「いらっしゃいませ。ようこそ、安らぎと安眠をお届けする宿屋《魔王城》へ。」
カランカランとなった来客を知らせる音に、床を掃除していたメイズは視線を扉の方へと向けた。何時もの常套文句を言いつつ、入り口から入ってきた常連のお客様に笑顔を見せる。
「…メイズの笑みは相変わらず、…凶悪だな。」
「…どう言う事かな?……。」
常連のお客様に凶悪な笑みと言われた、メイズ=シュランクの容姿は悪くない。金のサラサラな短髪に、背の高い子供と間違われても仕方が無い低身長、撫肩の上、華奢な身体つき。釣り目だがパッチリと開いた目に真赤な血の様な瞳に小さな鼻、プルンッとした唇は濡れ光っていた。
少女と言っても言えてしまうメイズの笑みが凶悪と言えてしまうこの常連客の目がおかしいのだろうか? いや、この常連客、珍しく女性でありながら、冒険者稼業を生業としている者の中でも随一の実力者シャラン=レテールが指摘しているのは、メイズから漏れ出す魔力の方だった。
メイズの魔力はメイズの瞳が魔力の色、血の様な深紅色になっていることから遥かに高いことが窺える。本当ならここまで高い魔力量を誇ると、行動一つとっても魔力が籠り、それこそその場に居るだけでも大変な事になるのだが、メイズの卓越した魔力制御能力で抑えていた。
それでも漏れ出す魔力は凶悪と言っていいほどで、それを普通の人間なら問題なかっただろうが、シャランは感じており、凶悪と評したのだった。
何故、少女と言っていい華奢なメイズが、とんでもない魔力を持っているのか? それはメイズの生まれと職業が関係していた。
メイズの職業、魔王は人よりも圧倒的に自力と成長力が高い職業であり、また人と魔族のハーフであるメイズは、魔力の適正が高かったのだ。
「メイズ、あんたはいつまでお客様を玄関に立たせておくんだい。」
そんな魔王様でも、宿屋《魔王城》の絶対君主たる手にフライパンを持った女将には勝てなかったが。
「すみません、お客様。お泊りですか、お食事ですか?」
冷や汗を流しながらフライパンを見つめ、怖い笑顔の女将を見つめ。シャランの方を向いて、引き攣ったスマイルを張り付けた顔で、いつもの接客を心がける。
「…その内心を悟らせない笑顔をやめろ。」
「…酷いです、お客様。」
美少年といっていいメイズの笑顔だが、やはりシャランには不評だった。まだメイズの事を信用できないシャランにとっては、何かを企む顔に見えてしょうがなかったからだ。
「何時もの部屋で宜しいのですよね。」
「うむ。」
シャランはこのブレイバーグのレーテル公爵家のご令嬢でもある。当然この国に実家もあるが、自由人のシャランは息が詰まると、冒険者としての仕事中は宿屋《魔王城》に泊まっていくのが通例となっていた。
ただその頻度は高く、シャラン専用等と言われる部屋すらあったのだった。
御昼時に食事処として、宿屋《魔王城》の食事スペースは解放される。
「私に触ったら死ぬわよ。」
そんな場所で妖艶な声で物騒な事を告げつつ、笑顔のまま御尻に近づいてきた手を払ったウエイトレスがいた。
切れ目に白い肌。艶がでた真っ黒なカラスの濡れ羽色と言われる長い髪は腰まで届く。他の女性が羨む二つの山脈は垂れることがなくツンと上を向いていた。絵画から出てきた最高の美女と言われてもおかしくない女性がそこにはいた。
「いやいや、ランさんとデキんなら死んでも本望さ。」
「あらあらお上手。でも窓ガラスの向こうで、奥さんがオーガの形相をしてるわよ。」
「ヴエッ!!」
ウエイトレスの尻へと手を伸ばしていたジャナサンは、叩かれた手を擦りながら軽く軟派な言葉を告げる。そして返された言葉に冷や汗を垂らしながら固まった。錆びたカラクリがギギギと音を立てるかのような動作で後ろに向かって振り向いた。窓ガラスの向こう、ガラスにベッタリと顔をくっ付けたオーガと評された形相の女性が居た。
「相変わらず、ジャナサンはスケベなんだから。」
クスクス笑いながら、サキュバスの女王リリムと呼ばれる種族であるランは調理場にやってきた。
昼には遅いが、この時間帯は客が捌けて従業員は暇に成る。この時間帯に昼休憩を取るのが宿屋《魔王城》の習わしだ。
外から「ぎょえぇえええええ…」とオウノトリを絞殺したかのような声が聞こえた。ジャナサンが奥さんにとっ捕まり、公衆の面前で人には言えないようなことをしているのだろう。
「いやいや、ただジャナサンが奥さんに折檻されただけだろう。」
「あら、魔王様。私ったら声に出してました?」
「…いや、顔に出てたよ。」
メイズはランの顔から考えている事をズバリ当てる。しかし、目の前の淫乱ウエイトレスは慌てるどころか、余裕綽々にくすくす笑っている。
「あら、何度も、私に触れば生気を吸ってしまって死んでしまうと説明しても欲情を抑えてくれないんですもの。」
サキュバスであるランの主な食事は生気である。肉体的接触で相手の生気を吸い取るのだ。
普通のサキュバスであれば、男女の営み中に発する男の生気だけでも十分であるが、女王であるランの場合、下手に触れるだけでも相手を枯らしてしまう。
それゆえランの服装は胸を強調する扇情的なものだが、生気を吸わない顔以外のほとんどを覆っていた。手すら真っ白な手袋に覆われている。
それでも服装的に肌が出ている所もあり、スカートの中。下着と膝上まである黒いタイツの境目等がそれにあたる。
「魅了の魔法使っておいて良く言う。…まぁ相手がランならさすがの先代勇者といえども仕方ないか。」
「あら、私そんなもの使ってませんよ。」
「えっ。」
ジャナサンは先代の勇者だ。年を理由に勇者の座を降りたが、今だ現役である。今は城の騎士団や冒険者に強者等との戦い方を教えている傍ら、Aランクの冒険者として活躍中だ。
奥さんは勇者時代に共に冒険した仲間の聖拳闘士だ。勇者の座をジャナサンが降りたとき彼女が妊娠していることが発覚。所謂デキちゃった結婚をした。
しかしその後のジャナサンは女遊びが酷く、そのせいで勇者の座を降りる理由が女遊びをする為ではないかという噂ができたほどだ。
メイズはジャナサンから勇者は清廉潔白のイメージが付きまとうので女遊びが出来ず大変だったとも聞いていた。先の噂はある意味真実でもある。
「あらあら、ジャナサンはかわいい奥さんに嫉妬してもらいたいだけですわ。」
驚いたメイズが可笑しかったのだろう。くすくす笑うのがデフォルトになってきたランに、そう言われ、そんなもんかともメイズは思う。恋愛や恋等といった物は目の前の人物の得意分野だ。これだけは一生勝てやしないだろう。
メイズはそんなことを頭の中で考えつつ、野太い男の悲鳴と何か柔らかい物を殴る打撃音をBGMに昼食を取っていた。夕方からが大変だから、今の内にしっかり栄養を取り休養を取っておこうと思う。この国の人は、騒ぐのが好きだから。