「ご苦労だったね、エーデル」
「全くじゃ。生きた心地がせんかった。もう二度と御免じゃ」
今私たちはヴァイゼ地方からオイサーストへ向かっている最中。あと数日中には戻ることができるだろう。
行商人の荷馬車にどこか心地よく揺られながら、隣で愚痴を呟いているエーデルを労う。それはお世辞でもなんでもなく、心からの物だった。それだけの働きを彼女は見せてくれたのだから。文字通り命を懸けて。
つい先日まで目にしていた黄金郷と、それを支配していた魔族の姿が蘇る。生きた心地がしなかった、か。それは私も同じことだ。あれほどまでに死を身近に感じたのはいつ以来だっただろうか。臆病な私なら本来立ち入らないであろう場所でもある。いや、デンケンと同じか。私もまた五十年前から結界を維持するのみで、封印されたかの地に足を踏み入れることはなかったのだから。それでも
「おかげで有意義な情報をデンケンに手渡せた。きっと彼の故郷を救う手助けになる」
「だといいがの」
ようやくその重い腰を上げることができた。そのために彼女に、二級魔法使いであるエーデルの助力を得た。無論報酬は払ったが、命に代えられるものではない。にも関わらずそれを了承してくれた。マハトの百年分の記憶を読み取るという快挙と共に。決して強くなくとも、彼女は私よりもずっと勇敢な魔法使いだ。
「しかし、魔族が人類との共存を、か。まだ嘘であった方がよかったかもしれんの」
どこか憂うようにエーデルはそう零している。マハトの記憶を直接読み取ったエーデルにはそれが誰よりも理解できたのだろう。本来なら理解できないはずの魔族の記憶を。あの黄金のマハトが人類との共存を望んでいるという、信じられないような真実を。
「そうだね。それに関しては同感だ。魔族に嘘をついてほしいと思う日が来るなんてね」
それは私も同じだ。あれだけの悪逆を尽くしながら、共存を願っているなどと。とても私たち人類には理解できない思考だ。エーデルの言うように、まだ嘘であってくれた方が良かったのかもしれない。特にそれに立ち向かうことになるであろうデンケンにとっては。加えて
「何より前例があるのが困りものでもある。皮肉なものさ」
それがあり得ない、御伽噺ではないことが何よりの皮肉だろう。一度あることは二度起こり得る。天地がひっくり返り、再び戻ることがあるかのように。それが奇跡に近いことであっても、もしかしたら。そう思ってしまうのが私たち人間の浅はかさだ。魔族に騙され続けてしまうように。
「フリージアのことか」
「その通り。行ったことは?」
「ない。魔族の国など恐ろしくて近づけんわ」
魔族国家フリージア。アウラ様が統治するかの国がその答えだ。それによって心を焼かれてしまっている者たちは少なくないだろう。かくいう私もその一人なのかもしれないが。それにどこか呆れ気味に答えてくるエーデル。それが正常な人間の反応だろう。彼女が臆病なわけではない。マハトに称されたように、私が命知らずなだけなのだろう。かつてアウラ様にも言われたことでもある。何よりも精神魔法の使いであるエーデルにとってそれが通じない魔族の国はそれだけで脅威でしかない。
「そうでもないよ。綺麗な国でね。特に花畑が有名なんだ」
「ますます恐ろしいの。やけに肩入れするではないか。騙されておるのではないか?」
だからこそ残念だ。フリージアにある花畑。その美しさは格別だというのに。それをもっと広めれば友好的な国も増えるだろうに。エーデルにとっては違う意味で聞こえたようだが。どうやら甘い蜜のように、それで獲物を誘き寄せるように聞こえたのだろう。配慮が足りなかっただろうか。だが仕方ない。
「個人的にもお世話になっているからね。否定はしないよ。古くからの魔族の友人もいてね。好敵手でもあるんだ。それに勝ち越すのが老い先短い私の目標なんだ」
