杏子が配信で見ていた、結花凛の2回目の路上ライブを行った日から更に2日が経ち、今日は5回目のライブが始まろうとしていた。
4回目のライブには、辻褄合わせでりくも参加して配信の最高同接は3万人を記録する。随分前に行ったゲリラのコラボ配信とは違い、念入りな告知と連続して同じ時間に配信していた、というのが伸びた要因だろう。
また、りくが画策していた動画戦略の方も上々で、ネットにあげた動画の視聴数はファンの間で多く稼がれ、後一歩外に広がればバズるところまで来ていた。
そして、葉月が離脱して結花凛が単独行動を行なっている間の残されたエンシードの現状はというと――夕輝の自宅で半ば強制的に解散となったあの日以降、残りの3人がまともに揃う機会は未だ訪れていない、という惨憺たる現状だった。
決して3人が自覚して仲違いを起こしたわけでは無い。あの日の翌日、夕輝は2人に謝罪をして「もう一度3人で頑張ってみよう」、そう提案をした。
しかし、不運にも都合がつかなかったのだ。その日、美烏は1学期の部長会への参加が義務付けられていた。そして、そのまた次の日、レナが演劇部の部長である白鳥陽夏に呼び出された。葉月も諦めないで、演劇部とのコラボも諦めない、そう宣言した手前ヒロインを務めるレナだけは、演劇指導に参加してもらわなければ困る、という最もな意見に夕輝と美烏は何も言い返せなかった。
こうして空白の2日を設け、今日もレナは演劇部の方へ駆り出され残された夕輝と美烏も大した成果を得ることは出来ず、無駄な夕方を過ごすこととなった。
※
同日、時刻は18時。美烏は電車を乗り継ぎ、近くの電気街へと出向いていた。夕輝と作戦会議を行なって、しかし大した策も思い当たらず、基礎練だけをしてその日は解散した。その帰りである。
パソコンのパーツや機械めいた部品が多く取り揃えられた店から、アニメグッズを取り揃える店、メイドカフェなども見てとれるその街で、美烏は迷わず目的地へと突き進んだ。
そのまま美烏がやってきたのはアイドルグッズの専門店である。かなり大きな店構えで、3階構造となっておりコアなマニアなら1日いても退屈しなそうな規模感を感じた。
店の前で、美烏はため息を吐き浮かない表情のまま入店する。
「いらっしゃいませー。って、ミウちゃん! 久しぶりじゃ〜ん、今日はどうしたの? その様子だとまた嫌なことでもあった? 久しぶりだねこういうの。お姉さんはまた会えて嬉しいけどね」
美烏が入店すると、ちょうど入り口付近の品出しをしていたエプロン姿のお姉さんが、美烏を視界に入れるなりハイテンションで話しかけてきた。
その口ぶりから、随分と昔から美烏のことを知っており取り分け、美烏が落ち込んでいる時に会うことが多かったことが伺える。
「こんにちは。お久しぶりです」
美烏は元気がないながらもニコリ、と流石の笑顔を見せて挨拶を返した。
「元気そう……ではないけど、変わりなさそうで安心したわ。閉店いっぱい好きなだけいていいから、ゆっくりして行きなさい」
「はい。ありがとうございます」
笑顔の美烏がペコリ、と一礼をして店の奥へ向い歩こうとすると、思い出した、と言わんばかりに店員のお姉さんは呼び止める。
「あ、そうだ。スクールアイドル、なったんだね。見てるよ。応援してるからね!」
お姉さんが笑顔でガッツポーズを見せると、美烏はほんの少しだけ表情に温かみを取り戻し砕けた笑顔でもう一礼を返した。
それから、一階にある若手アイドルのブースを一通り練り歩き、凡そ30分程が経った頃に美烏は2階へと上がる。
そこに広がっているのは美烏の大本命であるスクールアイドルのエリア。1階で蓄えたエネルギーを元手に、少し足取りが軽くなった美烏は近辺エリアのスクールアイドルを取り扱うブースへと向かった。
そこにあるのは美烏も何度か出会ったことのある見知った顔のスクールアイドルたちのグッズで、グロリアスギフトの真鐘美琴や、イグニスコードの面々たち。そしていずれは自分たちも……そんなことを考えているのか、クスリと笑いながら段々と元気を取り戻していく美烏は遠目に、既に目的のブースに人がいることに気づいた。
