きみにサチあれ   作:三月ウーナン

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きみにサチあれ

 向こう側になにがあり、誰がいるのか、すでによく分かっている。だというのにこうも緊張するのは初めてかもしれない、と春樹は思った。未知に対する警戒とは違う、今から自分のなすことと、その結果がもたらすものに対する重圧は、足取りを重くする。

 それでも、春樹は笑顔で扉を開けた。きっと彼女はそのほうが嬉しいだろうと思ったのだ。

「3度目ましてですね。そろそろ決まりましたか?」

 真っ白な部屋の中で唯一色のある少女が、赤い瞳を瞬かせる。

「……うん、決めたよ。一緒に行こう?」

 声が震えなかったのは奇跡だった。この選択の意味を、春樹はよく分かっているつもりだ。この際、彼女らの実在や血縁すらなかったことはそう重要ではない。選ばれたひとりが生き残って、そうでないふたりは失われる。そして生き残ったひとりは、埋められない空白と、自分が大切なひとの犠牲と献身のうえにある事実を、抱えていくのだ。これに関しては、自他の境界が曖昧な祥華より、経験者の春樹のほうがよほど理解していた。

 春樹は自分を生かした親友を恨んだことこそ一度もないが、辛くなかったとは、辛くないとは嘘でも言えない。今、前を向いて歩いていられるとしても、穴が埋まったわけではないし、埋めたいとも思えない。タイムカプセルをひとりで掘り返し、泣き方を忘れて声も上げられないままくずおれた日から、本質的には変わっていない。それでも人間は笑えるようになることもまた、知っていた。

 だから、祥華がひとりだけでも生かしたいと願うなら、叶えようと思ったのだ。あの悪趣味な手紙を読んで、全員を助けるすべはないと悟った。あれを書いた者は決して、救ってくれるような存在ではないし、この世界はそう優しくはできていない。はじめに提示された以上を望むなら、その分なにかが犠牲になる。そしてその負債は、祥華が背負うことになるのだろう。だからこれ以上は、自分の叶えられなかった望みを代替えにして叶えたいだけの独りよがりだ。それだけは、してはいけない。

「私で、いいのですか?」

 ほとんど吐息のような声だった。祥華たち(・・)は、本当に3人のうち誰が選ばれてもよいと思っていた。ずっと3人で金城祥華で、それが当たり前で、みんな私だった。だから本当にたったひとりになったとしても、ひとりは生きられるなら決定的に失われるのではない。それで良いと決めたのだ。しかし、そのひとりを決めるには彼女らはあまりに平等で、互いを愛しすぎていた。そして、全員がどこかで、自分以外の私が選ばれるだろうと思っていた。赤い瞳の彼女はとくに、ほかの自分を守ろうという意識が強かったため、自らが犠牲になることに躊躇いがなかった。

 だからこそ、彼女は動揺したし、春樹は彼女を選んだ。

「いろいろ考えて、分からなくなって……。でも、1番最初に思ったのは君だったから」

 春樹がふたりを見殺しにしてでもひとりを連れ出そうと決意したとき、しかし、そのひとりを選ぶだけのなにかは持ちえなかった。今だって叶うなら全員に生きていて欲しい。死んでもいいと思えるひとなんていなかった。ましてや、自分よりまだ若いような少女だ。それでも、選ばなくてはならない。祥華らが唯一自分に求めたことなのだから。

 そして悩んで、最初に浮かんだのが彼女だった。大きな理由があるわけじゃない。自分にとって初めて会った祥華であったことがひとつ。3人から選べと言うくせに自分が生き残ろうとは思っていなさそうところが、どこかのだれかを思い出してつい生きていて欲しいと思ってしまったことがひとつ。たったそれだけの、個人的な感傷でしかないような理由。けれど、それで良いと思った。本来は当たり前に生きていくべき少女たちだ。その中からひとりを選ばなければならないなら、理由は自分勝手なくらいで良い。失われるひとに、それが当然だったと言い訳をするような真似はしたくない。春樹なりの誠実さだった。

 どこか痛々しいまでに張り詰めた様子の春樹を見て、祥華はやっとその選択を受け入れた。分かりましたと返事をして、ベッドから降り立ち向かい合う。握りしめられた左手に向かって右手を伸ばす。

「手を繋いでもらえませんか?」

「うん、いいよ」

 自信なげな少女の手を取ったとき、春樹はふと包丁の鈍い輝きと掴み損ねた親友の手が脳裏を過った。状況があまりにも違うし、彼女をあいつの代わりにする気は微塵もない。それでも、誰かの手を取ってここを出て行けることが少し嬉しかった。口元が僅かに綻んだが、繋いだ手にばかり気を取られていた祥華は気が付かない。

「ありがとうございます。……行きましょうか」

 祥華はぎゅっと手に力を籠める。少し震えているのには気付かれないように願った。

 喪服に合わせた革靴と少女の素足がバラバラに床を叩く。祥華にも見覚えがあるものが置かれた部屋を越えて、春樹に手を引かれて木製の扉を出る。

 すると、春樹にとって見慣れたはずの白い部屋に変化があった。今いる場所から部屋の向かいにあった白い扉が開いている。扉の向こうは強く光っており、眩しくて何も見えない。しかし、帰り道に違いないだろうと直感した。

 春樹は声を掛けようと繋いだ先に目を遣って、言葉を失った。白いワンピースが黒いワンピースに、赤い瞳も日本人に馴染み深い黒に、いつのまにか変わっているのだ。当の彼女は、静かに光の先を見据えている。

「私、今、胸がいっぱいで。自分でも嬉しいのか、悲しいのか、不安なのか、期待しているのか、分からないんです。全部合っている気もするし、違う気もします。けれど、」

 こぼれるように話す祥華は空いている手を軽く握りながら、自分の気持ちを探す。先生を思った、亡き祖父を思った、そしてなにより、この場所に置いていく2人のことを思った。明確に言葉にできるのは、彼女ら(わたし)のことを惜しく思うそれだけだ。それだけは確かだった。

「これからはひとりで生きていかなくちゃいけないんだって、やっと実感があって。少し、寂しいです」

 困ったように眉を下げて春樹に微笑みかける。その笑みが今まで見た表情より少し大人びてみえる。春樹はこの子はきっと大丈夫だと漠然と思った。祥華たちをただの重荷にしてしまうことなく歩いて行けるだろう、と。それになにも、独りきりになるわけじゃない。

「ずっと3人でやってきたんだもんね。でも大丈夫だって!俺もいるし、それに君の好きな人も、力になってくれるよ」

 祥華は驚きに瞬いたあと、にっこり笑った。

「はい!頼りにしてますね」

 手を握り直して、深呼吸をする。手の震えはいつの間にか止まっている。

 春樹はその祥華の様子を見て、手を引いて歩き出した。眩しくて目も開けていられないような光の中をある程度進んだところで、ふと瞼の裏に感じられる光が弱まったのを感じた。

 目を開くと、春樹は自宅の玄関に立っていた。ひとりで暮らすには広く感じる見慣れた部屋だ。上がってテレビをつければ、ちょうどニュースキャスターが時間を告げる。葬儀の日の翌日の朝のようだった。至っていつも通りの中で喪服のままの恰好だけが異常だった。

 戻って来たんだなと実感しつつも、なにもない手のひらを見る。繋いでいた手の先が気がかりだ。

 ぼんやり考え込んでいると、不意にインターホンが鳴り響いた。

 

 

 それは、朝露に濡れた華が産声を上げて笑う、はじまりの日のこと。

 




これにて終幕です。ありがとうございました!
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