練習が始まった9時から既に時計の長針は2周していた。
その間、外をランニングしたり、各種基礎トレーニングやダンスの練習などが行われた。どれを取っても内容は濃く、それは美烏や葉月の予想通りであったが、結花凛たち4人はなんとか食らいついている。
だだっ広い練習場に結花凛と夕輝の汗が、ポツリとこぼれ落ちた。
「すごいね、あなた達。1年生なのに、まさか全部ついてくるなんて。特にそこのメガネかけてた子とカッコいい子。中学の頃、なにかやってたの?」
「あはは、まあちょっと……」
結花凛と夕輝に比べて、まだ余裕を残している美烏と葉月。葉月は毅然とした振る舞いを一貫していて、美烏は目の前のりくに少し気圧されている印象だった。
それもそのはず、練習をする土宮女学院の生徒らの雰囲気は普段メディアで展開されているそれとは逸脱していたのだ。
練習中常に、土宮女学院の生徒らは互いに叱咤しあっていた。体育会系の運動部も顔負けの迫力ある声出しには、元地下アイドルの美烏も流石に度肝を抜かれた様子を見せていた。
常に真剣勝負の真っ只中。下の者はなんとか這いあがろうと努力をし、また上の者も追いつかれまいと奮闘する。メディアとのギャップに加え、芸能界の裏を彷彿とさせるその構図に美烏は辟易とする。
歯切れの悪い美烏の返事に対して、もともとそこまで興味はなかったのか、りくはこれ以上踏み込むことはなかった。
そして、りくは続けて疲労困憊の結花凛と夕輝に「頑張ってるね」、と拍手を送り、賛辞を述べる。少し毒舌続きだったが、その声色は穏やかなものだった。
しかし、その表情を見ると笑っているのは口元だけだということがわかる。それを横目にして――美烏の湿った、ため息は春の風にさらわれて掻き消えた。
「美烏のこと、ミュウミュだとは気づいてないみたいだね」
荒れた息で夕輝は美烏に耳打ちする。そもそも地下アイドルであるクルール×フルールのことなど知っているのかは定かではないが、りくの視点から見て美烏は、ただのアイドル好きの女の子、といった印象になっているだろう。
「イイのよ別に。売り出しきれなかった元地下アイドルなんてそんなものよ」
小声でそう返す美烏。疲れのせいか、それとも精神的にこたえいるのか、少し不貞腐れた顔でそんな風に言い捨てていた。
憧れの存在が、自分のよく知るアイドルの負の面を強く持っていたことに相当なショックを受けたのだろうか。身近になると、普段見えない見たくなもない部分も見えてきてしまう。
「次は通し練をするんだけど、せっかくだし
実際の楽曲に合わせてパフォーマンスをする通し練習。どうやら、
そう言われた結花凛たちは練習場の隅に体育座りで並んで座り、土宮女学院の生徒たちの準備を待つ。
「ひゃ〜、キッツいわ! 久しぶりだよこの感覚。練習始めたての頃を思い出すね」
「美烏ちゃんと葉月ちゃんは、まだ余裕そうだね」
「そうでもないさ。ランニングやトレーニングならまだしも、ダンスは正直厳しいかな」
周りに結花凛たちしかいなくなったからか、葉月はため息を吐いて砕けた表情を見せた。そんな葉月のフランクな顔が珍しかったのか、結花凛と夕輝は声を揃えて、おお〜、という。
「ボクはね。ボクであり続けるために演じているだけなんだよ」
「……葉月?」
そんな葉月の声色が少し寂しげに聞こえたのか美烏は心配そうに葉月の顔を隣から覗き込んだ。
「おっと、気にしないでおくれ。それよりも、ミウは流石だね。アイドルとしての能力は彼女らにも負けていないんじゃないかい?」
「さあ、どうでしょうね。体だけ出来上がっても仕方ないわ。実のところ私、ああいうのあんまり好きじゃないのよね。アイドルとしての生存競争?ってやつ……」
立場が逆転するように今度は葉月が美烏を見守る。
「クルフルでやってた時からそう。桜や杏子は人気や売れることを気にしてたみたいだけど、私はアイドルとして活動していること、ただそれだけが楽しくて、実際そんなことどうでもよかったのよね」
