ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第百十一話 「攻防」

────それはまさに多勢に無勢だった。

 

 

無数の魔物の群れ。その多くを占める四足獣が大地を駆け、同じ獲物に向かって大挙として押し寄せていく。たった一人のエルフに向かって。前後左右。どこにも逃げ場はない。その牙と爪に切り裂かれれば、ひとたまりもないであろう華奢な体。絶体絶命。それは誰の目にも明らかだった。だがそれは彼女には当てはまらない。何故なら

 

 

彼女は歴史上で最も多くの魔族を葬り去った、『葬送』のフリーレンなのだから。

 

 

瞬間、彼女は飛び立った。まるでそれが当たり前のように空へと。地を這う獣たちには届かない領域。それに気づき、魔物たちが顔を上げた瞬間に全ては終わっていた。それはまさに地獄の業火だった。視界の全てを覆い尽くすほどの圧倒的な炎と熱。晒され、浴びせられ、魔物たちは消し炭になって消えていく。死ねば魔力の塵となって消える定めすら許さないかのように。

 

眼下の光景にも眉一つ動かさないフリーレン。だが既に感じ取っていた。目ではなく、魔力で。体を翻す間もなく、新たな大型の鳥の魔物たちが襲い掛かっていく。まるで獲物が飛び上がってくるのを待ち構えていたかのように。狡猾に、容赦なく。その爪がフリーレンを捕らえようとするも、それは見えない壁によって防がれる。幾重にも重ねられた、魔力の壁によって。その堅牢さに、襲い掛かった魔物の爪の方が砕かれてしまう。その隙を突き、雷光が辺りを支配する。雷が次々に魔物たちを打ち落としていく。違うのは、それが天からではなく、フリーレンの持つ杖から放たれていたこと。天罰にも似た、破滅の雷。

 

天と地。周囲の魔物たちを苦も無くこの世から消し去りながら、ゆっくりとフリーレンは大地へと降り立つ。並みの魔法使いなら命がいくつあっても足りない窮地を、何事もなかったかのように。息一つ乱さず、氷のような表情を変えぬまま。

 

 

それが勇者一行の魔法使い。最後の大魔法使いの力だった────

 

 

 

(思ったよりも落ち着いているね……もっと冷静さを失うかと思ってたけど)

 

 

舞い上がる砂埃を杖で払いながら、視線を向ける。数えきれないほどの不死の軍勢。それに守られるように、その奥に控えている軍勢の主へと。そこには天秤を手にしたまま、こちらを見つめているアウラの姿があった。だがその表情は先程までとは全く違う。まるでこちらを観察するような、冷静な魔法使いの顔。

 

それは少なからず私の想像とは違っていた。もっとがむしゃらに、強引にこちらを攻め立ててくると思っていたのに。それがあったのは最初だけ。すぐにアウラは後方へと下がり、こちらの様子を窺っている。冷静さを失っていない。どうやらこちらの思惑は外れてしまったらしい。

 

 

(ヒンメルはもういない、か……これじゃあどっちが化け物か分からないね)

 

 

そう自嘲するしかない。先のやり取りに起因するもの。ヒンメルはもういない。そう口にした時のあいつの表情。そしてそれを口にする自身の愚かさ。

 

鏡の自分を罵倒している気分だ。だからこいつには会いたくなかった。ここには来たくなかった。こうなるのが分かっていたから。自分が人間ではないのだと思い知らされるから。人の心を知ろうとしていなかったかつての自分を。いや、知ろうとしている今の自分だからこそか。

 

今の私とあいつに一体何の差があるのか。あえてあんな言葉を突きつけ、動揺を、内心を暴こうとする私の方が、悪意がある分よっぽど化け物かもしれない。

 

 

(余計なことを考えている余裕はない。全てはこの勝負が終わってからだ)

 

 

全ての煩悶を切り捨て、葬送に徹する。後悔は後だ。今はこの戦いに勝つことを。でなければここに来た意味がない。

 

 

(明らかに以前のあいつとは違う……まるで別人みたいだ)

 

 

まずは今のアウラだ。明らかに以前と違う。端的に言えば驕りが、油断がない。魔族の、強い魔法使いだからこそ逃れられない隙が。

 

『不死の軍勢』

 

それがアウラの持つ力であり戦力。服従の魔法(アゼリューゼ)によって操られた死を恐れない、超越した集団。かつては人間の死者を手駒としていたが、今は生きた魔物を代替にしている。その点で言えば不死ではないのだろうが、些細な違いでしかない。

 

