「わぁ……! 本物だ!」
珍しい生き物を見つけたかのように、興味津々に私を観察してくる。まるで見世物小屋だ。牢屋だから余計にそう感じる。エルフは珍しいのであながち間違いでもないのかもしれない。全く敵意を、悪意を感じない。いや、悪意を感じないのは魔族だから当然か。私も予想外の事態の連続に混乱してしまっているのかもしれない。
不意打ちする。隙を見て逃げる。魔族を前にして行うべき葬送としての行動。なのにそれらを選択できずにいた。何が最善手で、悪手なのか。今の私には分からない。こと目の前の魔族には私の戦い方が、常識が通用しない。結局
「えっと……リーニエ、だよね?」
会話を選択してしまう。命乞いとも違う。魔族との会話なんて不毛、無駄だと断じてきた私自らが。天地がひっくり返った気分だ。だが会話の内容自体は理に適った物。ヒンメルの剣を持っていることに加えて、記されていた、伝え聞いた容姿とも目の前の魔族は一致している。ローブの下にはコルセットドレスのような物を着ている。確かヒンメルがアウラに贈った物のお下がりだったか。これで別人というのはあり得ないだろうが、念のため。それに
「っ! 私のこと知ってるの?」
それまで以上の反応を見せている魔族。どうやらリーニエで間違いではなかったらしい。それよりも私が自分のことを知っていたことに驚いているようだ。何故かそれを喜んでいるように見える。それが嘘か本当なのか。判別がつかない。
「ハイターやアイゼンから聞いたからね」
ひとまずは情報収集を、時間稼ぎを兼ねて会話を継続することにする。日記のことは伏せておく。いらぬ詮索や裏目になっても面倒だ。ひとまずは日記に記されていた内容の確認から。こいつが知っているであろうことを聞き出すために。
「そうなんだ! ハイターはもう死んじゃったって言ってたけど、アイゼンは元気にしてた?」
「……そうだね。相変わらずだったよ。そういえば、誕生日のために剣を作ってるって……」
「ほんと? また頼りに行かなくちゃ! 剣も研いでもらわないと」
まるで祖父の家に遊びに行く孫のように喜んでいる。とても騙しているように、嘘をついているようには見えない。頼りに行く、か。妙な言葉を使っている。確か、利用するの別の言い方だったか。アイゼンの教えだったはず。それをこいつは今も続けているということか。何よりも
「それって……」
「? うん。これはヒンメルの剣だよ。私の剣でもあるけど」
その手にある剣の状態を確認するように掲げている姿に目を奪われる。何度見ても間違いない。やっぱりヒンメルの剣だ。でも全然あの頃と変わっていない。きちんと手入れされているからだろう。話から察するにアイゼンが研いでいるらしい。なるほど。それで鍛冶にも手を出しているのか。本当にこいつには甘いのだろう。勇者一行が揃いも揃って魔族を可愛がっているのはどうなのか。それは別として
「本当にヒンメルからもらったんだね……」
あのヒンメルが、この剣を誰かに渡すなんて。この剣はヒンメルにとっては特別な剣だった。ヒンメルが勇者になろうと思ったきっかけ。本物ではない模造品、偽物の剣。それでもヒンメルはこの剣で成し遂げたのだ。魔王の討伐という御伽噺を。偽物でも本物になれるのだと。ヒンメルにとってはきっと、半身のような物のはずなのに。日記で読んで知っているはずなのに、現実感が湧かない。でもそれは
「そうだよ? これはヒンメルの形見なの」
「え……?」
目の前の魔族のあり得ない言葉によって覆されてしまう。思わず固まってしまう。当たり前だ。魔族がそんな言葉を使うなんて、あり得ない。こいつらにとっては物はただの物でしかない。持ち主がいない剣なんて、ただの剣でしかない。死んでしまった者なんてどうでもいい。それが魔族の思考のはず。なら、ただ見知った言葉を使っているだけなのか。そんな私の推測は
「フリーレンもこれを見たら、ヒンメルのこと思い出すでしょ? それが形見なんだって。アイゼンに教えてもらったんだ」
またしても覆されてしまう。それをどこまで理解しているのか分からない。それでもこいつにとって、ヒンメルの剣は特別なのだろう。そう、あの剣をヒンメルの剣と言っている時点で魔族としておかしいのだ。魔族ならそんなこと気にしないのだから。アイゼンの奴、一体魔族に何を吹き込んでいるのか。まさか本当にこいつを人間と勘違いしているのでは。
「形見、か……そうだね」
知らず、着けている指輪を触ってしまう。鏡蓮華の指輪。久遠の愛情を意味する贈り物。格好をつけた勇者の形見か。あまりそういう風に考えたことがなかったが、これもヒンメルの形見になるのだろうか。まさかそれを魔族に教えられるなんて。天地がひっくり返ってまた元に戻ってしまったかのよう。
