パフォーマンスを終えて、ステージの上から降りた結花凛たちは荒れた息のままステージ裏のテントの下へと帰ってきた。5人ともパイプ椅子に腰を下ろし、ハンドタオルで汗を拭ったり水分補給などを行っている。
そんなところに勢いよく走って来たのは有矢琴音であった。首から関係者用のカードをぶら下げて琴音は結花凛たちの元へとかけよる。
「美烏ちゃん! みなさん‼︎」
荒れた息から彼女の必死さが感じられ、ステージ上でトラブルに見舞われた結花凛たちを相当心配していたと見れた。
「琴音……」
やって来た琴音に、意気消沈気味の美烏がそう返す。ステージの上でこそ笑顔を保ち、元気に振る舞ってはいたがあのトラブルはかなり堪えたらしい。他のメンバーも同様で、エンシードの雰囲気はとても良いとは言い難かった。ライブという興奮状態からの解放がそれを加速させている。
「どうして……どうして、あそこであんなことが起きるわけ? それまでは何ともなかったんじゃん?」
「ユウキ……辛いのはボクも一緒さ。でも、起きてしまったことは仕方ない…………なんて、簡単には割り切れないよね」
分かりやすく怒りを口にする夕輝と、それを宥めようとするが断念して奥歯を噛み締める葉月。
「ふざけないでよ! アタシたち、この日のために頑張ったじゃん! なのに……なのに……」
夕輝の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。これまでの積み重ねが簡単に踏み躙られた夕輝の悔しさは、エンシードの全員が共感できるものであった。
美烏も下唇を噛み締めて、目尻に水を溜めている。
「ユっちゃん……ミーちゃん……」
涙を流す夕輝のそばにレナは寄り添っていた。美烏のそばには琴音が寄り添い、しばらくの間ただ静かな沈黙が流れる。その最中、葉月は結花凛の方に視線を送っていた。
夕輝や美烏と同様に結花凛も相当、辛い思いをしているのではないか、優しい葉月はそう心配に思ったのだろう。俯く結花凛の表情を葉月は覗き込む。
しかし、結花凛は笑っていた。まるでハイになっているかのように瞳孔を開いて一点を見つめている。いつものような元気溌剌な笑顔ではなく、その笑顔はどこか歪に見えた。
「ユ、ユカリ?」
様子を伺いながら葉月は結花凛に声をかける。すると、ピクリ、と動いて結花凛はいつもの雰囲気へと戻り葉月の顔に瞳を返した。
「あ、葉月ちゃん。どうかしたの?」
「いや、どうかしたというわけじゃないんだけどね。結花凛がまいっていないか心配になっただけだよ」
普段通りの結花凛に葉月は一瞬、表情を曇らせ唾を飲み込んだ。それから葉月もいつも通りの振る舞いで対応する。
「ありがとう、優しいね葉月ちゃんは。でも、私は大丈夫だよ。むしろ思いっきり歌えて、スッキリしてるかも」
周りの雰囲気に反して、結花凛はそう言って笑顔を見せた。それはいかにもミスマッチで、明らかに浮いた存在となっている。
他のメンバーも、流石にそんな結花凛のテンションにはついて行けていない。依然、悔しさに表情を歪ませる夕輝と美烏は、結花凛の顔を見れないでいた。
誰も結花凛の言葉に返事など出来ずに、ただ時間だけが過ぎていった。
※
夕輝と美烏がようやく落ち着きを取り戻してから数十分が経つ。それから美烏が代表して、フェスの運営に何が起こったのかを問い合わせに行った。
そして、返って来た答えは『分からない』、らしい。
スタッフの話によると音響機械が置かれたブースが気付けば水浸しになっていたのだとか。雨などは降っていないし、機材の周りに水が関連したものは見当たらない。とすれば、考えられる可能性は
そんな話をしていると公園のアナウンス用スピーカーからスプリングフェスの運営スタッフの声が流れてくる。
「皆様、大変申し訳ございません。本イベントは音響設備のトラブルにより例年のような閉会式が行えない状況にあります。この後、予定されていた表彰式とそのグループへのインタビューは後日インターネット配信で行わせていただきます」
ザワつく観客席。中にはもうイベントの終わりを察して帰路に着く人も見受けられた。
「それから投票の集計結果につきましては――」
ただのアナウンスかと思えば次の瞬間。運営スタッフは今回の優勝校を口にする。