その恐ろしさは圧倒的物量だ。数という、単純であるが故に強力な戦法。それによって相手を蹂躙するのがかつてのアウラの戦法だった。良くも悪くも魔族らしい、自らの魔法に絶対の自信を持っているが故の力押しによるもの。

 

だが今の不死の軍勢は違う。そもその運用が異なる。配置も無造作ではなく、分散して配置されている。まとめて排除されないように。地上には四足歩行の獣型。空には鳥型の魔物。制空権は握られてしまっている。いくら飛行魔法が使えるとはいっても、空を飛ぶ生き物たちには及ばない。できるのは低空飛行ぐらいか。そもそもアウラを相手にするのに、長時間飛行するのは悪手でしかない。飛行魔法は魔力を大量に消費してしまう。

 

何よりも厄介なのは魔物たちが確実に私の死角を、隙を突いてくること。そこには明らかな戦術があった。まるでチェスのように。こちらの手を、勝ち筋を潰してくるような手筋。不死の軍勢の強みである物量に加えて、今はさらに連携が加わっている。まるで本物の軍隊のよう。本来なら自分たち人類が得意とする分野。それを魔族であるアウラが行っている。悪い冗談でしかない。

 

 

(まるで魔族に……いや、魔王になった気分だね)

 

 

それは八十年前とはまるで逆の構図。魔力や強さを大きく上回っている相手に対して、それに劣る者たちが戦いを挑んできている。まるでかつて勇者一行(私たち)が魔王や七崩賢に挑んだように。でも今の私は一人だ。もう共に戦ってくれた仲間はこの場にはいない。それを突きつけられたような気がする。

 

 

(単純だけど……これが今の最適解かな)

 

 

改めて杖を握り直す。軍勢を減らす事。それが今の私の目的。奇しくもかつての時と同じ戦法。不死の軍勢を滅ぼすためには、アウラを倒すしかない。だがアウラを倒すためには不死の軍勢を突破しなくていけない。二律背反。ならまずはその軍勢を少しでも減らすしかない。

 

 

攻撃には破滅の雷を放つ魔法(ジュドラジルム)地獄の業火を出す魔法(ヴォルザンベル)を使用。私が好んで使っている魔法でもある。威力と範囲に優れ、一対一でも、複数相手でも使える汎用性が理由だ。速射性においては一般攻撃魔法(ゾルトラーク)の方が上だが、この状況では、不死の軍勢相手には効果が薄い。普通なら致命傷の一撃であっても、不死の軍勢であれば操られているため、痛みや恐れもなく襲い掛かってくる。ならかつての戦いでそうしたように、行動不能な損壊を与えるしかない。

 

 

(もうヒンメルには怒られない、か……まさかあいつに教えられるなんてね)

 

 

思い返すのは先のやり取り。そんなことを気にしなくても、もうヒンメルに怒られることはない。そんなあいつの言葉。ヒンメルはいないじゃない、と。きっとそれは私が言われるであろう言葉だったのだろう。本来ならあいつのように私が激昂し、慟哭しなければならないはず。本当に何もかもがあべこべだ。もっとも、私はあいつのように感情を表には出せないだろうが。

 

そんな無駄な思考の最中、再び不死の軍勢が襲い掛かってくる。先の攻防の焼き回し。地上と空中から襲いくる魔物を炎と雷で焼き払う。だがその度に魔力は消費させられ、防御魔法を展開させられるほど、それはさらに加速していく。特に防御魔法は展開し続ければ私であってもその消費は甚大な物になってしまう。それこそがアウラの狙いなのだろう。愚直なほどに執拗に、その一点を狙っている。それはこの戦いにおいて、魔力の消費こそが雌雄を決するものだとあいつも私も理解していることに他ならない。

 

 

(────ここだ)

 

 

絶え間ない猛攻の合間、そのわずかな隙を狙って魔法を行使する。瞬間、魔力の砲撃が軍勢の合間を縫うように放たれる。その軌道を変えながら一瞬でアウラの元へと迫る。一般攻撃魔法(ゾルトラーク)。不死の軍勢に対しては有効性は低いが、アウラに対してはそうではない。その速射性こそがこの魔法の強み。離れた位置からでも、軍勢に隙があれば狙い討つことができる。云わばチェックメイトのようなもの。しかしそれは

 

 

「残念だったわね。私には届かないわ」

 

 

王の周りに配置されている駒によって防がれてしまう。攻撃が来ることが分かっていたのか。アウラは身じろぎすらしない。代わりにその周りに控えさせている魔物がその盾となり、一般攻撃魔法(ゾルトラーク)を防いでしまう。見れば強固な表皮をしている魔物だ。恐らくは魔法を弾ける強度を持つ魔物なのだろう。この辺りでは見かけない。北部高原の魔物だろうか。あの辺りの魔物はこの辺りの魔物とは比べ物にならないぐらいに厄介だ。量だけでなく、質も兼ね備えているのか。そう想定を上方修正しようとするも

