お昼休みが終わり、午後の授業も最後の5時間目を迎えていた。設定された科目は総合で、近々行われる遠足の班決めを行う、そう結花凛たちは聞かされていた。
しかし、教室に入ってきた担任の女の先生は酷く険しい表情を浮かべている。まだ幼い小学3年生の結花凛たちでも、どこか空気が張り詰めていることくらい理解できた。
「今日はこの時間を使って本来なら遠足についての話し合いをする予定でした――」
する予定でした、そんな言葉の意図を読み取って、楽しみにしていた時間が失われてしまったことへの不満を一部の生徒は口々にする。すると、次の瞬間、担任の先生は教壇を激しく叩きつけた。
そんなただことではない状況にクラスの生徒らは動揺している。
「みなさん、教室にいてなにか変だなって思わなかったんですか?」
先生は悲しそうな表情でそう問いかけた。
そう、この先生が言う通り昼休みが終わり午後の授業が始まろうとしているのに教室には2つの空席があったのだ。その空席というのが、他でもない
「お昼休みに悲しい事件が起きてしまいました。遠足の話し合いよりも先に話し合わなければいけない、深刻な内容です」
先生はそう言うと教室の扉を開けた。そこには例の空席の2人が立っており招かれるように教壇の前に立つ。
「お昼休みに
先生がそう説明すると当然、教室はザワつき始めた。明らかに頬を腫らしたクラスメイトを前に現場の深刻さを理解したのだろう。
「このなかに心当たりのある人はいませんか?」
追い討ちにそんな質問をされ、生徒らは更にザワつき出す。身近な人間の顔を見たり、何か知ってるかを聞いてみたり、反応は人それぞれであった。しかし、先生の思惑に反して自分だ、と名乗り出る生徒は現れない。
少し待ったがそれは変わらず、先生は目を閉じ天を仰いだ。
「そうですか……では、質問を変えます」
スゥ、と息を大きく吸い込んで胸に手を置いてから先生は前置きの続きを口にする。
「緋花さん、心当たりはありませんか?」
多数への質問は姿を変えて一個人へと降り注いだ。そして、名指しを受けた本人は突然のことに呆気に取られている。それから数秒の間を空けて夕輝は勢いよく立ち上がった。
「知りません!」
「そうですか……でも、御伽林さんは緋花さんがやった、と言っていますよ?」
声を荒げて否定する夕輝に対して、先生はあくまでも冷静に上から言葉を押し付ける。
「ッ! そんなワケない!」
「隣のクラスの
「……グッ」
焦って声を荒げた夕輝であったがようやく合点がいったのか表情に変化が現れる。そう、御伽林に前園、原口の名前が揃ったということはその3人が口裏を合わせて自分を陥れようとしているということ。そんな気付きが夕輝のはらわたを煮え繰り返した。
「そんなこと言ったてアタシはやってない! 3人で口裏を合わせてアタシのせいにしようとしてるんでしょ‼︎」
その言葉を受けて先生は眉間にシワをよせる。それから数秒考えて何かを口にしようとした、その時――
「……私は……緋花さんに、殴られました。緋花さんは……去年、奏ちゃんを殴って…………どうしてそんなことしたのって……私が聞いて、謝るように言ったら…………殴られました」
ダリアが、そう証言したのだ。
それを聞いて夕輝は一瞬固まった。それからグッと食いしばるような表情を見せ、目一杯机を両手で叩きつける。ドガンッ、と激しい音が鳴り、それが引き金となってクラスメイトも夕輝によくない目を向け始めた。
「傷を負った彼女が、こう言っているんですよ?」
夕輝に対して先生は怒鳴るわけでもなく、そう嗜める。どうして自分の非を認めないのですか?、殴られた彼女の気持ちが分からないのですか?、そんな瞳が夕輝を襲う。
そして、矢継ぎ早に小声で夕輝を非難する会話がクラスに広まり始めた。
「だから……アタシはやってないんだって…………」
ここまで来ると流石の夕輝も勢いを失ってしまう。瞳には水面を浮かべ、手足は震えている。それでも夕輝は目の前にいる奏のことを睨んでいた。
「緋花さん、誰だって間違ってしまうことはあります。けれど、やってしまった罪には向き合わなくてはなりません。まずは謝りましょう」
先生はあくまで優しく、そう諭そうとしているが、その実それは逆効果で夕輝の怒りを助長させることに他ならない。
