「久しぶりね、アウラ。二十年振りかしら」
何でもないことのように、まるで初めからそこにいたかのような自然さでそいつは私に話しかけてくる。その姿は二十年前と全く変わっていない。魔族であれば当たり前。なのにそこに違和感を覚えてしまうのは何故なのか。それは目の前の魔族が魔族の中でも異端であるからに他ならない。
こちらに向ける笑顔。胸の前で手を組んでいる所作。発している雰囲気。その全てが限りなく人類に近い振る舞いの域に達している。まさに人間そのもの。魔族であっても騙されてしまいかねない擬態。一体そこに至るまでにどれだけの人間を葬って来たのか。
それがソリテール。魔族でありながら人類を研究対象としている変わり種の大魔族。
二十年ぶりの再会への感慨などない。そもそも魔族にとっては二十年などあってないようなもの。人間の基準に合わせてわざと久しぶりなどと言ったのだろう。相変わらず気味の悪い奴。だが今追求すべきは
「そうね……で? 勝手に人の国に不法侵入なんてどういうつもりなのかしら?」
わざわざ魔力を隠匿したままでこの場に現れたこと。しかも私はおろかリーニエの魔力探知すら搔い潜ったまま。敵対行為だと取られておかしくない行為。
「ごめんなさい、驚かせたいと思ったの。でもちゃんと正面から入国したのよ、ほら」
にも拘わらず、変わらず笑みを浮かべながらソリテールはその手に持っている物をかざしてくる。それはフリージアの花を模した聖杖の首飾り。この国の住人である証。ソリテールが持つそれはその中でも限られた、国の建国から携わった者しか持つことを許されない特別な聖杖。それを見せれば衛兵も従わざるを得ない。
「そう……そんな物もあったわね。あんたに渡したのは間違いだったわ」
「変わっていないわね、アウラ。良いことね」
心からの本音、悪態に嬉しそうに笑み浮かべているソリテール。どこからが本当で、どこからが嘘なのか。魔族である私でも分からない。こいつを前にすると魔族に騙される人間の気持ちが分かる気すらしてしまう。
「お久しぶりね、シュトロ、リーニエ。元気そうでよかったわ」
「お久しぶりです、ソリテール様。見ての通り、あの頃より老いてしまっていますが何とかやっております」
「素敵ね。魔族と違って人間の二十年は密度が濃いもの。あの頃よりずっと立派になっているわ」
そんな私の態度など気にせず、今度は他の二人にも挨拶を始めてしまう。それに対して澱むことなく答えることができるシュトロは確かに年を取ったのかもしれない。だがその言葉遣いも、雰囲気も既に先程までとは違い、司祭の時のシュトロに戻っている。私達だけでなく、長年フリージアで多くの魔族と接してきたシュトロだからこそ分かるのだろう。目の前の魔族がいかに異端で、恐ろしい存在なのかを。対して
「…………」
リーニエは無言のまま。挨拶に応じようとしない。その表情も消え去っている。さっきまで騒いでいた子とは思えないような変貌ぶり。だが私は知っている。こちらの方がリーニエの本質、魔族としての貌であることを。
「貴方は少し大きくなったかしら、リーニエ? 魔族としてはまだ若いものね。でもちゃんと成長してるわ。見ればわかる。でも知ってるでしょう? 私は戦いよりもお話が好きなの。お姉さんとお話ししてくれると嬉しいわ」
「……嫌よ。私、あんたが嫌いだもの」
「そう、残念。でもまだ時間はあるわ。私は貴方に興味があるの。仲良くなれると良いわね」
まるで人間でいう、親類であるかのようにソリテールはそう優しく話しかけるもリーニエは応じることはない。あるのはまるで敵を見るかのような冷たい視線と手にした剣だけ。それに気づいているにもかかわらず、むしろだからこそなのか。ソリテールはますます興味を示している。そう、まるで実験動物を見るかのような、研究者の視線。こいつの言う仲良くは私たちの仲良くとはかけ離れているに違いない。リーニエも魔族としての、生物としての本能で悟っているのだろう。
「茶番はもういいわ。それで一体何の用? あんたの拠点は確か北側だったはずでしょ」
これ以上は時間の無駄だと判断しこっちから話を振ることにする。確かこいつは北部の海沿い、人類の使っていた造船所をねぐらにしていたはず。それがなぜこんな場所にいるのか。
