第一話 「後悔」
────夢を見る。
懐かしい夢を。覚えている。あの姿を。あの声を。
でもきっと、色褪せていくのだろう。思い出せなくなっていくのだろう。
それでもきっと私は────
「…………ん」
ふと、目を覚ます。目の前には見慣れない……いや、見慣れた自分の部屋。知らずうたた寝をしてしまっていたらしい。何か懐かしい夢を見ていた気がする。今思い出せば笑ってしまうような、下らない夢。ここ最近は見ることはなくなっていたのに、何故なのか。思い出すのは──
『君に、フリーレンと友達になってほしいんだ』
そんな、どこまでもお人好しだった誰かの言葉。
(────馬鹿じゃないの)
ヒンメルへの呆れと共に自嘲するしかない。昨夜日記を読んでしまった影響だろう。悪夢でしかない。
(やっぱり探し出して燃やしておくべきだったわね……)
溜息を吐きながら、改めてそれに目を向ける。机の上に置かれている二冊の本。フリーレンによって届けられたヒンメルの日記。話の流れ、あいつの口車に乗って半ば強引に渡された物だった。
仕方なくそれに目を通したのだが、自伝と日記の違いどころではない。あいつは日記と手紙の違いも理解していなかったに違いない。これはあいつのあのエルフへのラブレターだった。それを読まされるなんて一体何の冗談なのか。質が悪すぎる。その部分については流し読み、読み飛ばすしかなかった。こんな物を掘り出してくるなんて、あいつは本当に死神に違いない。私だから良かったようなものの、何も知らない人間の目に触れれば勇者といえど、あいつも憤死してしまうに違いない。
(あいつがすぐに出発しようとしたわけね……)
ようやくフリーレンがあの時、すぐに旅立とうとした理由を理解した形。それもそうだろう。これを読んだ後、どんな顔をしてあいつと会えばいいのか。気まずいなんてものじゃない。だからこそあいつはさっさと去ろうとしたのだろう。あいつの言葉を借りるなら、嫌なことはさっさと済ませたかったわけだ。
(伝言なんて頼むんじゃなかったわ……)
顔を手で押さえながら後悔するしかない。思い出すのはフリーレンに頼んだヒンメルへの伝言。それに嘘偽りはない。だがその内容が問題だった。もっと良く考えるべきだったのだ。相手はあのヒンメルなのだから。忘れてしまっていたのだ。あいつが私よりも私のことを理解しているということを。まさか伝言の内容そのままのことを日記に記しているなんて。あの時のフリーレンの反応にも頷ける。きっとあいつも私がそう伝えてくると分かっていたのだ。本当に癪に障る奴らだ。
(あいつ、どんな神経してるのよ……)
ただただ呆れるしかない。いや、驚嘆とも言える。手元にある二冊だけでこれなのだ。その全てを読んでいるのに何故あのエルフは平然としていられるのか。ある意味私以上に、この日記を読むことはあのエルフにとっては致命的なはずなのに。どころか私たちの家に入り浸ってもいたらしい。とても人類の精神構造とは思えない。いくら魔導書のためならミミックに食われるのも厭わないとしてもあり得ない。既に情緒がおかしくなっているのではないか。
「アウラ様、宜しいでしょうか」
「……入りなさい」
そんな中、ノックと共にそんな聞きなじみのある声が聞こえてくる。急いで日記を引き出しに隠しながら入室を許可する。同時に自分を切り替え、擬態する。この国の王であり、教主でもある存在へと。
「お休みでしたか……? であればまた出直して参りますが」
「構わないわ。で、何の用?」
それに合わせるように、いつものように司祭としての振る舞いを見せながらシュトロがやってくる。そのやり取りもいつも通り。何の代わり映えもない、下らないもの。だというのに
「……何よ?」
「いえ、お加減はよろしいようですな、姉さん。良いことです」
「はぁ? どこを見てるのよ。あのエルフのせいでこっちは散々迷惑してるっていうのに」
何かを察したかのように、つまらないことを口にしてくるシュトロ。もう既に司祭としての振る舞いを忘れてしまっている。こいつには私の機嫌がいいように見えたらしい。どうやらお迎えは近いらしい。
