「怖がらせてしまってごめんなさい。いきなり魔族に話しかけられたら驚くわよね」
こちらの様子を窺うように、そう目の前の女性は謝ってくる。その両手を胸の前で合わせ、微笑みながら。その所作は完全に人間のそれだ。全く違和感がない。それでも目の前にいる女性は人間ではない。その証拠に額には人間ではあり得ない、二本の角がある。
『魔族』
人間を騙すために人間の真似をする人食いの化け物。それが魔族だ。私にとっては四人目の魔族になるのか。でもあのお二人は例外だ。クヴァールの時にはフリーレン様が一緒だった。だとすると私は今、初めて一人きりで魔族と出会ったことになる。
知らず緊張していた。当然だ。油断すれば次の瞬間、食べられてしまうかもしれないのだから。でもそこまでの緊張感ではなかった。それは目の前の魔族の振る舞い、雰囲気によるもの。どこか安心してしまうような、惹きつけられてしまうような空気がある。あのお二人も人間そのものといった言動をしていたが、魔族というのは皆こうなのだろうか。だとしたら、人間が騙されてしまうのも無理ないのかもしれない。
「でも大丈夫よ。ここフリージアでは全ての魔族は祝福を受けているから人間を食べたり、傷つけたりはできないの」
まるでこちらの心を読んだかのようなタイミングで、優しくそう教えてくれる。まるで教師のように、親しい隣人のように。
そう、それが私が迷っている、惑わされている最大の理由。ここが魔族国家フリージアだからこそ。人間と魔族。相容れないはずの二つの種族が共存している楽園。もしここでなければ、出会った瞬間私は杖を構えていただろう。でもここフリージアではそれは許されない。フリージアでは暴力は、相手を傷つけることは禁じられているのだから。
目の前の魔族が言うように、魔族はアウラ様の魔法によってそれを強制されている。魔族だけでなく、人間もか。だからこそ、この楽園は成り立っている。
「君、魔法使いよね? 見れば分かるわ。この時期に君みたいな若い魔法使いがやってくるのは珍しいから、つい声をかけてしまったの。迷惑だったかしら?」
私が警戒しているのを感じ取ったからか。少し困った様子を見せながらそう私に声をかけた理由を明かしてくる。確かにそうか。今、ここフリージアは戦時体制。入国してくる人間は限られている。そんな中で、明らかにここに来るのが初めての未熟な魔法使い。目を引いてしまうのも無理はない。
「いえ、そんなことは……あの、私はフェルンと言います。ここに来るのは初めてで」
そこでようやく私は会話を選択する。己の名を明かしながら。魔族と会話するという、フリーレン様ならしないであろう行為。その弟子として、それを理解しながらも言葉をかわす。
「フェルン。良い名前ね。ご両親がつけてくれたの? その顔立ち、南側諸国の出身なのかしら? 可愛い髪飾りね。誰かからの贈り物?」
それが嬉しかったのか。まるで堰を切ったかのように、魔族の女性、ソリテール様は次々と私に問いかけてくる。思わずこっちが気圧されてしまうほど。まるで珍しいものを見つけたかのよう。
「ごめんなさい。一遍に聞かれても困るよね。お話に夢中になってしまうのは私の悪い癖ね。まずはそうね、君は何をしにここフリージアへ?」
そんな私の困惑にようやく気付いたのか。いけない、とばかりに自省をしている姿はまさに人間そのもの。その声も、仕草も。このままずっと話続けていたら、魔族であることを忘れてしまいそうになるほどに。それを諫めながらも
「えっと……その、アウラ様にお会いしたくて」
そう偽ることなく答える。嘘はついていない。でも詳しいことまでは明かさずに。あまり喋りすぎると、余計なことまで漏らしてしまいかねない。それはきっとこの場では相応しくない。
「アウラに? そう、とても素敵ね。でも今は難しいわね。今は戦時体制になっているせいで、アウラには面会できないわ。祝福も裁判も中断されてるぐらいよ」
「そうですか……」
ソリテール様の話に、思わずそう落胆してしまう。よく考えれば当然だろう。戦時体制で入国できただけでもできすぎだったのだ。そのまますんなりとアウラ様に会えるはずもない。何とか取り次いでもらえれば。その手立てを考えようとする前に、ふと気づく。見逃すことができない違和感。それは