「だから、アタシはやってないんだって‼︎ なんかい言えば分かるの? なんで、誰も信じてくれないの!」
それは夕輝に残された最後の力を振り絞った抵抗だった。とうとう堪えていた防波堤も崩れ始め、夕輝は大粒の涙を流す。
そんな夕輝が教室を見渡して自分の味方を探そうしはじめた。教室をぐるっと見渡して自分を見ているクラスメイトらの顔を見る。
そのほとんどが夕輝の方を睨みつけたり、嫌なものを見る顔をしている、ふとクラスメイトの1人であるレナと目を合わせるが、目が合った瞬間レナはバッ、と視線を外し下を向いて固まってしまった。
夕輝を助けようとする人物は簡単には見当たらない。それも当然のことで、夕輝はこれまでクラスから距離を置き、誰とも関わろうとはしてこなかった。その根本にはクラスが夕輝を腫れ物にした、そんな背景もあるが、それでも歩み寄らなければ状況は、好転しない。夕輝はそれを怠ったのだ。
頼みの綱と、夕輝はすがるような顔で唯一自分に声をかけ続けていた変わり者の少女、春野結花凛に目を向けるが、そんな期待は裏切られた。結花凛は夕輝の方を見ていなかった。
他のクラスメイトがどんな目であろうと夕輝を見ていたのに対し、結花凛は夕輝ではなく別のところを見つめている。ジッと下を見て緊迫した表情のまま硬直したレナの方を結花凛は見ていたのだ。
「泣いたら許されるとでも思ってるの?」
どこからともなく、夕輝に対するそんな声が聞こえてきた。
「早く謝れよ」
「やっぱり暴力女だったんだ……」
コソコソと夕輝を揶揄する空気が教室に広がっていく。そんな言葉の暴力が夕輝へと集約し、その心を蝕んでいく。
とうとう夕輝は一つの決断を固めたらしい。それは逃げること。ここには自分の居場所がない。そんな思いを抱えるようにして夕輝は教室を飛び出した。
「緋花さん!」
先生が慌てて、呼び止める。
「逃げた……」
「何あれ?」
「ヤバすぎ」
口々に言葉が飛び交った。それももう遠慮する相手がいなくなり声も高らかに、その熱は増す一方である。
そんななか、1人の少女がバっ、と席を立ちあがる――結花凛である。教室の注目を一気に集めながら結花凛は廊下の方へと歩いていった。
「え? ゆかりちゃん、もしかして追いかけるつもり? 辞めときなよ」
結花凛と仲のいい女子生徒の1人がそんなことを口にする。結花凛が夕輝のことを気にかけ、声をかけ続けていたことをクラスのメンバーは知っていた。今回もその一端だろう。だが、今はやめた方がいい、そんな言葉が口々に飛び交った。
「なんで?」
結花凛はただ蛋白に、そう聞き返した。
「なんで、ってどう考えても今回悪いのは緋花さんでしょ? ゆかりちゃんがわざわざ気にかける必要ないって――」
「だから、なんで?」
「え?」
言葉に言葉を被せるように結花凛は追って問いただす。その語気はどこか力強く、その場の空気を静寂させるだけの力を孕んでいた。
「確かに今の話だけを聞いてると夕輝ちゃんが悪いのかも知れない。夕輝ちゃんが嘘をついてて、なんとか言い逃れしようとしているのかも知れない」
「ほら、やっぱりそうなんじゃ――」
「けど、夕輝ちゃんが悪いとか。そんなことは関係ないよ。どうしてみんなは涙を流す子に、よってたかって酷いことが言えるの? 悪いことした相手なら何を言ってもいいの? 私にはそれが分からないよ」
憐れむような悲しむような、そんな瞳を見せて全員を黙らせた後、結花凛は教室の扉に手をかける。
「春野さん! 追いかけるなら私が――」
「いいです。私が行きます」
先生の言葉も振り払い、結花凛は教室を後にした。
※
――アタシはいつだってそうだ。考えるより先に体が動いて、考えるより先に言ったらいけないことを口にしてる。どうしてこうなってしまったのだろう。
過去を振り返ると、やはり自分が人との間にトラブルの種を撒いているんだ、と後になって気付かされる。アタシもイケすかないアイツみたいに誰にでもヘラヘラと接することが出来たなら、そんなことを考えるから素直にアイツを認められない自分がいるんだろう。
教室を飛び出した後、巡り巡ってアタシは屋上に続く階段の影に留まっている。一度は学校を飛び出して、家に帰ろうとした、けど帰った時、何があったのか話を聞いて心配するママの顔を想像すると胸が締め付けられて出来なかった。
