ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第十四話 「因縁」

――――思い出す。

 

嗅ぎ慣れた草木と花の匂い。響き渡る木剣と木剣がぶつかり合う音。私にとっての日常。少し前からなくなってしまった光景。

 

 

『ねえ、ヒンメルはどうして私に剣を教えてくれるの?』

 

 

その中でそう尋ねる。どうして私にこんなことをしているのか。こんなことをしてもヒンメルには何の得もないのに。

 

 

『僕は君の師匠だからね。弟子に修行をつけるのは当たり前だろう?』

 

 

そんな意味の分からないことをこれみよがしに宣言してくるいつも通りのヒンメル。やっぱりヒンメルは変わっている。私もよく言われるがヒンメルほどではないはず。

 

 

『答えになってない。あと、その髭やっぱり似合ってないよ』

『ゔっ……!? そ、そんなことはないさ。これは僕がイケメンからダンディに移行するために必要な物で……』

 

 

なのでもう一つ変なことを教えてあげる。何故か少し前から伸ばし始めている髭だが全然似合っていない。いけめんもだんでぃも分からないがそれだけは分かる。間違いない。本人も少しは自覚はあったのか。今度は落ち込んでいる。本当に忙しい奴。でも

 

 

『そうだね……僕はね、リーニエ。君に誰かを守れるように強くなってほしいんだ』

 

 

それが嘘のように、ヒンメルはどこか不思議な笑みを浮かべながらそう、よく分からないことを私に伝えてきた。

 

 

『守る……? 私が? 誰を?』

『もちろん、アウラのことさ』

 

 

当り前だろう、と言わんばかりのヒンメルに困惑するしかない。さっぱり分からない。また私をからかっているのだろうか。

 

 

『何で? アウラ様は私より強いのに? ならヒンメルが守ればいいじゃない』

 

 

守る、というのは確か強いものが弱いものの世話をするという意味だったはず。私にはよく分からない言葉。何故強いほうが弱いほうを守らなければいけないのか。弱いほうが強いほうに従うのが当たり前。アウラ様は私よりも強いのだから、私がアウラ様を守る必要なんてない。そもそもそれならヒンメルがすればいい。私たちの中ではヒンメルが一番強いのだから。

 

 

『それはもちろんさ。アウラには余計なお世話だと怒られちゃいそうだけど……』

 

 

困った顔をしながらそうヒンメルは答えてくる。どうやらそれは分かっていたらしい。きっと頭の中でアウラ様に怒られているに違いない。現実でも怒られているのに、それでも足りないらしい。

 

そのままヒンメルはこちらに近づいてくる。私の背の高さに合わせて屈みながら。

 

 

『僕は君たちのように長くは生きられないからね。だからリーニエにはアウラを守ってあげてほしいんだ。僕がいなくなっても――』

 

 

そう、私にお願いしてくる。命令ではなく、お願い。その時が来るのを分かっているかのように。分からない。どうして自分がいなくなった後のことまで心配しているのか。でも今も私は憶えている。この言葉を、約束を。だから

 

 

 

「アウラ様を……侮辱するなぁーーーーッ!!」

 

 

 

――――それを破る者を、私は許さない。

 

 

 

「リーニエ……!?」

 

 

瞬間、風が巻き起こった。瞬きすらできないような時間。その間に隣に控えていたはずのリーニエが消え去っている。いや違う。その姿がソリテールの背後にある。まるで瞬間移動したかのような高速移動。何度も目にした今は亡き勇者の再現。だが私が驚いているのはそこではない。リーニエの表情。五十年共に生きてきた中で、一度も聞いたことのない叫び。それと共にリーニエはその剣を振り下ろす。断頭台もかくやという一撃。狙うのは首。完全に無防備なソリテールの首筋に迫るその剣は

 

 

首の皮一枚のところで、不可視の壁によって阻まれてしまった。

 

 

「――驚いたわ。全く見えなかった。素晴らしい速さと剣技ね。もう少し遅かったら首を跳ねられていたかも」

 

 

本当に驚いているのか。賞賛と共にソリテールはリーニエへと振り返る。全く動じていない。どころか身を守る動作すらしていない。あるのは立ち昇る膨大な魔力の壁。それによってリーニエの剣は防がれてしまっている。火花が、魔力光が辺りを照らすもその刃はソリテールに届かない。魔法も、技術も、培ってきた鍛錬も、強大な魔力の前には理不尽にねじ伏せられる。それがソリテールが大魔族と呼ばれる所以。

