「・・うわ・・・うわっ・・・!」
くろうさぎは、廊下を全力疾走していた。
徐々に痛みを増す肺、走りすぎてもつれ掛ける足・・その背後から聞こえてくる「ジュッ・・ジュッ・・」
と言う、水が入り込んだ長靴のような足音。
その足音は式姫の脚力をもってすら引き離すことが出来ない、先ほどから一定の距離を保っているように思える。
「こ、こんな事になるな・・・ら・・・ほんと・・なんで・・・!」
後悔まみれの愚痴をこぼしながら走る。
相手の虚を突くように、急角度で曲がり階段を駆け上がるくろうさぎ。
少しだけ、距離が離れた・・・気がする。
いい加減老朽化した常夜灯にかすかに浮かび上がる追跡者、足元は普通の人・・小柄な足だ、少しだけ女子生徒らしき衣服も見え隠れする、暗闇から顔が浮き出る・・その顔は・・・
「パリンッ」
常夜灯が、弾け飛んで廊下は暗闇に包まれる。
暗視能力が有る者が居れば、その廊下の光源がそういったように割れ飛んでいるのが見て取れただろう。
階段を駆け上がる足音をしばし凝視し、「ソイツ」は再度「ジュッ・・・ジュッ・・」と不快な足音を鳴らし追跡を再開する。
上階に上がりさらに走るくろうさぎ、一気に校舎の端まで向かいそこから撒くために元の階へ下る。
・・・上階から微かに足音が聞こえる・・・しばらくして「ガラッ」教室を開く音が聞こえる。
「み、見失った・・?」
これはチャンスだ、このまま一気に一階まで降りて校舎を出たら。
きっと助かる、校舎から出てしまえさえすれば無事だ。
何となく、本能的にそう思う。
ほどなくして、「ガラッ」また扉を開く音、くろうさぎの聴覚はそれが別の部屋での音である事を聞分ける。
「戦闘訓練と許可証・・とっとけばよかったかな・・・ははっ・・・」
式姫は呼ばれたてですら、熟練の兵士を凌駕するポテンシャルを秘めている、それは陰陽師以外の人々から見れば、脅威と警戒の対象でしかない。
故に、この時代では特別な訓練と許可を受けたもの以外、陰陽師によって力の大半を封じられそれでようやく人々に混ざり暮らしていけるようになった。
くろうさぎも、ただの喧嘩なら人間には負けないだろう、しかし怪異妖物ともなると・・・
閑話休題
足音を立てないように、ソッと上履きを脱ぐ。
一息つくと、廊下より深い暗闇が広がる階段は恐怖を増長させるが、そんな事は言っていられない。
大きく深呼吸をすると、くろうさぎは一階目掛けて駆け出す。
程なくして、下駄箱までたどり着くくろうさぎ。
顔に安堵の表情が浮かび上がる、早足に下駄箱まで向かい・・・・転倒!
ギョッとして、足元を見る。
か細い腕が階段の暗闇から伸び、その足をしっかり掴んでいる。
指は五本、しかしその指からまた小さな腕が伸び足を這い上がる、その小さな手からさらに極小の腕が生えまるで根を張るように徐々に徐々に上へ。
ソレが膝小僧まで達したとき、一気に引きずられる!
「う・・うわあああああああああ!!!!!」
成人の小走りくらいの速度で暗闇に引きずりこまれようとする、くろうさぎ。
さらに暗闇からはもう一本の腕が伸びてくる。
それは、くろうさぎの細い首に巻きつき締めあがる。
掌は、顔に張り付きおぞましくまさぐってくる・・ボサボサ気味の髪、目蓋、鼻・・・そして唇に触れたとき。
「ガブリ!!!」
くろうさぎはその指を全力で噛む!
口の中に、錆鉄のような嫌な味が広がる生肉を抉る不快な感触もあるがもはや無我夢中だ。
「ギッ!!」
そうくぐもった悲鳴が聞こえ、バッと腕が離れていく。
そして「ジュッジュッ」と足音が遠ざかり・・・・静寂。
尻餅をついた状態で口を戦慄かせていたが、突如何かを吐き出し咳き込む!