 

 

「お返しよ」

 

 

それよりも早く、一般攻撃魔法(ゾルトラーク)が私の元へと返ってきた。

 

 

「っ!」

 

 

瞬時にそれを回避しようとするも既に周囲には魔物たちが迫っており、逃げ場がない。反射的に防御魔法を展開して耐えるしかない。そのまま再び襲い来る魔物たちを駆逐しながらも、アウラとの間合いは一向に詰めることができない。魔力もこちらの方が遥かに多く消費させられてしまった。先の一般攻撃魔法(ゾルトラーク)もアウラを仕留めるためではなく、それを防御させることで魔力の消費を狙った物だったのだが、そのままやり返されてしまった形。

 

 

一般攻撃魔法(ゾルトラーク)はあんただけの専売特許じゃないわ。本当に人類はこの魔法が好きよね。ああ、そういえばこの魔法を普及させたのはあんただったわね。おかげで南側は酷い有様だったわよ」

 

 

その魔法術式をあえて見せつけ、愉しげに笑いながらアウラはそう告げてくる。この魔法の成り立ちを。元々は魔族の魔法であったものだが、それは人類の魔法体系に組み込まれている。強すぎる魔法であったが故に。それを私は誰よりも知っている。言われるまでもない。それが何をもたらしてしまったのかも。

 

 

「……まるで見てきたみたいに言うね」

「ええ。見てきたわ。本当に人間たちは愚かね。魔族たちが大人しくなったら今度は人間同士で殺し合いを始めるんだから。良かったわね。おかげで人間を殺す魔法(ゾルトラーク)は一般攻撃魔法にまで貶められた。クヴァールにもちゃんと教えてあげた? 自分の魔法で死ねたんならあいつも本望でしょうね」

 

 

それによって人間を殺す魔法(ゾルトラーク)はもっとも人類を殺した魔法となってしまった。クヴァールの手ではなく、人類自身の手によって。これ以上にない皮肉。悪意がない魔族ではなく、悪意がある人間だからこそ、起きてしまった悲劇。過ち。それに加担してしまった私自身の功罪でもある。まさかそれをこいつに指摘されるとは。まさにそれはこちらの動揺を狙う、魔族の典型的な手口。

 

 

「────」

 

 

それはほんの僅かな思考の隙だった。それが言葉であるが故に、人類(私たち)の脳はその意味を理解しようとしてしまう。現に私は動揺してしまっていた。原始的だからこそ効果的な戦法。どうしてもその対処はたった一瞬、ほんの誤差のような時間だが、思考する分だけ遅れることになる。そしてそれを

 

 

大魔族であるアウラが見逃すことなどあり得ない。

 

 

「……っ!」

 

 

それは圧倒的な質量だった。大地という質量が雪崩のように、槍の雨のように私の足元から、空から降り注いでくる。反射が遅れた私にそれを回避する術はない。できるのは防御魔法で耐えることだけ。しかしその質量によって防御魔法は耐えきれず、ひび割れていく。それをさらなる魔力で無理やり構築し直し、何とかその場を脱する。

 

 

(危なかった……あのままだったら押しつぶされてたね)

 

 

体勢を立て直しながらも、警戒するしかない。間違いない。今のは物質を操る人類の魔法。魔族の魔法ではない。それを大魔族であるアウラが使ってくるなんて。その意味。日記で記録としては知っていたものの、それを目の当たりにすることによる衝撃は計り知れない。何よりもこれは、現代の魔法戦の基礎だ。一般攻撃魔法(ゾルトラーク)によって複雑化し、魔力の消費が膨大になってしまった防御魔法を破るために、現代の魔法使いは魔力の消費を抑えた物質、質量を操る攻撃を主としている。まさかそれをアウラが仕掛けてくるとは。人類の魔法にも精通しているということか。

 

 

「本当に変わったね、アウラ。魔族のくせに人間の魔法を使うなんて。魔族の誇りとやらはどこに行ったの?」

人間を殺す魔法(ゾルトラーク)を使ってるあんたたちが言うんじゃないわよ。役に立つなら何でも使うわ。例え下らない魔法でもね」

 

 

魔族の、魔法使いの誇りを刺激し、隙を作ろうとするもアウラは全く動じることはない。むしろ愉しげですらある。己の力を過信しているわけでも、卑下しているわけでもない。使えるものは何でも使う。人類の魔法でも、魔族の魔法でも違いはない。それは魔族としては成立しえない思考。もうそれすらこいつには分かっていない、無意識なのだろう。それがどれだけ異常で、恐ろしいことか理解していない。

