(間違いない……あれはアイゼンの……!)
その光景に目を奪われる。私ですら騙されてしまっていた。いや、忘れてしまっていた。あの子が初めて模倣した動きが誰の物であったのか。
(アイゼンの奴、他人のこと言えないじゃない)
知らず、その得意げな顔が目に浮かんでくる。散々私たちがリーニエに甘いだの何だの言っておいて。一番あの子に甘いのはあいつだったのだろう。思い出すのは初めてあいつと出会った頃。私を『お母さん』と呼ぶのと同じように、あの子はアイゼンのことを『お父さん』と呼んでいた。騙すために、利用するために。きっとそれは今も続いているのだろう。私と同じように、意味を変えながら。ようするに、アイゼンもまたリーニエに騙されてしまっているのだ。本当に食えない奴。
何よりも、驚かされたのはリーニエだった。確かに何かはあるのだと思っていた。あの子はある意味誰よりも魔族らしい一面を持っている。勝ち目のない相手に無駄に戦いを挑んだりはしない。ならば勝機はあるのだろうと。その在り方はフリーレンに近い。魔力の偽装に関しては私だが、それ以外はヒンメルやアイゼンの入れ知恵、いや教育の賜物だろう。
だがそれを凌駕したのが、リーニエの執念ともいえるもの。奇しくもそれは私がフリーレンを騙したことと同じこと。人間の親子は似るものだと言うが、魔族である私たちにもそれが当て嵌まるのか。やはりこの子は私の娘なのだろう。
(この子は、偽物から本物になったのね)
模倣を自分の物に。そして自らの意志で相手を欺いた。欺くことなく生きること。それが私がリーニエに課した命令、枷だった。それをこの子は自ら解いた。勇者ヒンメルの模倣ではない。ヒンメルならそうしたからではない。自らの意志で。本当の意味で、リーニエは例外となったのだろう。その答えがここにある。
「……ふっ、ふふっ……本当に素晴らしいわ。リーニエ。すっかり騙されてしまった」
戦士の一撃による衝撃と粉塵が収まった先には、獣のように地に伏しているソリテールの姿があった。その姿は見るも無残なもの。左耳を失くし、左肩から袈裟切りにされるように左腕を斬り落とされてしまっている。残された右腕は明後日の方向に折れ曲がり、顔は血塗れ。だがそれですら奇跡に近い。模倣とはいえ、あのアイゼンの一撃を受けたのだから。いかなソリテールの魔力の鎧が、盾が堅牢だとしても防ぐことはできない。本当なら脳天から真っ二つにされていたはず。にも関わらず生き延びているのは、恐らく寸前にリーニエの動きに、脅威に気づいたのだろう。咄嗟の反射神経によるものか。大魔族が故の直感か。それでも即死は避けられただけ。
(致命傷ね…………魔力の流出が収まっていない)
致命傷は避けられていない。夥しい出血と傷口が丸見えになるほどの深手。何より出血よりも、魔力の流出の方が致命的だ。魔族は人間と違い、傷を負えばそこから魔力が漏出してしまう。肉体が魔力で構成されているからこそ。他ならぬ私自身も経験したことがある。ヒンメルから負った深手のせいで、万全の状態に癒えるまでに何十年もかかってしまったのだから。
「これは勇者の、技じゃないわね……誰の技かしら……? もしかして、戦士アイゼン……?」
だからこそ異常だった。満身創痍どころではない。もはや助からない瀕死の状態で、それでもその興味は自分を切り裂いた技にあるらしい。本当にこいつは異端なのだろう。その間際にあってもなおそれは変わらない。
「────」
だがそれを前にしてリーニエもまた変わらない。無表情のまま、言葉を交わすことはない。言葉を話すだけの猛獣を前にしたように。それは魔族を前にした葬送のフリーレンを彷彿とさせる物。その瞳が獲物を見据えている。油断や驕りではない。冷静に、冷徹にソリテールの状態を観察している。
「そう。残念、だわ。やっぱり私、も魔族なのね。こんな致命的な油断……お話や実験ばかりしてきたけど、殺し合、いは生まれて初めて……だったからかしら……?」
大好きなお話をしてくれないのを悟ったのか。今度は自らの敗因を分析し始めるソリテール。そう、それは奇しくも自らが口にした通り。魔族であるが故の、捕食者としての油断と驕りに他ならない。殺し合いを始めようと言いながらも、こいつはやはり侮ってしまっていたのだ。本気の殺し合いをしたことがなかった。それが答えだ。騙すということは、誰かに騙されるということ。魔族も人間もそれは変わらない。
「……ああ。そういえば命乞い、をしなければいけないわね……何て言えば、いいのかしら? たくさん、考えてきたのよ。その時が来たら、泣きながら、命乞いをしようと思っていたの……聞いてくれる……?」