スクールアイドルに憧れて、幼い頃に自らその世界の一端へ足を踏み入れた美烏はただそれだけで満足だったと、向上心が足りていなかったと、そう語る。
「そう考えたら私ってアイドル向いてないのかしら……」
「なにを言ってるんだい? ミウにはミウの良さがあるじゃないか。キミが楽しめば、見ている人も同じく楽しい気持ちになれる。そうやって活動して来たんじゃないのかい?」
優しく諭すように葉月は滑らかな言葉を並べていく。それを聞く美烏の瞳は揺れていて、ジッと葉月の顔を見つめていた。
「自信をなくしちゃいけないよ。ステージに立つキミの姿は間違いなく輝いている、ボクが保証するよ。そして、そんなミウを見るからこそ、ファンは楽しめるんだ。他の誰が、どんな風に活動していようと、ボクたちにはボクたちのやり方がある。そうだろ?」
葉月の問いかけに美烏は静かに頷く。
「それに、そんなに弱気になっていたら、また夕輝にドヤされてしまうよ。過去の自分の発言を思い出せ!ってね」
そう言って爽やかに笑う葉月に美烏は笑顔を返した。まるで、空にかかっていた雲が晴れたかのような快晴の笑顔。不安定になっていた美烏のメンタルに回復の兆しが見てとれた。
「そうね。ありがと葉月」
「どういたしまして」
互いに目と目を合わせて2人は笑い合う。
すると練習場の大きな2つのスピーカーからアップテンポな音楽が流れた。
「あ! 始まるみたいだよ‼︎」
結花凛のそんな声もあり、視線を土宮の生徒達に向ける。
練習場を大きく使い、結花凛たちを正面に見立てて7人の少女たちは配置についていた。そして、流れる曲に合わせてしなやかな四肢を使いこなし、妖艶でキレのあるダンスを披露する。
松原りくをセンターに、多種多様なメンバーが揃っている。その全員がかなり高レベルのパフォーマンスを披露しており、結花凛たちの同じ1年生である竹下淳未も負けじと、存在感を放っていた。
「すっご! あのセンターのりくって人、歌メッチャ上手いんじゃん?」
腹の底から響き渡るりくの歌声は練習場全域を激しく震わせていた。その歌の迫力とアクロバティックなダンスの連携攻撃には、見る目を休める暇がない。
「りっくのお父さんは有名なロックバンドのボーカルなのよ。昔から、そんな父親に憧れて歌の練習をしてきたらしいわ」
美烏から説明を受けた夕輝はその後、そのロックバンドのバンド名を聞いて、それアタシでも知ってるやつじゃん!、と声を漏らす。日頃からあまり音楽に興味のなさそうな夕輝が知っている、と言うのだからかなりメジャーな存在らしい。
「これが強豪校の実力か……すごい迫力だね」
「ええ、こんなに近くで見ると尚更ね。動きの切り返し、指先の見せ方、学ぶところは沢山あるわ」
色々と踏ん切りがついたせいか美烏はファンモードから脱却し、同じアイドルの目線で冷静にそう分析する。いい意味で目の前のパフォーマンスに釘付けになっている美烏を、頼もしそうに微笑みながら葉月は隣で見守っていた。
「ダンスだけじゃないわね。歌も全員が自分の声色を理解して、1人1人の歌声が、りっくを中心に調和している」
「でも……」
「ええ」
葉月の相槌に美烏は賛同の声を返す。
「「ウチのセンターだって負けてない」」
多大な期待を向けられているなどつゆにも知らず、目の前のパフォーマンスに目を奪われ、はしゃいでいる結花凛を見ながら、2人は声を揃えてそう言った。
あの時の、常軌を逸した結花凛の歌声に魅せられた2人は肌からそう感じ取ったのだろう。今でこそ、まだ自分の歌声を使いこなせていない結花凛だが、彼女がもつ不思議な魅力を葉月と美烏はよく知っていた。
そして、パフォーマンスは大詰めに差し掛かり、
その静寂には圧巻のパフォーマンスによる余韻と彼女達の荒い息だけが残っていた。そこに結花凛は臆することなく全力の拍手を送る。
「ふう、ざっとこんな感じかな?」
