時は昼休みまでさかのぼり――生徒会室。
ドカンッ
腰をかけていたソファーから半身立ち上がり、目の前のちゃぶ台テーブルに拳を振り下ろす。
深く吐いたその息は少し震えていて、強く握る拳の震えと連動していた。
「あまり感情任せに乱暴なことはしない方がいい。この短期間で私が見つけたキミの短所だ。仮にもアイドルなんだろ? ファンが見たら幻滅するぞ」
そう指摘をしてきた若葉に対し、夕輝は鋭い目で睨みつける。
「キミがどれだけ反抗的であろうと関係ないんだよ。夕輝くんが約束を破ればそれまで。私は結花凛くんに、また接触するだけだ」
「分かってる。いちいち、言わなくていいって」
「だったら行動で示すんだ」
「なに焦ってんの? この間も言ったけど、こっちにもリスクがあんの。そんなに焦らなくても、今のユカの中にはちゃんと昔のユカが残ってるんじゃん? 演劇部との合同公演のとき確かに、それを感じた」
建前上、従ってはいるが結花凛の記憶を戻そうとする行為に否定的な夕輝は、明らかに不機嫌を撒き散らしながら反発する。
「らしいな。舞台の上の結花凛くんを見て、萌音が同じことを言った」
若葉は、表情を暗くし机に両肘を立てて手を組み合わせた。さっきまで高圧的だった若葉が、その勢いを感じさせないほど肩を落とす。その態度には、さすがの夕輝も動揺を見せた。
「萌音って、確か……。てか、見にきてたんだ」
「ああ。萌音は私の妹だ。かつて花園音楽教室で結花凛くんと同じ歌唱クラスに在籍していた。成り行きでバイオリンを習っていた私とは真逆で、将来的に海外留学も視野に入れていたほど音楽の才に恵まれた子だった」
若葉の声が部屋の空気を静かに揺らす。
「萌音は結花凛くんを越えようとしていた。けど、その目標が達成することはなくなった。結花凛くんは姿を消し、その後、萌音は暗い顔をしてただ私に『もう、歌は歌わない』、そう言ったんだ」
「ユカが悪いっての?」
「それを確かめるために記憶を戻させるんだ。だいたいキミは知らないのか? なぜ、結花凛くんが音楽の世界から姿を消したのかを」
ギロリ、とした鋭い瞳が夕輝へと向けられていた。しかし、それを全く意に返さず夕輝は息を吐く。
「知らない。そのとき、アタシは訳あってユカやレナから距離を置いてたから。あの頃のユカの歌のことなんか知らないんじゃん?」
「……」
その時、若葉は眉をわずかに上げた後、何かを考えるように黙って遠くを見つめ出した。
夕輝は、返事もしない、そんな若葉にため息を吐いて立ち上がる。
「じゃ、そういうことだから。同じ妹がいる身としてアンタには少しだけ同情するけど、こっちのことはこっちのペースでやらしてもらうよ」
「待て――」
退出しようと歩き出した夕輝を、強い口調で若葉は引き止めた。歩みを止めた夕輝が振り返り、細めた目で若葉を見つめる。
「文化祭に妹が来る。結花凛くんに会うと言っている。止めようとしたが、私は力不足だった」
「なにそれ。昔のユカを知る人と、今のユカを接触させるって? それで今のユカにストレスがかかって、体に悪影響がでたらどうする訳?」
「私も止めようとしたんだ! 私だって、今の結花凛くんと萌音を合わせたくない。萌音にはこれ以上、辛い顔はしてほしくないんだ……。けど、私は萌音に信頼されていない。当然だ。今まで自分のことばかりで妹と向き合ってこなかった。今更、いい姉を演じてもキミのようにはいかない」
夕輝が何度目かの、ため息をこぼした。
「情けな……」
「どうとでも言え。とにかく、文化祭までに結花凛くんの記憶を戻すんだ」
「……無茶がすぎるっての」
「そうでもしなければ文化祭当日にキミが言う通り、今の結花凛くんがストレスを受けるかもしれない。それこそ、スプリングフェスの時のように取り乱し、多くの人の前でその姿が晒される可能性だってある。それが嫌なら、どうにかするんだ」
夕輝は舌打ちを鳴らし、粗暴に頭を掻きむしる。それから止めていた足を動かして、生徒会室のドアノブに手をかけた。