自分の息が上がっていることにも気づけていないのだろう。息も絶え絶えに、まるで忘れ物を思い出したかのようにソリテールはそんなことを口にする。魔族ならば、この状況になれば行うであろう習性を。命乞いという声真似を。かつてこいつ自身が言っていたことを思い出す。もし自分が狩られることになったら泣きながら命乞いをするつもりだと。今がその時なのだと。
だがそれすらもリーニエは許さない。無慈悲にその剣が振り上げられる。言葉ではない、明確な回答。これ以上にない、徹底的な葬送の在り方。その根源。
「……ようやく分かったわ。これが、嫌悪なのね。貴方は私の天敵、だったんだもの。素晴らしいわ」
それにようやくソリテールは辿り着く。嫌悪。それがリーニエが自分に抱く感情であり、自分もまたそれをリーニエに抱いていたことを。魔族にも好悪の感情はある。だがその質と量、いや重さは人類とは大きく異なる。
リーニエを魔族だと思ってしまったこと。それがソリテールの最大の過ち。先のフリーレンが犯してしまったのと同じ物。魔族を知る者であるほど、それは致命的となる。その結果がここにある。自らの策の悉くをリーニエの動きによって台無しにされ、無様に地に伏している。例外のリーニエという存在によって。それは無名の大魔族にとってはまさに天敵だった。それを本能で感じ取っていながらも、理解できなかった失態。
それを断ち切る、勇者の剣が大魔族の首を落とさんと振り落とされるも
「でもまだその時じゃないわ。私は魔族だもの」
それは首の皮一枚の所で、一匹の魔族の魔力によって防がれてしまった────
「────っ!?」
瞬間、驚愕に表情を染めてしまう。私だけではない。フリーレンも、剣を振り下ろしたリーニエでさえも。油断と驕りか。いや、違う。間違いなくソリテールは死に瀕していた。もはや誰の目にもそれは明らかだった。恐らくはソリテール自身でさえも。これはそう、凌駕したのだ。いや、目覚めたのだ。大魔族ではない、ただの魔族であるソリテールが。
勇者の剣を弾き、獣のようにその場を脱しながらただ無造作にソリテールは魔力を放つ。まるで咆哮のように。その矛先は目の前にいるリーニエではなく、その先にいるフリーレン。そこには先程までにはない、何かがある。まるでそう、形振り構わない、暴力性とでも言うべきものが。
「……っ!」
虚を突かれたからか。それを上回る速度と威力からは逃れられなかったのか。フリーレンはそれを躱すことができず、直撃を受けてしまう。まともに受ければ粉々になってしまうような魔力の咆哮。だがフリーレンはその形を保っていた。防御魔法を展開し、加えて魔力の鎧を模したのか。致命傷には至っていないが、その場に蹲ってしまっている。
「……フリーレン!?」
「流石に魔力が高い相手は丈夫ね。でももう動けないわ」
地を這う四足獣のように、身を屈めながらそう告げるソリテール。その姿に思わず息を飲む。知らず身体が震える。悪寒がする。それは恐怖だった。魔力ではない。純粋な生物としての恐怖。
(あり得ない……こいつ、本当に魔族なの……!?)
信じられない。その魔力の流出が収まっている。その次元が違う魔力コントロールによって。それによって魔力の鎧を膜のように似せ、纏っている。まるで最初からそのための技術であったかのように。死の淵にあってなお。魔力の大部分を失ってしまったにも関わらず。まるで違う生き物に生まれ変わったかのよう。そう、私たちは忘れてしまっていたのだ。さっきこいつ自身が言っていたことを。
魔族とは言葉を話す『魔物』であると。
「もう間違いは犯さないわ。貴方たちは魔族じゃない。なら、いつもの戦い方をすればいいだけだもの」
私たちは理解できていなかったのだ。それは油断と驕り。目の前のソリテールが、まさに
瞬間、魔物が駆けてくる。左半身をほとんど失い、バランスを崩しながらも魔力によって強引に補いながら。それはまるでアンデッドのよう。目の前にいるリーニエを無視しながら私へと。いきなりの事態に私もリーニエも反応が遅れる。当たり前だ。この状況であれば、フリーレンを狙ってくるとばかり思っていたからこそ。何故この状況で私を狙ってくるのか。それは
「貴方なら分かるでしょう、アウラ? 人類の愚かな習性を。魔族でない相手にはこれが一番有効なのが」
人間相手にもっとも有効な手段。魔族相手には全く意味がない戦法。その意味をようやく悟る。そう、ようやくソリテールは気づいたのだ。自分の勘違い、間違いを。私たちを魔族だと思って戦っていたからこそ、後れを取っていたのだと。なら、いつものように、人間を相手にするように戦えばいい。こいつが得意とする研究、実験のように。
