退屈は嫌いだった。
昔から
さまざまなものを記録していた私にとっては、静かな日常というものは耐えられるものではなかった。
退屈のあまり、何か一騒動起こしてその風景を他人事のように眺めようかと思った時もある。
我ながら、かなり危ない思想ではあるけれど。
でも、今はそんな心配はしていない。
親友の彼女と、そして『彼』が隣にいれば
私の世界は記録するもので溢れ
まるで一つの物語を刻めるかのような
そんな、退屈とは無縁な日常を送れていた。
「ほんっとうに凄かったの!」
初めて彼の噂を耳にしたのは、大切な親友の口からだった。
連邦生徒会長が失踪したという噂が広まり、キヴォトスの治安が急激に荒れ、混乱に陥っていた頃。
私たちのミレニアムサイエンススクールでも、風力発電所がシャットダウンするなど、多大な被害が出ていた。
そのことについて、連邦生徒会に怒り心頭な面持ちで抗議をしに行ったはずのユウカちゃんが、興奮した様子で帰ってきた。
彼女が話してるのは、シャーレの先生について
その時はまだ、連邦生徒会からの正式発表もなく、シャーレという組織についてもよくわかっていなかった。
なんでも着任初日だというのに、目を見張る統率力と不思議な力で、あっという間にサンクトゥムタワーの制御権を取り戻したらしい。
それを間近で見ていた親友が、目を輝かせて報告しにきたのが、その時の私にはとても印象的だった。
こうしてセミナーの部室で2人でお昼ご飯を食べながらも、ずっと先生の話をしてる。
「今キヴォトスは混乱に陥ってるけど、あんなにすごい先生が着任してくれるなら、きっと大丈夫! すぐに今まで通りになるはずよ!」
「ユウカちゃん、ひょっとして……」
「え? なに?」
「……いいえ、なんでもありません。ふふっそうですか。」
「ちょ、ちょっとなによそのにこやかな笑みは。」
「本当になんでもないですよ、ただ、ユウカちゃんにも春がきたんだな〜って思っただけです♪」
「ぶふ!!」
ユウカちゃんが口に含んでいた紅茶を吹き出す。
あらら、半信半疑でしたが、この反応はやっぱり……
「ゲホッ! ゲホッ! な、何を言い出すのよノア!」
「だってこんなに興奮してるユウカちゃんを見れば、誰だってわかりますよ。」
「そ、そんなんじゃないってば! た、たしかに先生はカッコよかったけど……」
俗に言う『一目惚れ』というものだろうか
冷酷な算術使いと称された、周りから多少恐れられている彼女の日常に、小さな花が咲いたようだ。
「大丈夫ですッ♪ 私はもちろん、親友の恋を応援しますからッ♪」
「だから違うってば〜!!」
願わくはその花が大きく育ち
実を結ぶことを……
それから、ユウカちゃんは時々、シャーレの当番として先生の元を訪れることになった。
セミナーの執務室に1人でいることが増え、少し寂しさも感じる。
しかし、その代わりに楽しみなことも増えた。
私は作業の手を止め、壁に立てかけられてある時計を見る。
(そろそろ来る時間ですね。)
私は机の上の資料を片付けて、代わりに引き出しから一冊の日誌を取り出し、広げる。
ぱら
ぱら
「〜〜〜〜♪」
日誌の前のページをパラパラとめくりながら鼻歌を歌っていると、セミナーの部室の扉が勢いよく開く音が聞こえた。
「聞いてよノア!」
「あら? どうしたんですかユウカちゃん? そんなに怒りっぽい顔してると可愛いお顔が台無しですよ。」
「い、いや怒ってるわけじゃないけど……ほんとに驚愕したのよ! 先生のこと!」
ユウカちゃんはシャーレから帰ってくると、必ずと言っていいほど先生の話をする。
それを私は日誌に記録するのが、いつの間にか日課になっていた。
「パソコンの使い方がわからないって言うから、私が教えてたのよ! そしたら途中でなんて言ったと思う!?」
「さぁ?」
「『エンターキーってなんだ?』よ!? 流石に現代人じゃないわよあの人!」
「先生はキヴォトスの外から来た方ですし、もしかしたらインターネットがあまり普及されてない所から来たのかもしれませんよ。」
「そ、そうかもしれないけど、それでも世間の常識を知らなすぎるわよ……この間だって確定申告の存在も知らなかったのよ?」
例えば電子機器の扱いに専ら疎いところとか
一般常識も持ち合わせていないところとか
話を聞くと、少し頼りなさが目立った。
「ほんとに、先生には私がついていてあげないとダメなんだから……」
それでも、彼のことを楽しげに話すユウカちゃん。
多分、先生に必要とされているのが嬉しいのだと思う。
そんなユウカちゃんを見て、私は徐々に先生に興味をもっていった。
ユウカちゃんの話を聞くたびに、私の日誌には先生のことが事細かに記録されていった。
まだ一度もお会いしたことがないのに、不思議な話だ。
お陰で初めてお会いした日には、彼のことをほとんど知っているほどになった。
晄輪大祭前日……とは言ってももはや当日になりそうな夜中。
その日彼と初めて会った。
「アテム先生初めまして♪ セミナーの書記を務めております、生塩ノアと申します。どうぞよろしくお願い致します✨」
『あぁ。ユウカから話はよく聞いてるぜ。よろしくな、ノア。』
身長がかなり小さくて可愛らしい印象も見られるが、顔はキリッとした目元が特徴的で、少し強面のようだ。
161センチの私からは、少し見下ろす形になるので、おそらくアリスちゃんと同じくらいの身長でしょうか?
