その日の夕刻。葉月の元に一通のメールが届く。差出人はエンシードの諏方草レナであり、メールの他に歌詞が書かれた画像と音楽ファイルが添付されている。
葉月はスマホの画面を数分見つめ、迷ってからそれに既読をつけた。
『明日、エンシードのアカウントでライブ配信をするから絶対に見てね!』
レナが送ってきた文章に目を通しながら、葉月は添付されていた音楽ファイルを再生する。スマホに繋がった有線のイアフォンを装着して、葉月は静かに鑑賞した。
曲の再生が終わり、葉月は自分の胸の辺りの服をギュッと握りしめる。早くなった心臓の鼓動が拳に伝わり、収めようとしたのか、葉月は大きく息を吸い、吐いた。
葉月は自室から繋がるバルコニーに出て、夜風に当たる。見上げた空には、紅く染まった曇り雲が微かにかかっていた。
※
翌日の17時頃。件の駅付近に、ある少女は訪れていた。灰色の制服に身を包み、おさげな髪の毛に、丸いメガネをかけたその少女が、そこへやってきた理由は一重にエンシードのライブ告知をSNSで確認したからである。
少女は少しソワソワした様子で辺りを確認していた。結花凛たちはまだ現れていない。
少女の目には、自分と同じくエンシードのライブを見に来たであろう多くの観客たちが映っている。そのほとんどが同年代の女の子で、なかには会社帰りのお姉さんや、より若年層も見受けられたが、キャピキャピともう時期やってくるであろうスクールアイドルたちを待ち遠しそうに話題にする女子高生がやはり目立っている。
「ほんとに人気なんだ……」
少女はもう少し周りを観察して、少し距離をとった特別目立たなそうな石造りの花壇の縁に腰を下ろした。そして、チラチラと人混みの方を確認しながらスマホを触って時間を潰しす。
少女がSNSに花壇の写真を投稿したり、他の人の投稿に目を通したりして時間を潰していると人混みから歓声があがった。その方へ目を向けてみると、結花凛をはじめとしたエンシードの4人が現地入りしている。
歓声を受けたエンシードの4人は美烏を筆頭に、笑顔で手を振ったり握手をしたりとファンサを行っていた。当然、結花凛や夕輝も同様にファンサを行っており、初めから有名な美烏や、ビタミンPという側面も併せ持つレナにも負けない程ファンを獲得しているのが分かった。
少女はそんな、無邪気な笑顔を振り撒く結花凛を真顔で見つめて深く息を吐く。それから、結花凛より少しファンの数は見劣りするが、ぎごちない笑顔でファンサをする夕輝を見てクスリ、と笑った。
「……ちゃんとスクールアイドルやってんじゃんアイツ」
ファンとの交流もそこそこに4人は機材の設置を開始して、そこから程なくして配信が開始される。そろそろパフォーマンスが始まろうとしているが、おさげの少女は変わらず離れた位置に座っており、人知れず鑑賞していくつもりらしい。
エンシードの4人は、ファンに囲まれながら設置されたカメラの前で横一列に並んだ。左から美烏、レナ、結花凛、夕輝の順である。それぞれの前にスタンドマイクが置かれており、結花凛がマイクチェックを行い、ゆっくりと口を開いた。
「みなさん! 今日は私たちのライブに集まってくれて、ありがとう‼︎」
「配信で見てくれている人も、ありがとう!」
目の前のファンの顔を端から端まで見渡して結花凛はMCを始める。それを補足するように美烏はカメラに向けて笑顔で語りかけた。
メガネは外しているが髪の毛は普段のポニーテールのままで、ミュウミュになりきらない状態ではあるが、その対応はまさしく美烏が思う理想のアイドルの形である。
「みなさん! 改めて、私は若ノ芽女学院スクールアイドル部、en↑↑↑seedsの春野結花凛です‼︎」
結花凛を皮切りに夕輝、レナ、美烏の順番で自己紹介を済ませ、再びMCの主導権は結花凛が握った。
「私はこの1週間、ずっとここで歌い続けてきました。初めは私1人で歌っていたけど、そのうち足を止めて聴いてくれる人ができて、どんどん聴いてくれる人は増えていって、今は同じ部の4人でここに立っています」
