第34話 もう戻せない
時は遡り、レナと初めて顔合わせをした日の夜。嘘をついていると詰め寄ってきた美烏に押し切られるようにして夕輝は己の内に秘めた隠し事を打ち明けた。
「ユカはね、記憶喪失なの。中学の頃、転落事故で頭を打って、それで記憶障害を起こしたわけ」
「え?」
「そんなユカと初めて病室で顔を合わせたとき私も絶句した。だって、雰囲気が全然違うんだもん。今でこそふわふわした感じのユカにも慣れてきたけどさ、ユカはもっと冷静というかカリスマ的でカッコいい感じだったんだよ」
夕輝は左下に視線を落としながら、思い出し思い出し辛そうに語る。
「それで言うとユカがスッゴい歌、歌うときあんじゃん? まさにアレが昔のユカなの。眼光が鋭くて、ギラギラしてて、それでいて才能に溢れてる。でも、今の本人は無意識らしいじゃん?」
そう語る夕輝の表情は遠い目をしていて悲し気な雰囲気を漂わせていた。それは、結花凛を見る夕輝が時折見せていた表情と一致している。初めて結花凛が学校内でその才能を発揮した際も、過去を思い出すような話題で会話をしているときも夕輝は同じような顔をしていたのだ。
「そんなユカだけどね。不思議なことに私のことは覚えてたんだ。他の友達のことも。ユカが失った記憶は自分のことだけだった」
それから夕輝は一度、深呼吸をした。それは何か更なる覚悟をするかのように。
「それともう1つ。レナのこと」
「レナの?」
「私とユカ、それとレナの3人は元々、幼馴染だったんだよ」
「え? でも、さっきは別々にって……」
言っていることが違う夕輝の発言に美烏は聞き返す。
「私と同様に病室でユカと対面したレナは相当焦ったみたいで、すぐにユカに対して昔の記憶を思い出させようとしたんだよ。するとユカ、すっごい苦しみ出してさ頭が痛いぃ、って言って混乱してた」
「……」
「それが治った頃にユカの中からレナの存在が消えてたんだ。病院の先生が言うには、今のユカって思い出したくない記憶に蓋をしてる状態らしいんだよね。それで、無理やり思い出そうとしたら、その出来事ごとその人のことも記憶から消すようになってるって……」
解離性健忘。強いストレスにより、自分のことが分からなくなる、いわゆる記憶喪失の症状である。結花凛はそれが強く発症しており、今もなお完治していないという。
「それでレナ、相当ショック受けちゃって……それで引きこもるようになったの」
「だから……」
全ての点が繋がった、と美烏は納得する。それでいて、あまりの衝撃に言葉を失っているようだった。
「絶対に口外しないでよ。アタシはアンタを信頼してるから話したの。その辺、美烏なら分別つけれるんじゃん?」
――その後、2人は約束事をして解散に至る。
※
スプリングフェスを終えて翌日。通常通りの日常が戻っていた。エンシードのメンバーは高校生としての生活を全うし、昼休みをむかえる。
そんな中、1人の少女が生徒会室の扉を叩いた。
「失礼します」
緋花夕輝である。
夕輝が部屋に入ると、そこにいたのは生徒会長の青峰若葉が1人だけ。入ってきた夕輝を細めた目で視界に入れる。
「なんだ、緋花くんか。どうしたんだ?」
いつも通りの雰囲気の若葉に対して、夕輝は返事をしないまま距離を詰めていった。そして、椅子に座る若葉の目の前まで行き、勢いよくその机に両手を乗せる。バンっ!、という音が鳴り、夕輝は鋭い瞳を若葉に向けた。
「ユカになにしたの?」
「……なんのことだ?」
「惚けないで! ユカの中からアンタの記憶が消えてた。アンタが何かしたんでしょ!」
「記憶が……?」
夕輝に怒鳴りつけられる若葉。しかし、そのことよりも記憶が消えていた、という文言に疑問を感じているようだった。
「本当にどういうことだ? 結花凛くんの中から私の記憶が消えていた?」
「は?」
話が噛み合わない2人は目を合わせて数秒間黙り込む。それから若葉が立ち上がると、部屋の脇にあるソファーの方に移動する。それから対面に夕輝が座るよう促した。
そして、一度咳払いをして、若葉は話の辻褄を合わせるよう提案するのだった――