「アウラ様もいっぱいヒンメルから形見をもらってるんだ。一番はアクセサリかな。今もずっと着けてるの。昔失くしちゃったとき、すごく怖かったんだから」
「そう……」
本当に怖かったのか。身振り手振りでその時の状況を再現し始めてしまう。本当に人間の子供みたいな魔族だ。人間の子供も、魔族も苦手な私にとってはまさに天敵だろう。アイゼンめ。分かって言っていたな。
そんな中、ようやくあいつの、アウラの話題が出てくる。あいつもまた、ヒンメルから多くの形見をもらっていたのだと。それは間違いない、私も知っている。知りたくもないことだったが。
(
「そういえば……フリーレンに会えたら、ずっと聞きたかったことがあったんだ」
「? 私に聞きたいこと……?」
知らず考え込んでしまっていたのか。そんなことを言ってくる。聞きたかったこと、か。こいつが私に。皆目見当がつかない。そのまま何とはなしにそれを待っていると
「うん。どうしてヒンメルに会いに来なかったの? ヒンメル、ずっと待ってたのに」
完全な不意打ちで、私の胸は打ち抜かれてしまった。
「────────」
言葉が出てこない。どころか息ができない。本当に魔法で胸を打ち抜かれてしまったような衝撃が襲い掛かってくる。気を抜いたらその場に倒れ込んでしまいそうなほど。立っていられたのは奇跡に近い。それはまさに
「……………………ごめん」
「何であやまるの? 私はヒンメルじゃないよ?」
「…………うん」
そう息も絶え絶えに返すのが精いっぱいだった。だというのにさらに追撃を加えてくる。もう致命傷なのに。無慈悲に過ぎる。
いや、そうではない。こいつには全くそんな気はないのだ。その証拠にそれまでと変わらず、きょとんとしている。こいつからすればただ疑問を口にしているだけ。悪意がないのだ。魔族なのだから。まさかそれがこんな風に作用するとは。まだ罵倒された方が、罵られた方が百倍マシだっただろう。
ようやく分かった。アイゼンの言葉の本当の意味が。まさしくこいつは私の天敵だ。許されるなら、このまま牢屋の中で百年は刑に服したいぐらいには。それができないなら泣き喚きたい。
こいつでこれなのだ。実際に
「流星を見る約束をしてて……それでいいって思ってたんだ……」
うなだれて、しおしおになりながらそう懺悔する。まるで神父にそうするように。嘘偽りない、私の本音。今思えばあり得ない、取り返しのつかない過ち。今まで誰にも明かしたことのない、胸の内。それをまさか魔族に晒すことになるなんて。でもそれを
「そっか! なら仕方ないね。人間はすぐ老いぼれちゃうから。リリーやシュトロもそうだし。生きてるうちにもっと遊んでおかなくちゃ」
「……そうだね」
目の前の魔族はそのまま受け止めてくれる。自分もそれが分かるのだと。悪意がない、純粋無垢な存在が故に。魔族という、長命種だからこそか。それでも、短命種との付き合い方をもう知っているという点では、あの時の私よりもずっと大人なのかもしれない。
「そういえばお前はどうして」
「私はリーニエだよ?」
「……リーニエはどうして私がフリーレンだって分かったの? エルフだから?」
改めてその名を口にしながら尋ねる。そもそもの疑問。お互い知ってはいるが、私たちは初対面だった。なのにどうしてリーニエは私がフリーレンだと分かったのか。エルフだからだろうか。そんな疑問に
「ううん。だって銅像にそっくりだもん。それにフリーレンっておばあちゃんみたいだからすぐ分かったよ」
「おばあ、ちゃん……?」
リーニエはさも当然のようにそう答えてくる。それを前にして、まるで私が魔族になってしまったかのように固まってしまう。リーニエが何を言っているのか理解できない。言葉の意味が。おばあちゃん。それを反芻するも全く頭に入ってこない。どうしてそうなるのか。まるで再び
「うん。おばあちゃんみたいな魔力だから。レルネンみたいだね。凄い!」
「…………アリガトウ」
まるで言葉を忘れてしまったかのように、そう返すので精一杯だった。どうやらリーニエにとっては誉め言葉だったらしい。恐らく熟練の魔法使い、ぐらいの意味合いだったのだろう。悪意はないのだ。だからこそ心を抉ってくる。日記の中で、ヒンメルが事あるごとにリーニエに振り回されていた理由がようやく分かった。本当なら年寄り扱いされたことをカウントしなければいけないのだが、もはやそんな気力もない。甘んじて受け入れるとしよう。
「でも本当に魔力を制限してるんだ。私と一緒だね。でも私よりも騙すのが上手いね。見てもすぐには分かんなかったもん」
「私の魔力の揺らぎが見えてるの?」
「ほんのちょっと。たまたまかな。私、魔力を見るのが得意だから! でもレルネンも凄いんだよ? 一目で私も見抜かれちゃって、あ! レルネンって言うのは一級魔法使いで、今はおじいちゃんみたいになっちゃってるけど凄く強いんだよ?」