「夕輝くん。美烏くんから承った文化祭ステージでのラブライブ地区予選出場の件は、生徒会長として責任持って必ず許可を得てくる。キミも、やるべきことを必ずやり遂げるんだ」
去り行く背中にそう声をかけるが、帰ってきたのは荒々しくドアを閉める音だけ。1人残された生徒会室は一気に静かになる。そんな音のない教室に、若葉の重たく吐いた息が溶け込んだ。
※
夕輝は若葉との密談を終えてからずっと、ムスッ、とした態度を見せている。6時間目のクラス会議の際、美烏は密かにそんな彼女を心配していた。
そんな夕輝の悩みの種であり、ある意味で当事者の 結花凛もまた、夕輝のことに気が回らないほどの別の問題を抱えている。
「あの……」
「……」
授業が終わり、人がいなくなった後の教室に2人の生徒の影がある。2人は机1つ分離れた位置に座り、各々A4サイズの紙に何かを書いているようだ。
「文化祭のポスターなんだけどさ、2人で案を出しあった方が良いものができるんじゃないかな! どう?」
「……」
文化祭補助員となった結花凛と愛紗は校内に貼るポスターのデザイン案を考えている。各クラスの文化祭補助員がポスターを作製し、文化祭の期間はそれで校内を彩るらしい。文化委員の面々が外部に配布するためのポスターやチラシを制作しているため、校内用は補助員が制作を担っていた。
「1人で作るからいい。部活でも何でも好きなとこ行ったら?」
ワンテンポ遅れて、棘のある口調で愛紗が返す。結花凛の顔を見ずに、作業をする手元を凝視したまま話す愛紗だったが、なかなか返事が返ってこずにチラリ、と隣に視線を向けた。
すると、1つ席を空けた距離に座っていたはずの結花凛が真隣にまで迫っており、思わず愛紗は身をのけぞらせる。そんな愛紗の態度など気にする素振りも見せず、結花凛は勢いのまま目の前の少女の瞳を覗いた。
「スクールアイドル部のこと心配してくれてるの⁉︎」
ラブライブ地区予選を控えている身として、結花凛は愛紗の発言を気遣いだと捉えたらしい。
自身に迫る結花凛を薄い目で睨みながら、愛紗は両手で耳を塞いだ。
「うるさいな。もっと静かに喋ってよ」
「あ、ごめんね」
クリクリとした瞳を煌めかせながら結花凛は殊勝な態度を見せる。それと同時に視線は愛紗が書いていたポスターに向けられており、再び快活な笑顔を光らせた。
「わぁ! 愛紗ちゃん、絵上手いね‼︎」
「なっ……! また、デッカい声出した! 辞めてって言ってるのに」
愛紗は怪訝な表情を結花凛に向けて席を立つ。そして、机の上の荷物をまとめてその場から距離を取った。露骨に結花凛を嫌がるようにして、別の席へと移ったのだ。
「あ、待ってよ愛紗ちゃん! ごめん、ってばー」
結花凛も負けじと後を追い、席に座る愛紗の背後に立って、その肩を両手で捕まえる。
「ポスターのデザイン一緒に考えよ?」
「だから……1人でやるから良いって。暇なわけじゃないんでしょ? 部活、行けばいいじゃん」
「ダメだよ。2人で補助員なんだから、2人で仕事しなきゃ」
「変なとこで真面目かよ。私は1人の方がはかどるのに……」
不機嫌そうな顔をして毒を吐き続ける愛紗であったが、そんな愛紗を見て結花凛はクスリ、と笑った。
「愛紗ちゃんだって真面目だよね? 補助員の仕事がなかったら、こんなに私と話してくれないでしょ?」
教室で結花凛が話しかけようものなら嫌な顔して愛紗はすぐに、その場を去る。そこまでして結花凛を避けているのに今そうしないのは、一重に仕事への責任感が強いからだ、と結花凛は主張したいようだ。
「……別に真面目とかじゃないし。クラスのやつらに後々、文句とか言われたくないからやってるだけだし」
「うん。私も仕事を放棄したら"文句"言われちゃうかもだから一緒にデザイン考えようね」
「春野は文句なんか言われないでしょ……」
「そんなことないよ」
軽く否定しながら、愛紗の座る机に別の机をくっ付けて、結花凛は腰を下ろした。
愛紗も観念したのか、もう逃げる姿勢は見せずに黙々と作業を再開させる。