 

 

「ぐ……っ!」

「勇者の剣ね。でもやっぱり何の力も感じないわ。どうしてこんな物で魔王様を倒せたのかしら」

 

 

ソリテールは自分の目と鼻の先に迫っている剣を冷静に分析しながらそう呟いている。その分析は正しい。その剣は本物の勇者の剣ではなく複製なのだから。違うのは、本物の勇者が持っていた物であるということだけ。興味が湧いたのか、ソリテールはそのまま剣を掴もうとするもそれよりも早くリーニエはその場を離脱し、私の前に着地する。まるで私を守ろうとするかのように。

 

 

「……ヒンメルの剣に触るな」

「そう、貴方にとってそれは勇者ではなく、ヒンメルの剣なのね。興味深いわ」

 

 

剣を振りながらリーニエはその切っ先をソリテールへと向ける。触れられていないのに、それだけで汚らわしいと告げるように。だがソリテールには何も通じていない。変わらず気味の悪い笑みを浮かべているだけ。

 

 

「でもさっきの行動は賢いとは言えないわ。魔族であるなら分かるでしょう? 私と貴方の力の差が。加えて私は貴方の魔力の隠蔽も知っている。騙し討ちも通用しないのに」

 

 

淡々と、それでも的確にソリテールはリーニエの戦力、行動を分析してしまう。そう、それは紛れもない事実。どうやっても覆せない魔力量、生きてきた年月の差がソリテールとリーニエの間にはある。それを覆し得る魔力の隠蔽もソリテールには通用しない。そもそも魔族は魔力によって相手の力量を計るが故に人間のような無駄な争いは発生しない。自衛のためならまだしも今のリーニエの行動は魔族として理解できない、そうソリテールは諫める。だが

 

 

「―――そんなの関係ない。ヒンメルならそうしたから。それだけ」

 

 

迷いなく、リーニエはそう言い放つ。魔族ではない、リーニエとしての答え。

 

 

「――――」

 

 

その答えに、私は言葉を失う。いや、思い出した。リーニエからこの言葉を聞くのは二度目だったことを。あれはそう、服従の枷から解放された私が途方に暮れていた時。私を呼び戻してくれたのも、リーニエだった。

 

 

『ヒンメルならそうした』

 

 

あの生臭坊主も、筋肉馬鹿も、揃いもそろって同じことを口にしていた。笑い話だ。死んだ後までまだ迷惑をかけるなんて、本当に癪な奴――

 

 

 

「……もういいわ、下がりなさいリーニエ」

 

 

知らず、動悸は収まっていた。頭に上っていた血も。そのままリーニエを下がらせる。感情的にはリーニエに続きたいところが戦略的にそれは悪手でしかない。リーニエ以上に私は目の前のソリテールと相性が悪い。天敵と言ってもいい。何の準備もなしにやり合うのは自殺行為でしかない。こちらの意図を察したのか、それとも私同様頭が冷えたのか。リーニエはそのまま下がっていく。無論剣は手に持ったまま。

 

 

「あら、もうおしまい? 私はまだ続けてもよかったのだけれど」

「戦いよりもお話の方が好きなんじゃなかったの? それで? 散々喧嘩を売ってくれたけど何が目的なわけ? 意味なくそんなことする奴じゃないでしょ、あんたは」

 

 

この状況を生み出した張本人はそんなことをのたまっている。本当にどこからが演技でどこからが素なのか。どちらにせよ、こいつの掌の上でこれ以上踊らされるのは御免だとばかりそう告げる。そう、最初からおかしかったのだ。何故二十年ぶりに会ったばかりにも関わらずこちらを煽る言動ばかり繰り返しているのか。元々無自覚でこちらを煽る奴ではあったが明らかに度を越えていた。あまりこちらの機嫌を損ねれば追い出されてしまいかねないのに。

 

 

「ええ、流石ねアウラ。ちょっと貴方の精神的な耐久を試させてもらったの。もう理解しているでしょうけど、この国は貴方という柱の上に成り立っている。依存と言ってもいいわね。もしそれが崩れてしまえば一瞬で崩れ去ってしまうわ。まるで一夜限りの夢のように」

 

 

