「何やってるのよ……あんた」
ただ呆然としながらそう尋ねるしかなかった。うわ言に近い何か。だが仕方がないだろう。それほどまでに目の前の光景は、私には理解できないものだったのだから。私が魔族だからではない。人間であってもそれは同じだろう。
「? 何って見て分からないの? ごはんを食べさせてもらってるんだよ」
「おはようございます。アウラ様」
それが全く理解できていないエルフは悪びれることなく、むしろ当然だと言わんばかりにそう返事をしてくる。そのままフェルンにご飯を口に運んでもらいながら。信じられない。こいつには恥という概念がないのか。魔族に悪意がないように、エルフには恥も外聞もないのか。こいつだけではない。フェルンもまたそれは同じ。動じることなく自然に私に挨拶をしてくる。もしや精神魔法で操られているのではないかと疑ってしまうほど。
「……フェルン。あんたいつもこんなことさせられてるわけ?」
「? はい。何かおかしいでしょうか?」
だがそうではないのだろう。いや、そうであったならまだマシだった。これは服従の魔法でも何でもない。ただの習慣なのだ。魔族でいうなら習性か。私が人間のような言動をするのに違和感がないように、この子も今の自分の言動がおかしいことに気づけていない。ようするに、これは全て目の前にいる厄介者のエルフのせいなのだ。
「そうね……あの時、ハイターの頼みを聞いておくべきだったわ。フェルン。あんたやっぱりここにいなさい」
「それは……」
本気でそう後悔するしかない。私は甘かったのだ。このエルフが一体どんな存在なのか。散々ヒンメルたちに嫌というほど聞かされていたと言うのに。実際にそれを目の当たりにするまで、信じられなかったのだろう。
曰く、昼まで寝坊するのが当たり前。世話をしないといけない。
曰く、老人扱いすると三日三晩泣き喚く。
曰く、何度言っても魔導書欲しさにミミックに引っかかる。
それが葬送の二つ名を以てしても覆い隠せない、薄情者のエルフの正体。目の前にいるフリーレンという存在なのだと。こんな奴と一緒に十年旅をしたというだけで、勇者一行は本当に偉大だったのだろう。魔王様の討伐よりもそっちの方が困難だったに違いない。やはりこいつにこの子を預けたのは間違いだった。引き取るべきだった。そう後悔するも
「そんな奴の言うことなんて聞かなくていいよ、フェルン。これは私とフェルンの関係だ。お前には何の関係も」
「フリーレン様?」
「タマネギ嫌い……」
「あんたたちね……」
もはやそれは手遅れだったらしい。いや、正確にはいらぬ心配か。まるで先の争いの時のようにおよそ人類とは思えないような開き直りを見せるフリーレンに対してフェルンは容赦なくその口にタマネギを突っ込んでいく。それが苦手なのだろう。フリーレンは涙目になりがらそれを咀嚼している。一体私は何を見せられているのか。
「これじゃあまるで年寄りの世話ね……」
その正体にようやく辿り着く。人間でいう介護だろう。孫に世話してもらっている祖母のようだ。いや、こいつの年齢からすれば孫どころではないのだろうが。無駄に歳ばかり取ってきたのだろう。それがこの魔法使いの師弟の形なのかもしれない。私とリーニエの主従関係のようなものか。もっとも、主導権はフェルンの方にあるようだが。尻に敷かれているのかもしれない。そんなことを考えていると
「あ」
「何よ?」
何かに気づいたかのように、フェルンはそのまま口を開けたまま固まってしまう。まるで何かまずいことが起こってしまったかのように。今更自分の行動のおかしさに気づけたのかと思うもどうやらそうでもないらしい。一体何を。首を傾げるも
「私を年寄り扱いしたね……あと二回だよ」
どこか恨めしそうにこっちを睨みながら、フリーレンがそんな下らないことを口にしてくる。こいつからすれば精一杯凄んでいるのだろうが、全くの無意味だ。本当にタマネギが苦手なのだろう。涙目になってしまっている。まるで苦手な物を食べているリーニエのよう。真似しているわけでもないのに、似通っているのは単にこいつがお子様なだけなのだろう。何よりも
「はぁ? 馬鹿じゃないの。私はヒンメルたちじゃないわ。あんたが泣き喚いても知ったことじゃない。ゼーリエよりも老いぼれてるのね」
そんなことは私の知ったことではない。年寄り扱いされたら三日三晩泣き喚く。それがこいつの習性だったか。本当に下らない。それにヒンメルたちは恐れおののいたらしいが私には通用しない。そうなったら国の外に放り出してやるだけだ。相手にするからつけあがるのだ。私は勇者一行でもこいつの仲間でもないのだから。神話の時代から生きているゼーリエよりもこいつの方がよっぽど老いぼれているのだろう。会うことがあれば説教でもされればいい。
「…………あと一回だよ」
「お二人とも、そのぐらいに……」
あの老害を引き合いに出されたのが効いたのか。目に見えてフリーレンが落ち込んでいく。同じエルフだからこそ効果覿面だったのだろう。今にも泣きだしそうな有様。いい気味だ。流石にフェルンも見かねたのか、仲裁に入ってくるほど。私はどうでもいいが、こいつの癇癪に巻き込まれるのはこの子だ。それに免じてこの話題はこのぐらいで勘弁してやろう。だが
「……そうね。あんたはただの魔導書泥棒だもの。こんなに読み散らかして。良いご身分ね。今度はどこから盗んできたわけ?」