表情を引き締めて結花凛は語り始める。4人、という単語を口にした結花凛の表情は少し、せつなさを感じさせ、周りの3人もそんな結花凛をしっとりと、見守るように見つめていた。
「今日が、ここで歌う最後の日になるけど……」
あっさりと告げられた事実に集まったファンたちから嘆きの声が漏れる。
「今日は私の全力をぶつけるつもりだから、最後まで付いてきて!」
ここ数日間、胸の中に宿し続けた様々な熱を結花凛は外側へ解放した。自分たちを突き放した葉月への想い、何とかしてあげたいと考えているのに、どうにもならない歯痒さ、足並みの揃わない自分たち。全ては1つに繋がった。
レナが道筋を見出し、ようやく4人の足並みも揃った。後は、突き進むだけである。
「聴いてください――『僕らの灯』」
結花凛のMCに合わせてレナがスピーカーから音楽を流す。『僕らの灯』は結花凛たち5人がスプリングフェスで披露したオリジナル楽曲。5人の始まりの曲を引っ提げて、勝負の時が始まった。
沸く歓声に包まれて、結花凛は大きく息を吸う。
※
『僕らの灯』から始まり、結花凛が1人で歌っていたときに反響の多かった曲を中心にして8曲の披露が終わった。
僕らの灯など、振り付けが既にある曲はダンスパフォーマンスも行って、他にも踊れそうな曲は踊り、スクールアイドルとしてライブは快調に進行されている。
そして一度、パフォーマンスは中断して結花凛が再度MCを始めた。
「次が最後の曲になります!」
額から汗を垂らし、清々しい表情で結花凛はぶつけるように言葉を放った。
盛り上がりの最高潮を迎えていたオーディエンスからは、もう時期訪れる別れの時を嘆く声が湧き上がる。
「その前に1つだけ。知ってる人は、知ってくれてるかもしれないけど、私たちen↑↑↑seedsにはもう1人メンバーがいます。今は離れ離れになっちゃってるけど、今この時も、気持ちはいつも同じだって信じてる――だから私は、私にできる事を……歌を歌い続けるよ。……聴いてください『キミのための詩』」
最後の曲が始まって結花凛はスぅ、っと息を吸った。
これまでと同様にレナがスピーカーから音を流す――
結花凛が宣言してスピーカーから流れた最後の曲は、しっとりとした曲調から始まり【言葉で魅せて】、サビに連れアップテンポへと変わり【結花凛の歌で魅せる】構造だった。
その歌詞は、確かに葉月へと向けられているものであり、詳しい事情を知らないファンたちも直前のMCの効果もあってか、それを理解し、なんとなく心に沁みるワードの羅列となっている。
結花凛の『救いたい。目を逸らせない』、という気持ち。夕輝の『守りたい。嘘をついて欲しくない』、という気持ち。美烏の『離れ離れになりたくない。後悔したくない』、という気持ち。レナの『ずっと一緒にいたい。大好きだ』、という気持ち。全てが一曲の中に織り込まれていた。
ファンの中には4人の歌を聴いて涙を流す人も見てとれる。
結花凛はそんな一人一人の顔を見ながら歌を歌っていた。
スクールアイドルを名乗り始めた最初の頃、美烏が「結花凛の歌はアイドルの歌じゃない」、と言っていた。何度かステージで歌うことで今まで結花凛は何となく分かったような気になっていたが、この1週間でようやくその真意に気付く。
『歌っていうのは自己表現でもありながら、その実、他者へと伝える術なのよ。結花凛ちゃんは感性が豊だから前者の方は秀でているけど、後者の意識が甘い傾向にあるわ。この1週間、外で歌うときは聴いてくれる人を意識して歌いなさい』
りくにそう言われ、結花凛は歌う際に聴いてくれる人の顔をよく見るようになった。
思い返してみれば、学校の裏庭で歌った時も、音楽フェスのカラオケ大会に飛び込んだ時も、スプリングフェスで音響トラブルがあった時も、結花凛は「何とかしなくては」、と我を忘れて歌に没頭していた。それは己の中にある心の叫びであり究極の自己表現でしかなく、客席を意識したことはほとんどない。今まで結花凛は「コレが自分の気持ちなんだ。受け取ってくれ!」、と強力な感情の塊を歌にしてぶつけていたのだ。