「あの、今アウラ様のことを呼び捨てに……?」
目の前のソリテール様が、ごく自然にアウラ様のことを呼び捨てにしていたから。まるで親しい間柄であるかのように。
「ええ。私はアウラとは古い知り合いでね。友達みたいなものなの。ここフリージアの建国にも携わっているわ」
「凄い方なのですね、ソリテール様は」
どうやらソリテール様はここフリージアでも格が高い魔族であったらしい。魔族の言う古い、ということは何百年単位の話だろうか。何よりも友達、という表現。魔族でもそういう感情はあるのだろうか。何にせよ、ソリテール様が特別であることは変わりない。そんな方が何故。
「そんなことはないわ。でもそのおかげで私はアウラと面会できるの。ちょうど良いから一緒に行きましょう?」
まるで流れるように、そのままソリテール様は私を誘ってくださる。この状況であっても自分にはそれが可能なのだと。後ろ手に、背を向けながら。もう一緒に行くことが決まっているかのように。思わずそれにそのまま付いて行ってしまいたくなる。
「そんな、ご迷惑では……?」
「構わないわ。それに私、人間とお話しするのが好きなの。道中でお話を聞かせてもらえると嬉しいわ」
改めてそう伺うも、微笑みながらソリテール様はそう言ってくださる。人と話をするのが好きだと。きっとそれは嘘ではないのだろう。さっきの質問攻めを見れば一目瞭然。きっとこの方にとっては道案内はそのついでなのかもしれない。それを拒む理由が自分にはない。いや、それを選択することしか今の自分にはできない。一刻も早く私の目的を果たすためには。
「はい。宜しくお願いします。ソリテール様」
頭を下げながら、その名を告げながら。私はそのまま知らない魔族に付いて行くことになるのだった────
それは本当にあっという間の時間だった。本当にお話が好きなのだろう。色々な事をソリテール様に聞かれた。
人間の会話の研究。それがソリテール様の研究のテーマらしい。それに納得するしかない。どこで生まれて、どんな食べ物が好きなのかまで。何でも会話から習慣や文化、魔法技術を研究するためらしい。魔族は自らの魔法を探求すること以外には興味がないのかと思っていたのに。自覚はあるのか、ソリテール様自身も自分は変わり者なのだと言うほど。
でもそれが不快ではなかった。むしろ楽しかった。話をすることが心地良いと感じるほど。研究者という方は、みんなこうなのだろうか。
だからこそ嘘をつくのが、誤魔化すのが大変だった。それは私自身の生い立ちのせいでもある。私の人生の多くが、フリーレン様たち、勇者様一行の方々との生活なのだから。魔族にとって、勇者様一行はまさに大敵だ。フリーレン様の二つ名はその最たるもの。先のグラナトのように、それが明るみになればどんな不測の事態になるか分からない。ここは魔族の国なのだから。なのでそれを伏せながら話をするのに一番苦労した。フリーレン様ではないが、私も嘘をつくのは向いていないのだろう。
そんな私の事情を知る由もないソリテール様は、特に私が小さい頃にアウラ様のお世話になった話に興味を示されていた。まるで珍しい、興味深い生き物を見つけたかのように。好奇心だろうか。それとも魔族ゆえだろうか。まるでそう、観察されているかのような違和感。研究者だと自認されるのも納得だ。
「本当ならもっと賑わっているのだけれど、残念ね」
一区切りついたのか、ソリテール様はそう言いながら街並みを眺めている。そこには多くの建物が並びながらも、閑散としてしまっている光景があった。きっと戦時体制になっているせいだろう。戒厳令と言ってもいいのかもしれない。そのせいで住民のほとんどが出歩いていない。賑わっている光景を見て見たかったのはあるが、それ以上に気になっていることがあった。それは
「何故フリージアは戦時体制になっているのですか?」
ここに着いてからずっと抱いていた疑問。グラナトと和睦交渉をしている真っ最中だというのに、どうしてそんなことを。何か私には預かり知れない国家間のやり取りがあるのだろうか。
「グラナトとの交渉のためだと言われているけど、本当のところは分からないわね。でもある噂が流れているの」
「噂、ですか?」