 

 

「そう。それで花畑の魔法も覚えたのか。全然似合ってないね」

「鏡を見てみたらどう? これでも役に立つのよ。人間を騙すのにはね。どうして人間はあんなに花が好きなのかしら。ただの植物じゃない」

 

 

先の攻防で乱れた息を整える時間を稼ぐためにそう話を続ける。それは指摘しなければいけないと思っていた事柄でもあった。私にとっても諸刃の剣とも言えるもの。先のように魔法戦に使える魔法ではない、魔族からすれば本当に無駄な、意味のないはずの魔法。だがそれにアウラはそんな意味を見出しているらしい。なるほど。それは盲点だった。そう考えることも出来るのか。本当に哀れだ。そう考えることで、自分を魔族だと言い聞かせているのだろう。

 

 

「そう。それでフェルンも騙したのか。魔導書まで渡して。随分気に入ったみたいだね」

「ただの気紛れよ。あんたこそ、弟子にするなんて入れ込んでるじゃない。そういえばあの子も言ってたわよ。ここで暮らしたいってね。愛想を尽かされたんじゃない?」

「────」

 

 

だからこそ、その発言こそが私にとっては一番の衝撃だった。そう、それは一見何でもない会話だ。何の違和感もない。だからこそあり得ない。何故ならこれは人類と魔族の会話だからだ。人類同士ではない。だというのに、アウラは私にそうあえて伝えている。ただの魔族なら事実だけを伝えてくる。それが嘘だとしても。なのにこいつは、それ以上の物をそこに込めている。私に対する、明確な悪意を。魔族が決して持つことがないとされる感情を。

 

事ここに至って、確信する。目の前の魔族が、魔族を超えた存在であることを。

 

 

「……そうだね。フェルンがそうしたいって言うんならそうすればいい」

 

 

それに敬意を表して、嘘偽りなく答える。私の答えを。恐らくは、アウラからすれば予想外の答えを。私にとってはなんてことはない、当たり前の答え。もしフェルンが本当にそうしたいのなら、そうすればいい。それを邪魔することはない。あの子がそうしたいと選んだのならそうさせてやるべきだ。師匠だからと言って、弟子を縛る権利はない。親子であってもそれは同じだろう。元々フェルンはここで暮らしていてもおかしくはなかったのだから。みんなには薄情者だと言われそうだが。それが私の考え方。

 

 

 

「……あんた、本気で言ってるわけ?」

 

 

それはこいつにとっては違うのだろう。自分から煽ってきたくせに、自分で困惑している。まるで魔族の答えに驚く人間のように。そういった意味では、こいつの方が人の親に近いのだろう。もっともリーニエを見るに、子育てには苦労しているようだが。

 

 

「嘘をつく意味なんてないよ。私はお前とは違う。疑うならその天秤で確かめてみればいい。できればだけど」

「……っ!」

 

 

自分を戒める意味で、そう告げる。その視線を天秤へと向ける。そう、私の言葉が本当か嘘かなんてすぐに分かることだ。その天秤を使えばいいのだから。もっとも今はそれができないのを理解した上で。人類が持ちえる、悪意を込めて。それがアウラも分かっているのだろう。明確な敵意を持って、私を睨み返してくる。

 

 

『服従の天秤』

 

 

それがこの戦いの鍵であり、全てでもある。その天秤が傾いた方が勝者となる。魔力の多寡だけが、その指標。だからこそこの戦いは、魔力の削り合いが全てと言っても過言ではない。それ以外は些事だと言っていい。

 

 

(魔力は私の方が多いけど……不死の軍勢込みなら分が悪いかな)

 

 

息はもう整っている。時間稼ぎは十分だ。改めてアウラの魔力を目を凝らして見る。五百年の歳月を鍛錬に捧げてきたに足る絶大な魔力。それは出会った当初に比べてわずかに消費されている。恐らくは服従させた魔物を操るのにもわずかではあるが魔力を消費するのだろう。それとも複雑な命令ならなおのことか。加えて一般攻撃魔法(ゾルトラーク)や物質を操る魔法も使用している。その消費によるものだろう。もっとも全体の魔力からすれば微々たるものだろうが。

 

当然魔力量自体は圧倒的に私の方が有利だ。およそ倍だろうか。しかしそれは気休めにしかならない。何故なら戦力という意味では、不死の軍勢はある意味魔力の備えとも言えるのだから。その証拠にアウラは魔力をほとんど消費せずに、不死の軍勢によって私の魔力を削っている。そう考えれば、私とアウラの間に魔力差はほとんどない。むしろ私の方が分が悪いだろう。だから大魔族は嫌いだ。私の千年の鍛錬も、その魔法によっていとも容易く覆してくる。不条理に、理不尽に。