かと言って、いつまでもこんなところにいても何も問題は解決しないのに……
「何やってんだろ、アタシ」
そんなことを口にすると、また涙が溢れてきた。ポロポロと溢れ落ちる涙を拭いながら必死に止めようとするが叶わない。
悔しい。アイツらの思い通りに負けてしまったアタシが情けない。
「あ、やっぱりここにいた」
「――は?」
そんなことを言って、階段の影に隠れたアタシをソイツは覗き込んできた。そして、泣いてるアタシを気にもせずズケズケと近寄って隣に腰をおろす。
「なんで、ここにいるって分かったの?」
そんなことよりもなんで来たのか、やアタシのこと見捨てたじゃん、とか言うべきことはあるはずなのに、アタシはそんなことを聞いていた。
「んっとねぇ。夕輝ちゃんのこと見てたからかな」
「え?」
「私、結構視野広いんだよ? 今みんなが何してるのかなとか、誰か困ってる子はいないかな、とか思ってたら自然と見えてくるものがあるっていうか、夕輝ちゃんお昼休みとか、よくここに来てるでしょ?」
コイツの言うことは確かに正しい。教室に居場所がなくて、人気がないここによく足を運んでいた。
「……キモ」
「あはは……だよねー」
……また考える前に言葉が飛び出してしまった。酷いことを言ったはずなのに、コイツは変わらず笑っている。
「何しに来たの?」
アタシが立て続けに聞いたら、嬉しそうな顔をして更に距離を詰めてくる。太ももと太ももが触れ合って、コイツの温もりが伝わってきた。
「直球で言うと心配して、かな?」
「でも、教室では助けてくれなかったじゃん」
「そ、それはごめんね。私もちょっと思うところがあって考えてたっていうか、そこまで気が回らなかったっていうか、後になって何とかしなきゃって……遅かったよね」
慌ててそんな言葉を並べるコイツは、どこかいつもより人間らしかった。ずっとアタシには理解できない他人だと思っていたが、少しだけコイツも自分と同じなんだな、と思えた気がする。
「……アタシどうしたらいいんだろ」
気がつけば、そんな泣き言をコイツに話している自分がいた。目の前のコイツは、そんなアタシを笑うでもなく、バカにするでもなく真剣は瞳で見つめている。
「全部、話してくれるかな?」
いつもは冷たく突き放しているくせに、こいうときだけコイツに頼っている自分に嫌気がさす。けれど、初めて自分の話を聞いてくれる、そう言われた気がして、胸が熱くて、アタシは今まで誰にも言えなかったことをコイツに打ち明けた。
※
去年の暴力事件が起きる前のアタシは、数こそ少ないものの友達と呼べる人は数人いた。それなりに楽しくやっていたし満足もしていた。
その友達の1人がダリアである。1年生の頃から同じクラスでよく一緒に遊び、仲も良かったと思う。
けどいつの日かを境にダリアの様子がおかしくなった。めっきり笑顔が少なくなって、何をやっても上の空、なんてことも多々あった。アタシはそれを不可解に思いダリアに問いただした。
すると根負けした、といっかたちでダリアは全てを話してくれた、御伽林 奏とその取り巻きにイジメられているということを。
アタシが聞いた話はそれはもう酷いもので、ダリアのことを人だとは思っていない扱いの数々を聞いて、いても立ってもいられなくなった。
御伽林に詰め寄ると討論になって、気がつけば私は御伽林の顔を叩いていた。ただダリアを守りたい。コイツも痛い目を見れば、もう二度とダリアをイジメたりはしないだろう。そう安易に考えたのだ。
けど結果、痛い目を見たのはアタシだった。暴力者のレッテルを貼られ、今までいた友達は去っていった。そして、ダリアも腫れ物にされているアタシから離れていって……それでも、ダリアが救われたなら、それでいい。今まではそう思ってたのに、結局そこも爪が甘かった。
御伽林は何も反省していなかったし、今日アタシに復讐を仕掛けてきた。実習等の渡り廊下にダリアと4人で呼び出して、今思えばあの時からハメようとしてたんじゃん? そこでアタシが反発して、その場を去ったから……こんなに大事にしてくれたってわけ……ホントくだらない。
しかも、アタシはダリアに裏切られたワケでしょ? 笑える話じゃん?