ソリテール様でもその理由はご存知ないらしい。でもその代わりに、とばかりにある噂を私に教えて下さる。それは
「ええ。あの葬送のフリーレンがここにやってくるという噂よ。君はフリーレンは知ってる?」
私にとっては耳に痛い、いや聞きたくなかった噂話だった。何故ならそれは噂でも何でもない、真実に他ならなかったのだから。
そんな私の姿を、先程までと同じように観察しながら、ソリテール様はそう問いかけてくる。フリーレン様のことを知っているのかと。何もおかしくはない、会話の流れ。なのに
「……はい。勇者様一行のお話はよく聞かされていたので」
「そう。やっぱり人間は勇者一行が好きよね。興味深いわ」
一拍置きながら、嘘をつき通す。いや、嘘はついてはいない。でも本当のことを明かさずに。今までの話した内容と矛盾がないように。まるで私の方が嘘つきに、魔族になってしまったかのよう。嘘を重ねれば重ねるほど、自分の首が締まっていくような気がする。それにソリテール様も相槌を打ってくださる。上手く誤魔化せただろうか。平静を装いながら、自分を落ち着けようとしていると
「あそこがアウラがいる教会よ。大聖堂とも呼ばれているわね」
そんな言葉と共に、視界に巨大な建物が入ってくる。大聖堂と呼ばれているのも納得だ。聖都のそれに勝るとも劣らない建造物。この国の国王であり、教主でもあるアウラ様に相応しいものなのだろう。間違いない。その絶大な魔力が感じられる。見間違えるはずもない、私にとっては久方ぶりの感覚。同時にようやくこの状況から抜け出す機会でもある。
「ソリテール様。お忙しい中、ありがとうございました。あとは私だけでも大丈夫ですので」
「あらそう。こっちこそお話に付き合ってくれてありがとう。とても有意義だったわ」
その機を逃さぬよう、自然にそう謝意を述べ、その場を後にする。心からのもの。そこに嘘はない。ここまで案内して下さったこと。たくさんのお話を聞かせてもらったこと。一刻も早くアウラ様に会いに行くこと。でも、それよりも、何よりも早くこの場から離れなければならなかった。本当なら、アウラ様への取り次ぎをお願いしなければいけないのに。何故なら
(この方は……いえ、この魔族は嘘をついている)
目の前の魔族。ソリテールが嘘をついているから。
初めからソリテールが嘘をついていることは分かっていた。それはソリテールの言葉。フリージアの魔族は全て祝福を受けているのだと。それがまず嘘だ。ハイター様が存命の頃から、私はフリージアについて、教典を含めて学んでいた。アウラ様やリーニエ様のことをもっと知りたいと、いつかそこに行ってみたいと思っていたからこそ。
そこで知った。教主であり、国王であるアウラ様は当然として、魔族の神官や衛兵には人間を傷つける権利が与えられている。リーニエ様もきっとそれにあたるのだろう。なのにそれを隠している。何のために。決まっている。それは目の前の魔族、ソリテールもそうだから。
アウラ様を呼び捨てにしたことからもそれが明らかだ。そんなことができる、許される魔族は限られている。それはフリーレン様に叩き込まれた魔族の知識。魔族は魔力の多い者に従う習性がある。逆に言えば魔力の劣る魔族は、逆らうことができないことを意味する。つまりソリテールは大魔族である、アウラ様と同格であるということ。そんなソリテールがアウラ様の魔法で制限を架せられているとは思えない。
でも私はその名前を知らない。旅が始まる前に、私はフリーレン様から現存する大魔族の名前を叩きこまれた。なのに、ソリテールなんて名前の大魔族は知らない。つまり、目の前の魔族は無名の大魔族なのだ。その恐ろしさ。つまりソリテールは出会った人間を皆殺しにしているということ。そして不可解なのは
(魔力が揺らいでいる……やっぱりこいつは魔力を制限している)
魔力を制限していること。僅かだが、その揺らぎが見える。魔族がそんなことをする理由が見当たらない。何故なら魔族にとって魔力は誇りだからだ。それを私たちのように包み隠すことはない。何かそれをする理由がなければ。何か意味があるのだ。嘘をついている。思い出すのは、かつてのアウラ様の忠告。
『
魔族は嘘つきだと。信用するなという言葉。自分も魔族なのに、私を心配しての矛盾した忠告。
