アンドリーは戦争孤児である。1930年代に起こった第二次世界大戦の災禍により両親を失い頼れる親族とも連絡が取れなくなってしまったアンドリーは、齢12歳で天涯孤独の身の上となる。
普通であればそのまま多くの子供達が辿った様に野垂れ死ぬ運命であった彼は、幾つかの幸運に見舞われストリートチルドレンとして今日まで何とか生き繋ぐ事が出来た。
しかし、終戦に伴い国の治安がある程度回復した事によってしだいに路地裏での生活が厳しくなって来る。アンドリー自身、少年から青年になり始めていたが故に子供だからとある程度見逃されていた行為が取り辛くなっていたのも要因の一つだろう。
ともかく、このままではどうしようも無くなると考えたアンドリーはティダード王国の軍門を叩いた。当時、終戦を迎えたティダード王国では救国の英雄主催の元、自国の富国強兵化が進められており内外・身分問わず広く人員を集めていた。
その背景故に戦う心得や身元を保証する親族を持ち得ていないアンドリーの様な孤児でも簡単に軍部へ属する事が出来た。
当初はアンドリーもこれで毎日の食い扶持に困る事も無くなると喜んでいた。この選択が地獄へと突き落とされるとは知らずに…
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ここは地獄だ。
彼は軍属となった初日に新兵たちに用意された部屋の中で意識を刈り取られ、気が付いたらこの暗がりの底で目を覚ました。
正確な場所は分からないが、何やら大きな施設の様な印象をアンドリーは受けた。
ここに来る前、アンドリーはストリートチルドレンの頃は毎日がクソったれだと思いながら生活していた。が、そんな日々もここに比べればまだマシだったのだと思い知らされる。
何故ならこの地獄の場所で彼は全ての権利を奪われたからだ。生活の自由を、人の尊厳を、命の価値を、そして自分の名前さえも…。
03番。ここにおける彼の新しい呼び名だ。彼の存在は既に記号とし認識される
03番はこの闇底で毎日毎日殴打されていた。何の説明も無く拘束され身動きが取れない身体へ、恐ろしい仮面を被った益荒男が情け容赦なく拳を振り下ろし続けるのだ。
泣こうが叫ぼうが怒りを飛ばそうが何も変わらない日々。
もし自分と同じ境遇の物達が03番の周りに居なければとっくに彼の心は壊れていたかもしれない。
そう、この地獄に連れて来られたのは03番だけでは無かったのだ。男女がおおよそ半分ずつ。年齢も彼とそんなに大きく変わらないであろう物供が100名余り。彼・彼女らは03番と同じく番号で割り振られており、これまた同じく暴力の嵐に晒されていた。
あるいは、03番は彼等の中ではまだマシな扱いだったのかも知れない。
これは彼には知り得ない事であるのだが、数字の若い物は単純な殴る蹴る等の肉体的暴力を。そして数学が大きくならればなるほど肉体と精神を壊す拷問や尊厳を踏み躙る悪辣な行為が、彼等に施行されていたのだ。
そして数字の割り振りもこの底の場所に送られて来た順番に付けられたものなので、その点だけで言えば03番は運が良かったと言える。極論、100番の物に比べれば壊れるまで長く持ったのだから。
まあ、無間地獄が等活地獄に変わった所で地獄の場所である事には変わりないのではあるが。
とは言え、毎日の様に何の説明も目的も知らされずに殴られ続ければ誰だって肉体は勿論、精神にだって異常をきたすようになる。
03番もそれは例外では無かった。
もはや彼には今が朝なのか夜なのか、起きているのか寝ているのか、自分がこの暗がりの底に連れて来られて何日立ったのかも分からなくなっていた。
そればかりか自分が何者なのか、過去に何をして生活していたのかさえも曖昧だ。確かにあった筈の己の名前さえも既に忘却の彼方である。