大陸魔法協会の使者としての立場だけではなく、個人的にもフリージアには縁があるのだから。その最たるものがリーニエ様だ。生きた年月でいえば私とほとんど大差ないが、見た目も種族も性別すらも全く異なるお方。それでもあのお方は私にとっては友人なのだ。恥ずかしくて口に出したことはないが。魔法を競い合う、好敵手だとも思っている。訪れる際に彼女と手合わせをすることが私の楽しみでもあるのだから。残念ながらまだ勝ち越せてはいないが。年々その力の差が広がりつつある。正攻法ではもう敵わなくなってきた。彼女もまた、魔族なりに私に好意を持ってくれているはず。彼女は嘘がつけない魔族なのだから。
「お主が勝ち越せぬ魔族か。ますます近づけんな」
「そんなことはない。きっとエーデルとも気が合うと思うよ」
「つくならもっとマシな嘘をつくんじゃな。カンネたちのように一緒にお菓子巡りでもしろというのか? わしをお主ら戦闘狂と一緒にするでない」
「嘘ではないさ。嘘をついたら叱られてしまうからね」
だがどうやらエーデルにはそれが上手く伝わっていないらしい。きっと恐ろしい形相をした屈強な魔族を想像しているのだろう。きっとエーデルと同じぐらいの背丈の、ドレスを纏った少女だと言っても信じてもらえないだろう。だからこそ残念だ。きっと気が合うだろうに。お菓子巡りなら、きっと目を輝かせながら喜んでくださるに違いない。機会があれば、報酬代わりに招待することにしよう。それはともかく
「話が逸れたの。あのままデンケンの手助けをしなくてよかったのか、レルネン?」
「旧友のよしみでね。黄金郷を救う名誉をデンケンに譲ってやることにしたのさ。私は裏方が性に合っている。表舞台は英雄に任せることにするよ」
今はここにはいない、遅すぎる決断をした旧友に思いを馳せる。名誉という、今の彼にとっては何の意味もないものを押し付けてやることにしよう。それは私には似合わない。彼のような英雄にこそ相応しい。心配はいらない。何故なら
「心強い姉弟子がきっと力になってくれるからね」
恐れ多いが、私にとっては姉弟子にあたる、生ける魔導書の系譜を継ぐあのお方がいるのだから。かつて英雄であった、忘れ去られながらも、生き続けている伝説の魔法使いが。その吉報を、私はゼーリエ様と共に待つことにしよう────
「最初からそのつもりだったの?」
どこか恨みを込めながら信書を返すのが精一杯だった。破らずに我慢できたのは奇跡に近い。きっと子供のように情けない姿を晒してしまっているのだろう。でもしょうがない。それほどまでに、あの信書には、手紙には悪意が込められていたのだから。私に対する嫌がらせという名の悪意だ。何が魔族だ。今すぐ返上すればいい。
「いや、そうではない。儂も信書の内容は見るまで知らなかった。恐らくレルネンの仕業だろう」
「やっぱりあいつはゼーリエの弟子だね……いい性格してるよ」
しかもそれはどうやら共謀された物だったらしい。いや、首謀者はあの馬鹿弟子か。間違いなくゼーリエの弟子だろう。そのやり口までそっくりだ。アウラのそれもあいつを真似た物。ようするに私はゼーリエのせいで振り回されているのだ。本当に子供みたいな人だ。今頃私を笑っているに違いない。
「しかしわざわざ名指しされるとは。よほど信頼されているのだな」
極めつけがこれだった。信頼。およそ私とあいつの間には最もあり得ない概念。きっとそれに比べれば、まだ魔族が悪意や罪悪感を理解できたと言われた方が信じられるだろう。反吐が出る。いかなデンケンだとしても看過はできない、私への侮辱。
「利用されてるだけだよ」
「そんなこと言ったら姉ちゃんに怒られるぜ」
「嘘をついたら駄目ですよ、フリーレン様」
「みんな私が嫌いなの?」
なのに誰も私を庇ってくれない。最近は特にそうだ。何も悪いことはしていないのに。これが子供が、弟子が大きくなっていくということなのかもしれない。決して嫌われているわけではないはず。それでも、リーニエに怒られたとしても頼るなんて言葉は使えない。あいつにそんなことを言われた日にはどうなるか分からない。
「デンケンはそれでいいの? 言っておくけど私は遠慮しないよ」
一度呼吸を整えた後、改めてそう確認する。私の感情云々は置いておくとしても、それだけは聞いておかなくては。