 

 

(本当なら魔力の偽装が一番活きる相手なんだけど……そう上手くはいかないか)

 

 

だがアウラに関しては私にとっては相性が良い相手だった。魔力の偽装という私の戦い方が、もっとも有効に働く相手。しかしそれは過去の話。それは既に知られてしまっている。アドバンテージはない。だがそれはアウラも同じだ。

 

 

(私もあいつの魔法を知ってるって点では同じ条件だけど、服従の魔法は知られても相手に押し付けられる強みがある。厄介だね)

 

 

私もあいつの魔法を知ってるのだから。本来ならそれは致命的な情報になり得る。だがこと七崩賢の魔法にそれは当てはまらない。それがある以上、私は常にあいつの魔力を上回るように戦わなくてはいけなくなる。つまり、魔力を半分制限されているようなものだ。厄介なことこの上ない。常に主導権はあちらにある。むしろ服従の魔法を知っているせいで、こちらの行動は制限されてしまう。まさに人知を、理を超える魔法。魔法よりも呪いに近い。人類よりも遥か高みの魔法。

 

 

(泣き言を言っても仕方ないか……もう泣くのは済ませたからね)

 

 

それでもやるしかない。今までとは勝利条件も全く違う。ただ相手を葬るだけなら手段はいくらでもある。でもそれでは意味がない。より困難な道だろう。でも逃げるわけにはいかない。

 

知らず身体が震えそうになる。まるでアイゼンのように。強い魔法使いと戦う時はいつもそうだ。それを平気なように装ってきた。今もそうだ。きっとアイゼンには、いやみんなにはお見通しだったのだろう。そういう意味では、私も戦士なのかもしれない。

 

 

(私もこの八十年間、遊んでたわけじゃない……条件は整いつつある。あとはいつ手札を切るか)

 

 

魔王を討伐してからの八十年。私もただ遊んでいたわけではない。残された七崩賢、大魔族の魔法の解析。それを進めてきた。その呪いを解くために。断頭台のアウラと戦う時のために。例え魔力の偽装がバレているとしても関係ない。ならその上で、さらに欺くだけ。それが私の、葬送の戦い方。

 

 

「気に入らないわね……あんた、何を企んでるわけ?」

「それはこっちの台詞だよ、アウラ。逃げるなら今の内だよ。逃げるのは得意でしょ」

 

 

そんな私の気配を感じ取ったのか。アウラは攻撃の手を止め、様子を窺っている。やはりこいつは慎重で臆病な魔族なのだろう。私と同じように。だからこそ手に取るようにわかる。こいつの心の内が。

 

だからこそ、そこを突く。かつてのように逃げればいいと。無様にみっともなく。かつてのように隠れればいい。ヒンメルに恐れをなしていたように。私がマハトに敗北し、魔王と戦うことから逃げていたあの頃のように。同じように、ヒンメルに連れ出されるその時まで。

 

 

「逃げる? この私が? あんたから? なんでそんなことしなきゃいけないのよ。逃げるのはあんたの方よ」

「私が? どうして?」

 

 

互いが互いを罵り合う。鏡のように向かい合いながら。ただの自傷行為だ。何の意味もない、愚かな行為。それでも私たちはそれを止められない。止まれない。

 

 

「決まってるじゃない。私の方が圧倒的に優勢だから」

 

 

先に動いたのはアウラだった。自信に満ちた笑みと共に、そう己の優位を誇示する。ただの虚勢とも取れるもの。だが感じ取る。それが決してハッタリではないことを。その肌で。

 

 

(……? これは……?)

 

 

それは違和感だった。戦いや、会話によって気づくことができていなかった微かな違和感。何かに肌を触れられているような。知らず、自分が攻撃されているような────

 

 

瞬間、体が動いていた。経験則に基づく反射。それに従って天高く舞い上がる。それに追い縋ってくる無数の鳥型の魔物は全て無視する。ただ魔力探知に全神経を注ぎ込む。それは時間にして数秒。それでも確かに捉えた。その瞳でも。自分にとっては当たってほしくない、最悪の事態を。それは

 

 

(間違いない……! あれは混沌花……!)

