「……まるでアウラのことを知ってるみたいな口ぶりだね。フリージアに行ったことがあるの?」
フリージア、いやアウラの名を口にした途端、目に見えて不機嫌になりながらフリーレンはそう尋ねてくる。普段の冷静な、淡々とした姿からは想像もできない姿。フリーレンからすれば黄金郷の話にそれが関わってくるとは全く思っていなかったのだろう。どうやらあの噂も満更嘘ではないらしい。それはともかく
「いいや、残念だが行ったことはない。本当ならこの目で確かめたかったのだが、今の儂には地位がある。フリージアを訪れるだけで意味が生まれてしまうのでな」
その質問に偽りなく答えることにする。魔族国家フリージア。その名を知らない北側の人間はいないだろう。同時にその実態を知っている者もまた少ない。下らない噂話だと信じていない者も大勢いる。今も尚魔王軍の残党に苦しめられている北側諸国の人間なら当然だろう。かくいう自分もそうだった。一番確かなのが己の目で確かめること。しかしそれは自分にはできなかった。帝国の宮廷魔法使いである自分には。もし自分がフリージアを訪れるようなことがあれば、そのまま帝国がかの国を認めたと受け取られかねない。何よりも相手はかつての断頭台のアウラでもある。彼女と接触してしまえばその真偽に関わらず、服従させられてしまっているとみなされてしまう。どちらにせよ直接交渉することは困難だった。しかし
「だがレルネンを通してそれを知ることができた。あいつは大陸魔法協会の使者として、天秤のアウラとも親交があったのでな」
その橋渡しとなってくれたのが、旧友であるレルネンだった。レルネンはフリージアができる前から大陸魔法協会の使者としてアウラと親交があったからだ。最初の一級魔法使いであり、旧友でもあるあいつの言葉であれば信じることができる。疑う余地はない。それによって自分は魔族国家フリージアがただの御伽噺ではないことを確信できた。
「そういえばそうだったね。ゼーリエの奴、弟子を使いっ走りにして……」
思い当たる節はあったのだろう。どこか複雑そうな顔をしながらフリーレンはそう零している。薄々分かってはいたが、ゼーリエも苦手にしているのだろう。同じエルフであるのに。もしかしたら旧知の仲なのかもしれない。それはともかく
「本当ならフリーレン、お前にも確かめたかったのだが機会がなくてな。だがその顔を見るからに噂は本当だったらしい」
どうやらフリーレンがフリージアを認めているという噂は本当だったらしい。本当はそれを含めてフリージアやアウラについて直接確かめたかったのだが機会がなかった。試験中ということもあったので、遠慮していたのもあったがもはや確かめるまでもない。もっとも本人からすれば納得できるものではないのだろう。
「……そうだね。私も聞き飽きたよ」
「フリーレン様?」
「分かってるって」
どこか子供のようにふてくされてしまう始末。それを弟子であるフェルンに嗜められている。きっとこれは日常茶飯事なのだろう。流れるようなやり取り。試験の時から分かっていたが良い師弟なのだろう。
「それはもういいから結論を聞かせて。何でこの件にあいつが絡んでくるのか。あいつははっきり言って例外だ。参考にするのは危険だよ」
気を取り直すように、先程までとは別人のような冷たい視線をこちらに向けながら葬送の魔法使いは忠告してくる。断頭台の、いや今は天秤となったアウラを知っているからこそのもの。それが告げてくる。かの大魔族は魔族における例外なのだと。異端と言い換えてもいい。それこそマハトに匹敵、いや凌駕するほどに。伝え聞いているだけでもそれは十分理解している。それをそのまま他の魔族に当て嵌めるのは危険なのだと。そこには確かな経験の二文字があった。恐らくフリーレンもそれを身を以て体験したのだろう。
「無論それは承知している。レルネンやゼーリエからも伝え聞いているからな。フリージアの成り立ちと、それが特殊な条件で成り立っていることも」
それには到底及ばないだろうが、自分もまた調べてきた。実際に彼女と接したことのあるレルネンはもちろん、ゼーリエからも。特権の授与式の際だった。儂が望んだ魔法で全てを察したのだろう。それとも噂に聞く直感か。利用してやればいいと言われはしたが、あれは恐らくゼーリエなりの気遣いだったのだろう。もしかしたらレルネンが自分のために動いていることも察していたのかもしれない。神話の時代から生きているとされる大魔法使い。その前では儂でさえ子供同然なのかもしれない。
それによって知ることになった。フリージアの成り立ちを。いや、断頭台であった魔族のアウラが勇者ヒンメルに従わされることから始まった物語を。その従者としての働きから、聖都での活躍。フリージアの前身である箱庭の運営と南側諸国の戦争の平定への尽力。勇者の死後はかつて蹂躙した北の地で魔族国家フリージアを建国し、今に至る。何も知らずに聞かされれば誰も信じないような、まるで勇者一行の冒険譚のよう。だがそれは決して御伽噺ではなかった。