結花凛を筆頭に見ていた人全員の拍手を受けながら、りくたち7人はやり切った清々しい笑顔を見せていた。
「せっかくだし若ノ芽の皆さんに感想でも聞いてみようかな? 今のパフォーマンスを見て、正直な意見を聞かせて欲しいの。今後、私たちのいい刺激になると思うから。忌憚のない意見を聞かせてちょうだい」
そう言われて緊張の糸を張る夕輝に対して、真っ先に手を挙げたのはやはり結花凛であった。ハイ! ハイ! ハイ!、と元気に自分をアピールする。
「スっごくカッコよかったです! ダンスがシュバババ〜ってどこ見たらイイか分かんないし、歌も迫力があって胸がジンジンしました‼︎」
中身のないそんな感想に
「あ、アタシもスゴイなって思いました。特にダンスはキレが段違いで、もっと頑張らないとなって思いました」
どさくさに紛れて右手を上げながら夕輝は無難な感想を口にする。そして、続いて葉月が口を開いた。
「ボクも他の2人と似たような意見かな。その中でも特に表情管理がスゴイと思ったよ。アレだけ激しい振り付けをこなしながら、全員笑顔を保ってたんだからね。並の演技力じゃできない芸当だよ」
少し生意気な口調だったが、そういうキャラなのだろう、と穏やかな表情のまま聞いている。キャラ作りなど、その辺の事情にはかなり寛容なようだ。
「みんな意見ありがとう。あとは、そこのメガネの子、美烏ちゃんだっけ?」
「はい」
長考を見せていた美烏にりくは直々に名指する。
そんな美烏に心底心配そうな瞳を向けていたのは他でもない夕輝である。また、なにかよからぬことでも口走るのではないかと、気が気でない様子だった。
「こんなに近くでパフォーマンスを見させていただいて、たくさん勉強になりました。どこを切り抜いても見栄えする構成力には流石伝統校としか言えません」
丁寧な言葉遣いで無難な感想を口にした美烏に夕輝は胸を撫で下ろす。そして、若ノ芽の全員が各々の意見を口にし終えたと判断したりくは息を吸い、締の言葉を口にしようとした。
しかし、全員の予想を裏切ってそれを遮ったのは美烏の次の一言であった。
「でも、間奏部分のフォーメーションチェンジの際に少しもたつきを感じました。3カウント目のバックステップの部分です。ステップを踏んでから後ろに下がるときに露骨に後ろを確認しているのが、他がズバ抜けて良い分、顕著でもったいないなと思いました」
他の3人に比べて濃密な意見を口にする美烏。それを聞く
「やはり、あそこは正面を向いたままの方が見栄えがいいと思います。それが無理なら、そもそものフォーメーションに手を加えたらどうでしょうか」
「ちょっと美烏、なにバカ真面目に批評してんの?」
臆することなく自分の意見を言いきった美烏に慌てて夕輝が苦言をていする。
「だって、忌憚のない意見をって……」
「にしたって遠慮ってもんがあんでしょうが。生意気にも程があるんじゃん?」
美烏のバカマジメさが裏目に出てしまった、と夕輝は必死に場の空気をどうにかしようとあたふたしていた。しかし、その状況を収めたのは夕輝が心配を向ける張本人、
「いいのよ。これこそ意見交流の醍醐味なんだから。それにしても――」
そう言ってりくは値踏みするようなネットリとした視線を美烏に送った。
「あなた、中々いい目を持ってるわね。あなたが指摘したのは、ちょうど私たちが課題にしている部分よ。あなたの意見、大切にさせてもらうわね」
またもや口元だけの笑顔でりくはそう締めくくる。そして――
「さあ、今度はあなた達のパフォーマンスを見せてもらおうかな? 私、MVを見た時からすごく気になってたのよ。1年生だけのグループでアレだけ出来るなら、追々ライバルになるかもってね」
あえて、追々の部分を強調してりくは結花凛たちにそう告げる。そんな高圧的な態度にいっそうの緊張感が張り巡らされた。しかし、結花凛はそんなことを微塵も気にしていない様子で夕輝たち3人に笑顔を向ける。
