「お待たせ、アウラ様!」
本当に待っていたとばかりに、私の従者がやってくる。合図とともに。この場に似つかわしくない、いつも通りの笑みと共に。その恰好もそうだ。コルセットドレスという、戦いの場には似合わない服装。それも含めて、やはりこの子は例外なのだろう。それは
「? リーニエ? 何で貴方がこんなところに? グラナトに行ってるはずじゃなかったの?」
目の前のソリテールにとっても同じだったらしい。割って入ってきたリーニエに目を丸くし、首を傾げている。どうやらリーニエはフリージアにはいないと思っていたらしい。リュグナーもそうだろう。私にとっての側近が二人いない間を狙っていたということか。本当に抜け目がない奴だ。もっとも
「まあいいわ。それで、一体何の用かしら? 私たちは今、大事なお話をしている最中なの。話なら後で──」
ソリテールにとっては大きな問題ではない。リーニエなどまるで眼中にないのだろう。こいつにとっては私と話している最中にいつものようにリーニエがやってきたようなもの。なんら脅威を感じていない。それに
「関係ない。お前はアウラ様の敵だ。だからここで倒す。それだけ」
私を庇うように前に出ながらリーニエは告げる。お前は敵だと。それは宣戦布告だった。欺くことを、偽ることをしないリーニエの本音。単純であるが故の宣告を。
「倒す? 貴方が私を? もう忘れてしまったの? 貴方の剣は私には届かなかったのを。確かに貴方は成長しているけど、私には遠く及ばないわ。魔族ならそれが分かるでしょう? 無駄なことをするべきじゃないわ」
それが理解できないと、ある種の困惑を見せているソリテール。それは当然だろう。つい数日前の小競り合い。それにおいて、ソリテールはリーニエとの力の差を見せたのだから。リーニエの剣はソリテールには届かなかった。ただそれだけの、覆しようのない歴然たるもの。その絶大な魔力。それを前にすれば、魔族は屈服するしかない。抗えない本能。だがそれを前にしてもリーニエは揺るがない。ただ冷たく、敵を見据えているだけ。まるでそう、隣にいる葬送のフリーレンのように。
「前に会った時より、歪になってしまっているのね。もっと魔族らしい子だったのに。魔族ならまず生き延びることを考えるべきよ。従わされていたとしてもね。見れば分かるでしょう? 貴方の主人が弱っているのを。この状況ならどうするべきかも」
それを観察しながら、ソリテールは次の一手を打ってくる。言葉という、もう一つの魔族の武器を。魔族ならどうするべきか。魔族がいかなる存在か。主従関係があったとしても、それは強さによる序列、支配だ。それが失われれば、あっけなく瓦解してしまうものでしかない。弱みを見せれば、叛意を抱かれてしまうことなど珍しいことでもない。しかも今、自らの主人よりも遥かに強い魔族と敵対してしまっている。なら取るべき行動など決まっている。生き延びるために。だが
「私はアウラ様を守る。どんなことになっても。それがヒンメルとの約束だから」
それは例外であるこの子には通用しない。この子は、私の魔力に、強さに従っているのではない。魔族ではあり得ない、歪な在り方。それを教え、託した勇者の約束。それが今、リーニエがソリテールに敵対する理由。
それを示すように勇者の、ヒンメルの剣を抜くリーニエ。偽物でありながら、本物を超えた物。まさにヒンメルの在り方を形にしたような、あの子にとってはヒンメルの形見。その剣の切っ先をソリテールに向ける。これ以上にない意思表示。
「ヒンメル……勇者ヒンメルね。アウラといい貴方といい、本当にヒンメルが好きね。私もぜひお話ししてみたかったわ。アウラみたいに友達になれたかしら」
それを見ながらも、変わらず笑みを浮かべながらそんなズレたことを口にしているソリテール。こいつはやはりどこまでいっても魔族なのだろう。興味があるかないか。ただそれだけ。
「そんなことあり得ない。前にも言ったよ。お前とアウラ様は友達なんかじゃない」
それをリーニエは切って捨てる。友達という言葉の意味と共に。私の知らない間に、二人の間には何かやり取りがあったのだろう。恐らくはリーニエの審判に触れるような何かが。でなければ、この子がこんなに誰かを嫌悪することはない。
「そう。残念ね。でもまだ間に合うわ。ねえ、リーニエ。貴方からもアウラに教えてあげて。こんな愚かなことをするべきじゃないって。魔族の敵である葬送のフリーレンを見逃すような真似をするべきじゃないわ」
ならばと、ソリテールはまた違う方向から、リーニエを懐柔し、騙そうとする。その方が私のためになると。魔族にとってはどちらが正しいか明白な、至極当然の忠告。それを前にしても