 

 

混沌花と呼ばれる、巨大な植物のような魔物だった。同時に戦慄する。それが一体何を意味するのか。

 

 

「ようやく気付いたみたいね。とっておきよ。さあ、どうする?」

 

 

そんな私の思考を、動揺を嘲笑うかのようにアウラは告げる。まるで盤上を支配する王のように。それは間違いではない。まさに私はアウラによって詰みに近い状態に追い詰められていたのだから。それも知らぬ内に。

 

 

「────っ!!」

 

 

アウラの嘲笑も、周りの軍勢も無視しながら強引に混沌花へと向かう。その最中、全力の一般攻撃魔法(ゾルトラーク)を放つも、その全ては混沌花の周りの魔物の盾によって防がれてしまう。先のアウラを守る光景と同じ。アウラ自身の操作だろう。つまり、アウラにとってもそれだけの価値が、あの混沌花にはあるということ。

 

『呪い』

 

それは魔物や魔族が使う、人類が未だに解明できていない魔法を指す言葉。七崩賢の魔法がまさにそれにあたる。そしてあの混沌花も人を眠らせたり、石にしたりする呪いを使ってくる。もしそれが成立してしまえば、そこで私は終わりだ。人類の魔法技術では原理も解除方法も分からない。唯一の例外が女神様の魔法。だがそれを扱えるのはハイター、聖典の所持者だけ。パーティに僧侶が必要とされる理由がそこにある。

 

今の一人きりの私にはそれがない。眠らされれば、石にされれば、治してくれる仲間はいない。それが分かっているからこその狡猾な罠。これまでの執拗に繰り返すような同じ攻撃も、会話も。混沌花の存在を隠すための、欺くための嘘。今の私の弱点を的確に付いてくる、アウラだからこそできる罠。

 

混沌花を守るかのように襲い掛かってくる魔物の大群。その全てを無視し、全力の防御魔法で身を守りながら降下する。魔力の消費もダメージも度外視だ。一秒でも早くあれを始末しなければ。弾丸のように、身を丸めながら眼下に迫った混沌花に直接魔法を放たんとするも

 

 

「やっと隙を見せたわね、フリーレン?」

 

 

それよりも早く、魔力の光が私に襲い掛かってくる。見間違えるはずのない、アウラの一般攻撃魔法(ゾルトラーク)。混沌花を狙っている、隙を晒している私を狙いすました物。そこでようやく理解する。混沌花ですらこのための布石、囮だったのだと。私の行動を強制するための。分かっていても、私がその手を指さざるを得ない状況に追い込むために。一朝一夕にできることではない。そうだ。私がこの時のために準備をしていたように、アウラもまたそれは同じ。むしろ地の利はアウラにある。

 

魔物たちの猛攻によって傷ついていた防御魔法は苦も無く破られていく。ただの一般攻撃魔法(ゾルトラーク)ではない。高圧縮された一般攻撃魔法(ゾルトラーク)。私が混沌花に気を取られている間に、魔力を込めていたのだろう。その直撃による衝撃と痛みによって意識が暗転する。

 

今の私にできるのはそのまま落下の衝撃に備えることだけだった────

 

 

 

(どうやら上手くいったみたいね……いい気味だわ)

 

 

その光景にそう溜飲を下ろす。額には汗が滲んでいる。極度の緊張に加え、慣れない過度な不死の軍勢の操作による反動。それを悟られまいと平静を装っていたが、余計な心配だったかもしれない。こちらの策略が上手く嵌った形。

 

不死の軍勢の物量による圧殺。それが一番の私の強み。だがことフリーレンにはそれだけでは通用しないのは八十年前から分かり切っていたことだ。認めたくはないが、相手は千年以上を生きた大魔法使い。どんな魔法や攻撃手段を持っているか分かったものではない。魔力の削り合いにおいても優位に立てるとは限らない。

 

なら、不死の軍勢を囮にすればいい。一人でも軍勢を操れること。多数であるということ。それが私の強みだ。そして私自身も魔法使い、大魔族でもある。ならそれを生かさない手はない。そのために一般攻撃魔法(ゾルトラーク)を、人類の攻撃魔法を究めてきた。研鑽してきた。私を警戒すれば不死の軍勢が、不死の軍勢を警戒すれば私の攻撃が通りやすくなる。二者択一を迫ることができる。

 

 

(あの生臭坊主の言う通りね……本当に仲間に恵まれたわね、フリーレン)

 

 

それに気づかせてくれたのは他ならぬ勇者一行の僧侶であるハイターだ。その趣味であるチェスに付き合わされたことで。私に分かり易く伝えるためにチェスは私にとっては不死の軍勢のようなものだとあいつは言ってきた。なのに私はハイターに勝つことができなかった。何度やっても。こっちが優勢だったはずなのに、結局最後には負けてしまう。それは戦術という、魔族に欠ける人類の概念。私はただ何も考えず、自分の駒を相手にぶつけているだけだったのだ。同格以下の相手ならそれでも通じる。だが格上の相手には通用しない。だからこそそれを学んだ。いつかこいつと戦う時のために。