指だった、どうやら無我夢中で食いちぎったらしい。
思わずその場で嘔吐するくろうさぎ。
しばらく肩で息をしながらへたり込んでいたが、ゆっくりと下駄箱に体を預けながら立ち上がり・・よろよろと正面玄関を開く。
「はあァァァ・・・」
黒兎は心底うんざりした表情でため息を付いた。
先ほど鍵が落下した時「トポン」という音がした、それはつまり何らかの水の中に落ちたのだと想像出来る。
校舎を何周も回り、水場と言う水場さらには「トポン」いう音がしそうな場所周辺を探し回ったが・・・ない。
フラッシュライトのお陰で光源はわりと申し分ない、鍵単体ならともかく旅館の客室の鍵のような大きめのキーホルダーも付いているので、簡単に見つかると踏んでいたが・・・・。
ギギギギギ・・・と音でもしそうな様子で、ある場所を見やる。
「プール」
この冬場だ、本来ならプールに水なんか張ってはないのだが。
黒兎は、目線で呪殺でも出来そうな視線をプールに向ける・・・そこには見事なまでに並々と水が湛えられていた。
「くっそ、あいつら・・・校舎に侵入する前にここで、悪戯したな・・・・」
見逃さなきゃよかった、そう口の中もごもご文句を言いつつ黒兎はフェンスをよじ登る。
扉なんか施錠されてるだろうし、これが手っ取り早い。
水中をライトでくまなく探す・・・やはりあった。
ちょうど飛び込み台の2列目の少し先、ライトの光を浴びて軽くイラッと来るほどきらめいている。
「さて、どう取るかな・・・・・」
入水は論外だ、式姫だって寒中水泳なんて真っ平ごめんだ。
蜥蜴丸あたりなら、修行として嬉々としてやりそうだが・・それに出来れば水を抜いておいた方がいいだろう。
原状復帰滅法大事、そうしないと色々面倒な事になる。
まだ中学1年である黒兎には、水道代やその他諸々でバレるという事はまだ思いつかないのは愛嬌である。
そのまま、ポンプ室に向かう黒兎。
「ゲームとかだと、ここでハンドル抜かれててそれ探すんだよね・・・・」
まさかなー・・という表情でハンドルを確認する。
流石に、あった。
ほっと一息付きながら、ハンドルを回し排水を始める。
「今日は災難だったよ・・・はあ・・・鍵返して早く帰ろう・・・」
排水はそのままに、プールに戻る黒兎。
しかし彼女はそこでとんでもないというか・・・ある意味当たり前な光景を目撃する。
凄い勢いで排水口に向かい流れていく鍵!
プールの排水の威力は凄まじい、これで水死事故すら起こっているLVだ。
鍵ごときさもありなん!
「あーーーーーー!ダメ・・・だめ・・!まってまってー!!」
慌てて飛び込む黒兎。
水流に身を任せ、排水口に流れ去る寸前で見事捕獲!
・・・・人間の少女だったなら、翌日変わり果てた姿の黒兎を誰かが目撃していたであろう。
しかし、そこは式姫である。
排水の威力に負けず、水面に顔を出し・・・ふと思い出す。
「・・・・・・・・安全柵・・・・・・・・あった・・・・・よ・・・・ね・・・・」
完全なる徒労、完璧なる取り越し苦労!
黒兎は、水が完全に抜け切るまで・・・・この世の全てが嫌になったような顔で、そこに佇んでいた。
しばらくして、用務員室。
そこには、水も滴る良い兎と化した黒兎がブカブカのジャージ姿でストーブの前に陣取っていた。
ストーブの上には紐が吊るされ、彼女の着ていたものが揺れている。
ジャージは用務員のスペアだ、大人のさらに男性用で黒兎にはかなり大きい。
「はっくしゅ!」
このくらいでは式姫は風邪を引いたりしないが、寒いものは寒い。
一先ず、服が乾くまで・・・その前に先生や用務員が帰ってきたら・・・その時は、適当にごまかそう。
そう思案しながら、しばらくストーブの温もりに身をゆだねる。
この短時間に色々あったせいか、黒兎の表情がうとうとしたものに変わってき・・・・やがて、目蓋が閉じられた。