初めは何も疑問には思わなかっただろう。しかし、近づくにつれ妙な胸騒ぎがしたのか、少しだけ顔を顰めた。それは、言葉では言い表せないような第六感が働いたのか、目の前にいる人物の後ろ姿から異様なオーラを美烏は感じ取っている。
濃い紅色の長い髪。そして少し小柄な女の子。不意にその子が振り返り、美烏の目に飛び込んできたのは斜めに目にかかった前髪とその奥の気だるげな三白眼で、ちょうどその人物も目の前の美烏を認識する。
「美烏?」
「……杏子」
そこにいたのはかつて美烏と同じ地下アイドルグループ、クルール×フルールに所属していた上坂杏子だった。美烏と桜が喧嘩をして、グループが自然消滅をしてそれ以降、出会うことがなかった2人が再開する。
「久しぶりだね美烏」
緊迫した表情を見せる美烏に対して、杏子は余裕のある顔つきで笑っていた。
※
更に時を同じくして、場所は夕輝、結花凛、レナの地元へと移る。それは件の場所。
夕輝と結花凛の始まりの場所であり、終わりの場所。
街が見渡せる程の高さにあり、中規模な展望台もある思い出の公園で、夕輝は1人ブランコに乗りゆっくりと揺られていた。
下を向いて、正面からは前髪しか見えない夕輝のその顔は、見なくても暗く落ち込んでいることが雰囲気で伝わってくる。
結局、自分の力では結花凛のように上手くはいかない。思い返せば夕輝1人の力で成し遂げたことなど、妹の夜都弓がグレることを食い止めたことくらいで、それも大きな代償と引き換えだった。
ブランコの鎖が軋む音と湿った6月の空気が、その哀愁を増長させて見せていた。
「あれ、アンタもしかして……緋花夕輝?」
突然、公園を横切ろうしていたミニスカートの女子高生に夕輝は話しかけられる。
顔を上げ、その人物の顔を見てみるが、夕輝はそれが誰だか分からなかったのか、歯切れの悪い態度を取らざるを得なかった。
灰色のブレザーに少し短めのスカート、髪の毛は遊んでいる様子はなく大人しめな、おさげヘアーで、極めつけには丸いメガネをかけている。真面目なのか不真面目なのか、そう言った曖昧さは美烏にも言える話だが、目の前の人物は雰囲気からも真面目の部分がより浮いて見える風体だった。
「私のこと忘れた? それとも誰か分かんない? ……いや、分かってて話したくないとか?」
その少女はフランクに話しかけてきながら、同時に距離も詰めてくる。夕輝は警戒するように手で腕を身に寄せながら、怪訝な瞳を向けていた。
「私だよ。小学校で一緒だった
夕輝はそう名乗る少女の全身をもう一度確認して、目を丸くする。そんな夕輝の姿を見て、奏はニタリと笑みを浮かべた。
「見えないっしょ? だーいぶイメチェンしたからねぇ。どっからどう見ても、良い子ちゃん」
そう言いながら奏はクルリ、と1回転して全身を見せびらかしてから、夕輝の隣のブランコに腰を下ろす。
「イヤ、結構浮いてるんじゃん? 根っこの性悪さが透けて見えるよ」
「…………やっぱり? あー、知ってたよ。正直、高校でめっちゃくちゃ浮いてる自信あるから」
奏は手で目を覆い隠し天を仰いでから、不貞腐れるようにブランコを漕ぎ始めた。
「高校どこ行ってんの?」
「
「国立⁉︎」
「そ、親が学費出してくれなそうだったから勉強頑張った」
「へぇ、アンタ頭良かったもんね」
そう素直に認めながら夕輝は、ブランコにのってゆらゆらとする奏の方を向いていた。努力をして、自分の力で勝ち取った高校進学。しかし、その制服に身を包む本人は、見ていて気持ちのイイ顔をしていない。
「でも、いざ入ってみると皆んなイイ子ばっかで……しょうじき話が合わないっていうか、向こうも何か察して距離置いてる感、感じるし、やりにくいんだよね」
奏の親はハッキリと言えばクズ方面の毒親である。虐待や放置なんてのはザラであり、奏に対して支援や教育を行った影すらない。
それを悟った昔の結花凛が、奏に発破をかけた結果が国立の大学附属校へ進学したことなら、これ以上ない成果だろう。しかし、急な環境の変化は奏にとっては生きづらくもあるらしい。
「ふぅん。お互い大変だね」
夕輝がそう呟くと、今度は奏が夕輝の顔を覗く。しかし、そこには一歩踏み込まず奏は同じ調子で話し続けた。
