番外編 だってタピりたいんだもん! ③
野外に設営されているイベントの本部テント。大きなテントの下には長机やパイプ椅子が並べられており、救急箱や仮設ベットなど緊急時の備えも見てとれた。
しかし、これだけの賑わいを見せているにもかかわらず本部テントにはスタッフの1人もいないようすである。立派な本部が、虚しく無人を語っていた。
「なんで⁉︎」
素直に驚きの声をあげたのは結花凛である。その右手には迷子の女の子、麗音の小さな手が握られており、驚きつつも麗音を視界に入れるなり結花凛は堂々と笑顔を作った。
「本当に、どうして誰もいないのかしらね?」
「ね、おかしいよ」
この状況は想定外だった、と目を見合わせて頭を悩ませる結花凛と美烏。ん〜、と喉を唸らせる時間が数秒続く。そして、最初に提案を口にしたのは美烏の方であった。
「私がスタッフの人を探してくるわ。結花凛は麗音ちゃんとここに残ってて、お母さんが本部テントにくる可能性もあるでしょうし」
「うん! 分かったよ‼︎」
適材適所、麗音の心を掴んでいる結花凛を残して、自分は足を働かせた方がいい。そう美烏は判断したのだろう。
さっそく言葉の通り、美烏は小走りにこの場を後にした。美烏がスタッフの人を探しに出て行ってから、結花凛と麗音はテント内にあったパイプ椅子に腰をかける。
「心配しなくても大丈夫だからね。すぐお母さんに会えるから!」
「うん」
結花凛の言葉に対して素直に頷く麗音であったが、その表情にはやはり不安気な色合いが見え隠れしている。
「れおんちゃんのお母さんって、どんな人?」
「お母さん? お母さんはね〜、かっこよくて〜、お店屋さんのお仕事頑張ってて〜、でも休みの日は遊びに連れてってくれるよ!」
満面の笑みで答える純粋無垢な少女を見て、自然と結花凛の表情も緩んでいた。
「そっか〜! すごいね‼︎」
「ゆかりお姉ちゃんのお母さんは、どんな人?」
「私のお母さんもすっごく優しいよ!」
穏やかな表情で鼻から息を吸い、リラックスしたようすで結花凛は続ける。
「私、昔1年半くらい入院してて、長いこと孤独な病院生活が続いててさ。すっごく寂しかったんだけど、毎日お母さんが会いに来てくれてたんだ」
結花凛はゆったりと、重く深刻な内容をそう悟らせない声色で語っていた。
「いっぱい迷惑かけたけど、いつも笑いかけてくれるお母さんが大好きで、不思議と私も嬉しくなっちゃって。あ〜、私もこんな風にいつも誰かに笑顔を伝えられる人になりたいな〜、って思ったの!」
「ゆかりお姉ちゃん、どこか体が悪かったの?」
小さな子供には結花凛の身の上話よりも、1年半入院していた、という事実の方が印象に残ったようで、無垢な瞳でそう問いかける。
「ううん、私は今も昔も健康だよ! 入院したときは事故で怪我しちゃって、とても動ける状態じゃなかったから仕方なく入院してたらしいんだ‼︎」
そういうと結花凛は立ち上がった。そして、比較的開けたスペースまで行く。
「でも、見て――」
そう言うと結花凛は簡単なダンスのステップから、少し複雑なダンスのステップまで、アイドルらしい動きを披露してみせた。
「今では完全に治って、ダンスだってできちゃうよ‼︎」
「わ〜‼︎ すご〜い!」
「でしょ!」
何度目か、2人は目を見合わせて大きな声を出して笑う。そして、結花凛がパイプ椅子に腰を戻して一息をついたところで、美烏がテントへと戻って来た。
「あ! 美烏ちゃん‼︎ 早かったね!」
「ええ、だいたいスタッフがいそうな場所の目星はついていたから」
そう自信に満ち溢れた声色言う美烏であったが、不思議なことにその近くには例のスタッフの姿は見当たらない。結花凛が不思議そうにしていると、美烏は聞かれるまでもなく事情を説明しだした。
「どうやら、本ステージの方で転落事故があったみたい。結構トラブルになっちゃってるみたいで、ほとんどのスタッフがそっちに人員を裂かれちゃってるらしいのよ」
「え! そうなの⁉︎」
「なんとか迷子のアナウンスをしてもらうよう頼んだんだけど、今は手が離せないから後にしてくれって……」
「後って、どのくらい?」
「観客のパニックをおさめたり、救急車の対応に追われたりで、あの様子なら1時間以上は覚悟しといた方がよさそうかもしれないわ……」