「フリーレンは私の敵じゃない。私の敵はお前だけだ」
リーニエは決して揺るがない。まるで氷のように冷徹に。もうこの子の中では審判は下っているのだろう。どんな甘言も、懐柔も、この子には通用しない。魔族の言葉には耳を傾けない葬送のように。
「本当に魔族とは思えないような言葉ね……ああ、そういえば貴方は勇者の真似事をしていたわね。まだそれを続けているの? 賢い選択ではないわ。そんなことで私と敵対しても何の意味も」
そのことにようやく気付いたのだろう。その理由が勇者の真似をしているからだとソリテールは判断する。それは正しかっただろう。勇者が生きている間であったなら。その頃のリーニエはただヒンメルの真似を、ヒンメルならするであろう行動を模倣していただけだった。だが今は違う。
「────ヒンメルならそうしたからじゃない。私はお前が嫌いだからそうしてるだけ。私は、お前を許さない」
それは紛れもないリーニエの意志だった。誰かの借り物ではない。模倣から、偽物から始まり、本物に至った、リーニエの答え。
「……そうなの。ようやく分かったわ。貴方は魔族じゃなくて、魔物なのね。本当に愚かな子だわ」
ここに至って、初めてソリテールに変化が見られた。変わらず薄気味悪い笑みを浮かべたまま。なのに、その声色に僅かだが、感情が見て取れる。苛立ち、嫌悪。全てを観察対象とする、研究者らしくない、こいつの姿。
「でもどうしてこんなに嫌われてしまったのかしら? 以前はちゃんとお話ししてくれたのに」
それも一瞬。すぐにいつものように、一人思考に耽ってしまう。そもそもの始まりは何だったのかと。嫌われているという自覚すらあったのかどうかも怪しいが。それでもリーニエの変化には気づいていたのだろう。それは私も同じだ。以前は難しい話を苦手としながらも、この子はソリテールとも話をしていたのだから。それが変わったのはいつからだったのか。その答えを
「────ああ、もしかして、私が貴方の友達を殺してしまったことを恨んでいるの?」
まるでどうでもいいことのように、たまたま思い出せたかのようにソリテールは口にした。
「…………黙れ」
同時に、リーニエの纏っている空気が変わる。氷のような魔力から、揺らぎが生まれてくる。普段のこの子からはあり得ないこと。その瞳には、確かな敵意がある。私でも初めて見るような姿。先のソリテールの謁見の時に勝るとも劣らない、感情の発露。
何よりも、その内容だった。この子の友達を、ソリテールが殺した。その意味。
(まさか……!?)
友達。それはリーニエにとっては特別な意味を持つものだった。姉になるのと同じぐらい、それ以上に憧れ、求めていたもの。今のリーニエにとってそう呼べる存在がいるとするならば
「確か……そう、目が見えない人間の男の子だったわね。学者になるのが夢で、たくさんお話ししてくれたわ。特に人間の声真似をする鳥の話が興味深かったわ」
あの子以外には考えられない。知らない人と、魔族と仲良くお話ししてくれる人間の男の子なんて、他にいるわけがないのだから。
「そういえば、アウラも知っているのよね。随分懐かれていたわよ。人間の振りをして騙すなんて流石ね。貴方の獲物だとは知らなかったのよ。横取りしてしまってごめんなさい。ええと……駄目ね。思い出せない。忘れてしまったわ。ねえ、アウラ。貴方はあの人間の名前を覚えてるかしら?」
ただ、自分でも驚いていた。驚くほど、自分は冷静だった。本当なら、あの時のように激昂してもおかしくないのに。そう。ただ悲しかった。もうあの子はいないのだと。冒険者になりたいと言っていたのに。今でも覚えている。その顔を。声を。眼差しを。あの子に贈った、蒼月草を。
「…………いいえ。覚えていないわ」
だから嘘をついた。あの子の死を受け入れられなかったわけじゃない。それを悼むために。目の前のソリテールに罪はない。魔族にそんなものはない。だからこれは私の我儘だ。もう二度と、あの子の名前をこいつが口にすることがないように。
「そうよね。いちいち人間の名前なんて覚えていられないわよね。良かったわ。貴方はやっぱり魔族よ、アウラ。なのにどうして貴方もリーニエも、もういない人間のことを気にするの?」
その嘘を、こいつは見抜くことができない。ただ言葉の通りに受け取っている。その悪意に気づかない。気づけない。これが魔族なのだ。もういない人間のことなんて気にすることはない。ただ己の快、不快のままに生きている獣。
「違う。アウラ様はアウラ様だ。嘘つきのお前とは違う」