「金賞、私立土宮女学院
それからアナウンスはイベント終了の挨拶を行なって締めくくられた。
スプリングリミテッド賞。金賞、銀賞の他に別投票で印象に残ったグループが決められる言わばMVPのようなもの。正規の投票では土宮と天音に及ばなかった結花凛たちだが、MVP投票では票を集めたらしい。
しかしそれは、お情けのような側面もあると考えられる。機材トラブルを受けてなおパフォーマンスをやり通した結花凛たちに投票しておこう、そんな意志を感じずにはいられない。
「……負けた」
夕輝がボソリと呟く。もし、機材トラブルが起きていなければ、勝敗は分からなかっただろう。エンシードが起こした盛り上がりは、決してイグニスコードにも劣ってはいなかった。それに、辛うじて声が聞こえる現地と違って配信では無音に近い惨状だった。頼みの綱だったインターネット票が思うように稼げなかったのはかなりの痛手である。
「もうやめましょう。終わったことを掘り返しても仕方がないわ。とりあえず本部テントには私が行ってくるわね」
そう言いすぐに行動に移した美烏。そんな美烏の背中に夕輝は待ったをかける。
「ねえ、土宮でしょ? どう考えてもアイツらが妨害したんじゃん?」
そんな夕輝の言葉に美烏は足を止めて向き合った。他のメンバーも夕輝に視線を集める。
「だって他に考えられないでしょ!」
夕輝が喚き散らしているとそこに1人の少女が、りくが狙ったかのように近づいて来た。
「私たちは違うわよ」
そう言って現れたりくに視線が集まる。ほとんどの視線が怒りや憎しみに染まっており、とてもりくの話を間に受けるつもりはないようだ。
「どの口が言ってんの? じゃあ、他に誰がやるって言うわけ?」
夕輝がりくに詰め寄っていく。それから今にも触れてしまいそうなほど顔を近づけて、夕輝はドスの効いた瞳でりくを睨みつけた。
「やっぱり、信じてはくれないようね」
やれやれ、といった形でりくはため息を吐く。それから真剣な顔つきになり、目の前まで近づいて来た夕輝を軽く突き放した。
後ろによろめく夕輝が再度、敵意剥き出しの表情をりくに向ける。
「今回の勝負。私たちの負けでいい」
次の瞬間、りくは思いもよらない発言をした。それを言うりくの表情はいたって真剣で、とても嘘や冗談を言っているような雰囲気ではない。
「どういうこと?」
夕輝よりも一歩冷静な美烏がりくに問い返す。金賞をとった土宮は名実共に勝者であることに違いはない。それを自ら放棄するりくの心情が美烏には理解できないようだ。
「文字通りの意味よ。有らぬ疑いをかけられるのもイヤだし、何よりアナタたちのパフォーマンス……いや結花凛ちゃんの歌は素晴らしかった」
潔く、りくはそう言うと笑みを浮かべる。確かに、りく本人が負けを認めるのなら、そもそも妨害行為などするはずもない。疑いの目は多少薄れるだろう。
「確かにアナタはセンターに相応しい。過去の発言を取り下げるわ。ごめんなさい」
そう言うと、りくは結花凛に向かって頭を下げた。
まだ、自分が妨害したことを悟らせないようにするためのカモフラージュ、そう考えることも出来なくはないが、真摯に頭を下げる彼女を前に、そんなことを口にするのは無粋である。
「じゃあ、誰が私たちの邪魔したっていうわけ?」
内に溜まった怒りの矛先を失い、夕輝は不服そうにそう口にした。美烏も葉月もレナも結花凛も、誰も思いつく人がおらず顔を歪ませている。そんな中、琴音だけが複雑そうな表情で小さく手を上げた。
「あの……美烏ちゃん。私、ずっと言わなくちゃって思ってて、でも本番が終わってからの方がいいと思って言えてなかったことがあるの……」
琴音は辛そうな表情で、そう打ち明ける。そんな琴音を不自然に思ったのか、美烏も真剣に向き合った。
「あのね。私、ここに来たときに桜ちゃんとすれ違ったかもしれないの……」
「桜と⁉︎」
迷子になったレナを連れて、元クルール×フルールのメンバー本藤桜はステージ裏のテントまで足を運んでいた。その帰りに、同じクルール×フルールの元メンバーの琴音とすれ違った。以降、その2人がなにか言葉を交わしたわけではないが、桜がスプリングフェスの会場にいたというのは事実である。