黄金のマハトを見定める。それはようするに、マハトに本当に人類と共存することができるかどうかを判断することを意味する。マハト本人がどう思っているかは関係ない。それを私に判断させようと言うのだ。まるでそう、
「当然だ。どんな結果になろうと構わない。むしろこちらからお願いしなければならない立場だ。無理な難題を押し付けてしまっているのだからな」
「押し付けてるのはあいつだけどね」
それに全く臆することなく、デンケンは断言する。覚悟はとうに済ませているらしい。ならこれ以上は無粋だろう。無理難題はその通りだが、押し付けているのはあいつだ。デンケンが気にする必要はない。悪いのはあいつなのだから。だとしても
「それにしてもあいつらしくないね。こんなリスクを背負うなんて……」
違和感は拭えない。それはアウラの行動だった。確かにフリージアとしての利用価値は、対価はあるのだろう。それでもやはりそれに見合っていない。黄金のマハトというリスクを抱えることに比べれば。明らかに天秤が釣り合っていない。
フリージアはアウラの存在によって成り立っている。人間がそれに従っているのは自由と平等を謳っているからだ。信仰と言い換えてもいい。でも魔族は違う。あいつらの本質は弱肉強食。より強い者に従っている、利用しているだけ。それが奇跡的なバランスで保たれているからこそ成り立っている。理想郷というのも頷ける。
だがそれを粉々に砕き、ひっくり返してしまいかねないほどの一石がマハトだ。同じ大魔族であり、制御ができない存在が紛れ込むことのリスクをあいつは誰よりも理解しているはず。無名の大魔族による混乱がまさにそれだったのだから。あいつが同じ間違いを繰り返すとは思えない。見た目とは裏腹に、あいつは恐ろしいほどの合理主義者だからだ。私でも空恐ろしさを覚えるほどに。恐らくは聖都での経験、いやハイターの入れ知恵と影響だろう。なのに何故こんな提案を、交渉を受け入れたのか。
「同じように共存を望んでいる魔族が相手だからでしょうか?」
「あいつらに仲間意識なんてないよ。しかも相手は七崩賢最強と言われているマハトだ。アウラからすればきっと顔も見たくないだろうね」
「今のフリーレン様と同じですね」
「もっと優しくしてよ」
最近ますます鋭さが増している愛弟子の言葉に涙が出てきそうだ。それはその指摘が正しかったからに他ならない。私にとって黄金のマハトはトラウマでもあるのだから。五百年以上前、驕っていた私はマハトに敗北し、片腕を黄金に変えられ無様に敗走した。そのまま戦うことを、魔王に挑むことを恐れて自堕落に身をやつしてしまうほどに。思い出したくもない記憶。もしヒンメルが連れ出してくれなければ、今もまだ私はあそこで引き籠もっていたのだろう。
「……アウラも何かを躊躇ってるのかな」
ならあいつも、何かに躊躇っているのか。同じ大魔族であり、同じ願いを持っている存在に。いや、考え過ぎか。あいつは誰よりも魔族を理解している。私よりも遥かに。なら私と同じ結論に至っていてもおかしくない。
そう、交渉とはそれが成り立たなければ意味がない。デンケンはその条件を飲むつもりなのだろう。恐らくはアウラも。だがマハトはそうとは限らない。いや、マハトの意志とは関係ない、ただの理として。魔族である限り、決して覆すことができないもの。アウラはきっとそれを暴いてこいと言っているのだ。かつて私がアウラにそうしたように。
「フリーレン、巻き込んで済まなかった。こんな依頼は受けなくていい。レルネンが気を利かせて依頼を出しただけだ。これは半世紀以上故郷に墓参りにも行かなかった薄情な男の悪あがきだ」
私の逡巡を取り違えたのだろう。デンケンはそう切り出してくる。確かにそれは正しい。最善を考えるなら、このままマハトは封印し続けるべきだ。交渉など無意味でしかない。その寿命が尽きるまで。大陸魔法協会の判断は理にかなっている。私でもそうするだろう。デンケンもそれは分かっている。それでもあきらめられないでいるのだ。悪あがき、か。その通りだろう。でも私はそれを断ずることはできない。私にだけは。