それ以外のことについてはまた別だ。ベッドの周りには魔導書が溢れていた。いつもそうなのだろう。療養中なのをいいことに悠々自適な生活を送っていたらしい。仮にも私の、魔族の国で一体何様なのか。流石は盗人だけはある。きっと旅の中でも他人の家から盗みをしていたに違いない。
「人聞きが悪いね。ここの魔法科から借りてきたんだよ。ちゃんと許可ももらってね。文句を言われる筋合いは」
「借りてきたの私ですよね、フリーレン様?」
「ごめんて」
売り言葉に買い言葉。だがすぐに弟子に叱られて謝っている。本当にこの子はお母さんみたいになってしまっている。どっちが子供か分かったものではない。そもそもこの子を何だと思っているのか。弟子ではなく、従者だと勘違いしているのか。師が師なら弟子も弟子なのだろう。薄々感じていたが、フェルンもまた勇者一行側なのだろう。ようするに一癖も二癖もあるのだ。考えれば当然か。この子はあの生臭坊主の娘で、この薄情者の弟子なのだから。
「ただのヒモじゃない……まだヒンメルの方がマシね」
心からそう呆れるしかない。思い出すのはいつかのヒンメルの醜態。まともに働かずに、村人たちから無職だのヒモだのと揶揄されていたヒンメルの姿。だがこいつはそれを遥かに上回っている。ハイターがこいつが基本的に引きこもりだと言っていたわけだ。やはり拾ったのは間違いだった。
「そうですよ。ヒンメル様も村でちゃんと働かれていたんですから。フリーレン様も見倣って下さい。ふしだらです」
「ふしだらって言わないでよぉ……」
さらに頼みの綱の弟子にも見放され、涙を浮かべている愚かな師匠。どうやらその言葉はフリーレンにとっては禁句らしい。この子がよく言う口癖のようなもの。そういえばシュタルクもそう言われて同じように落ち込んでいた。リーニエがそれに影響されて真似するようになってしまうほど。だがその意味をちゃんと分かっているのかは疑問だ。アイゼンの言う戦士みたいな概念なのかもしれない。それはともかく
「まるで見てきたみたいに言うのね、フェルン」
思わずそう尋ねてしまう。それは先のフェルンの言葉。まるでヒンメルの事情を知っているかのような対応だった。世間で出回っている勇者一行の冒険譚では知りようのない話だというのに。フリーレンやハイターから聞かされたのだろうか。だがそれは
「はい。見てはいませんが読んで知っているので」
「────は?」
私が想像し得る中で、最悪の形でフェルンに伝わっていたのだった。
「あんたまさか……あの日記を読んだの?」
────動悸がする。眩暈がする。立ち眩みがする。
「? はい。勇者というのは仕事ではなかったんですね。そういえば、アウラ様も服を洗濯する仕事をされていたんですよね。すごいです。良ければ見せてもらってもいいですか? 私も頂いた魔導書で覚えたんですが、ちゃんとできているかどうか……アウラ様?」
フェルンが何かを言っているが耳に入ってこない。間違いない。この子はあの日記を読んだのだろう。ヒンメルが遺したあの日記を。悪夢だ。頭を抱えるしかない。読んだのは最初の一冊だけだったのは不幸中の幸いだろうが、何の救いにもなっていない。つまり、私が服従させられてからリーニエと一緒に暮らし始めるまでを知られてしまっているのだから。しかもヒンメルの日記という名の主観と共に。あの公開ラブレターをフェルンに読まれてしまっている。もしヒンメルが知れば憤死してしまうのは間違いない。それだけならまだいい。私に関しての記述も日記には溢れている。あることないこと、読んでいるこっちが恥ずかしくなる、格好をつけた勇者の妄言のオンパレード。あれも。これも。それをこの子に読まれてしまったというのか。
「…………」
「……私じゃないよ。アイゼンが勝手にしたんだから」
そのまま殺気同然の視線をフリーレンに向けるも、全く悪びれていない。盗みを指摘した時と同じように変顔を晒している。本当に癪に触る奴だ。枷がなければ、この場で服従させて土下座させてやるところだ。同時にあの筋肉馬鹿も。本当に食えない奴だ。今度会った時には服従させてやる。
「そう……恥晒しもいいところね」
もはやあきらめるしかない。ヒンメルもまさかこんなことになるなんて思ってもいなかっただろう。ハイターの奴が大笑いしているのが目に浮かぶ。それに巻き込まれたこっちは堪ったものではないが。
「やっぱり魔族は駄目だね。私を見倣うべきだよ」
「でもフリーレン様、夜によく日記を読んで泣いていましたよね?」
「…………そんなことないよ、フェルン。あれはあくびを堪えてただけで」
恥を知らないエルフはそう自信満々に宣言するもそれはすぐにフェルンに暴露によって台無しにされてしまう。きっとフリーレンですらそれは予想外だったのだろう。見るからに挙動不審になりながら誤魔化している。本当に嘘が下手な奴だ。それに呆れていると
「どうしてそんな嘘つくの?」
聞き慣れた我が従者、葬送にとっては天敵の例外の審判の声が聞こえてくる。悪意がないからこそ、フリーレンにとってはまさに天敵なのだろう。さらに顔が不細工に、しおしおになってしまっている。まるでお婆ちゃんのようだ。だがそれはフリーレンだけではない。何故なら
「助けてくれよぉ……アウラぁ……」
それに匹敵する情けない声と顔を見せながら、とぼとぼとやってくる戦士の姿があったから。何故かリーニエをおぶったまま。まるで馬になってしまったかのようにリーニエにいいようにされているシュタルクが私に助けを求めてくる。
それが戦士の弟子、目の前の魔法使いの師弟に勝るとも劣らない二人の姉弟の醜態だった────