一体どこをどう見ればそうなるのか。気怠げにするしかない。機嫌もそうだが、何よりも体調は最悪に近かった。あの騒動のおかげで魔力をほとんど消費し、傷も負ってしまった。他の者たちほどではないにしても、本来なら療養しなくてはならないほど。魔力もまだ半分にも回復していない。ヒンメルにやられた時に比べれば傷は浅いので、五十年もはかからないにしても、全快するには時間がかかるだろう。
もっとも一番の痛手は不死の軍勢だ。私の運用のせいもあるが、あのエルフのせいでそのほとんどを失ってしまった。私個人としても、国の防衛力としても早急に何とかしなくてはいけない。懸念は山積みだというのに
「はっはっはっ。ですが懐かしいですな。まるで勇者一行の皆様が来られた時のようです」
「まるでじゃなくてまさに、よ。いい迷惑だわ」
そんな私の様子がこいつにはお気に召したらしい。本当にふざけた奴だ。その笑い方も生臭坊主顔負け。あいつらが村にやってくる度に振り回されていた私のことを思い出しているに違いない。それは間違いではない。まさにその私にとって厄介でしかない最後の勇者一行が来てしまったのだから。
「それで? まさかそんな下らないことを言いに来たわけじゃないでしょう?」
「それもあったのですが、それでは本題に。フリージアの近況報告です。戒厳令の解除後ですが……」
閑話休題。いつまでも時間は無駄にはできないので強引に話題を切り替える。それは葬送のフリーレンの襲来から始まった一連の騒動。その顛末。結果から言えばここフリージアは平穏を取り戻しつつある。戒厳令も解除された。表向きはグラナトとの交渉に関連した物だとしていたが、事実は異なる。人間たちはそれで誤魔化すこともできるが、魔族はそうはいかない。魔族達はその魔力探知で、私とフリーレンが争ったことに気づいているのだから。あれだけの規模の戦いになれば隠しきることなどできるわけがない。恐らくはそれに続く、ソリテールとの争いについても。
なのでそれを嘘で上書きした。交戦の末、葬送のフリーレンと私が停戦協定を結んだのだと。嘘の中に真実を織り交ぜて。ある意味ではそれは真実。私にとっても嘘のような真実なのだから。グラナトの和睦が成立したこともそれに信憑性を与えてくれる。あの葬送のフリーレンが認めたとなれば、ここフリージアの影響力もさらに大きくなる。業腹ではあるが、利用できるものは何でも利用する。それが私の嘘のつき方。
「しかし驚きましたな。あのリュグナー殿がこんな提案をしてくるとは」
「……そうね」
だが予想外の出来事もあった。それはこの案はリュグナーの提案でもあったのだから。私の真似でもあるのだろうが、きっかけは間違いなくあいつだろう。人間を利用してフリーレンを捕らえるという、他者を利用することの意味を、価値をあいつはリュグナーに受け継がせたのだ。本人は全く気付いていない、喜びはしないだろうが。それでも、あいつは何かを遺したのだ。
「やはり若いというのはいいですな、姉さん? 羨ましい限りです」
「一緒にするんじゃないわよ。それからグラナトの方はどうなってるの?」
「引き続きリュグナー殿が交渉に当たっております。フリーレン様の件も含めて。恐らく問題ないかと。リーニエにはお説教が必要かもしれませんが」
「必要ないわ。もうリュグナーに叱られていたもの」
件のリーニエは既にリュグナーからお説教を受けている。私が叱るよりもよっぽど堪えたに違いない。あの二人はいわばフェルンとシュタルクのような関係なのだろう。それは置いておくとして、グラナトにもフリーレンとの停戦については通達している。先の脱獄の件も合わせて。
グラナト側からすればフリージアがフリーレンの命を狙ったようにも見えかねない行動であり、私と接触したとなればフリーレンも服従させられてしまった疑いがもたれるのは避けられない。無実を証明することはあの生臭坊主でもできないだろう。それに関してはあきらめるしかない。フリーレンがここから旅立てば否が応でもその噂はグラナトへも伝わるだろう。腐っても勇者一行の魔法使いなのだから。自業自得でもある。
「……それで? あの厄介者は大人しくしているわけ?」