どうしようもない状況に直面し、2人は沈黙に飲み込まれる。
「ねえ、お母さんに会えないの?」
そんな空気は麗音にまで浸透して、不安な気持ちを誘発させた。少女の潤んだ瞳と下がった眉が全てを物語っている。
「ごめんなさい……私も最善を尽くしたんだけど、まだ時間がかかりそうで……」
実直に、真面目に、目の前の少女に謝罪する。そういった誠意の精神は褒めてあげたいが、こと5歳の少女に対しては嘘でも励ましの言葉をかけるべきだった。美烏の、その謝罪は悪手であった。
美烏の謝罪は麗音の不安を確定させ、彼女の瞳に大粒の涙を浮かび上がらせる。そして、数秒後には年相応に大きな声でその悲しみを撒き散らした。
「ど、どうしたらいいのかしら……」
おどおど、と状況の収集に困る美烏は結花凛に助けを求める瞳を向ける。それに呼応して、結花凛は頷いた。
「れおんちゃ〜ん。大丈夫! お姉ちゃんが今、別の方法考えてるから‼︎」
麗音の頭を撫でながら声をかける結花凛だったが、今の麗音は一向に落ち着かないようすである。
麗音の大きな泣き声は、やがてテントの外へまで広がって、不審な目を向ける大人の姿もチラホラと散見できた。
「どうしたら……」
美烏が声を震わせて、そうこぼしたその時、結花凛はゆっくりと息を吸い込んだ。そして、それを吐き出すと彼女の瞳は一本芯の通った奥行きがあるものへと変わっており、覚悟のようなものを感じさせる。なぜか、彼女の雰囲気がいつもとは何かが違うと、そう感じさせられた。
結花凛は泣き喚く麗音を両腕に抱き抱えて、そのままそれを美烏へと受け渡す。
「え?」
麗音を渡された困惑する美烏であったが、そんなことはおかまいなしに結花凛は麗音と目線を合わせた。
「大丈夫。いいこと思いついたから、後は私に任せておいて」
その口調は普段の結花凛とは比べ物にならないほど落ち着いていて、熱をも感じる温もりが込められている。それを言う彼女の眼光も凛々しく、その雰囲気はこの場の空気をフワッと変えてしまいそうな圧が感じられた。
「行くよ、美烏ちゃん」
そう促しながら結花凛は本部テントから一歩、先に足を踏み出す。そして、迷うことなくどこかへ向かって歩き始めた。
「ちょ、行くってどこに⁉︎」
慌てて後を追う美烏であったがズンズンと進んでいく結花凛の足取りは早く、追いつこうにも麗音を抱えた状態では出せるスピードにも限界があり、その背中を遠目に視認し続けるのが精一杯であった。
※
「ここは……」
結花凛の後を追って美烏と麗音がやって来たのは本ステージからある程度離れたところに設置された特設ステージだった。
美烏がそこへ到着した時にはすでに結花凛の姿は消えていて、慌ててあたりを見渡すが完全に足取りを見失ってしまう。
「さあ! カラオケバトル予選大会後半戦にして飛び入り参加の挑戦者が来てくれましたあ‼︎ ステージの上に来てくれたのは今年、高校に進学したばかりのピチピチの1年生‼︎」
響き渡るエコーに乗せてやって来たその声に、美烏は視線を奪われた。
イベントのTシャツに身を包んだ大学生くらいの歳のお姉さんがハンドマイクを片手に、元気いっぱいな雰囲気で進行を進めている。そして――
「春野結花凛ちゃんで〜す!」
「結花凛⁉︎」
ステージの上に現れたのは結花凛であった。右手にはマイクが握られており、いつも見せるような元気いっぱいの笑顔――ではなく、いたって真剣でキリリとした瞳を見せている。
「さあ、結花凛ちゃん。自信の程はどうですか?」
「……」
お姉さんにマイクを向けられて質問される結花凛であったが、返答することなく沈黙を貫いていた。
「何を歌ってくれるのかな?」
「……」
しかし、何も答えない。
現在、本ステージのイベントが事故により一時中断していることもあってか多くの人が特設ステージの前に集まって来ていた。中にはステージ付近にまで行くことはないが、他に見るものもないし聞こえる位置から注目しておこう、そう考えている観客も少なくないだろう。
そんな大勢の人たちが、ステージの上で沈黙を貫き異質なオーラを見せている結花凛に対して、ざわつき始める。
「結花凛お姉ちゃん?」