「ま、今更、周りにチヤホヤなんてされようがないし、この性格はもう十字架みたいなもんだと思ってるから別に気にしないけど。きっとこれも、過去の贖罪なんだよ」
一度やってしまったことは取り消せない。どれだけ辛い現実でも逃げずに進まなければ、待っているのは破滅だけ。それは小学生の頃、不登校になりかけた奏が結花凛に言われた言葉である。
それは今でも続いているのだと、彼女は語る。
「ま、アンタも頑張ったんじゃん? 昔のことは許すつもりもないけど、アタシはもうとっくに過去として割り切ってるし。最悪の過去より、もっといっぱい楽しいことユカに教えてもらったから」
「それは私も一緒かな。あ、後者の方ね? 結花凛には本当に助けられた。あの子がいなかったら私、たぶん落ちるとこまで落ちてたと思うから」
小学3年生の頃に起きた例の事件以降、結花凛が奏の救済に動き続けたのは明白で、それは上手くいったらしい。だからといって友達になったわけでもないと見れるが、割り切った関係にはなっているようだ。
「そういうアナタこそ今、何してるのよ。噂じゃ、中学でグレてたって聞いてたけど?」
「ゲ、なんで知ってんの?」
「そりゃ、地元が同じなんだから噂ぐらい耳にするわよ」
心底イヤそうな顔を向ける夕輝に呆れながら、奏はため息を吐いた。そして、何やら言い淀む目の前の夕輝を見て、小首を傾げる。
「……ドル」
「え? なにって?」
「スクールアイドル……」
「…………ウソでしょ?」
「ホントだよッ‼︎」
心の底から信じようとはしない奏に、夕輝は思わず声を張った。その表情は紅く染まっていて、妙な信憑性を感じさせる。それを見て、奏も納得したのかすぐさま自分のスマホを取り出して検索を始めた。
「あっ! 調べんなッ‼︎ 」
「イイじゃん別にぃ! 減るもんじゃなし」
焦りながらかなり真剣に止めようとする夕輝と、ニヤニヤと笑いが止まらない奏。
夕輝の抵抗も虚しく、奏はスクールアイドル専門の配信サイト、スクールアイドルコネクトにてスプリングフェスの動画へと辿り着いた。
「へぇ、ホントにスクールアイドル始めたんだぁ〜。意外……って、これもしかして結花凛?」
「そうだよ。スクールアイドルだってアタシじゃなくてホントはユカが、やりたいって言い出して――」
観念したのか熱くなった顔を手で仰いで冷ましながら、夕輝は言い訳のように言葉を並べる。そんな、短絡的で感情に任せたやり取りと、現状の下がりに下がっっていたメンタルが普段慎重だった彼女の頭を鈍らせていた。
「でも、なんか雰囲気違くない?」
「え……」
昔の結花凛を知る人物。それは現在の環境には夕輝とレナしかいなかった。なので当然、事情を知らない旧友がスクールアイドルとしての結花凛を目にすれば、違和感を感じるのは当然で、これは夕輝の失態だと言わざるをえない。
明らかに目が泳ぎ動揺して額にジワリと汗を浮かべている夕輝を、冷静に見つめて奏はゆっくりと口を開いた。
「もしかして、結花凛になにかあったの?」
勘づかれても聞かれなければ大丈夫、なんて甘いことは起きず、秘密を死守しなくてはならない夕輝は背水へと追い込まれるのだった。
※
杏子と思わぬ再会を果たした美烏は複雑な感情を抱いているに違いない。
頭をよぎるのは、桜の行いだろう。杏子は美烏にしてみれば、別に何もしていないに等しい。しかし、狂人じみた桜信者であり、過去も現在も桜に添い遂げる彼女は、美烏にとって相対的に敵と言っても差し支えはなかった。
しかし、目の前の彼女からはそんな敵意は一切感じないのだ。むしろ、友好的なくらいで、その時点でフェスでの事件以降、美烏の中のイメージと差異が生じる。
和かで今の状態を祝福しているような杏子と、美烏は対照的にやや動悸が荒く、顔には汗もかきながら切羽詰まる表情で対面していた。
「背伸びた? ちょっと大きくなったよね。また、会えて嬉しい」
背伸びをし手で美烏の頭の位置を測りながら、杏子は笑顔でそう言う。その無邪気な行動も、また美烏を追い詰めていた。
「私より大きくなったね」
そんな美烏にお構いなしに、杏子は自分のペースを貫いている。
「どうして……こんなところに?」