あれから三日。あのエルフはここ大聖堂の客室で療養中だ。わざわざここで囲っているのは下手に出歩かれては騒ぎになるからだ。腐ってもあのエルフは葬送の二つ名を持つ勇者一行の魔法使い。それが堂々とフリージアの往来を歩くなど、どんな厄介事が起こるか分かったものではない。少なくともフリーレンとの停戦が国民に知れ渡るまでは。もっともあの重症では動きたくても動けないだろうが。あいつは戦士ではないのだから。
「さて。どうでしたかな。気になるのであれば見に行かれては? きっとフェルン様も喜ばれるかと」
「あんたね……」
この国の司祭、もとい私の副官でもあるとは思えない答え。職務放棄ではリーニエといい勝負かもしれない。分かっていてこれなのだから余計に質が悪い。しかもフェルンをダシにすれば私が動きやすいだろうと見抜いたうえでお膳立てまで。本当にこいつは何様なのか。問い質してもきっと司祭様だと答えるに違いない。無駄でしかない。
「失敬。ですがフリーレン様たちが滞在されるのは一月ほどの予定。姉さんなら分かっておられるのでは? ヒンメル様ならきっと後悔がないように、と仰られるかと」
「……もういいわ。下がりなさい。あんたは本当にクソガキのままね」
心底呆れながらそうあきらめるしかない。ハイターの次はどうやらヒンメルの真似事まで。だがそれはこれまでではあり得なかったこと。シュトロはここフリージアに来てから、自分からヒンメルのことを口にしたことはなかった。その理由など聞くまでもない。それをしなくなった。その意味。どうやらこの子から見れば、私は変わったということなのだろう。伊達にスカート捲りばかりしていた子供の頃からの付き合いではないということか。今もクソガキなのは変わらないが。
何よりもそのヒンメルの言葉だった。認めたくはないが、全く同じことを私も思い出していたのだから。
『後悔がないようにするためさ。今生の別れっていうのは死別だけじゃないからね』
いつものように自信満々に、得意げに私には理解できないことを伝えてきていたヒンメルの言葉。その意味を、私は理解できる。理解させられてしまった。
今生の別れ。もう二度と会うことがない、ということ。死別についてはもう私は経験している。その後悔も。あの時には分からなかったこと。そしてもう一つの意味も。長命種として。短命種との付き合い方も。いや、この場合は同じ長命種との付き合い方、か。何せ短命種相手に五十年後の約束をする奴だ。私相手なら本当に次にやってくるのは千年後になりかねない。
(……本当に癪に障る奴らね)
本当に勇者一行というのは癪に障る奴だ。きっと生きていても、死んでいてもそれは変わらないに違いない。
そのまま仕方なく客室へ足を運ぶ。そこに近づくにつれて足取りが重くなるのは気のせいではないのだろう。まるでそんな魔法をかけられてしまったかのよう。奇しくもフリーレンがここに来るのを嫌がっていた理由を身を以て追体験したかのよう。停戦、というのは言い得て妙だったのかもしれない。まだ私たちの間での争いは終わっていないという意味で。
扉の前で思わず引き返したくなる衝動に襲われるも耐え忍ぶ。そう、これは私の責務でもあるのだ。ここフリージアの王として。魔族として。魔法使いとして。そして──
「…………邪魔するわよ」
一度大きく息を吸った後、平静という名の嘘を装いながら返事を待たずに強引に入室するも
「フリーレン様。あーん」
「あーん」
私の嘘は、呆気なく敗れ去ってしまった────
「────」
目の前の光景を頭が認識できなかった。理解できなかった。そこには、ベッドの上でフェルンにご飯を食べさせてもらっているフリーレンの姿。それだけではない。大量の魔導書が平積みされている。読み散らかされてしまっている本もある。それを前にして、もはや言葉も出ない。まるで魔物に戻ってしまったように。
ただあるのは、この
作者です。たくさんの感想と評価、ありがとうございました。その返信代わりではありませんが、後日談を投稿させていただきました。後数話は続く予定です。楽しんでもらえれば嬉しいです。では。