「あのさ――」
しばらくして、意を決したかのように愛紗が口を開いた。
「この際だからハッキリ言っておくけど。私、春野と仲良くするつもりないから。ヘラヘラして近づいてきてもムダだよ。スクールアイドル部も応援しない」
突然の物言いに結花凛は目を丸くする。そんな結花凛の表情を一目確認して、愛紗はすぐに作業へ戻った。
「愛紗ちゃんは……スクールアイドルが嫌いなの?」
ぎごちない空気が漂うなか、結花凛がそう問いかける。
「別に。好きでも嫌いでもない」
愛紗がそう答えると、結花凛は眉を歪ませて首を傾げた。嫌いじゃないなら、どうして自分たちを邪険にするのか、どうにも結花凛には分からないらしい。
「私は、この学校が悪目立ちするのが嫌だったの」
「え?」
「私の家はこの近所で、小さな頃、若ノ芽のお姉さんたちが登校する姿が幼心にカッコよく思えた。バカみたいな理由だけど、それで私もここに進学したの。だから入学早々スクールアイドル部を発足させようってのが許せなかった。学校の名前を背負って悪目立ちしてほしくなかったの」
スクールアイドル部の発起人である結花凛を前にしても堂々と、そう言ってのける。愛紗は良くも悪くも物事をハッキリ言う性格で、それは彼女の美徳でありながら、彼女を悪く見せる原因でもあった。
「……ごめんね。私、知らなくて。でも、スクールアイドルは悪いものじゃないんだよ? キラキラしてて、カッコよくて――」
「いいよ。今は別に辞めて欲しいとか思ってないし。瓜谷や英刈みたいなプロもいて、学校の名前に泥を塗る感じじゃないし。ただ、応援する気になれないだけ」
結花凛の説得を簡単に払いのけ、愛紗はキッパリと言い切ってみせる。
「そっか……。でも、できれば愛紗ちゃんにも応援してもらえると嬉しいな。学校のみんなが応援してくれると私たちも力が湧いてくるから」
強く突き放す愛紗に対して、結花凛は優しく微笑みかけた。しかし、その笑顔に絆されることなく愛紗の表情は依然、暗く沈んだままである。
「アナタたちは学校に応援して欲しいのかもしれないけど、うちの学校はスクールアイドル部なんて必要としてない。若ノ芽は……スクールアイドルがいなくても良い学校だもん」
愛紗のその言葉を聞いて結花凛はピタリ、と固まってしまった。
ただ、やってみたい。憧れにも似たその想いを原動力に、結花凛は部と共に邁進してきた。愛紗が言うことは結花凛にとって新しい視点に他ならない。
「学校はスクールアイドル部を必要としていない……か。考えたこともなかったよ」
それはある意味当然のことである。学校のため、学校に必要だから、そういった理由で部活動をしている生徒はそういない。
しかし、ことスクールアイドルにおいては是が非ではない。スクールアイドルの名門校はスクールアイドルが顔となっているケースが多々ある。スクールアイドル主となって学校が有名になった事例も沢山あるのだ。
そういった意味では学校が有名になるためにスクールアイドルが必要だった他校に比べ、地域に根付く若ノ芽にスクールアイドルが必要かと問われると、必要ではないと言う生徒もいるかもしれない。
極論ではあるが、学校の伝統と特色を重んじるなら際物であるスクールアイドルを良しとしない気持ちも分からなくはなかった。
「学校に必要なスクールアイドル……どうしたらなれるのかな」
愛紗に問いかけるわけでもなく、結花凛は遠くを見つめ1人で小さく呟いた。
思い詰めるような表情の結花凛を見て、愛紗はわずかに唇を中心で噤む。
「とにかく。補助員の仕事は一緒にしてあげるけど、春野と仲良くするつもりはないって話! あんまり馴れ馴れしくしないで」
「あ……えっと。補助員の仕事、一緒に頑張ろうね」
強引に話をまとめた愛紗に、結花凛は苦い笑顔で、そう答えた。
それから、その日は帰宅の時間までポスターのデザイン案を話し合い、順調に仕事を進めながら同じ時を過ごした。しかし、2人の関係が縮まることはなく、仕事仲間以上の関係に発展することはなかったのだった。