「うん。フードもかぶってて顔はよく見えなかったから、私の見間違えかもしれないけけど、あれは桜ちゃんだったと思う」
自信はなさげだが、一本芯の通った声で琴音は口にした。すると、そこにりくが口を挟んでくる。
「桜って、
そんなりくの証言で琴音の発言は信憑性を増した。そんな話を聞いていたレナが眉を潜ませて、何がブツブツと言っている。
「ロマネスク……桜……あ! さっくー先輩だ‼︎ 迷子になった私をここまで連れて来てくれた、さっくー先輩だよ」
突然、大きな声でそんなことを言うレナに一同驚きつつも目を向けた。しかも、ここに実際にあったと言うレナの発言から、桜がスプリングフェスの会場にいたことは確定する。
すると、美烏は分かりやすく顔を歪ませて、辛そうに奥歯を噛み締めた。
「じゃあなによ……桜がわざわざ私の邪魔をするために今日、ここに来てたってこと?」
落ち着いていた美烏の表情は再度、曇っていく。
「しかも、私だけならまだしも他のみんなにも迷惑をかけて……」
ポロポロと数滴の涙が美烏の瞳から零れ落ちた。過去に仲違いを起こした美烏と桜。そのことを知るエンシードのメンバーと琴音は親身に美烏の心に寄り添った表情を見せる。しかし、レナだけが少し不思議そうな表情を見せていた。
「え……でも。さっくー先輩、そんな風には――」
「ふざけないでッ‼︎」
流れる涙を拭き取って、美烏は怒りを露わにする。
「そんなに私が嫌いなの? 私のことが許せないなら、私に直接言いに来ればいいじゃない!」
珍しく声を大にして美烏は怒りをぶつけていた。数週間前、琴音との再会を果たし、エンシードという新たな仲間を得て美烏は1つ成長した。きっと、桜ともまた分かり合える、そう信じていた心が裏切られたのだ。美烏の悔しさも、計り知れない。
「みんなまで巻き込んで……絶対に許さない」
そう言うと美烏は歩き出す。慌てて夕輝と葉月が美烏を止めようとするが、そんなことお構いなしに美烏は歩を止めなかった。
「ちょ⁉︎ どこいくの美烏⁉︎」
「まだ、この辺にいるかもしれないでしょ。捕まえて、全部吐かせてやる」
足早に進んでいく美烏は、ものの数秒で人混みに消える。それを追いかけて夕輝も姿を消した。残された他のメンバーも、驚きつつも美烏を心配している様子である。
「ユカリ、レナ。とりあえず本部テントには代表としてボクが行っておくから美烏のことは任せてもいいかな? あんな状態で1人にさせてしまえば、何をしでかすか心配だ」
「うん、分かったよ、はーたん。」
そう言って各々が役目を果たすために散り散りになった。美烏は桜を追い、夕輝、レナ、結花凛、琴音はその美烏を追う。葉月とりくは賞をとった学校の代表者として本部テントへと向かった。
※
怒る美烏を探すためエンシードのメンバーは散り散りになった。会場にはまだ人がたくさんおり、そのなかから1人を探し出すのは骨が折れる作業である。
しかし、自分たちの大切な仲間を放ってはおけない、と結花凛も美烏を探していた。すると、そんな結花凛の背後から1人の少女が近づいてくる。
「やあ、結花凛くん。こんなところで、どうしたんだい?」
青峰若葉であった。結花凛たちの応援にと、スプリングフェスの会場に足を運んだ若ノ芽女学院の生徒会長その人である。
「あ、若葉先輩! 実は――」
若葉に気づいた結花凛はすがるようにして若葉に事情を説明した。そして、それを聞いた若葉は2回ほど、うんうんと頷いて、それからクスッと笑って見せた。
「じゃあなんだ。美烏くんは無実の元チームメイトを追いかけて怒っているのか」
「え……?」
「機材を水浸しにしたのは私だよ。私からのプレゼントはどうだった?」
サラッと告げられるその事実に、結花凛の頭はまだ追いついていないようである。表情を歪ませて、目の前の若葉をただ見つめることしかできないでいた。
「なぜ?って顔だね。まあ、当然か……」
そう言うと若葉は普段とあまり変わらない表情で結花凛に近づいていく。それから結花凛の肩に手を置いて重心を与えた。
「だってキミ、ピンチになると力が出せるんだろ? 自分で、そう言っていたじゃないか」
そう言う若葉の表情は、どこか不敵でニヤリとした笑みを見せている。そんな若葉に結花凛は依然、言葉を詰まらせているようだった。