「南側諸国の戦後の様子を観察しに来ていたの。二十年前は戦争真っただ中であんまりお話できなかったから。でもとても興味深かったわ。戦争は収まったのに人間たちはまだ争いを求めている。来てよかったわ」
きっと本当に楽しかったのだろう。いっぱいお話しできて幸せ、とのたまいながらソリテールは満足げにしている。そういえばこいつはそういう奴だった。二十年前、南側諸国で起こった戦争。
「……相変わらず趣味が悪いわね。ここに寄ったのはそのついでってわけ?」
「ついでじゃないわ。前にも言ったでしょう? 人類と魔族の共存。そのテーマにとても興味があるの。いえ、正確にはそれを為そうとしている貴方とこの国に」
ぽん、と手を合わせながらソリテールはまるで待っていたとばかりにこちらを見つめてくる。知らずその瞳に吸い込まれそうになる。魔族の私ですらこれなのだ。人間であればあっという間に虜にされてしまうに違いない。
「魔族国家フリージア。北側にも噂が流れてきていたわ。人間と魔族が共に暮らしている楽園。平等に生きることができる場所だって。素晴らしいわ、アウラ。たった二十年でここまでにするなんて流石ね。最も人間と共に過ごしている魔族と言われるだけのことはあるわ」
「そう、素直に受け取っておくわ」
賞賛とも挑発ともとれるような言葉に辟易しながらそう受け流す。こいつの言葉に一喜一憂するのは時間の無駄でしかない。必要な情報だけを聞き分け、それ以外を無視すること。それがソリテールとの会話の最適解。短い間ではあったが共に過ごした共犯者として得た教訓。
「あれからこの国がどう変わっていったか、今どうなっているのかを知りたいの。少し読ませてもらったけど、教典の内容も更新されているわね。より細やかな配慮がされている。これは貴方が加えたの? それとも人間の誰か? ぜひその人とお話してみたいわ」
「残念だけどもういないわ。今頃天国で酒盛りでもしてるんじゃない」
思い出すのは酒ばかり飲んでいた生臭坊主の姿。きっと今も酒盛りをしているに違いない。天国、なんてものが本当にあればの話だが。もっとも、こいつと会わないで済んだという点では幸運だったと言えるかもしれない。
「そう、残念。でも私が加えた部分もまだ多く残っているわね。特に祝福と収容区についてはより洗練されている。やっぱり魔族が人間と共存するためには互いに矯正が必要だものね。この実験の結果が知りたいわ。シュトロ、お願いできるかしら?」
「……はい、是非。教典科に属する者たちに声をかけておきます。お力をお借りできれば助かります」
そう言いながら頭を下げるシュトロ。内心思うところはあるのだろうが、何も言わないのはソリテールの提案がこのフリージアにおいて有益であることを理解しているからに他ならない。今の教典を作ったのはあの生臭坊主だが、どうしても足りない部分があった。それは魔族側の視点。人間との共存である以上、それはどうしても必要になってくるもの。だが人間だけで作り上げた教典ではどうしても視点が人間に寄ってしまう。それを補ってくれたのが目の前にいるソリテールの視点、助言だった。理解できない趣味の悪い研究だが、魔族から見た人間の心理や在り方を最も理解している魔族は間違いなくこいつだ。私やリーニエではできないこと。その証拠に何年か前に改稿を頼んだ際、あの生臭坊主も、本音は分からないがソリテールが加えた部分については触れていなかったのだから。
「ごめんなさい、お喋りに夢中になっちゃうのは悪い癖ね。私は気にせずさっきのお話の続きをしてもらって構わないわ」
「さっきの話……?」
「ヒンメル……勇者ヒンメルのことかしら? さっき楽しそうにお話してたじゃない」
瞬間、空気が変わる。先程とは全く毛色が違うもの。思わず息を飲んでしまう。そんなことはとっくに忘れてしまっていた、からだけではない。こいつからそんな言葉が出てくるなんて思っていなかっただけ。二十年前にはほとんど触れてこなかった話題。なのになぜ今になって。
「……何であんたにそんな話を聞かせないといけないわけ? そもそもヒンメルは魔王様の仇なんじゃないの?」