様々な声が客席からあがり、不審な空気は徐々に広がっていた。それを察知したのか、いつのまにか泣くことを忘れていた麗音がステージの上の結花凛を心配そうに見つめている。
「え〜っと……結花凛ちゃん?」
司会進行のお姉さんにも心配された結花凛は動いたと思えば、ゆっくりと右手に持ったマイクを口に近づけた。そして更にゆっくりと、それでいて大きく結花凛は息を吸う。それはまるで空気を吸い込む音が聞こえてくるかのようで、見ていた人たちの感覚を一身に集めた。
――空気が変わる。
小学生の頃、担任の先生に叱られて教室内の空気がヒリついたことがあるだろう。ゾワゾワとした緊張感。その際なぜだが動けなくて、動きたくなくて、体が固まった経験をしたことはあるだろうか。
それに似た現象が美烏の体を襲っていた。春の暖かな風が後ろからやって来て、そんな美烏の髪の毛を前へとなびかせる。しかし、彼女は動かない。
空気の変わり目と結花凛の動きから何かを察したであろうスタッフの手腕により巨大なスピーカーからカラオケの音源が流れ出す。そして次の瞬間、それに合わせて少女はその歌声を充分に振るった。
――ファーストインパクトは"潤い"であった。
楽曲はSuperflyの『Beautiful』。誰もが一度は耳にしたことがあるであろう有名なイントロに客の期待と注目は集まっていた。そして、見た目に裏切られたかのようなその歌声に衝撃を受けるのだった。
しっとりとした入りだが、厚みのある歌声は鼓膜の奥の体の内側から、渇きを癒していくような充実感を味わせる。そして、期待を高めに高め順調な流れサビへと突入した瞬間――セカンドインパクトは巻き起こる。
大太鼓の皮のように分厚い空気の膜を揺らし、ステージから巻き起こる逆風は美烏の髪の毛を後ろへとなびかせた。
固まっていた体の感覚はやがて小刻みに震え出し、心地のいい鳥肌と、沸々とした血の熱が全身を巡りゆく。いつのまにか美烏は本人も気づかぬうちに、興奮からか強く拳を握り込んでいた。
「すごい――やっぱり、結花凛って……」
目を輝かせながら、こぼすようにそう呟く。圧感したようすで、美烏はそう言うしか出来なかった。今まであった様々な感情を捨て置いて、この時だけは心を揺らしている。
曲が終盤に差し掛かろうとしていたとき、会場には不思議な一体感が生まれていた。多くの人が同じ感情を抱き、共通する対象を見つめている。その現象が生み出す力が確かにそこにはあった。
最後の1フレーズを歌いきり、徐々に静かになる伴奏を抜けて、会場には拍手の嵐が巻き起こる。
拍手をしながら結花凛の方へと近づいてくるのは司会進行のお姉さん。さっそくマイクを口に近づけて小粋なコメントを残そうと動くが、その前に結花凛が口を開いた。
「迷子の女の子を保護しています。5歳の女の子です。名前は若木麗音ちゃん。服装はピンク色をした、キャラクターもののTシャツに赤いスカートを履いています。保護者の方、迷子の子供を探している人にお心当たりがある方、本部テントまでお越しください。ご協力、お願いします」
最後まで真剣にそう言いきると、結花凛は深々と頭を下げる。そして、今度こそと何かを言おうとしたお姉さんを無視してゆっくりとステージの上を横断した。
自分の考えには忠実に、自由奔放に突き進むタイプ。同じ言葉が当てはまるが、普段の結花凛とは行動がまるで違う。
「ふう」
一息ついた〜、と言わんばかりの腑抜けた声を鳴らしながらステージ下の美烏たちがいるところまで結花凛はやってきていた。
「れおんちゃん! これでもう安心だよ‼︎ 多くの人に聞こえたはずだから、きっとお母さんが迎えに来てくれるよ!」
「うん! ありがとう、結花凛お姉ちゃん‼︎」
すっかり笑顔を取り戻した麗音と数分ぶりの再会を果たし、結花凛も満面の笑みを浮かべる。そして、2人が顔を見合わせて笑い合う光景を美烏はもう何度もその目に収めていた。
「よし、じゃあ本部テントに戻ろっか!」
「って、結花凛⁉︎ 戻るって言っても、ここの状況はどうするつもりなの? 司会のお姉さん困ってるわよ!」
「大丈夫だよ! 私がいなくなっても棄権になるだけだろうしそもそも、れおんちゃんのお母さんを探すのが目的なんだから、早く本部テントに戻らないと‼︎」