恐る恐る、震える声で美烏は問いかけた。そんな不審な態度に対しても、杏子は構わず和かでいる。
「最近桜と、美烏の話をして、懐かしいなって思ってつい寄っちゃったんだ。昔、ここに連れてきてくれたよね。あの時の美烏、すごく目がキラキラしてた」
「桜と……」
その答えは美烏にとって複雑なものだった。少しずつ解していた緊張がギュッ、とまた引き締められる。
「あ、そういえば。スクールアイドル、やっとなれたんだね。見たよフェスのアーカイブ」
話題を変えた杏子の口からフェスの内容が語られて、美烏の中の琴線に触れたのか、張っていた糸が切れるように表情が鋭く切り替わり、我も忘れたように口を開く。
「どの面下げて、今更そんなことが言えるのよ」
お店の中に、美烏の静かな怒りが鳴り響いた。
フェスで起きた音響トラブルの事件を、未だに美烏は桜が犯人だと決めつけている。だとすれば、杏子もそのことを知っているに違いない、と狭い視野で美烏は同じく決めつけていた。
「……美烏、怒ってる?」
突然怒り出した美烏に対して、不思議そうに杏子は聞き返す。
「怒ってるわよ。あのトラブルのせいで、私の仲間は傷ついた。来てくれたお客様さんも、少なからずイヤな気持ちにさせた。私が妬ましいなら、直接私に言いにくればイイのに……他の人を巻き込んだ!」
「……?」
どんどんと高まっていく美烏の熱量に反して、杏子の顔にはクエスチョンマークが色濃く浮かび上がる。それが美烏には惚けているように映ったのか、表情の鋭さに磨きをかけた。
「……やっぱり、桜が言った通りだった?」
「桜が?」
「うん、私が美烏に会いたいって言ったら……会わない方がいいって…………きっと怒ってるだろうから、って」
それは杏子にとっては聞いた通りの事実であったが、美烏の固い頭を更に固くさせる言葉だった。桜の意図としては、過去の出来事を引きずってのことだろうが、美烏からしてみればほとんど確定していた疑いをより強固なものへと変える発言である。
「やっぱりっ! スプリングフェスで私たちのライブを邪魔したのは桜なのね‼︎」
「え……?」
ここで杏子もようやく美烏と自分が、話していることに差異があることを理解する。杏子としては、桜からそのような話は聞かされていない立場なので、何の話をしているのか考えるのに時間を有した。
しかし、目の前で狼狽える美烏の肩に両手を置いて、杏子は力強く首を横に振った。
「美烏。それは……それは、違うと思うよ」
杏子とて配信のアーカイブを見たのだから、音響トラブルが起きたことは理解しているだろう。曲の最中に、異様なタイミングで音響だけがショートする。その異質さからも偶然起きたこと、と簡単には決めつけられないのも同じはずだ。
しかし、そこに桜が絡んでくるとは頭の端にも存在しなかった、そんなリアクションを杏子は見せていた。杏子の顔を見て美烏も迷いながら、自分の考えに疑問が生じたのか眉を寄せて下唇を噛み締めた。
「桜は……そんなことはしないと思うよ。だって桜は、きっと後悔してるはずだから」
「……後悔?」
聞き返してくる美烏に、杏子はゆっくりと首を縦に振る。
「桜から聞いたわけじゃないから確かなことは分からないし、そうじゃないのかもしれないけど……少なくとも私は後悔してるよ。あの時、私が動けていればクルール×フルールは解散しなかったんじゃないかって……」
美烏と桜が衝突してから、それ以来美烏は杏子と会っていなかった。
そして事件の際、杏子は状況が最も悪くなるまで止めには入らず、行動の指針を桜に預けたままだった。そんな杏子の口から初めて語られる、当時の思いである。
「私はずっと桜についていけば何でも上手くいくと思ってたし、今でもそう思ってる。けど、あの時だけは、私たち4人のことに関しては、それじゃダメだったんだ。チームが本当にバラバラになる前に私は何かするべきだった……
杏子の言葉を聞いて、きっと美烏の頭はグチャグチャになっていることだろう。本当に、杏子の言葉を信じてもいいのか、信じたところでじゃあフェスの犯人は誰なのか、そんな心情が表情に色濃く伝わっていた。