「じゃあなんだ? 結花凛くんは本当に記憶喪失だとでもいうのか?」
「だから、さっきからそう言ってんじゃん。絶対、口外しないでよね」
イライラと貧乏ゆすりをする夕輝の前で、若葉はまいったと右手で両目を覆い隠す。
「じゃあ、結花凛くんのかわりに確認させてくれ。彼女は花園音楽教室にいた天才の歌姫、あの春野結花凛で間違いないか?」
「……うん。そうなんじゃん?」
渋々、もう隠すことでもないと判断したのか夕輝はそのことを認めた。それを聞いて再び若葉は目元を手で覆い隠す。念願叶って目当ての人物に辿り着いた若葉だったが、ある種それが別人だと気づかされた。若葉が会って文句の1つでも言ってやりたかった相手は、記憶の中の闇の部分に覆い隠されて消えてしまっているのだ。
「……原因はなんだ」
「転落事故だよ。頭を打ったの」
「ウソをつけ。昨日の結花凛くんは、とてもじゃないが異常だったぞ。事故以外に何かストレスになる原因があるはずだ。彼女は錯乱していた。何か他に原因があったんじゃないのか?」
「ウソじゃないって……ホントだよ」
問い詰められる夕輝は一瞬、その視線を若葉から逃した。そして、その一瞬を若葉は見逃さない。
「キミが教えないというなら結花凛くんに直接聞きにいくぞ?」
「は? 辞めてよ! そんなことしたら、またユカが苦しんじゃう‼︎」
「じゃあ、教えるんだ」
「それは……できない」
夕輝がそういうと若葉は勢いよく立ち上がった。それに目を見開いて気づいた夕輝はすぐさま立ち上がり若葉の前に立ち塞がる。
「もしまたユカに接触したら、その時は私がアンタをボコボコにする。アンタだけじゃない。その原因になった妹も、私は絶対許さない」
「何をバカなことを……退学どころか懲役も免れないぞ?」
「覚悟の上だけど?」
ひどく芯の通った強い瞳が若葉を突き刺していた。やけに説得力に溢れたその言葉は、彼女の悍ましい表情と怒りの込められた声色に起因している。
そして若葉は仕方なく、といった形でソファーに座り直す。それを見て夕輝も同じ行動をとった。
「どうやらキミと敵対するのは賢くない選択らしい。お互いのためにもな」
そう言うと若葉を机に両肘を置き顎の下で手を組んだ。
「だったら協力関係を結ぼうじゃないか。キミだって結花凛くんの記憶は戻って欲しいんじゃないのか?」
「それは……」
記憶を失った結花凛を、それでも結花凛だと認めて付き添い続ける選択をした夕輝。しかし、その心のどこかには昔の彼女を取り戻したい。そんな思いが見え隠れしていることを若葉は指摘した。
「だったら協力しよう。協力すると約束してくれれば記憶が戻るまでは、今後一切、私からは彼女に接触しないと約束する。どうせ忘れられているらしいしな。それに気の知れたキミなら適任だろ?」
そう言うと若葉は、どうだ?、と夕輝に問いかける。
「ユカに接触しないって言うなら……いいよ」
「よし。その代わりキミは彼女の記憶が戻るよう全力を尽くせよ。毎月私に報告をするんだ。何か必要なバックアップがあれば私が手を回す。キミが手を抜いていると判断したらこの約束はなかったことにさせてもらう。いいな」
「……分かった」
若葉に凄まれながら、夕輝は了解を出した。そして、もう用はない、と教室を出ようと立ち上がる。すると、そんな夕輝の背中に若葉は待ったをかけた。
「待て、緋花くん。ちょうどいい。ついでだ。コレを渡しておく」
そう言って若葉は夕輝に向かい、小指ほどの大きさをした何か金属製の物を投げ渡す。それを夕輝は慌てて受け取ると、手の平の上にあったものは何かの鍵であった。
「どの道、キミたちの誰かを呼び出して渡さなくてはならなかったんだ。学校がキミたちの実績を認めて空き教室を解放してくれた。掃除する必要はあるが部室として自由に使ってくれ」
「……ありがと」
素直に鍵を受け取ると、夕輝は今度こそ生徒会室を後にする。残された若葉は1人ソファーに座り、なんとも浮かない表情で俯いていた。
「なあ、
そう呟き、若葉は深くため息をついた。