夏休みが終わり、若ノ芽女学院でも 2学期の始まりを告げる始業式が執り行われた。
午前中で式は終わり、部活生は部活動に勤しみ、その他の生徒は帰宅する。
校庭の方からソフトボール部の掛け声が校舎に響き、更には校舎の中から吹奏楽部の金管楽器の音色が響いていた。
そんな、いつもの学校の音。夏休みという学生にとっては、ある種、特別な期間の終わりを意味する音。
エンシードの面々も、例に漏れず部室に集まっている。しかし、部室内に入り扉の前に立つ葉月はハチマキのような白い帯を目に巻かれ、右手首をレナにガッシリ、と掴まれていた。
「そろそろイイかい?」
口角をほのかに上げて溢れ出んとする笑を声色に孕みながら、葉月は側にいるレナへと問いかける。
「うん。イイよ! ハーたん‼︎」
元気よくレナが、そう言って葉月の目に巻かれていた帯の端を摘み引っ張った。
葉月の視界に光が差し込む。目をシバシバ、とさせながら葉月が部室を見渡すと、そこは風船や折り紙で飾り付けがされていた。
部室のホワイトボードには『葉月ちゃん! おかえりなさい‼︎』、と大きく書かれており、その周りにはエンシード5人のイラストやマスコットの絵などが彩られている。
「「葉月!」」「葉月ちゃん!」「ハーたん!」
「「おかえりなさい!」」
結花凛、夕輝、美烏の3人が盛大にクラッカーを撃ち鳴らし、葉月は4人からの『おかえり』、と火薬の匂いに包まれた。
「みんな……ただいま!」
左手で目頭を押さえ、過剰なほどの抑揚をつけて、 噛み締めるように言葉を返す葉月。
その瞳からは一筋の涙がツー、と流れる。それはもう綺麗な、美しい涙だった。
「わわ⁉︎ 喜んでくれるのは嬉しいけど、泣いちゃうのはヤだよぉ……」
葉月の涙を見てレナがアワアワ、と慌て出す。
「みんながボクのために準備してくれたと考えるだけで、涙が……」
続けて、そう言いながら葉月は詰まらせた鼻を啜った。
一連の様子を見ていた夕輝と美烏は、レナとは一味違って涙を流す葉月を冷静に見つめている。
「葉月。その辺にしときな」
夕輝が、そう言うとレナは「え?」、と気の抜けた声を漏らした。そして、苦言をていされた葉月はと言うと、涙を流しながらもハハハ、と声を大にして笑い出す。
「ユウキにはバレていたか」
「アタシ、ってかレナ以外みんな気付いてるよ。表現が宝塚すぎだし」
「ハハハ、少し露骨だったようだね。でも、涙は見事だったろ? 最近、覚えたんだ。キミたちの前で泣きじゃくってから、随分と調子良く泣けるようになったよ」
「それ……良いことなのか、悪いことなのか、よく分かんないんじゃん?」
呆れた顔で夕輝は葉月を見つめ、葉月は調子良く笑っている。
レナも、葉月の笑顔を見て安心したのか、胸を撫で下ろし、笑った。
「でも、本当に涙を流したくなるほど嬉しいんだよ? やっと、この場所に戻って来られた……キミたちと、こうやってくだらない話を交わせる時間がボクは大好きなんだ」
葉月がしっとり、とそう言うと今度は結花凛が勢いよく葉月へと飛びついて、その両腕を葉月の腰へとまわす。
「私もだよ! もう絶対に離さないから、これからもみんなで楽しい思い出いっぱい作ろうよ‼︎」
「ああ。ありがとう、ユカリ」
抱きついてきた結花凛を見下ろすかたちで葉月は、その目を真っ直ぐに見つめた。濁ることなく輝いていて、芯の強い意志が宿った結花凛の目。
「まぁたやってるよ……。葉月が黙ってアタシらから離れてっちゃったせいで、ユカに抱きつき癖ついちゃったじゃん!」
「演劇部とのコラボ公演の日から顔を合わせる度に、あの様子だものね」
熱く抱擁し合う結花凛と葉月を見つめて、夕輝が苦情を発信する。
葉月がどこにも行かないように、という意味があるのかは別として、美烏の証言いわく、結花凛の葉月への抱きつき癖は事実らしい。
「ユウキ……嫉妬かい? ユカリは今、ボクの腕の中にいる。悪いが、この時間は、もうしばらく堪能させてもらうよ?」
そう言うと葉月は結花凛を強く抱き寄せて、少し身を屈み結花凛の頭に顔を
「は? コラ、葉月ッ‼︎ ユカを吸うな!」
葉月の分かりやすい煽りに夕輝はまんまと引っかかり、その輪の方へと近づいていく。その様子を見ていた美烏は小さく、ため息を吐いた。
「すっかり葉月は、ただの"おもしろお姉さん"になっちゃったわね……」
「ミーちゃん。ハーたんは、ずっと、おもしろいよ?」
「……それもそうね」
レナにツッコまれ、美烏は過去を振り返り、素直に認める。
それからレナと隣同士に立ち、もみくちゃになる3人を見つめ、極めて声を絞り話し始めた。
「いいの? 混ざって来なくて」
葉月の腕を引き剥がし、結花凛を取り戻そうとする夕輝を見ながら美烏はレナへと問いかける。