答え合わせをする教師のようにソリテールはそう解答する。ようするに私を試していたのだと。この国が私で成り立っていることなど言われるまでもない。ソリテールからすればこの国における神であり独裁者でもある私が負荷がかかった中で冷静な判断が下せるかどうかを見たかったのだろう。一体私を何だと思っているのか。恐らく人間同様、珍しい実験動物だとでも思っているのかもしれない。

 

 

「でも余計な心配だったみたい。これならあと百年はこの国は安泰でしょうね」

「……ついさっきその柱を倒そうとした奴がよく言うわね」

「でもそうはならなかった。そうでしょう? 昔の貴方なら考えられないようなことね」

 

 

素晴らしいわ、とこちらを賞賛してくるソリテール。もはや言葉もない。昔の私がいつの私を言っているのかは分からないが、こいつを一泡吹かせたという意味では今の自分を誇ってもいいのかもしれない。

 

 

「昔の貴方と言えば……グラナトとの和平交渉も順調のようね。特に相手側の間諜を無傷で返したのは素晴らしい判断だったわ。人間にはね、返報性の法則という習性があるの。これでグラナトはこっちに強くは出れないわ。交渉を有利に進められるわね」

「あんたね……」

 

 

さらっと国家機密並みの情報を暴露され呆れかえるしかない。それはこちらの、フリージアとグラナトの交渉内容がこいつに漏れていることを意味しているのだから。どちらなのか、人間からか、魔族からか。それとも何らかの魔法によるものか。いずれにせよ、こいつには多くの情報が漏れていると見た方がいい。本当に味方でも敵でも厄介な奴。

 

 

「交渉は確か三日後だったかしら? 楽しそうだから私も一緒に付いていっていいかしら?」

「お断りよ。大人しくここでお喋りしてなさい」

「そう、残念」

 

 

想像し得る上で最悪の光景が浮かび、思わずため息を吐くしかない。リュグナーだけでも不安だというのにこいつまで一緒になれば一体どうなってしまうのか。最悪そのまま戦争に発展しかねない。いや、それ以上の厄介ごとになりかねない。なら苦渋ではあるが、ここで油を売ってくれていた方が百倍マシだろう。

 

 

「用が済んだならそろそろ出て行ってくれる? こっちはあんたと違って忙しいのよ」

 

 

しっしと手を振りながら退室を促す。もう聞きたいことは聞き出した。あとはこいつの知的好奇心が満足するまで好きにさせればいい。こっちはまだやることが山積みなのだから。そう厄介払いしようとするもそれは

 

 

「フリーレン」

 

 

ソリテールの口から告げられた、あり得ない名前によって止められてしまった。

 

 

「――――」

 

 

礼拝堂が静寂に包まれる。その場にいる誰もが黙り込んだまま。時間が止まってしまったかのように。いや、止まってしまっているのは私だけなのかもしれない。その証拠にソリテールはさっきまでと変わらぬまま話を続けていく。

 

 

「つい一番大事なことを伝え忘れるところだったわ。アウラ、彼女がもうすぐここへやってくるわ」

 

 

まるで私の反応を楽しむように、観察するように。白々しいことこの上ない。何が忘れるところだった、だ。分かっていて今まで黙っていただけだろうに。

 

 

「…………何でそんなことがあんたに分かるのよ」

 

 

自分でも驚くほど冷たい声でそう尋ねる。誘導されている。そう思いながらも抗うことはできない。魔族としての本能なのか、それとも。

 

 

「つい最近、封印されていた腐敗の賢老クヴァールが討伐されたの。他ならぬ葬送のフリーレンによってね。人間の弟子も一緒みたい」

「…………」

 

 

その言葉にそれが真実なのだと確信する。嘘が歩いているような存在であるソリテールだが、だからこそあまりにも信憑性のあるその報告に頷くしかない。嘘だとするなら出来すぎている。人間の弟子、というのも確定的だ。どうやら生臭坊主の目論見は上手くいったらしい。

 

 

「アウラ様、おそらくそれは事実です。村からの手紙にも同じ内容が書かれていましたから」

 

 

私の状態を悟ったのか、シュトロがそう補足してくる。なるほど、先程言いかけていたのはこの件だったのか。もう少し早く耳にしていればこんなに醜態を晒すこともなかっただろうに。

 

 

「彼女たちはそのままずっと北上してきているの。このままだと遠からずここにやってくるはずだわ」

 

 