「みんな! 頑張ろうね‼︎」
その笑顔が3人の緊張を解すように広がっていった。そして、メガネを外した美烏の指示のもとパフォーマンスの準備へと取り掛かる。
結花凛たちが披露するのはMVの曲にも採用されて、スプリングフェスにもこの曲で参加する予定のオリジナルソング。結花凛たちのファーストソングであり、今披露できる唯一のオリジナル楽曲であった。
結花凛をセンターに据え、配置についた4人。夕輝は一度大きく深呼吸をする。そして準備の整った4人は結花凛の合図でパフォーマンスを開始した。
「聞いてください【僕らの灯】」
※
約4分間の楽曲を結花凛たちは踊りきった。
練習場には全力を出しきった後の結花凛たちの荒い息の音が鮮明に残っていた。
「いやあ、すごかったよ」
りくを筆頭に土宮女学院の生徒達は結花凛たちに拍手を送っている。そんな結果に結花凛は晴々しい笑顔を見せていた。
「じゃあ、意見交流として私も感想を言ってもいいかな?」
「はい、お願いします」
りくのそんな問いかけに対して、代表として美烏が矢面に立って対応する。それは後ろの3人を守るかのような動きだった。
「うん、じゃあ言うね。私は1年生のこの時期にしては、かなりまとまったいいパフォーマンスだったと思ったよ」
幸先のいい滑り出しに、結花凛と夕輝は表情を綻ばす。
「でも、課題は多いかな。ダンスの見せ方とか全体のまとまりとか、その辺は時間と日々の努力が解決してくれる。けど、大きな課題としてパフォーマンスに華が足りてなかったと思う」
なんの躊躇いもなく、りくはそんなことを口にする。それは平坦としたトーンで言われているとは思えないほど鋭い言葉の羅列であった。
「パフォーマンスの方向性とでも言うのかしら? ビジュアルで言うなら葉月ちゃん、パフォーマンスで言うなら美烏ちゃん、夕輝ちゃんもまだ動きは荒いけどキレのあるいいダンスだったと思うわ。結花凛ちゃん、なぜあなたがセンターなのかしら?」
「え?」
真正面からそう問われて、結花凛は言葉を紡ぎ出せずに硬直する。
「センターは、そのチームの顔よ。誰が立つかで、パフォーマンスの色だって変わってくる。多少、歌が上手いのは理解できたわ。でも、その歌にはムラがある。所詮はちょっと上手い素人止まり、専門的なテクニックも使えていない。せっかく他に秀でた人がいるんだから、別の人に任せてみたらどうかしら? 今のパフォーマンス、私にはあなたたちが何を押し出したいのかが分からなかった」
結花凛に対するりくの評価に、美烏と葉月は沈黙を貫きながらも悔しそうな顔をしていた。それもそのはず、結花凛本来の歌声はまだまだ、こんなものではないということを2人は知っているからだ。
だか、りくが言うこともまた、正しいということを同時に2人は感じていた。理想は見えているが、現実は追いついてきてはいない。何かを掴めればあの時の力が発揮できるはず。そう言ってまだ、結花凛は何も掴めずにいるのが現状なのだ。
「私からは以上よ」
りくからの厳しい評価に並んで、他の生徒たちも4人のパフォーマンスに意見を述べる。そのどれもが的確で、現状の結花凛たちのイタイところをついてくるような発言だった。
葉月は言われた内容を頭の中で整理しながら、徐に夕輝の方へと視線を送る。
比較的、沸点の低い夕輝だが冷静に現状を噛み締めているようすだった。そんな夕輝は葉月の視線に気がついたのか、そっと近づいて耳打ちする。
「ここでこれをバネにできるか……だよね葉月?」
「心配いらないようだね」
一通りの批評会が終了し、りくは手を叩いて注目を集めた。
「それじゃあ、午前の練習はこれで終わりにするわね。午後は14時半から行うので、各自昼食を取るように」
そう指示を出して、午前の練習は幕を閉じた。
肉体面でも精神面でも、かなりの負担を負った結花凛たちは、ぐったりとした様子で練習場の床に座り込むのであった。