「私はキミの化けの皮を剥ぎたかったんだ。今回、キミの歌を聴いて確信した。やはりキミは『
突然訳のわからないことを口にした若葉だったが、その様は堂々としている。訳がわからない、そう言った表情の結花凛を前に、おもしろそうに笑っていた。
「私が消えた天才を探している話は再三したな。その時、私は天才について、殆ど知らないと言っていたが、アレはウソなんだ。実は名前も知っていた」
そう言うと若葉は結花凛を睨みつける。
「春野結花凛。同姓同名のキミを見つけたときはギョッとしたよ。しかも、鳥肌が立つくらい歌が上手いときたもんだ。すぐに私は確信した。キミが消えた歌姫だとね」
そう宣言されるが、結花凛は何がなんなのかまだよく分かっていない様子である。それどころか、若葉のようすがおかしいことにまだ困惑していた。
「けど、キミは何度も否定した。そんなヤツは知らないと……そして、あまつさえもう1人の天才の話も否定した。アレは、私の妹のことだ」
「え?」
「私の妹は歌の天才だった。スクールでも将来有望と謳われるほどに……けどキミがいた。目の上のたん瘤とはまさにこのことだ。妹は打ちひしがれた。けど、それでも頑張ろうと前を向いていた。それなのに、キミは突如として姿を消した」
「でも、私はそんなことを知らない……」
「まだ言うのか……? キミは妹の目標だったんだ。いつの日かキミに勝ってみせる。そうやって頑張ってきたのにキミは裏切って姿を消した。妹は目標を失い、歌うことをやめてしまった」
「本当に私は知らないんです!」
熱情する若葉に結花凛は必死に否定を訴える。しかし、そんな結花凛を見る若葉の目はまるで汚物を見るようなものだった。
「じゃあなんだ? 記憶を失ったとでも言うのか? だったら私が思い出させてやる。何度だって化けの皮を剥いでやる。キミが認めるまで、何度でもだ!」
「え?――うぅ、ぐッ!」
若葉にそう怒鳴りつけられて、結花凛は突然うずくまる。それから両手で頭を押さえるようにして、頭痛を訴えた。
「ぐぅぅ、うっ! ああああああああ!」
頭を抑えながら結花凛は絶叫する。
「やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ……やめて!」
叫び、唸り、苦しみ、それから結花凛は逃げるように走り出した。
「っ! 待て‼︎」
結花凛は人混みをかける。人と人の間を、まるで糸を通すかのように抜けていき若葉から逃げた。そんな結花凛を追う影が1つ。それは次の瞬間、結花凛の腕をがっしりと捕まえた。
「ユカッ‼︎」
夕輝である。
夕輝は結花凛を捕まえると、そのまま自分の胸へと引き寄せて抱きしめた。
「どうしたのユカ⁉︎ なんか若葉先輩と話してたところは見えたけど……」
心配そうにそう声をかける夕輝。そんな夕輝を見上げるように結花凛は潤んだ瞳を向けて――それから口にする。それもついさっきまで取り乱していたことを忘れているかのように、平然としたトーンで。
「ねえ、ユウキちゃん。若葉先輩って……誰?」
瞬間、夕輝の顔は青ざめた。
純真無垢な結花凛の発言。結花凛のなかから、若葉という存在が綺麗さっぱり消えているようだった。
それから夕輝は強く結花凛を抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫だよユカ。私がなんとかするから、ユカは何も心配しなくていいから。思い出さなくてもいいんだよ。それでユカが苦しむのなら」
夕輝は言い聞かせるようにそう唱え、結花凛の頭を優しく撫でた。
夕輝には現状の結花凛状態が全て理解できるようだった。それは結花凛の核にある、ある重要な秘め事。ある夜空の下、夕輝が美烏にだけ共有した――
※
結局、美烏は桜と出会うことはなかった。そして、夕輝は依然変わりなく結花凛の変化を周りには隠蔽している。
若葉はというと、結花凛が夕輝と一緒にいることを確認して渋々といった表情で去っていった。そして、結花凛が若葉の存在を丸ごと忘れてしまったので、機材を水浸しにした犯人は未だに闇の中である。
なんとも歯切れの悪い締めくくりだが、結花凛たちエンシードはスプリングリミテッド賞という、ある種確かな実績だけを手にして、スプリングフェスは幕を下ろした。