ホント、アタシは何がしたかったんだろうね。
※
「夕輝ちゃん……」
「確かに、御伽林に手を挙げたの事実だよ。それは……私に非があったと思う。ダリアをイジメないで、そう言ったら御伽林が笑いながら有耶無耶にしようとしたから、ついカッ、となって平手打ちを……」
自分で言っていてバカらしくなる。こんな説明は何度もした。けど、誰も信じてくれなかった。傷を負った本人が、ただ殴られた、と証言したからだ。
私も負けじとイジメの件を引き合いに出したが、当の本人はやってないの一点張り。加害者と被害者の力関係から、私には厳重注意を、御伽林には疑われるようなことはするなよ、の一言でこの件は片付けられた。それからの私の人生、いいことなんて一つもない。楽しかったこともないし、家で過ごす日々も、毎日食べるご飯の味も、全てが濁っていた。
「ねえ……アタシ、悪いことしたのかな? もう何も分かんないよ……」
一つ綻びが生まれると、壊れるのは簡単だった。別に親しいわけでもないコイツに泣き面を晒しながら、一体何を縋っているのだろう。
「夕輝ちゃん教室に戻ろ」
「え?」
アタシの話を聞いて、突き返すでもなく、同情するでもなく、目の前のコイツは真剣な顔でそう言った。そして、アタシの腕を掴んで――一緒に立ち上がらされた。
「ヤダ、戻りたくない……」
それは本心からの言葉だった。アソコには敵しかいない。アタシを陥れようと画策した汚い連中。やっていないと、主張しているのに、まるで私を何も分かっていない可哀想な子のように扱った先生。そして、私を追い出そうとするクラスの奴ら。あんな所には戻りたくない。
「大丈夫。ずっと考えてたけど夕輝ちゃんの話を聞いてやっと分かったの。私がやらなきゃいけないこと」
そう言ってコイツはイヤがる私を無理やり引っ張り出した。けれど、本当になぜだか分からないが、その手の温もりに身を委ねると何とかなってしまうんじゃないか、と思うだけの説得力をコイツの瞳からは感じたんだ。
※
コイツ……人の気も知らないで、本当に教室まで連れてこられたんだけど……まさか、騙されてる? 冷静になって、そんなことまで考え始めていた。
コイツが教室の扉を開けると、中の視線が一斉にこっちへと飛んできた。思わずアタシはコイツの背中に隠れるが、大した対策にはなっていない。
「春野さん! 緋花さんを連れてきてくれたのね」
相変わらず、この先生は冷静沈着な良い人ヅラをしている。目も合わしたくない。
お手柄だ、そう褒められているのにコイツはそんな言葉には耳も貸さず、アタシの腕を握ったまま教室の中を練り歩く。
そして例の人物、御伽林のいる机の前で立ち止まった。
「あ、もしかして春野さん、緋花さんに謝らせようとして私の所に連れてきてくれたの?」
ていのいい態度を装ってヘラヘラと笑い御伽林はダリアの方を向く。
「よかったねダリア。ほら早く謝ってもら――」
その時――極めて乾いた音が教室の中に鳴り響く。そして、アタシはその音に耳を疑った。目の前の光景に自分の目をも疑った。何より、目の前のこの女、春野結花凛そのものを疑った。
「ずっと考えたけど……やっぱりこの方法しか思いつかないや。私も夕輝ちゃんと一緒だね」
やることをやって、全員が聞こえるように堂々とそんなことを言ってのける。何より私に向けてきた、その笑顔にアタシは恐ろしさすら感じた。けれど、心のどこかで満たされている自分がいる。高鳴っている自分がいる。震えている自分がいる。
ありがとう、アタシを認めてくれて。ありがとう、アタシと一緒に戦う道を選んでくれて。ありがとう、憎たらしいアイツの顔を――アタシの代わりに力いっぱい引っ叩いてくれて。