「……うん。今のユカちゃんからしたら、ユっちゃんが来るのは分かるけど私がグイグイ行きすぎるのは変に思うんじゃないかな、って。だってまだ、会って数ヶ月の仲なんだし」
寂しげに語るレナを、美烏は細い目で見ていた。そして、少しだけ考えてから口を開く。
「人と人との関係なんて、時間が立てば変わることだってあるわ。レナの場合、それは大きすぎる変化なのかもしれないけど……どんな事情があったとしても後悔するくらいなら、私はぶつかりに行った方が良いと思う」
「ミーちゃん……」
「私にも、関係が壊れてしまった友達が2人いる。昔は仲が良かったのに、今では見る影もなく関係は崩れているわ。それでレナの気持ちが分かる、とは言わないけれど、後悔したくないっていう私の、この気持ちはレナも同じなんじゃないかしら?」
美烏の言葉を聞いてから、レナは再度、目の前の3人に目を向けた。そして、揺れる瞳で固唾を飲んだ。
「ありがとう、ミーちゃん。私、行ってくる!」
美烏へと優しく笑いかけ、レナは葉月から結花凛を取り戻すべく、夕輝の方へ加勢する。
取り残された美烏は微笑み、そんなレナを見送ってから自身のスマートフォンへと目を落とした。
美烏が見ている画面には一枚の写真が映し出されており、それはかつてクルールフルールに所属していた頃のメンバーの集合写真。
レナに偉そうなことを言った手前、美烏もまた後悔しないための選択を取る瀬戸際に立たされている。
重く考え、表情を固くする美烏のもとに、夕輝とレナに引き剥がされ避難してきた葉月が近寄ってきた。
「ふう、ボクは一通り楽しませてもらったし、ユカリは2人に返すことにするよ」
軽く押し問答をしてかいた汗を拭いながら葉月は、そんなことを口にする。
「ふふ、なにそれ。変なことばっかり言ってたら、また夕輝が怒るわよ? 夕輝は怒りっぽいんだから」
「それをミウが言うのかい? ユウキを一番怒らせてるのはミウじゃないか」
そんな会話を交わし、2人は目を見合わせて笑い合った。
「浮かない顔をしていたね。悩み事かい? ボクが力になれることはあるかな?」
「相変わらず視野が広いのね。そうよ。大きな、大きな悩み事よ。けど、これは私が自分で解決しなくちゃ意味がないの。だから、葉月はさっきみたいに楽しそうに笑っていてちょうだい。それで、こっちも和むから」
「了解したよ。それじゃあ、期待に応えて、これからも目一杯、楽しませてもらおうじゃないか!」
「調子が良いわね」
そう言って2人は再度、笑い合う。
美烏は多くは語らなかった。しかし、葉月にはおおよその予測がついているのか、あえて明るく振る舞っている節がある。
「ミウ……大きな悩みを抱えているところ申し訳ないけども、少し真剣な話をしてもいいかな?」
「え? 構わないけど?」
真剣な顔つきで話す2人を他所に、夕輝とレナは結花凛を挟み込むようにして抱きしめていた。そんな2人に対し嬉しそうに結花凛も笑顔で言葉を交わす。
そんな3人の幼馴染から距離をとり、葉月は小さな声で話し始めた。
「ミウはユカリの記憶についてどう思っているかい? 戻ることを願っているかい?」
内容が内容なだけに美烏は、唾を飲み込み、表情を固くする。
「……そうね。レナも記憶が戻ることを切望しているようだし、私も応援するつもりではいるわよ」
「……そうだね。ボクも同じさ。けど……事は、そう簡単な話じゃないのかもしれないんだ」
「え?」
ただならぬ葉月の物言いに美烏は、動揺を声にして漏らした。
「ユウキはユカリの記憶が戻って欲しい、と思っているのだろうか?」
「それは……戻って欲しいと思ってるんじゃないかしら? アレだけ溺愛してて、普段から結花凛にベッタリなわけだし」
レナと同じ立場で幼馴染という身の夕輝も、結花凛の復活を願っている。そう美烏は結びつける。しかし、葉月は緊迫した表情を見せていた。
「これは、あくまでもボクの推察でしかないんだが……夕輝は嘘をついているのかもしれない」
「へ?」
葉月の口から語られる突拍子のない推察に、美烏は呆気に取られているようである。それもそのはず、美烏にしてみれば一度、夕輝の嘘を見破って結花凛が記憶喪失だという事実を、彼女の口から話させたのだから、それ以上の嘘があることを疑ってはいなかったはずだ。
「ユカリの事情を話したユウキの言葉を覚えているかい?」
「確か、転落事故で頭を打って……それで記憶喪失になった、って」
「ああ。ボクも、そう聞いた。そして、それを聞いた頃は、母さんとのアレコレで気が回らなかったけど最近、疑問に思うことが出来たんだ」
美烏の額に汗がジワリ、と浮き上がる。
