3人の祥華に会った春樹は、一索の部屋、一番はじめに会った彼女の元に戻ってきていた。しかし、何か答えや解決策を持ってきたわけではない。ただ、彼女とはろくに会話もしていなかったのを思い出しただけだ。
「また来ちゃった」
「はい、いらっしゃいませ。お茶もお出しできませんが、大歓迎ですよ」
軽い口調に申し訳なさを滲ませる春樹は、祥華に朗らかに出迎えられる。ありがとう、と言いつつ肩の力を抜いて、改めて向かい合う。
「君とはあんまり話してなかったと思って」
「そうですね、何が聞きたいですか?」
「じゃあまずは、君の好きな人について」
「私の好きなひとですか?」
祥華は驚きに2、3度瞬いて、そっと手元に視線を落とした。落ち着きなく指を絡ませながら唇を湿らせる。
「とっても優しいひとなんですよ。昔からお世話になっているピアノの先生で、少し歳の差はありますけれど、そんなの気にならないくらい、かっこいい方なんです。私、昔から先生に褒められるのが大好きでした。……こうして改めて話すと、ちょっと恥ずかしいですね」
「すごく好きなんだね。告白はしないの?」
思わず朱が滲む頬をあげると、春樹は柔らかい声に似合わないほど真面目な顔をしていた。そこにからかうような色はなく、ただ目の前の少女に真摯に向き合おうとしているのだろう。祥華はそれがこそばゆいけれど嬉しく、また、少し申し訳なかった。無関係で、巻き込まれただけのこのひとは、私が求めた以上の重荷まで背負おうとしてくれている。
だからせめて、私もできるだけ偽ることなく応えたいと祥華は思う。
「私、誰が好きなのかひとりに決めるまで迂闊なことはできませんからね。それに、先生、実はご結婚されたんです。奥さまにもお会いしました。優しそうな方でした……。それでも、この気持ちをなかったことには出来ません。だって、好きになってしまったんですもの」
祥華が気丈に笑う。春樹は、そっか、とだけ相槌を打ち、肯定も否定も、励ましも慰めもしなかった。なにか言えるだけの含蓄を持ちえなかったこともあるし、彼女に求められてもいないだろうと思ったのだ。ただ聞いて、覚えておくに徹し、祥華もそれを言外に喜んだ。
「君の得意なことってピアノ?」
恋や倫理について意見を持たないなりに、その周辺の経験や努力まで一緒くたに評価するのは勿体なく感じられて、あと単純に興味でもって、春樹は問うた。
祥華は面映ゆくなりつつも、つまらない謙遜で厚意を無駄にするような真似もできず、胸を張ってみせる。確かに、先生に恋したことや現状と、今まで身に着けた技術は、関連はあってもイコールではない。自身の努力とその成果に瑕疵はないのだ。
「はい、ピアノはちょっと自信があります。あと、実は自己流で体を鍛えているのですが、可愛くないので秘密ですよ」
可愛らしく力こぶを作って見せると、春樹も笑った。
「じゃあ右足の怪我ってそれのせい?」
ふと日記の内容を思い出して、布団の中にしまわれた脚を見やる。目の前の祥華には日記を無断で読んだことを告げていなかったと忘れていたが、ふたりして違和感を持つこともなかった。
「これは、実はちょっと去年不審者に狙われてしまって。その時のものです」
「え、不審者?大丈夫だったの?」
「はい、なんとか。私は元気ですし、犯人も捕まりましたよ」
「犯人って包丁持ってたりした?」
「……しましたね」
それはおそらく、窓の外に見たあの人物だろうと春樹は直感した。苦笑している祥華の陰に、僅かに震える手で隠れるようにシーツを握るのを見つけ、もどかしさに細く息を吐く。
心に焼き付くほどの恐怖であるのだろうに、覆い隠してしまう仕草があまりに手慣れていた。覚えのあるそれに眉を寄せる。なにが彼女をそうさせるのか、よく知っているとは言い難い。しかし、見ないふりはいつまでも続けられるものじゃないのは知っている。秘めた真実も、膿んだ傷も、いつか首を絞めに来る。あるいはそれが、今なのかもしれない。
なんとかしたくて、けれどあまりに無力だ。
「……不審者にはどこであったの?」