 

思い出すのはかつての記憶。王都で、酔い潰れたヒンメルを除いて、初めてハイターと酒を交わした夜のこと。

 

 

『何であんたたちは群れるわけ? 面倒なだけじゃない』

 

 

私はハイターにそう尋ねた。何故人間はパーティという名の群れをつくるのか。強者に従わされるのならまだ分かる。だがこいつらのそれは違う。かといって勇者一行のこいつらは一人一人が弱いわけではない。なのにどうしてそんな面倒な、無駄なことばかりしているのか。

 

 

『そんなことはありません。私達一人一人でできることはたかが知れています。ですが力を合わせれば、一人ではできないこともできるのです』

 

 

それにハイターはそう答えた。自分たちは弱いのだと。魔王を倒した勇者一行のくせに。できないことがたくさんあるのだと。その最たるものが

 

 

『現に私も仲間に恵まれていたのですよ。ヒンメルにアイゼン、そしてフリーレン。誰か一人でも欠けていたら、魔王を倒すことはできませんでしたから』

 

 

その言葉だった。ヒンメルも、アイゼンもよく口にする物。人類が、魔王様を、魔族を打ち倒せた理由。劣っていても、連携することで格上を打ち倒すことができる。こいつら以上に、それを証明した者はいないだろう。

 

 

『そう。ようするに一人じゃ何もできないってことね』

『はっはっはっ、耳が痛いですな』

 

 

今となっては聞き慣れた笑い声と共に、飄々としていた生臭坊主。だがそれはつまりこいつにしかできない役割が、勇者一行にはあったということ。何故人間共のパーティには僧侶が必要なのか。その理由。ここにはもう僧侶(ハイター)はいない。それを逆手に取った策。それによって私はあの葬送のフリーレンを絡めとったのだ。

 

 

(っ! いけない……まだよ! ここで油断したら何の意味もないわ……!)

 

 

その高揚感と愉悦に浸りかけるも、すぐに己を戒める。忘れるな。油断するな。何度それに足元を掬われてきた。それを何度リュグナーに言い聞かせてきた。その驕りが、悪癖こそが魔族の致命的な隙。これだけ狩られ続けてきても、魔族(わたし)たちは狩られることを学べていない。それを覆すために。証明するために。

 

 

「────やりなさい」

 

 

もう一つの切り札を切る。その命令と共に、巨大な影が上空から現れる。今に至るまで隠し続けていた隠し玉。それは二匹の竜だった。竜種という、魔物の最上位にあたる存在。黒竜と光竜。不死の軍勢における量ではない、質の究極系。その強さは大魔族である私ですら手を焼くほど。現に正攻法なら私でもこの二匹を同時に相手をするのは困難だ。その表皮は並の魔法など通さず、その爪と牙は防御魔法をいとも簡単に切り裂く。こと近接戦になれば、魔法使いに勝ち目はない。だからこそ人間の魔法使いには前衛が必要不可欠だ。だがここには前衛は、戦士(アイゼン)はいない。

 

その命令に従い、二匹の竜が襲い掛かっていく。魔力探知によってまだあいつが生きているのは分かっている。あいつがこの程度で死ぬわけがない。落下と魔法の衝撃による砂埃で姿は見えないが、容赦はしない。そのまま逃れられない竜による蹂躙が行われんとした瞬間、

 

 

その場にいた全ての魔物が、一瞬で吹き飛ばされてしまった────

 

 

その衝撃と光景にただ呆然とするしかない。見れば二匹の竜がまるで見えない力によって紙屑のように吹き飛ばされてしまっている。その周囲にいたはずの混沌花も、無数の魔物たちも。フリーレンが落下したはずの場所を中心にして例外なく。後には凄まじい風と、まるで巨大な爆発が起きたかのようなクレーターがあるだけ。それに息を飲む。その光景にではない。それ以上に、

 

 

(一体何が起こった……!? 魔法じゃない……!? 何の魔力も感じられない……!)