ハイター様も仰っていた。嘘は二つあるのだと。一つは相手を騙すための、自分のための嘘。魔族の嘘はこれだ。もう一つが相手のための嘘。誰かのためにつく、優しい嘘。アウラ様の嘘はまさにそれだ。
でもこいつの嘘は違う。食虫植物のように、蜜で、嘘で私たちを誘い出す。それが魔族。
フリーレン様に教えてもらった通りだ。魔族の祖先。それは人を誘き寄せるために物陰から「助けて」と言葉を発した魔物。目の前の魔族はそれに連なる者なのだろう。
だからこそ、私は騙された振りをしながらここまでやってきた。本当なら誘い自体を断ることもできたが、リスクが高いので避けた形。もしそれで実力行使に出られれば為す術がない。よしんばそこで別れられても、追跡される危険がある。なら騙された振りをして、そのまま人気のあるところに。しかしそれは叶わなかった。あとはこうして怪しまれないように、自然にアウラ様の庇護を求めること。でも
「そういえば、大事なことを聞き忘れていたわ」
私の見通しは甘かったのだ。気づけていなかったのだ。
「────君、魔力を制限しているわね。どうしてそんなことをしているの?」
私は既に、ソリテールという大魔族の蜘蛛の糸に囚われてしまっているということに。
動悸がする。眩暈がする。立ち眩みがする。
一瞬、ソリテールが何を言っているのか分からなかった。まるで言葉が理解できないかのように。きっと無意識に脳が拒絶していたのだろう。その言葉の意味を。それが何を意味するのか。
「それは……
「そうなの。素敵な先生ね。でもあまり効率的ではないわね。そんなことをするより、他の技術を磨いた方がずっと強くなれるのに」
少しでもそれを先延ばしに、抗うために言葉を発する。まるで命乞いのようだ。なのに。それが通用しない。
「でもきっと魔法使いを、いいえ魔族を騙すにはこれ以上ない嘘ね」
まるでその嘘を愉しんでいるかのように、ソリテールは私を観察している。もがいている虫を見て、無邪気に愉しんでいる子供のように。
「実は私、同じことをしている魔族を知っているの。リーニエって言うんだけど」
その名を耳にしたことで再び鼓動が跳ねる。普段なら嬉しさで、懐かしさで高鳴るはずの心臓の音が、今は痛い。こいつが何を言わんとしているか、理解しているからこそ。
「でもそれは本来あり得ないの。魔族は魔力を包み隠さないし、包み隠せないから」
それは魔族の習性。どんなに人間の真似をしても、例え大魔族であっても覆せない、生き物としての本能。言葉を話すだけの猛獣の愚かさ。それを葬送であるフリーレン様は突いてきた。魔族が言葉で人間を欺くように、魔力で欺いて魔族を殺す。それを私も受け継いでいる。葬送の弟子として。
「リーニエをそう育てたのはアウラ。ならアウラが魔力の制限を思いついた? いいえ、そうじゃないわ。いくらアウラでも魔族からそんな発想は出てこない。なら人間の誰かがアウラに教えた。それは誰? そう、きっとアウラの近くにいた勇者一行の誰かが」
それはまるで論文だった。研究者が好んで使うような言い回し。会話などではない。そう。これは独り言だ。そうか。ずっと感じていた違和感の正体にようやく気付いた。こいつは人間とお話なんてしていない。こいつにとって人間はただの実験動物。観察と言う名の一人遊びをしているだけだったのだと。
「そういえば、つい最近ある噂を耳にしたの。封印されていた腐敗の賢老クヴァールが討伐されたって。他ならぬ葬送のフリーレンによってね。なんでも人間の弟子も一緒だったらしいわ」
そう、初めから結論が分かっていたのに、わざわざそれを隠し、私の反応を見るためだけに。私を観察している、捕食者の姿。
蛇に睨まれた蛙。恐怖によって体が動かない。動かなければ。杖を構えなければ。竜を前にしても、臆病なのに決して逃げなかったシュタルク様のように。同時にフリーレン様の教えが脳裏をよぎる。大魔族相手には戦わない。逃げること。でも、逃げることができなければどうすればいいのか。
「ねえ、君はもしかして────」
その答えを出せぬまま、目の前の魔族がその答えを口にしようとした瞬間
「おや、こんなところで何をされているのですか、ソリテール様?」
初めて聞いたはずなのに、どこか懐かしさを感じる老人の声が私の耳に響き渡った────