あのエルフはどうやらこっちに向かってきているらしい。本人曰くたくさんの人間たちとお話してきたソリテールの言うことだ、おそらくは正しいのだろう。ただ分からないのが

 

 

「……それで? それを私に教えてどうしようっていうの?」

 

 

こいつが私にそれを教えて一体何の得があるのか、ということ。こいつの研究には何の関係もないこと。知的好奇心というには無理がある。それに

 

 

「私はね、貴方に加勢しに来たのアウラ。もちろん貴方が負けるなんて微塵も思っていないけれども」

 

 

ソリテールはそう告げてくる。助けに来たのだと。負けるなんて微塵も思っていない、なんてあからさまな嘘をつきながら。白々しいことこの上ない。私が負ける可能性が高いと判断したからこそやって来たのだろうに。

 

 

「私は貴方の人類との共存という夢物語の結末を見てみたいと思っているの。いつか訪れるであろう、その悲劇的な結末を。でもそれは今じゃないわ」

 

 

嘘と真実。その両方を織り交ぜながらソリテールは語る。その目的を。あまりにも矛盾した、歪んだ思考。人類との共存などできない、という自分の結論を確かめるために人類との共存を目指す手助けを行う。あまつさえそれを目指している本人の前で暴露する。イカれた化け物。

 

 

「何よりも貴方は数少ない私の友達だもの。友達を助けるのは当たり前でしょう?」

 

 

『友達』という最も彼女に似つかわしくない言葉。同時に私にとっても呪いにも似た言葉。どうやら私はこの言葉に振り回される運命にあるらしい。

 

 

「友達? 共犯者の間違いでしょ」

「そこで『共犯』なんて言葉が出てくる時点で、貴方は魔族として歪なのよ。本当に貴方は面白いわ、アウラ」

 

 

友達を自称する誰かにそう悪態をつくも、間もなくそう返される。全く、私の友達とやらは何故こんなのばっかりなのか。

 

 

「そういえばあんた、死臭がひどいわよ。気をつけなさい、ここはフリージアよ」

「あら、そう? 一応香水は着けているんだけど、足りなかったかしら。心配しなくてもここでは食事はしないから安心して」

 

 

一通り満足したのか、出ていこうとするソリテールに後ろからそう忠告する。魔族が人間を食べることができないここフリージアでは嗅ぐことのない死臭がソリテールからは漂っている。他の魔族にとってそれは害にしかならない。そう指摘するも、全く違う方向から返事が返ってくる。やはり私とこいつは致命的に相性が悪い。

 

 

そのままソリテールは手を後ろで組んだまま優雅に去っていく。まるで何事もなかったかのように。その名の通り、彼女にとっては全て一人遊びであるかのように――――

 

 

 

「大丈夫ですか、リーニエ。怪我は?」

「? うん、全然平気。心配性だな、シュトロは」

 

 

ソリテールが去った後、シュトロはそう言いながらリーニエに駆け寄っていく。対してリーニエは平常運転。やり取りはあったものの、あの程度魔族にとっては日常茶飯事と言ってもいい。もっとも若い魔族が大魔族に喧嘩を売ることは滅多にないだろうが。

 

 

「リーニエ、リュグナーと一緒にあいつに付きなさい。ただし、さっきみたいに手は出さないように」

「分かった。行ってくるね、二人とも」

 

 

そんなリーニエにそう指示する。ソリテールの目的からするとこちらに害を為す行動をするとは考えづらいが念には念を。危機感を共有する意味でもリュグナーにも同行させた方がいいだろう。最初からそうする気だったのか、食べ損ねた分の新しいリンゴを手に取りながらリーニエは去っていく。あとは

 

 

「シュトロ、明日以降の裁判と祝福はしばらく中止よ。それと戦時体制を取るようにしなさい」

「分かりました。外はもちろん、内も気を付けるよう厳命します」

 

 

そう命令を下すもシュトロもまた即応する。フリージアの司祭を名乗るのは伊達ではない。外と内。それが何を意味するなどもはや口にするまでもない。

 

 

私の手には服従の天秤が、胸には銀の親愛の花。今の私を形作っている物。迷いはない。

 

 

(ここは私の国よ……誰にも好き勝手はさせないわ)

 

 

魔族と人間。そしてエルフ。

 

 

八十年前から始まった全ての因縁が今、ここフリージアに集まらんとしていた――――

 

 

 

 

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