「なんだか今日は妙にテンションが高いわね……」
テンションも高くなるだろう。
親友の想い人がどんな人なのか
ユウカちゃんから聞いた話でなんとなく知っているけど、やはり他者から聞いた記録と、自らが見た記録では全然違うことがある。
彼がどんな人物なのか見極めたい。
明らかに疲れているユウカちゃんはハーブティーを飲んだだけで寝てしまった。
晄輪大祭前日に起こったアクシデントを解決するために
「本日はよろしくお願いしますね、先生♪」
晄輪大祭が始まるまで、彼と行動を共にした。
早速一つ、彼についてわかったことがある。
例えば、破損した応援ロボットの修理を、エンジニア部に頼みに行った時
「応援ロボットの修理ですね! 我々エンジニア部にお任せください!」
「私たちが持っている力の全てを動員すれば、半日で足りるとも。」
「それに、先生の頼みなら尚更断れないね……」
「……はい♪ よろしくお願いしますね。」
ヴェリタスに晄輪大祭の電子周りの処理を頼みに行った時も
「……なるほどね、作業自体は難しくないし、先生の頼みでもあるなら、今回は引き受けてあげる。」
「……」
『……? どうした? ノア?』
「い、いいえ、なんでもありません。」
彼には『カリスマ』があった。
エンジニア部もヴェリタスも
先生の頼みとあらばと頷くばかり。
ヴェリタスに至ってはセミナーと仲が悪いはずなのに、先生の頼みだからという理由で二つ返事で手伝ってくれた。
もちろん私も彼女たちを説得する自信はあったが、まさかこうもとんとん拍子で進むとは。
その後はトレーニング部のスミレさんの元へ視察に行き
エンジニア部の応援ロボットが晄輪大祭反対派の『晄・反・会』の生徒さんたちにハッキングされ、奪われるなどのハプニングはあったものの
先生の力添えがあり、どうにか問題を解決することができた。
皆さんで晄輪大祭の最終準備をしながら、夜を明かそうとしていた時
外で風に当たっている先生に、私は声をかけた。
「こんばんは、先生、まだお休みにならないのですか? 明日もあるので、早めにお休みした方が……」
『あぁ、でもあまり眠れなくてな。』
「そうですか……」
多分、違うと思う。
何か事件が起きた時や、我々が何かの事情で困ったときのために、起きていてくれている。
「先生は、優しいんですね。理由はあるとはいえ、問題を起こした『晄・反・会』の生徒のために、まさか競技プログラムの一部を調整させるなんて。」
『いや、俺は提案しただけだ。しかも結局それでノアたちの仕事を増やしてしまっただろう。すまなかったな。』
「謝らないでください。大運動会は、キヴォトスの全生徒が一緒に楽しんで作っていくお祭り。その大運動会を楽しめない生徒がいるのは、セミナーとしてもどうにかしなければいけませんから。」
晄・反・会の人たちは、運動が得意ではなく、人に笑われるのが嫌だったから、エンジニア部作成の応援ロボットをハッキングし、暴走させるという今回の騒ぎを起こしたそうだ。
どうしても大運動会を楽しめない人たちのために、先生はリレーの途中に体力だけでは克服できないロジックパズルなどのゲームを追加することによって、身体能力の低い生徒にも逆転の可能性を与えることができるよう提案した。
そのおかげで、彼女たちは晄輪大祭に協力的になってくれた。
今も、私たちを笑顔で手伝ってくれている。
「先生の優しさで、間違いなく『晄・反・会』の人たちは救われたんですよ。」
『……そうか。』
私の言葉を聞いて、彼は少しだけ笑った。
『でも、違うんだ。俺が優しいわけじゃない。この優しさは、『ある奴』の受け売りだ。』
「あら、そうなのですか?」
『あぁ。あいつなら、きっとこうすると思ったからな。』
先生は視線を空へと向け、遠くを見る。
その瞳の先に、いったい誰が映っているのだろうか。
『それに、優しさで言えばノアも相当だと思うがな。』
「私がですか?」
『ああ、まさか疲れているユウカを紅茶で無理矢理寝かせるなんて思ってもいなかったぜ。』
「あぁ、なるほど……私はただ、親友が大運動会を楽しめないのはイヤでしたから♪」
『でも普通の人間は明日に本番が控えているというギリギリの状態でハプニングが起こったら、ユウカを休ませるなんて考えはまず出てこない。』