私に向かって極大の魔法が放たれる。そう、これが最善手。私たちにとって、いやリーニエにとっては最悪手にあたるもの。これ以上にない皮肉。魔族でありながら、魔族にあらざる感情を、在り方を持ってしまった例外の弱点。自分ではない、誰かを庇う習性を利用したもの。脳裏に巡るのはかつての私。ヒンメルを陥れるために、シュトロと村長を人質としたこと。これはその報いだ。気づくのが遅すぎたのだ。人類の強みを手に入れた私たちは、その弱みも持つことになってしまったことを。
「っ!」
「っ!? 止めなさい、リーニエ!?」
それを理解していながらも、私を庇うように前へと現れるリーニエ。それを目の当たりにし、動きが、思考が止まってしまう。自分がどう動くべきか。防御魔法の展開。瞬時にそれが巡るも、戸惑ってしまう。魔力を消費してはならないという、葬送の忠告によって。
ようやく理解する。ソリテールがフリーレンではなく、私を狙ってきた理由が。まさに怪物だ。この場において、己にとっての最大の脅威が何かを瞬時に見抜いたのだろう。まるで獣のように。研究者を気取っていた先程までとは違う、形振り構わない強さ。
そう、これがソリテール本来の強さ、姿なのだ。こいつはお話しをするために、研究をするために自らの魔族としての強みを殺していたのだ。単純に、無慈悲に、理不尽に。その力を振るう、獣性。本当の意味で、殺し合いをすることに、死に瀕したことで私たちは目覚めさせてしまった。無名の大魔族の本性を。その避けえない魔力が全てを飲み込まんとするも
それは勇者の一閃によって切り裂かれた────
その死の光を、勇者の剣が両断する。私だけを切り取ったかのように。リーニエの持つ、ヒンメルの剣によって。切り裂かれた魔力が大地を抉っていく。それに耐えるかのように、リーニエは苦悶の声を上げながらも、決して退くことはない。ただその後ろ姿を見つめることしかできない。永遠にも似た瞬きの時間。
「────驚いたわ。そんなことができるなんて。貴方は本当に勇者ヒンメルの弟子なのね。リーニエ」
その終わりを見届けるとともに、いつもと変わらない笑みを浮かべながら称賛してくるソリテール。自分が左腕を失くしていることにも気づいていないのだろう。歪んだ右腕だけを胸の前に持って来ている。もう繋ぐ腕もないというのに。狂気すら感じる。
(これは……ヒンメルの……!?)
だがそれよりも、目の前の光景だ。全てを無に帰すほどの魔力だったにも関わらず、私はまだ生きている。私はそれを知っていた。かつて何度か見たことがある、ヒンメルの奥義。剣で魔法を切り裂くという、あまりにも出鱈目な剣技。化け物の中の化け物でしか不可能な御伽噺。まさかそれすらもリーニエが体得していたなんて。
「ハアッ……! ハアッ……!」
「リーニエ……」
だがそれは完全ではなかったのだろう。その証拠に、リーニエはその威力を殺しきれず、深手を負ってしまっている。何よりも、その手にあるヒンメルの剣が真っ二つに折れてしまっていた。使い手の未熟さを補うために。その魂をかけて。その役目を、私を守るという、ヒンメルとリーニエの約束を果たすために。
「…………逃げて、アウラ様」
ふらつきながら立ち上がり、折れてしまったヒンメルの剣を構えながらリーニエはそう告げる。剣が折れても、まだ心は折れていないと告げるように。それでも逃げろと。これ以上は守り通せないと、この子も理解したのだろう。魔族として、勇者の弟子として。それを前にして、私は選択を迫られる。この場で共に戦い死ぬか。退いて、生に執着するか。魔族として。天秤として。どちらも得る物があり、失う物がある。
「素敵ね。本当に人間の親子みたい。ぜひ今の心境を教えて」
未だに研究者のように、魔族としての自分を偽りながらソリテールがその歪な手をかざす。今度はリーニエに向かって。そうすれば私がこの子を庇うのだと知っているからこそ。人間の習性を知り尽くした魔物の狩り。それを前にして、未だに満たされぬ天秤をかざすために片腕を動かさんとするも
それよりも早く、この場にはあり得ない、血の雨が降り注いだ。
それは矢のように、槍のように降り注ぐ。雨と違うのは、それがソリテールだけに降り注いでいること。その全ては魔力の鎧によって弾かれてしまうも、ソリテールの意識を割くには十分だった。
その雨を降らせた者が、宙より降り立つ。私とリーニエの前へと。見間違うことなどあり得ない、私の片腕。
「────遅いわよ。リュグナー」
それが