこうやって入っているのだから、何らかの形で在る空間なのだろう。おそらく。
春樹は考えているうちによく分からなくなってきたので、ここはどこなのか、は置いておく。重要ではあるかもしれないが、知ったところでどうこうできるものでもないだろうし。彼女らを知るために話そうと思った。
「君たち3人の中から1人を選んで欲しいって言われたけど、君は選ぶのが俺でいいの?」
一索の祥華にはああ言われたものの、今こうして別に存在している以上は目の前の彼女にも確認を取るべきだろう。実際にはそうするしかないとしても、意思は確認したい。
「はい、異存ありません。私、本当に誰が選ばれてもいいと思っているんです。だからこそ、自分では決められなかったんですけどね」
その言葉には嘘偽りどころか、裏表や含みも感じられなかった。春樹はそれを苦々しく思う。目の前にいる誰にも生きることを諦めてほしくないからだ。しかし、これを訴えかけても困らせてしまうだけだろうとも分かっている。
「そっかぁ……。ちなみにどう選んだらいいか迷ってるんだけど」
だから内心に留める。少し顔には出てしまったかもしれないけれど。
別の悩みごとを取り出して尋ねてみると、祥華は首を傾げて顎に手を当てる。
「うーん、そうですね……。私の決別のきっかけは違うひとを好きになったことなので、その話でもしましょうか?得意なことも少しずつ違うのでそこから選んでいただいてもいいですよ」
春樹は提供された話題にドキリとしつつ、祥華が思ったより軽く言ったことに胸をなでおろす。聞いちゃいけないことではないらしい。
「そうなんだ。じゃあ、好きな人の話聞こうかな」
正直、気にはなっていたのだ。祥華は顔色を明るくして話し始める。
「はい!私の好きな人は、私のことをとても慈しんでくださる方なんです。頂いた愛情を返したいとずっと思っていたのですが、気付くと好きになっていました。あの方はきっと驚くでしょうね」
「そっかぁ、ほんとに好きなんだね」
悪戯っぽく笑う祥華に、悲しみや苦悩は感じられない。無いわけではないだろう。それでも、彼女にとって恋をしたことは悪いことではなかったようだ。
「実は、手紙読んじゃって、ごめんね……」
自身の罪悪感や、その行為自体の是非はともかくとして、聞いてもよいと春樹は判断した。傷を抉るようなことにはならないだろう、と。
「あら、いけないひとですね。乙女のプライバシーを何だと思っているのですか!……なんて、冗談ですよ」
ふざけて出した高い声に、春樹が本気で血の気の引いた顔をしたものだから、祥華は慌てて笑ってごまかした。この状況で、ましてや無関係なことに巻き込まれた立場で、そんなこと真剣に気にしていると思わなかったのだ。しかし、申し訳ないけれど、ここにいるのが彼でよかった。
「私、相馬さんには知って選んで頂きたいのが本音なんです。不要な重荷を背負わせてしまうかもしれませんが、お許しくださいね?」
こうして偶然巻き込まれた彼が、私と真剣に向き合ってくれるひとだったのは得難い幸運だ。不幸中の幸いではあるけれど、この不幸はきっと起こるべくして起こったことだったとも思う。だからこそ、この幸運を逃すまいと、祥華は人が好いのを知って意地悪な言い方をした。
彼は知らなくてもよいことだけど、祥華は知っていて欲しかったのだ。
「おじいさまのことを男性としてお慕いしています。あの方にそのようなつもりがないことは間違いないです。もういないことも、分かってはいます。けれど、恋してしまったんです。誤魔化しようがないほどに」
祥華の凛とした声に、春樹はそっか、と短く頷いた。何か言えるだけの含蓄を持っていなかったこともある。しかしそれ以上に、彼女は慰めも同情も欲していなかったから、それ以上の言葉はいらなかった。
「手紙の後半が燃えて無くなってたんだけど、やっぱり渡すのが怖くなった?」
それでも恐々と問いかける春樹に、祥華はまた少し笑って首を振る。
「いえ、そういうわけでは。私、ちゃんと覚悟してたんですよ。けど、伝える前にこんなことになってしまったので……。きっと、燃やすのが相応しい手紙だったのでしょう。月へ送る手紙は燃やすものでしょう?」
春樹もまた言葉少なに頷いた。彼女なりに答えを持って前を向いているのであれば、今はひとまず良い。やっと人心地つけた気がした。
これ以上は踏み入るものでもないかと、ほかに気になったことも質問する。彼女は予想以上に素直に話してくれるようであるし。
「そういえば、祥華ちゃんって病気だったりするの?」
「あ、さては日記も見ましたね!」
積極的に隠そうとしてはいなかったが、墓穴を掘ってしまった。
「はい、そうです……ごめんなさい……」
頬を膨らませる祥華に、春樹は萎れて頭を下げた。
「もう、いいですけど。許します。病気といっても少し眠いだけなんです。だから大丈夫ですよ」
形ばかり怒っていただけの祥華はすぐに表情を変えて、困ったように笑う。春樹にはそれがごまかしに見え、眉を寄せる。
「病院にはいった?」
「行ってないんですよね。行かなきゃだめですか?」
「行かなきゃだめです」
「はい……」
咎められた祥華はしゅんとして頷いた。春樹は眦を下げて言う。
「ここから出たら行こうね」
「そうですね、それもいいかも」
「約束だね」
「相馬さん、実はなかなかひどいひとですね?」
驚きに目を開いて苦い顔をする祥華に、春樹は何も答えなかった。
安易に生きろと言うことが彼女を無駄に苦しませるとしても、どうしたってその達観を看過できない。彼女がひどいと感じるなら、きっとその通りなのだろう。それでも諦めてほしくないと思ってしまうのが相馬春樹だった。
金城祥華(一筒)について
3人の祥華のうちの1人。最もひとの心情を察するのが上手く、対人関係の調整をしている。金城と過ごす時間が最も長かった。芸術分野では描画が得意。比較的、おっとりしていて落ち着いた性格。