『人間には寿命がある。私達よりも死に近い場所にいるんだ』
いつかのゼーリエの言葉が蘇る。その言葉の意味を、その時の私には理解できなかった。
『人生には重要な決断をしなければならない時がいくつもあるが、あの子たちはそれを先送りできないんだ』
でも今は違う。それはきっと、ゼーリエなりに私に短命種のことを伝えてくれていたのだ。もしそれに気づけていれば、私の人生も変わっていたかもしれない。それでも時間は巻き戻らない。例え魔法であっても。それができるのはきっと、女神様ぐらいだろう。
『私達はそれを百年後にやっても二百年後にやってもいい。千年ほったらかしにしたところでなんの支障もない。私達の時間は永遠に近いのだから』
それはきっと憧れだったのだろう。私達エルフには、長命種には持てないもの。短命種だからこそ持てるもの。
それが今のデンケンの姿だ。自分を薄情者だと。決断を先送りにしまった後悔を、先送りを今、償おうとしている。取り戻そうとしている。それを責めることなどできるわけがない。私もまた同じなのだから。いや、私ではなく、きっとアウラもそうなのだろう。
ヒンメルとの日々を忘れられずに、それに縋りついていた、立ち止まっていたあいつ。きっとあいつの方が、デンケンの気持ちが理解できるに違いない。まったく、これではどっちが人類か分かったものではない。
だが仕方がない。私もまた昔とは違う。先達としてデンケンに、ヒンメルに倣いながら格好をつけようとするも
「そう。なら「心配いりません。デンケン様。フリーレン様の薄情さに比べたらなんてことはありませんから」
「うぉぉん」
それはこれ以上にないフェルンの突込みによって無惨に砕け散ってしまった。できるのはただ醜態を晒す事だけ。
「大丈夫なのか……?」
「気にしないでください。いつもの発作なので」
「しっかりしろよ、フリーレン。いつものことじゃねえか。姉ちゃんにも散々言われてただろ」
「……ありがとう、シュタルク。でもリーニエとは違うの。あの子には悪意がないから」
背中をさすってくれるシュタルクに感謝しながらも、うなだれてしまう。発作扱いされてしまっているのも無理はない。くしゃみやしゃっくりにも似たもので自分ではどうにもならない。マハトとは違う意味で私にとってはトラウマなのだろう。それを生み出してくれた例外は悪意がなかったが、フェルンは違う。悪意という名の私への善意。やはりエルフは人間には敵わないのだろう。ゼーリエもそうに違いない。
「とにかく、アウラとは関係なく私も協力するよ。元々そのつもりだったし。このままデンケンが黄金にされたら目覚めが悪いしね」
それでも私にできることを。ここまでお膳立てされて逃げ帰るほど、私は臆病ではない。アウラとは関係なく、直接マハトに会う必要があったのだから。やることは変わらない。何よりもここで見捨てたら、薄情者どころでは済まなくなってしまう。
「フリーレン。感謝する」
「それはまだ早いかな。勝算が低いのは変わらないからね。あと先に謝っておくね。ごめん」
「もうやらかす気なのかよ」
「フリーレン様ですから」
なので先に謝っておくことにする。後でも怒られるだろうけど、少しでも被害を少なくするために。それに呆れながらも納得しているフェルンとシュタルク。うん。流石だ。二人とも私のことをよく分かっている。
それに頼もしさを感じながら、先送りにしてきた因縁と、これから先の未来を見定めるためにフリーレン一行は黄金郷へと向かうのだった────
「やっぱり行きたくないなぁ……」
「俺もだ。もう手が震えてやがる」
「じゃあ一緒に逃げようか。私たちはパーティだからね。ヒンメルもそう言ってたし……」
「フリーレン様?」
「冗談だって」
「前途多難だな」
作者です。
今回で黄金郷編の起承転結の起の部分までが終わった形になります。本編でもこの黄金郷編に向けていくつか伏線を張っています。これからはそれが重要な要素になります。次話はそれにも関係したアウラ視点になります。お楽しみに。