 

 

何が起こったのか、私には理解できなかったからこそ。それがフリーレンによって引き起こされたのは間違いない。なのに、何の魔力も感じ取れなかった。反応できなかった。今も私は、これを魔法だと認識できていない。それが何を意味するのか。ただ戦慄する。つまりこれは、

 

 

「────流石だね、アウラ。これを使うほど追いつめられたのは八十年振りかな」

 

 

大魔族である私をして、認識できない、遥か高みにある魔法であるということ。

 

 

そこには一人の魔法使いがいた。さっきの私の魔法のせいだろう。負傷し、服は乱れている。その衝撃によってか、結んでいた髪が解け、風にたなびいている。何よりも違うのはその眼だった。氷のように冷たいその瞳が、さらに鋭さを増している。それに目を奪われる。金縛りにあってしまったかのように。それは殺気だった。正真正銘の、魔族の大敵たる葬送のフリーレンの本気。私よりも遥か高みにいる魔法使い。

 

 

「っ! なめるんじゃないわよ!」

 

 

それに気圧されながらも、天秤をかざす。確かにさっきの攻撃を、私は魔法と認識できなかった。でもそれだけだ。その発動は察知できないが、威力は思ったほどではない。現に竜たちは吹き飛ばされてダメージは受けたものの、まだ健在だ。切り札だというのなら、それ相応のリスクもあるはず。痛みも死への恐怖もないのが死の軍勢。その肉体が朽ちるまで戦い続けることができる。なら、その魔法が使えなくなるまでこいつらを叩きつければいい。服従させられている奴隷のように。だがそれは

 

 

「────『解放の魔法(ベフラィング)』」

 

 

私の支配と対極を意味する、葬送の魔法使いの魔法によって解放されてしまった────

 

 

それはどこか温かさを感じる魔力だった。その光が全てを照らし、そして解き放ってしまう。私は瞬間、全てを察した。竜たちを縛り付けていた、偽りの鎖が切れてしまったことを。

 

それによって二匹の竜は飛び去って行く。まるで逃げ去るように。自分たちが従わされていた恨みも何もない。竜は賢い生き物だ。強い相手に喧嘩を売ったりはしない。ようするに竜から見ても、私たち二人は逃げ出すしかないほど恐ろしい存在だったのだろう。だがそんなことはもはやどうでもよかった。あるのはただ、私の魔法が解除されてしまった。ただそれだけ。

 

 

「────」

 

 

それを目の当たりにして、ただ立ち尽くすしかない。こんなことは生まれて初めてだった。いや、予想はしていた。私の魔法が通用しない、解除されてしまう可能性を。もしそれを知らなければ、この程度では済まなかっただろう。

 

 

「────服従の魔法(アゼリューゼ)は今この瞬間、“呪い”ではなくなった」

 

 

フリーレンは告げる。容赦なく、無慈悲に。私の魔法が、地に堕ちたのだと。魔族にとっては死を、己を凌辱されるに等しい侮辱。それにただ耐える。拳を握りながら。唇を噛みながら。

 

認めざるを得ない。私は見誤っていたのだ。まだ甘く見ていたのだ。葬送のフリーレンの真の恐ろしさ。それがその解析能力にあるのだと。魔力の偽装なんてそれに比べれば微々たるものだ。その原理を理解できないまま、ただそれを利用し対処する。七崩賢の魔法ですら、例外ではない。魔法使いとしての、フリーレンの本来の資質。

 

そう、私は、魔法使いとしては格下なのだ。それを前にして、今更何を悔しがることがある。そうだ。まだ私は負けていない。勝ち誇っているのはただの虚勢だ。その証拠にその体は満身創痍だ。ただの強がりでしかない。何よりも

 

 

「勝った気になるのは早いわよ。この私の前でそんなに多くの魔力を消費して大丈夫なのかしら?」

 

 

その魔力の消費は他の魔法の比ではない。その証拠に先の二つの魔法によって多くの魔力を消費してしまっている。単純であるが故に、強力であるが故にその魔力消費は比例する。人類には理解できない高度な私の魔法を解除するほどの解除魔法であるのなら尚のこと。奇しくもこいつ自身が言っていたことだ。追いつめられているのは間違いない。

 

 

「想定の範囲内だね。ここから先は────」

(問題ないわ。これから先は────)

 

 

口元の血痕を拭いながらフリーレンは言葉を紡ぐ。それに倣うように、私もまた内心で続ける。そう、こうなることは分かっていた。私とこいつが戦うということはどういうことか。

 

 

────これは魔力を、体力を、精神を削り合う戦い。互いに傷つけ合いながら、最後に天秤の秤を傾けた方が勝者となる。どちらかが音を上げるまで続く、美しさも誇りも、何もない泥臭い戦い。愚かでしかないもの。

 

 

────それはいつからだったか。いつ歯車が狂ったのか。もはやそれはどうでもいい。ただこいつにだけは負けるわけにはいかない。魔法使いとして。魔族として。そして

 

 

 

「────消耗戦だ」

(────消耗戦よ)

 

 

 

譲れない物のために。今の二人にとって、これは魔法戦ではない。相手の心を折る戦い。そして騙し合いだった────

 

 

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