「学校からの帰り道です。待ち伏せされていたみたいで」
「知ってる人だった?」
「知らない人でした」
春樹はそこまで聞いて、そっか、と、ほとんど吐息のように相槌を打った。この事件が現状と直接的には関わっていないだろうと判断したのだ。だというのに、心身ともに受けた傷に触れるのは躊躇われた。
「いろいろ聞けて良かったよ」
自身よりよほど痛そうな顔を緩めて微笑んだ春樹に、祥華も知らず込めていた手の力を抜く。
「いえ、私こそお話しできて楽しかったです」
「ありがとう、またピアノ聴かせてね」
当たり前のようになされる次の話に、祥華は思わず笑った。なんとも罪作りなひとだ。叶えられない可能性の高い約束を強いることに、こうも戸惑いがない。その自分本位な優しさが嬉しくて、少し痛い。
「わかりました、いいですよ。……相馬さん、誰にでもそんなふうにしてたらいつか刺されちゃうんですからね?」
「なんで!?」
「ふふっ、気を付けてください!」
「えぇ、ありがとう?」
本当に自覚がないのかなんなのか、怪訝そうな面持ちに祥華はまた声をあげて笑った。
春樹は納得がいかないものの、祥華が楽しそうなのでひとまずよしとした。さてこのあとはどうするかな、と思考を巡らせようとしたところで、視界の端で天蓋の薄絹が揺れる。パチリとひとつ瞬いて、そういえばこのベッドはまだ調べていないなと思い立つ。この特殊な状況下で、調べ過ぎということはない。いつまでも居座るのはまずいにしても、手は尽くすべきだ。問題は、少女のベッドを目の前で漁る状況である。
突然、黙り込んで眉を寄せる春樹に、祥華は首を傾げる。春樹は不思議そうに見つめられているのに気が付いて、渋々口を開いた。黙っていたってどうにもならないのだ。
「すごく申し訳ないし気持ち悪いかもだけど、ベッドを少しみてもいいかな…?」
「いいですよ。厳密に私のベッドなわけでもないですし」
あまりに気まずそうで、なにを言われるのかと恐々と構えていたのだが、拍子抜けした。もちろん気分のそうよいものではないが、そんなこと言っていられる場合でもなし。そもそも、このほぼ心のうちといっていいような場所に彼がいる時点で今更だった。
「ほんとごめん、ありがとう」
未だ難しい顔をしている春樹に笑って、祥華は素足を何でできているのかも分からない真っ白な床に下した。一目では分からない程度に右足を庇いながら立ち上がる。取り繕うことばかり上手くなる人生だった。それを嫌だと思ったことはない。「祥華」は「私」が好きだ、愛していると言ってもいい。それでも、続けてはいけないことも分かっていた。
春樹は躊躇いを見せていたわりに、よどみない手つきでベッドを探る。本人は認めたがらないが、間違いなく手慣れてきていた。頼むからなにかあってくれと願うような気持ちで枕を持ち上げたとき、シーツとは違う光沢のある白いものを見つけた。
「あった……!」
手に取ってみるとそれは割れた白いプレートだった。扉に掛けた麻雀牌柄のそれを1/3くらいに割ったようなプレートだ。側面の溝も同じようにある。なにも描かれていないが「白{白}」だとすればこれも牌のひとつであるし、同じものと見てよさそうだ。とすると、ほかに破片がありそうなものだが、ここにはもう見当たらない。怪しいのは同じく調べていないほかの祥華のベッドだろう。
「あら、ぜんぜん気付きませんでした」
祥華が春樹の手元を見て声をあげる。そこにはなんの含みもなく、本当に欠片も気付いていなかったようだ。
「寝心地悪くなかったの?」
「気づかなかったくらいですから。ぐっすりでしたよ?」
「寝ることはいいことだよね」
「そうですね」
気の抜けるような会話をし、春樹はもう一度、謝罪と感謝をして部屋をあとにした。ともかく、ほかの破片を探してみよう、と。
金城祥華(一索)について
3人の祥華のうちの1人。最も身体能力が高く、自分たちの身分が公にできるものではないことを知っていたため、自己流で戦闘能力も身に着けた。外出、中でも遠出の機会が一番多い。芸術分野は音楽担当、ピアノが得意。比較的、明るく活発で素直な性格。