「ユカリが患った乖離性健忘症についてボクなりに調べた。確かに外傷が原因で患うこともあるらしいが、その原因のほとんどはトラウマや過度なストレスが原因とされているらしい。そして、ユカリは……ユウキのことは覚えているがレナのことは覚えていない。……病症の原因は後者なんじゃないかい?」
結花凛の記憶を無理やりにでも戻そうと働きかけたレナは実質、意図的に記憶から消されてしまった。その事実をつなぎ合わせ葉月は、結花凛の記憶喪失の原因が、頭部の殴打ではなくトラウマやストレスなのではと推察したらしい。
「だったとして、どうして夕輝は、それを隠しているのよ?」
美烏が逆質問をすると、葉月は言い淀んだ。頭の中には、それに対する答えはあるが口にしたくない。そんな様子。
「ミウ……今からボクが言うことを聞いたとしても、直ぐに頭の端に追いやることは出来るかい?」
「どういうこと?」
「今からボクが言おうとしていることは確定ではない。そのことを前提にした、タチの悪い推察だ。けど……スジは通っている」
葉月の目を見つめ、美烏はゆっくり、と首を縦に振る。
「ユカリが記憶を消す程のトラウマやストレスの原因は……ユウキなんじゃないかな?」
「……っ!」
葉月の言葉を聞いて、美烏は息を呑んだ。そして、口を開き、何かを言おうとしたが声を出す前に踏みとどまる。
葉月の言葉を元に思考を整理していく。夕輝が記憶喪失の原因を偽っていたとして、それはなぜか、と聞かれると、自身が原因だった場合、筋が通る。
そして、美烏と葉月は別件でもう一つの事実を知っていた。それは、中学生の頃、夕輝がグレていた、という事実。それが原因でレナとも疎遠に、結花凛はそんな夕輝を放っておけなかったとレナから聞いていた。
そんな夕輝が、今の性格に戻った転換期――それこそが結花凛の記憶が失われた時期なのではないだろうか。それが何を意味するのかは2人にはまだ分からないが、葉月の仮説を後押しする材料としては意味がありそうである。
「ミウ。勘違いしないでくれ。ボクは決して後ろ向きではないんだ。ボクはエンシードが大好きだ。だからこそ、このグループを永遠の記録に刻みたい。そう考えている。けれど、ボクたちは、まだ大きな爆弾を抱えているのかもしれない。そういう話だ」
一息置いて、葉月は言葉を続けた。
「結花凛の記憶はパンドラの箱なのかもしれない。レナは、それを開けようとしている。そして、それが開かれた時、ボクたちは今の関係でいられるのだろうか? グループがバラバラになる。それを最も嫌っているキミに、どうしてもボクの考えを聞いておいて欲しかったんだ」
その言葉を聞いて、動揺していた美烏が徐々に落ち着きを取り戻す。そして、冷静になってから葉月へと返事をした。
「ありがとう。気を使わせてしまったわね」
葉月に前もって言われた通り、聞いた話を頭の隅へと追いやったのか美烏は平然と話せている。その様子を見て葉月は、わずかに安堵の表情を見せた。
「その推察が、もし正解だったとしても……私は夕輝が悪い人だとは思わないわ。夕輝は、怒りっぽくて、調子が良くて、たまにウザイときもあるけれど、人のためを思って努力のできる優しい人よ」
「ああ。分かっているとも。ボクだって、いかなる理由があったとしても彼女を嫌いになることはないだろう」
夕輝によって、共に窮地を救われた身。彼女のやってきた行いを2人は、よく知っている。
「だからこそ……ボクは彼女たち3人を見守っていく。もうボクのように、誰もエンシードから欠けることがないようにね」
「鍵は夕輝が握っているのね……」
美烏が言う通り、当人で結花凛を除けば、この問題をどうにか出来そうなのは夕輝しかいない。そして、その夕輝をどうにかしようと動けば、葉月が言った通りの最悪な未来が訪れる可能性がある。
つまり、見守り、もしものときに対応する、そのくらいしか葉月と美烏の出る幕はないのだ。
「分かったわ。私も、そうする」
情報を共有した2人が、今後の方針を固め合った。
「おーい! 2人もこっちにおいでよー‼︎」
緊迫した空気から一変し、結花凛の気の抜けた声に葉月と美烏は手招きされる。
呼ばれてハっ、とした2人は目を見合わせて笑いあった。
「難しい話をしたけれど今はまだ、この優しい世界の中で、ボクらの日常を楽しもうじゃないか」
「ええ。同感ね」
結花凛に呼ばれるままに2人は、3人と合流する。
こうして葉月も無事エンシードに帰ってきて、5人の日常が再び回り出した。
しかし、葉月が言った通り、このグループには大きな問題が残っている。そんな危険な爆弾を抱えたまま、エンシードの5人は2学期を迎えるのだった。
感想及び評価をいただけると大変、励みになります。"この作品の感想を書く"、"この作品を評価する"から感想と評価、よろしくお願いいたします!