そんな内心を悟られまいとそう切り返す。確かこいつは魔王様と懇意にしていたはず。ソリテール自身が言っていた。まるで魔王と友人であるかのように。ならヒンメルはこいつにとっては面白くない存在のはず。敵討ち、とまではいかないまでもそれに近い感情があってもおかしくない。なのに
「そうね……でもそれとこれとは話が別だわ。千年以上続いた魔王様の時代を終わらせた人間。それだけで研究対象としてはこの上ないサンプルだわ。魔王様と一体どんな話をして、魔王様は一体どんな最期の言葉を遺したのか。ぜひ聞いてみたかったわ」
本当に心からの言葉だったのだろう。ソリテールはそう、心底残念がっている。あり得ない。理解できない。私が魔族だからではない。人間であっても同じだろう。この化け物の心の内を理解できる生物はこの世にいないに違いない。
「……ならさっさとヒンメルが生きている内に会いに行けばよかったじゃない。大方怖くてできなかったんでしょうけど」
「そうね。いくら研究のためとはいえ、自分の命を懸けてまで勇者に会いに行くほど私は変わり者ではないの。貴方と同じよ、アウラ」
そうでしょう? とこちらを見つめてくるソリテールに返す言葉がない。藪蛇。私にとっては皮肉でしかない。事実、私はヒンメルが死ぬまで隠れているつもりだったのだから。もっともそれに失敗した末路がこの有様なのだが。
「でももう一つの方法があったわ。会話から人類を探求するのが私の研究テーマなのは知っているでしょう? その中で最も興味深い物が何だか分かる、アウラ?」
「……さあ。知りたくもないわね」
初めからそう話を持っていくつもりだったのだろう。意気揚々とソリテールは私に問いかけてくる。話術、交渉においてこいつに敵う魔族は恐らくいまい。余計なことを言わずただ聞きに徹するのが一番。そう分かっているのについ、反応してしまう。言葉を使い動揺を誘う典型的な
「それは死に際の最期の言葉。そこにはその人間の全てがあるの。命乞いしかしない魔族にはないもの。ねえ、アウラ。勇者ヒンメルは最期にどんな言葉を遺したのかしら? 貴方なら知っているでしょう?」
そんな聞きたくもない、思い出したくない言葉を理解してしまった。
「……知らないわ。知っていてもあんたに教える義理もないわ」
知らず、掠れるようなか細い声で応えてしまう。そう、そんなものは知らない。知らないものは教えることはできない。例え知っていても、そんな精一杯の強がり。それすらも
「それは嘘……いいえ、本当なのかしら。そう、五十年間一緒にいたのに死に目に会えなかったのね。残念だわ」
目の前のソリテールに見抜かれてしまう。忘れていた、忘れていたかった記憶。
――――降りしきる雨の中、全てが終わってしまっていた墓石の前で一人立ち尽くすしかなかった、私。
「でもこれで理解できたわ。貴方がこの国を作った訳も、魔族として歪になってしまっている訳も」
「訳……? 何よそれ。私は私のためにこの国を造ったわ。魔王様と同じように」
目の前の魔族が何か言っている。それに答える。どうでもいい。どうでもいいがここにはリーニエもシュトロもいる。私は私でいなくてはならない。国王として、教主として。なのに
「いいえ、違うわ。魔王様は本当の意味で人間と共存するために国を、魔王軍を造り上げた。形は違えど、マハトも同じね。でも貴方は違う。貴方は人間との共存なんて望んでいない。貴方はただ人間の、いいえ勇者ヒンメルの真似事をしているだけ」
魔族の私が理解する。目の前の女が言っていることが正しいのだと。魔族の本能が告げる。認めてしまえと。それに抗う私がいる。なら私は一体何なのか。
「そうでしょう? ただ国を造るなら貴方の魔法で死の軍勢を作り上げればいいだけだもの。人間と魔族の共存なんて面倒なことする必要もない。アウラ、今貴方がしていることはね、飼い犬が死んだ主人の帰りをずっと待っているようなものなの。従う必要のない命令に従ったまま。何でそんな無駄なことをしているの?」
動悸がする。眩暈がする。立ち眩みがする。
言わせるな。その先を言わせてはいけない。それを言われたら私は
「――――ヒンメルはもういないじゃない」
それはあり得た未来において、『断頭台』から『葬送』に告げられた言葉。
それが今、『無名』から『天秤』へと突き立てられた――――