どうやらリーニエが私をずっと見ていたのは、魔力の揺らぎを見ようとしていたからだったらしい。どうやらリーニエは魔力を見ることが得意だというのは本当らしい。私の揺らぎも見抜かれてしまうとは。だがそれは私も同じだ。もし何も知らなければ、リーニエの魔力の偽装を見抜くのは私でも難しかっただろう。それほどに洗練されている。生まれてからほぼずっとだとすれば、リーニエの方が偽装している期間は長いとも言えるのだから。
「……リーニエはどうしてここに来たの? 私を狙ってきたんじゃないの?」
改めて向かい合いながら、それでも未だに格子越しにリーニエに問いかける。まだ私とリーニエの間に、超えられない壁があるかのように。
「? 違うよ? 会いに来ただけだよ。ここにいるって聞いたから」
「会いに……? 何で?」
「だってヒンメルからいっぱい聞かされてたから話してみたかったの! 凄い魔法使いなんでしょ?」
そのままリーニエは矢継ぎ早に話しかけてくる。私に関するあることないこと。恥ずかしいことも含めて。五十年分。私にとっては恥辱とも言えるような内容ばかり。一体ヒンメルは何をこいつに吹き込んでいるのか。日記で知ってはいたが読み流していた。アイゼンにも言ったように、リーニエに関しての記述はヒンメルの主観が酷すぎて読むに堪えなかったからだ。だが、まさか本気にしているとは。勇者一行である私たちが脚色されるのは仕方ないが、まさかそれを勇者自身がするなんて。
「アウラから私のことは聞いてないの……?」
「何度か聞いたけど教えてくれなかったの。ヒンメルに聞きなさいって。何でかなー?」
そう言いながらリーニエは首を傾げている。どうやらアウラは私のことをほとんどリーニエには話していなかったらしい。なるほど。あいつらしい。私でもそうするだろう。そのせいで、リーニエの中の私がとんでもないことになってしまっているが。ようするにヒンメルのせいなのだろう。
「あいつは私のことを嫌ってるからね……じゃあ、私の二つ名も知らないの?」
「知ってるよ。葬送でしょ? たくさんの魔族を倒してきたんだって。凄いね!」
それとは関係なく、確認する。私の二つ名も知らないのかと。だがその意味は知っていたらしい。だというのにリーニエは臆することなく、どころか羨望の眼差しを向けてくる。理解できない。
「私が怖くないの? 魔族なのに」
私が怖くないのだろうか。魔族であるなら恐れて当然だ。魔族からすれば私はまさに死神なのだから。同時に既視感がある。ついこの間、似たようなことを誰かに聞いた気がする。あれは何だったか。
「……? うん。だってヒンメルに言われたもん。この剣を見せればフリーレンは話を聞いてくれるって」
その答えをリーニエは見せてくれる。その手にある、ヒンメルから託された剣。それを見せれば私が話を聞いてくれるのだと。今の私がその証拠だ。
「そう……ヒンメルらしいね」
そうか。この剣は、私に出会った時のための、リーニエにとってのお守りでもあったのだ。本当にヒンメルらしい。私のことも、リーニエのことも。全部お見通しだったのだろう。こういうところは、昔から変わらないんだから。
「あ、そうだ! フリーレンに会ったら見せるようにヒンメルに言われてたんだった!」
まるで忘れ物を思い出したかのように、リーニエは慌てた様子で何やら準備を始める。ローブを脱ぎ、服を整え、剣を持ち直している。まさかそのまま斬りかかってくるのか。そう思う反面、私の体が動かなかった。何故ならそれを私は知っていたから。思い出したから。それは
「私は勇者ヒンメルの一番弟子! 『例外』のリーニエ!」
妙なポーズを取りながら名乗りを上げる
「────」
それに覚えがあった。ヒンメル曰く、その姿を後世に伝えるためのイケメンポーズ集。忘れたくても忘れられない、下らない記憶の無駄遣い。私が未来に連れて行くと約束したもの。
『どうだい、フリーレン。僕の一番弟子は?』
そんな声が聞こえてきた。子供のように、弟子を自慢するヒンメルの声が。その気持ちが今の私には分かる。今の私にはフェルンがいるから。もしヒンメルが生きていたら、私もそうしただろう。かつて
知らず微笑んでしまっている自分がいた。魔族を前にしてそんなことをするなんて。生まれて初めての経験。きっと、昔の私ならあり得なかったこと。それでもこれはやっぱりやりすぎだ。
「? 何かおかしかった?」
「うん。全部かな」
「むぅ……」
私に笑われてしまったと思ったのだろう。不満げに膨れっ面になってしまう。なるほど。間違いなくこの子は、勇者の一番弟子なのだろう。ヒンメルの忘れ形見でもある。日記だけでしか知らなかった存在。
でも今は違う。時は巻き戻らない。私の過ちは許されないだろう。それでもほんの少し日記に、みんなに追いつけた気がした────