「美烏、これだけは聞いて。あの頃……私が言えなかったこと。2人にちゃんと伝えなきゃいけなかったこと……桜は、美烏や琴音のことを一度だって嫌いになったことはないよ? 2人のために自分を犠牲にして――」
「分からないわよ……今更、そんなこと言われたって」
「美烏……」
両手をギュッと握り込み、下を向いて美烏は呟く。杏子の言う桜と、自分の中の桜の違い。それがどうしても受け入れられない。
あの頃の桜は間違っていた。桜は琴音に酷いことを言った。自分は琴音を守り、正しいことをした。そう思っていたのに……杏子が言うことは、どうしても信じられない、けど――
様々な思いが美烏の中で交差していることだろう。
結花凛たちエンシードと出会い、琴音と再開したことで、一度は桜や杏子とも仲直りできるのでは、と美烏は考えていた。その思いだけは、今目の前にいる杏子と一致していたのだ。
「分かんない。信じられない……けど、頭ごなしに否定することは、しないでいようと思う」
「美烏!」
少しだけ心を開くように杏子の目を見て話した美烏に、杏子は明るい顔を見せる。そして一歩、歩み寄り後退りされないことを確認してから優しく美烏を抱きしめた。
柔らかな感触と肌の温もりが伝わって、張り詰めていた美烏の緊張は少しだけ緩んだ。身体に入っていた無駄な力が抜けて、吊り上がっていた表情筋も優しく緩む。
「そういえば杏子、たしか怪我してるって……」
いつもの自分を取り戻した美烏が、自然と杏子の顔が見える位置へと移動して思い出した、とそう言った。
「うん。右の腿裏でバチンッ!、て音がなって凄く痛かった。けど、大丈夫だよ。少しずつ良くなってるし、ラブライブの地区予選には間に合うだろう、って」
「そう、よかったわ」
冷静に会話ができる程、美烏の精神は安定しており、杏子も嬉しそうに饒舌に話す。
杏子の肉離れについて回復の報告を聞いた美烏がほっ、と胸を撫で下ろしていると、今度は杏子が思い出したかのように目を見開いた。
「そうだ。それでいうと美烏の方こそ。新しいチームは大丈夫なの?」
「え? どうしてそれを?」
葉月がいなくなり、結花凛は孤立して、夕輝とレナとも連携が取れていない。そんな身内しか知り得ない内容を持ち出され、美烏は心底困惑した様子を見せる。
「エンシードのセンターの子、今別のグループのアカウントで毎日配信してるよ? 美烏、知らなかったの?」
「え……ウソ?」
目を丸くした美烏はすぐさま自分のスマホを取り出して、検索をかけた。すると、イグニスコードのアカウントが1番に検索にかかり、リアルタイムで杏子が言う通り、結花凛は路上ライブを配信していた。
ここ数日、色々なことが重なってSNSにすら触れていなかったことを自覚する。イグニスコードのアカウントで配信をしているのなら、普段ならすぐに気付いてもいいものなのに、それだけ自分の視野が狭くなっていたことを美烏は気付かされた。
「だめ、これじゃまた結花凛1人に……」
せっかく取り戻した平常心は再度、早くなる心臓の鼓動に乱される。
目が泳ぎ、明らかに狼狽する美烏の頬に杏子は手を当て自分を見させた。
「行ってあげて。私は詳しいことは分からないけど、美烏は間違ったらダメ。私のように後悔してほしくないし、桜のように1人で抱え込むのもダメ」
結果、クルール×フルールはバラバラになった。そのことを思い出すと、今のエンシードだっていつ取り返しがつかなくなってもおかしくはない。それを1番恐れていたのは美烏のはずだった。それなのに、柊絵梨花というどうにもならない大きな壁に尻込みをして、夕輝と策を練ろうにも正常に頭は働かず美烏は半ば諦めかけていた。
エンシードは、美烏がもう一度立ち上がるきっかけをくれた大切な場所。美烏にとっては失っていけない、もう間違ってはいけない掛け替えのない場所なのだ。
そう考えると、居ても立っても居られなくなったのか美烏は肩にかけていたカバンの紐をギュッと握りしめる。
「ごめん杏子、私行かないと!」
「うん、頑張れ美烏」
厄が落ちて、スッキリとした顔で美烏はそう言った。そして、頷く杏子を確認すると直ぐに振り返り走り出した。
笑顔で杏子に送り出されて、美烏は店を出て駅へと向かい電気街を駆け抜けて行くのだった。