「肩の傷が酷いですね。すみません代わってください。」
メイズが呼び出した、魔界名医と呼ばれる魔人と、人の構造について他種族それこそ今を生きる人々ですら知らない事も識っているランがシャランの傷を見ていた。
ランが識っているのは当然だ。ランの種族はリリムと呼ばれるサキュバスの最上位、元々、人の先祖はサキュバスとは腹違いの兄弟に当たる。サキュバスから位を上げていったランだが、サキュバスとしても原初レベルの年長者だ。識っていて当然だった。
倒れたシャランを近くの清潔な部屋に運び込み、ランと魔界名医だけを残してメイズは外に出た。自分が居ても何も役に立たないと思ったからだ。ランの分の仕事や、まだ終わっていない仕事をしていた方が良いような気もする。気になる事もあるし、メイズは仕事をする為に歩き出した。
「傷の治療は済ませました。」
「ああ、ありがとう。」
「…ただ、問題が一つ。」
ランはベットメイクを終わらせたメイズにシャランの様子を報告していた。いい報告は、傷は完治し、命に別状はない状態まで持って行けたこと。悪い報告は、もう体力的にも問題がなく、目を覚ましても好い筈なのに、覚醒の兆候がないことだった。
シャランが宿屋《魔王城》の扉を潜った所で倒れてから、三日が経っている。今はまだ大丈夫だろうが、もし目を覚まさなければ、衰弱死することも考えなければいけなかった。
メイズはメイズで気になる事を調べていた。それは、残りの二組の事。先代勇者ジャナサンと、今代の勇者ウオイス一行の事だった。しかし、そちらは問題がなかった。ジャナサンは王城に、ウオイスは冒険者ギルドに居る事がわかったのだ。シャランがあれだけの傷を負っていたのは、二組を引かせる為に殿を務めたとの事だった。
「…それは、心に傷を負ったからじゃないのかい?」
ランとメイズの話を聞いていた宿屋の女将が言葉を発する。
「心に傷ですか?しかし、殿を言い出したのはシャランさんですよ。」
「裏切られた、とかじゃないよ。どちらかといえば出不精(ニート)のほうさね。」
あれだけの傷を負いながら殿を務め切ったシャラン。だが殿を務め切ったと言う事は、それだけ痛みが長引いたということ、心が折れかけていたとしてもおかしくはない。
本当ならシャランの性格上、ギルドまで報告に行ってから倒れるだろう。それほど頑固な所があるのだ。シャランという女性は。
しかし、そのシャランがリラックスできて、オフザケまでできる場所というのがあった。宿屋《魔王城》である。今回も心が折れかけている所に、心のオアシスが現れたのだ。当然そちらに向かう。宿屋《魔王城》で倒れたのが証拠になっていた。
この三日、曇りのち雨で太陽を見ていない。と憂鬱な気持ちでメイズは窓から空を見上げた。
「シャランさん、起きてください。起きないと朝食、僕が食べちゃいますよ。」
「シャランさん、起きてください。ほらほら、大道芸見逃しちゃいますよ。」
「シャランさん、起きてください。シャランさん。起きないと、起きないと死んじゃいますよ。」
メイズは時間があると、シャランの病室代わりになっている部屋に行き、シャランの手を握って声を掛けるようになっていた。知っている人の声で覚醒を促せるかもしれないと聞かされたからだ。
「此処は、何処だ?」
漆黒に包まれた場所をシャランは歩き続けていた。
「私は何処に行こうとしている。」
その疑問に答えるものはいない。そもそも、声に出しているかも怪しいのだ。口が動いている感触はあるものの、耳鳴りがしそうなほどに、何も見えないのだ。自分が光源になったと錯覚するほど、自分以外が見えない。ただ、何処かに行かなければいけないという思いに、引っ張られて唯歩いているだけだ。
「私は、どうなったのだ。」
全身を確かめるも、少々動きが悪いが、何処にも傷はなかった。
「私は、……誰だ」
もう、自分の姿も見えなくなってきた。意地と根性で足を動かしていたが、それも限界だった。そもそも、何処と言うのがあるのかも怪しい。体が急速に動かなくなってきた。視界が暗闇に閉じられる。
「ああ、…これが死というものか。」
その、闇に身を任そうとしたところで、声が聞こえた。
「シャランさん、起きてください。起きないと朝食、僕が食べちゃいますよ。」
「シャランさん、起きてください。ほらほら、大道芸見逃しちゃいますよ。」
その声は、純粋さにあふれている魔王の声だった。
「…誰だったかな?思い出せないな。大事な人だったような…、そうでないような…。」
少しだけ、自分が見えるようになった。
「シャランさん、起きてください。シャランさん。起きないと、起きないと僕、女装してシャランさんの事『お姉ちゃん』と呼びますよ。」
「激有りでっ!!」
暗闇からそう聞こえた瞬間、鼻から赤い愛を溢れさせながら仰け反る。いつの間にやら暗闇がはれて、声の主を見上げていた。
「…、シャランさ、ん?」
声の主メイズは、シャランの事を困惑したような、嬉しいような微妙な顔で見つめていた。
「ふむ、メイズ、それは違うぞ。」
「へっ?」
「さぁ、お姉ちゃんと呼ぶのだぁ!!」
「呼びませんっ!!」
何にしても、シャランは目を覚ましたのだ。
ガツガツと女性に有るまじき汚さで、目の前の食べ物の山を文字通りに消化していくシャラン。内容は御粥や、果物を摩り下ろした物、油部分を完全に取り除き口に入れるだけで融けてしまうような肉といった具合に、病人食だったが。それでも、その食べる速度と、量は常人の何倍もあった。
「…うむ、ご馳走様でした。」
「お粗末さまでした。」
シャランが一通り食べ終わり、挨拶をすると、それまでニコニコ笑顔で世話を焼いていたメイズがそう返した。
「ふむ。メイズ、すまんが食器返すのを頼んでいいかね。」
「はい、いいですよ。」
シャランがメイズの笑顔に居心地悪くなり、メイズに頼みごとをする。メイズは笑顔のままに承った。
「ふむ。メイズ、すまんが幾つか質問してもいいかね。」
「はい、いいですよ。」
シャランは、食器を洗い場に持って行って帰ってきたメイズにそう切り出す。メイズは笑顔のまま承った。
「その前に…。」
「はい?」
「ふむ。メイズ、すまんがメイド服を着てもらえないかね。」
「は…、着ませんよっ!!」
勢いのままシャランが押し、メイズが返事を返しそうになる。ニコニコ笑顔が引きつり、却下した。
「…ふむ、五日も寝てしまったか。」
「はい、しかし、何があったんですか?皆さんが居て、退かなければいけない事態になるなんて。」
気を失っていた期間を聞くと、少々残念なような、後悔するような表情をする。メイズは慰めようかと思ったが、長年の付き合いの経験から女装させられると判断。元々思っていた疑問をぶつける。
一人は一線を退いたといえ、勇者二人に勇者のパーティメンバー、更にその二人に追随できる実力を持つシャランがいて、こんな結果に終わることになった。
普通はあり得ないのだ。それこそ本気になったメイズが遊ばなければ。全力では無い所がメイズの実力が隔絶している事を思わせる。
「…ふむ、ああ、メイズにならいいか。……魔王が四人程いたのだ。」
一瞬迷ったシャランであったが、目の前の存在は最強と呼ばれる存在だったことを思い出して、爆弾をさらりと投下したのだった。