それとは違うと、訣別の言葉をリーニエは告げる。私のために。でも、それが何よりも証拠だった。この子が、ヒンメルの死を乗り越えたことの。思い出す。あの雨の日。ヒンメルの墓の前で、この子が問いかけてきた言葉。
『もうヒンメルはいないのに、どうしてそんな物に話しかけてるの?』
その意味を、答えをこの子は見つけたのだ。私と同じように、大切な友達を失いながら。それを無駄にしないために。
「…………アウラ。戦いが始まったらこの拘束を解ける?」
一触即発。緊迫した空気が張り詰めている中、私にだけ聞こえるように、小声でフリーレンが話しかけてくる。リーニエがやってきてから、無言のまま、ただ成り行きを見守っていただけだったのに、どういうつもりなのか。
「はぁ? こんな時に何を……心配しなくても解いてやるわよ。どこへなりとも逃げなさい」
言われなくても、戦いが始まれば拘束なんて解いてやる。そんな余力などない。構っている暇などない。どこへなりと行けばいい。逃げる。隠れる。不意打ちする。それがこいつの戦い方。満身創痍で魔力もほとんど消費してしまっている状態なら撤退するのが最善手だろう。好きにすればいい。
「違う。逃げるのはお前だ、アウラ」
だというのに、こいつはそんな意味の分からないことを口にしてきた。
「あんた、馬鹿にしてるわけ? リーニエを置いて私だけ逃げるわけないでしょう。あんたと一緒にするんじゃないわよ」
一体こいつは私を何だと思っているのか。私はこいつほど薄情者ではない。あの子を、従者を一人置いて逃げおおせるほど臆病者でもない。私はフリーレンではないのだから。だが
「これ以上魔力を使うなってことだよ。リーニエがいるなら、使えるんでしょ? その間は私が代わりをする」
その当人が告げてくる。その真意を。相変わらず言葉足らずな、私以外では理解できないもの。だがそれだけで十分だった。こいつが何を言わんとしているのか。
「あんた……」
本当に呆れるしかない。やはりこいつは葬送のフリーレンなのだろう。いくら緊急時とはいえ、魔族を倒すのに、魔族を利用しようなんて。
やはりこいつは勇者一行の魔法使いなのだろう。業腹だが、認めるしかない。私よりも、こいつの方があの子の真価を引き出せるのだから。
「……いいわ。この貸しは大きいわよ」
「心配ないよ。千年かけて返すから」
その意趣返しとしてそう告げるも、またふざけた返しをしてくる薄情者。本当に何も反省していない。一体何回流星が見れると思っているのか。
「────リーニエ。外しなさい」
一度目を閉じ、背中越しにリーニエにそう命じる。その背中が大きく見える。頼もしさすら感じるほどに。迷いはない。その枷を外すことに。リーニエもまたそれを感じ取ったのか。僅かにこちらに振り返りながら
「うん! 『お母さん』大好き!」
満面の笑みでその言葉を口にする。私にとって、私たちにとっては理解できない。だからこそ意味がある言葉。
それによって縛りが、枷が解かれる。預けていた私の天秤が、抑えていた私の性が。自分で自分を服従させていたこの三十年間を解き放つように。
『お母さん』
それが服従を解除する合言葉。リーニエが誤っても口にしない、私にとっては戒めにも等しい言葉。だからこそこれを合言葉にした。服従の魔法を扱うための戒めとして。自らを律するために。
それによって主従関係も解消される。互いに主人であり従者でもあるという、歪んだ関係。魔族をして理解できないもの。
「お母さん……? 人間の親子の真似をしているの? それとも命乞い? どうしてそんなことを」
その行為の、言葉の意味が分からずソリテールは困惑している。当たり前だ。魔族には親子なんて概念はない。魔族にとってその言葉は、まさに魔法の言葉。命乞いに使われるただの声真似でしかないのだから。
かつて私やリーニエにとってもそれは同じだった。私はヒンメルに押し付けられるがままに。リーニエはただヒンメルを騙すために。でも今は違う。それは人間とも、魔族とも違う。私たちにとっての
それに合わせるように、一歩前に出ながらリーニエは剣を構える。ただその後ろ姿に目を奪われた。きっと隣にいるフリーレンも同じだろう。息を飲んでいるのが分かる。そこに私たちは、あり得ない幻を見た。もう二度と見ることはないであろう、勇者の後姿を。
いつか聞いたことがある。何でそんな無駄なことをするのかと。それにあいつは子供のように、目を輝かせながら答えた。それは
「私は天秤のアウラの従者にして、勇者ヒンメルの一番弟子! 『例外』のリーニエ!」
『格好いいからに決まってるじゃないか!』
格好いいからだと。自意識過剰の勇者から受け継がれた、本当に下らなく、格好いい名乗り。天秤と剣を受け継いだ、私たちの娘の姿。
今、八十年の時を超え、『