それは紛れもない魔法、理によって成り立っている秩序だった。天秤のアウラが持つ、人知を超えた魔法である服従の魔法。それによって魔族はもちろん、人間にすら枷を嵌めて支配する。自由と平等の名のもとに。それは紛れもなく我々人間の社会の縮図だった。人ではない、魔族だから実現できる理想郷。何故それに至ったのか。興味は尽きないが、それは別の話だ。自分にとっての問題はそこではない。
三十年程とはいえ、人間と魔族が共に暮らしている、生きている。共存している国がある。確かな法と理によって。かつて争っていた隣国であるグラナトとの和睦まで成立するほどに。まるでかつてのヴァイゼのように。
「だからこそ儂はフリージアに可能性を見出した。遅くなったが、結論を言おう。マハトをフリージアに迎え入れることを条件に、黄金郷を元に戻させる。それが今回の話し合い、取引の内容だ」
それは自分がマハトと、魔族と無駄な話し合いを続けている理由。マハトが望んでいる人類と魔族の共存を成し遂げている
「……馬鹿げてるね。そもそもいくつも前提が成り立ってないけど……それは今はいいか。デンケンもそれは分かってるだろうし」
大きな溜息を隠しもせず、フリーレンは呆れかえってしまっていた。無理もない。自分もまたそれは理解している。いかに荒唐無稽な、愚かなことをしているのか。無様なことこの上ない。恥知らずにもほどがあるだろう。合理性に、論理的に成り立っていないもの。そもそもこれは前提からして成り立っていない。いや、ある前提の下にしか成り立たない策。藁にもすがるもの。あえてそれをフリーレンは口にすることはない。
それでも改めてフリーレンはこちらを視線で射抜いてくる。思わずこちらの背筋が寒くなってしまうような空気と共に。子供のような夢物語を語っている自分を窘めるように。だがそれは
「でもこれだけは言わせてもらうよ。そんな提案、フリージアが飲むわけが」
「それに関してはアウラから既に了承をもらっている。これがその信書だ」
「え?」
既に自分の手に届いている一通の手紙によって破綻してしまう。それを前にしてフリーレンは目を丸くしたまま。固まってしまっている。まるで信じられない物を目にしたかのように。きっとフリージアのことを初めて知った時も同じようになってしまったに違いない。それは自分も同じだ。まさかこんなにも早く、どころかそれを認める信書が届くなど思いもしなかったのだから。何かの手違いかと、騙されているのではないかと疑ってしまうほど。
「あいつ、一体何を考えて……」
「儂は帝国の宮廷魔法使いでもある。今回は個人的な依頼だが、北側、特に帝国にとっても黄金郷の解放は悲願だ。それに協力したとなれば、フリージアにとっても大きな利用価値はあるのだろう」
だがそれは紛れもない、魔族国家フリージアの国王であるアウラからの返答だった。疑う余地はない。レルネンもそれは認めていたのだから。表向きの理由はそんなところだろうか。フリーレンが認めたとしても、未だにフリージアに懐疑的な、敵対する国は多い。特に大国である帝国はその最たるものだ。それとの友好を計るという意味では理解はできる。そのために宮廷魔法使いである自分を利用しようということだろう。事実、自分は国すら動かすことができる権威を持っている。だが
(もちろんそれだけではないだろう……他にも何か儂らには預かり知れない事情があるとみるべきか)
やはり損得勘定だけでは説明がつかない。そもそもリスクが、天秤が釣り合っていない。フリージアが成り立っているのはアウラという絶対の為政者が君臨しているからだ。ある意味独裁で成り立っている。そこに同じ大魔族であり、七崩賢であるマハトを受け入れることによる危険性を理解できていないはずがない。だからこそこの提案は断られるだろうと想定していた。そこからこちらが譲歩する形で交渉する手筈だったのだが。完全にこちらとしても予想外。後で一体何を要求されるのか。何が目的なのか。油断ならない相手だ。明らかにマハトとは、他の魔族とは違う。まるで老獪な為政者を相手にしているかのよう。それがアウラ本人なのか、周りの忠臣なのかは分からないが。どちらにせよ大きな借りになるだろう。
「だが一つだけ条件を出されてな。絶対に譲れないものだと。これがその条件だ」
それでも一つだけ条件を出された。それが順守されるのであれば、この交渉は成立する。その内容を目にした瞬間、全てを察した。やはりあの噂は本当だったのだと。いや、噂以上のものがあったのだと。そうとも知らずにこの地へと誘われてきた、伝説の魔法使い。彼女に信書を手渡す。いや、それは信書ではなかった。
「────」
その証拠に、訝しみながらその内容に目を通したフリーレンは絶句してしまっている。無理もないだろう。何故ならそれは天秤から葬送へ宛てられた極めて個人的な手紙だったのだから。そこにはこう記されていた。
『葬送のフリーレンが直接、黄金のマハトを見定めること』
してやられた葬送の魔法使いは体を震わせ、言葉にできないような顔を晒しながら信書を破り捨てたいのを必死に耐えるしかなかったのだった────