「それは……そうですね。」
『しかしノアは、自身と俺がいれば十分な案件だと即座に判断して、行動に移った。他者を思いやる優しさと、優秀さがなければできないことだ。』
「え、えっと……」
『エンジニア部の戦車……というか、応援ロボットが暴走した時も、ノアはすぐに何者かによるハッキングの可能性を考え、しかも無力化するアイデアまで思いついた。』
「……」
『誰よりも常に冷静に大局を見ることができ、状況を分析して周りのサポートができる。ノアは、凄い奴だ。』
「……」
こんなふうに直球で褒められるのは、いつぶりだろうか。
私が先生のことを分析するつもりが、まさか私の方も先生に分析されていたとは……
特許申請などの仕事をしている私は、どちらかというと相手を評価する立場なのだが
こうもストレートにに言われると、私といえども少し照れてしまう。
赤くなりそうな自分の顔を冷まし、いつものように、にこやかな笑顔で……
「……ありがとうございます。そう言っていただけると、私も嬉しいです。」
なるほど
多くの生徒が先生に夢中になる気持ちがわかります。
「でもそんな風にいろんな方に期待させるようなことを言って、後でユウカちゃんに後ろから刺されても知りませんよ?」
『……? 期待させる? 何をだ? なぜユウカが俺に危害を加えようとするんだ? 俺はユウカに嫌われるようなことはしてないつもりだぜ?』
あらら、自覚なしとは、これはユウカちゃんも先が思いやられますね。
「なんでもありません。今私が言ったことは忘れてください。」
彼がどのような人かは分かった。
いつも私たち生徒のことを考えて
頼りになり、信頼できる人。
この人ならきっと……
晄輪大祭が終わった後、私はユウカちゃんと同じように、シャーレの当番を任せられるくらいには先生と親しくなった。
時々ユウカちゃんと2人で当番に行く時もある。
彼の活躍はめざましかった。
晄輪大祭の件もそうだし
アリスちゃんがリオ会長に連れ去られた時も、先生がいなかったら、きっと連れ戻せなかっただろう。
『彼がいたら、キヴォトスはきっと大丈夫ね!』
まさにユウカちゃんの言った通りだった。
もはやキヴォトスの英雄と言っても差し支えないほど、彼の存在は大きくなっていった。
「ね、ねぇ、ノアって……先生のこと、どう思ってるの?」
「え?」
ある日のシャーレからの帰り道
突然ユウカちゃんから聞かれた。
「なぜそんなことを聞くのですか?」
ユウカちゃんの瞳を見る。
そこから感じられる不安
焦り
目に見えて嫉妬している。
「べ、別に単純に気になっただけよ! ノアが先生と出会ってから、明らかにノア上機嫌だから……」
上機嫌……?
自分ではそのような感覚はなかったけれど
でも、いつも一緒にいるユウカちゃんがそう言うってことは……
……
……もしかして、自分でも気づかないくらい浮かれていたのかも
でも……
「……安心してください。先生はとても魅力的な方ですが、少々強面ですし……私のタイプではありませんよ。」
これは間違いなく本心だ。
多分、私と先生が恋仲になることはないと思う。
「そ、そう……?」
本心を聞かせると、ユウカちゃんは誰が見てもわかるくらい安堵している。
安心したのは良いことだけど、親友の好きな人を奪い取る女だと思われているとしたら、少しショックです。
仕返しとして、少々イジらせてもらいましょうか♪
「それに先生を見るユウカちゃんの熱視線を見たら、そんな気も起きなくなりますよ。」
「え!? い、いや! そんなに先生のこと見てないわよ!」
「そうですか? でもこの1時間でユウカちゃんが先生の横顔を見た回数は78か……」
「ノ、ノアぁ〜!」
「ふふっ♪」
ユウカちゃんに怒られながら、私は感じた。
『ノアが先生と出会ってから、明らかにノア上機嫌だから……』
あぁ、そっか
楽しいんだ。
あの人が現れてから、知り合ってから、親しくなってから
私の世界に、退屈の2文字はなかった。
目を閉じれば思い出せる。
あの人と過ごした全ての記録は、私達にとってかけがえのないもので
パソコン機器の扱いや、現代の一般常識に疎すぎる先生と
先生を必死にサポートし、支えようとする、私の親友。
それを隣で見ているのが、私は大好きだった。
あぁ……どうかこの時が
永遠に続くように……