しかし、この1週間、結花凛は歌いながらファンの顔を観察してその感情を読み取ることに勤めた。そして、結花凛は【相手が求めている感情をぶつける術】を掴んだ。今までの結花凛が持っていた【強い感情を歌にする技術】と【相手が求める感情を歌にする技術】この2つをコントロールすることで間違いなく結花凛は歌手として数段、上の存在へと成長している。
自分の歌に新しい技術を取り入れることは初めての試みなはずなのにコツを掴むのは早く、結花凛は不思議と相手が何を求めているのかが目に見えるように分かるようになった。「まるで昔からそのように歌っていたかのように、頭に馴染む」、練習の中で結花凛はりくにそう語る。
そんな結花凛の1週間の集大成がこのライブで披露されていた。
曲が終盤に差し掛かろうとしている。その頃には結花凛たちを囲むファンの人たちは、そのほとんどが涙を流していた。
最後に結花凛は目の前にいる人たちの顔をぐるり、と見渡してから目を閉じる。そして、ラスサビは今までのように――いや、それ以上に己の内の心の叫びを歌にした。
聴く人の心を完全に掴んだ後、それ以上に強い『我』で結花凛は感情を塗り替えていく。
そこにいるのは、もう自分の歌に飲み込まれていた可愛い春野結花凛ではない。かつて天才と呼ばれ、その歌を聴く者を狂わせてきた鬼才、
※
ライブが終わり時刻は19時頃。来てくれたファンたちにサインを書いたり、握手をしたり、写真を撮ったり、最後まで真摯に向き合ってから結花凛たちは機材の片付けを行った。
ほとんどのファンが既に帰っているなか、ずっと離れたところで見ていた、おさげ髪の少女、御伽莉奏はなぜかまだ帰らずに、その石造りの花壇の縁に足を組んで座っている。
スマホを触り、その画面は動画の編集とSNSを行ったり来たりしていた。
奏がスマホに集中していると、誰かが近くにやってくる。奏が顔を上げると、笑顔でこちらを覗き込んでいた結花凛と目があった。
「今日、ずっとここで聴いててくれたよね? もうすぐ引き上げるから、最後にお礼が言いたくて、ありがとう」
「え? あ、うん。こちらこそ」
ビクリ、とした奏を見て結花凛はクスリ、と笑う。
「今日は楽しんでもらえたかな?」
「……うん。楽しかったよ。歌、上手いんだね」
「ふふ、楽しんでもらえてよかったぁ」
少し複雑な心境だろうが、結花凛の問いかけに奏は笑顔でそう答えた。
「ユカー! 早く引き上げるよー‼︎ 早く行かないと時間に合うわなくなっちゃうんじゃん?」
夕輝が大きな声で結花凛を呼びかけて、奏は思わず学生カバンで顔を隠す。
「うん! 今行くよー夕輝ちゃーん‼︎」
結花凛も大きな声でそう答えた。
「じゃあね」
「う、うん。じゃあね」
奏に軽く挨拶を済ませ結花凛は夕輝たちの元へと帰っていく。結花凛が遠のき、奏は胸に手を当てて、気の抜けた生暖かい息を吐く。
気付かれたくなくて離れて見ていたのに、どうや結花凛には気付かれていたようで、それが嬉しかったのか少しだけ奏の表情は崩れていた。
しかし、気付いていたが、ある意味、気付かれていないという、夕輝が言っていた記憶喪失の話を実体験して、奏は下唇を甘く噛む。
その後、奏はカバンで顔を隠しながらチラチラと結花凛たちを観察した。
「いい? 説得はアタシ中心で行くからね。アタシ、アイツと約束したから、助けに行くって」
「分かったって言ってるじゃない。私は、少し不安だけど夕輝に任せるわよ」
「大丈夫だよミーちゃん。私たちもいるんだし」
「頼りにしてるよ。夕輝ちゃん」
そんな会話を交わしながら機材を片付けて、駅の方へと消えていく結花凛たちは鋭く真剣な引き締まった表情を見せている。それはまるで、今から戦場へと赴くかのようだった。