様々な観点から結花凛を心配していた美烏であったが、何者にも囚われんとするその立ち住まいを前に、美烏はため息を吐く。
「ほんと……臆さないというか、あなた大物ね……」
「褒めてくれてるの?」
「呆れてるのよ。一周回ってね」
そう言って2人は麗音を連れて本部テントの方へと戻っていった。
※
結花凛たちが本部テントに帰って来て数分間がたった頃。1人の女性が本部テントに現れる。歳は30代前半くらいで、髪の毛が赤と紫の2色に初められている派手な女性だった。顔に大量の汗を浮かべていて、相当焦り走り回っていたのだろうと予想がつく。
「麗音!」
「お母さん‼︎」
現れた女性を麗音は、お母さんと呼んだ。再開を果たした親子は優しく抱きしめ合う。
「って、店長さん⁉︎」
それを見ていた美烏が驚きの声をあげた。そんな声に反応して麗音の母親が美烏を見る。すると、驚いたように大きく目を見開いた。
「美烏ちゃん⁉︎ 美烏ちゃんが麗音を保護してくれてたの?」
「知り合いなの? 美烏ちゃん」
「ええ、私がずっとお世話になっているライブハウスの店長さんよ。お子さんがいたんですね」
美烏がソロでアイドル活動をしている拠点とも呼べるライブハウス。結花凛も夕輝や葉月らと一度足を踏み入れたことがある、その場所の店長だという。
「そうなの。麗音を保護してくれてありがとね」
「いえ、私はそんな。率先して動いていたのは結花凛の方ですので」
「そうなのね。アナタもありがとう。さっきの歌、すっごいシビれたよ」
「はい!」
「私はこの辺でライブハウスを経営してるから、何か困ったことがあったらいつでも相談しに来なよ?」
結花凛に対して
「そういえば2人は、今日は誰が目的で来たの? 音楽祭なんだからライブ見に来たんでしょ? 事故で中断されちゃってるのは残念だよね」
「あ、私たちはその……ついでにフラっと立ち寄ったと言いますか……」
「ん?」
「私たち! タピりたかったんです‼︎」
高らかに宣言する結花凛の言葉を聞いて、若木は表情にクエスチョンマークを浮かべた。それを見ていた美烏は、そりゃそうなるわよ、といいたげにため息を吐いて、2人の間に割って入る。
「結花凛がまだ、タピオカを飲んだことないって話で、私たちはタピオカドリンクを飲みに来たんですけど……」
「どこのお店も閉まっちゃってて、結局まだ飲めてないんです‼︎」
「あー、確かにこの辺のタピオカ系やってる店は最近閑古鳥状態だったからね〜。最近どこも、ブームは去っちゃったからさ。わざわざ仕入れないんだよね」
予想はしていたが、本職の見解を聞いて結花凛は分かりやすく肩を落とした。そんな〜、と声を漏らす結花凛はしょぼくれていて、さっきまでの覇気はなくまるで萎れた花のようであった。
「私、友達と一緒にタピオカ飲みに行くのが、憧れだったのに〜」
「ははは、可愛いね〜。まったく素直で、美烏ちゃんもいい友達を持ったもんだ」
「は、はあ……」
しょぼくれた結花凛、なんと返したらいいか分からずに相槌を打った美烏。そんな2人を微笑ましそうに若木は眺めている。
「1つ提案なんだけどさ」
にやにやと柔く笑いながら若木は2人の注目を集めた。
「どっかのバカ経営者が、まだタピオカはいけるッショっつってライブハウスに大量に在庫余らせてるらしいんだけど、よかったら飲みにくる?」
「ホントに!いいんですか‼︎」
「う〜ん、いいよ! やっちゃうか、タピオカパーティー」
「やったぁ〜‼︎」
思いがけないところから、目的の品を手に入れた結花凛は両手を大きく上げて体いっぱいに喜びを表現する。それから、ライブハウスに行った結花凛は念願のタピオカを美烏と一緒に飲むことができた。
甘いミルクティーの中に浮かんだモチモチの黒い玉。結花凛はそれをモチャモチャさせながら美烏の横顔を眺めている。
「ん? どうかした?」
見られていることに気がついた美烏がそう尋ねるが、結花凛は首を横に振りただ笑っていた。
「ううん、なんでもないよ」
「そう」
長い入院生活によりブームこそ過ぎてしまったが、こうして胸の内で暖めてきた願望を満たすことができた。その喜びを結花凛は噛み締めるように、味わうのだった。