日々の暴力によるストレスが彼のアイデンティティを崩壊に導いていた。
そんな中で彼を救ったのが過去の思い出だ。
まだ自分は小さな子供で、親の腕の中で健やかに過ごしていた日常。決して裕福では無かったけれども確かな幸せがあった時期。
03番は曖昧になり親の顔さえ分からなくなってしまった思い出に縋り、何とか日々の暴力から生き長らえていた。
今日もまた殴られる。前が見えない。暗がりで怖がって震えていると父と母が抱き締めてくれた気がした。03番は自分の身体を抱き締める自らの腕に気が付かずに小さな幸福を感じた。
今日は一杯蹴られた。いつだったか、転んで打ち身が出来た自分に母は心配そうに患部を優しく摩り父はドジだな、と泣き止むまで頭を撫でてくれていた。ほんの少しだけ痛みが引き、暖かな思い出のお陰か僅かに多幸感を抱く。
今日も殴られる。父と母の体温を思い出す。痛みが引いて来た。
今日は蹴られ続けた。上手く動かない腕で必死に身体を摩る。暖かくなって来た。少し、気持ちが良い…。
殴られる、蹴られる、叩き付けられる。ああ、良い。
暴力を振るわれる。とても良い。心地が良い。
また今日も殴打され続ける。
気持ちが良い!!
03番は肉体に苦痛を感じる度に幸福だった過去を思い出し、僅かに得られる多幸感を糧に地獄の日々を廃人にならずに乗り越え続けた。
しかし、それが次第に殴る蹴るの暴力をトリガーとして快楽を得る身体に変質してしまったのだ。
苦痛とストレスで常に曇っていた表情は、いつしか歪んだ笑みを携えてもっともっとと痛みを求める異常者へと変貌する。
ある時、そんな03番を気味悪がった獄卒役の達人が力の加減を間違えて殴ってしまう。しまった、と思ってしまうがもう遅い。
達人のソレは例え本気の一撃で無かったとしても未だ妙手クラスにも至っていない03番には、間違いなく致命の
だが彼は絶命しなかった。
明らかに許容量を超えるダメージに対応すべく脳は自らのリミッターを壊し、普段なら短時間しか生成しない
そして03番の体は達人の一撃を耐えるため、否、受け入れる為に全身に力を込めて張り詰めた一本の弦のようにそり返った。
彼の中で獄卒役から受けた特大のダメージと今にも爆発してしまいそうな何かが混ざり、03番の体の中で暴れ狂う。
そしてとうとう臨界点を迎えたソレは彼の口から咆哮が出るのと同時に爆発し、03番は
獄卒役であった達人は目を見開く。いかに才能がある者とて自力で気の開放に至る者は稀だ。
それが実験で使い潰す事が前提のモルモットが成し遂げたのだというのであるから、驚きもひとしおである。
だがこれは偶然の産物ではない。03番は毎日、達人である獄卒役から絶妙な力加減によって肉体を壊れない程度に痛め付けられていた。これがある種の外功の鍛錬になっていたのだ。
さらに日々の苦痛から逃れる為に行なっていた夢想が偶然気の要素を伸ばす役割を担い、いつの間にか気の開放直前の段階まで03番を成長させていた。
そこに達人のダメ押しの一撃が加わる事により、03番は殻を破り逃れ得ぬ死の定めを覆し克服したのである。
彼は人として必然的に新たな段階へと踏み入れたのだ。
しかし今は気の開放と精を同時に吐き出した事により03番は放心状態となってしまった。獄卒役の達人も予想外の事が起きてしまったためこれは自分の裁量権を超えると判断し、一旦実験を止め上役に報告をする事にした。
こうして03番は死ぬ筈であった運命を乗り越えて生き延びる事が出来たのである。
そしていずれ邪神の目に止まり、正式に弟子として迎えられるまで今しばらくモルモットとしての生活が続く。
だがもう彼には
これが拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードにより新たな名を与えられ、物から者に返り咲いた