ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第七話 「人類」

(なるほど……天秤のアウラが直々に指名するわけだ。これが葬送の二つ名の理由か)

 

 

ただフリーレンに仕えるかのように、後ろに控えながら、その横顔を見る。何の感情も見られない、冷徹なほどの無表情。だがその口から放たれる言葉はまさに魔族を殺す魔法とも言えるほど鋭いものだった。

 

 

「先程申し上げた通りです。グリュック様がお好きだったからだと。それの何がおかしいのですか?」

 

 

その言葉のナイフを突きつけられていることにマハトは気づいていない。いや、気づけていない。そもそもナイフそのものが見えていないのだ。不可視の言葉。フリーレンが手にしている茶器。それを黄金に変えずにいる。それがいかに矛盾しているか。その意味をすぐに自分も気づくことができなかった。

 

そう、自分は知らず、マハトに騙されてしまっていたのだ。無意識に、マハトが人間であると。魔族であることを忘れてしまっていた。やはり自分も愚かなのだろう。幼い頃から時間を共にし、師にもあたるマハトを儂は客観的に捉えることがどうしてもできない。

 

 

「気づいていないのか。愚かだね。魔族(お前)たちはもういない存在なんて気にしない。そのグリュックという人間は他でもない、お前が殺した。なのに何でそいつの好きな物を残してるの?」

 

 

だからこそ、天秤はこの遣いを寄こしたのだろう。葬送と呼ばれるほどに魔族を葬り、理解している魔法使いを。彼女はそのまま茶器を突きつけたまま迫る。魔族の習性を。魔族はもういない存在を気にかけることはない。死んでしまった動物を土に埋めたりはしない。無駄だからだ。生物としてその行為には意味がない。ある意味合理的な在り方。自分たち人間とは相容れない考え方。なのに何故それに反するような行為をしているのか。知らない人間が見れば、どっちが魔族か分からないほどの無慈悲な追及。

 

その追及の意味を、先を見通す。そう、マハトがそんな行動をしている理由。それに自分は心当たりがあった。

 

 

(やはり、グリュック様はマハトにとって特別な存在なのかもしれん)

 

 

黄金郷と化す前、ここヴァイゼを治めていた領主であるグリュック様。騒乱と悪意に満ちていたとされるここヴァイゼを平定した傑物とされているが、その傍にはいつもマハトの姿があった。いわばグリュック様にとってマハトは矛でもあり、盾でもあった。幼かった自分にも、二人の間に何か特別な関係があるのだと感じられるほどに。

 

 

(友人……いや、共犯関係だったのか。まさかこんな形でそれを知ることになるとは……)

 

 

人間と魔族。捕食する者とされる者。不倶戴天とも言える存在が共に生きている。共存。それがグリュック様とマハトには成立していた。魔族は魔力の高い者に、強い者にしか従わない。幼い頃の自分は支配の石環によって従わされているのだとばかり思っていたが、それは全くの嘘だったことをレルネンの報告と、エーデルから得た記憶によって知ることとなった。

 

それは交渉だった。ヴァイゼを平定するためにマハトはその力を貸す。その代わり、グリュック様は悪意、罪悪感がどんなものかをマハトに教える。互いが互いを利用する関係。まるで友人のような共犯関係。それがかつて栄えたヴァイゼという都市の本当の姿。

 

 

(フリーレンはそれが、マハトが人類と共存できるかの秤になると考えているのか)

 

 

ようやくフリーレンの質問の意図が見えてきた。とっくにそのことをフリーレンは見抜いていたのだろう。そこには確かな経験の二文字がある。そう、フリーレンにとってはこれは初めてではないのだ。すなわち、同じようにもういない存在を気にかけている魔族がいたということ。それが誰であるかなど考えるまでもない。

 

 

(なるほど……フリーレンにとっては皮肉でしかないな)

 

 

かの国、魔族国家フリージアで起きたとされる一連の騒動。葬送のフリーレンが天秤のアウラと争い、その末に停戦。その存在を認めたとされる噂。それはきっとフリーレンにとってはアウラを見定めるためのものだったのだろう。それをこんな形で利用されることになるとは思ってもいなかっただろうが。とにもかくにも、それと同じことをフリーレンはマハトにも行っているのだ。かつて天秤にそうしたように。他ならぬ天秤の要請によって。ただ違うのは

 

 

「私はグリュック様を殺してなどいません。黄金に変えただけなのですから」

 

 

マハトの答えは、天秤のそれとは異なる。そもそも前提から異なる物だったということ。

 

 

その答えに、儂を含めた誰もが言葉を失う。それほどの致命的な齟齬。人類と魔族の精神構造の違い。それを理解するのに幾ばくかの時間がかかってしまったのは無理もないことだろう。そんな中

 

 

「…………そういうことか。お前にとって殺すことと黄金にすることは等価じゃない。今までお前は、人間を殺してすらいなかったんだね」

 

 

フリーレンだけが動じることなく、ただ冷静にそう分析している。まるで研究者のように。その可能性を最初から考慮していたかのように。ただその事実に驚かされる。そう、マハトにとって魔法で相手を黄金に変えることは、相手を殺すことではなかったのだと。二度と戻ることがない黄金にされることは人間にとっては死と同義だというのに。

 

ならマハトはこれまで、人間を殺してすらいなかったというのか。そう、そもそも殺すという概念そのものが自分たちとは違うのだ。魔族にとって嘘をつくことも、人類を害することもただの習性。人類が食べて寝るのが当然のように、そこに意思は必要ない。マハトにとっては虫を殺した程度でしかない。ならそれに悪意や罪悪感を抱けないのは当然なのかもしれない。

 

 

「言ったはずです。私は戦いが嫌いなのだと。私にとってはつまらない、下らないことでしかない。なのでそれを乱す者はなるべく惨たらしく殺してから黄金に変えているのです」

 

 

当然のように迷いなく、フリーレンに言われた通り嘘偽りなくマハトは答える。争いが嫌いなのだと。そもそも戦いにすらならないと。黄金のマハトの前には全てが等しく無価値なのだ。どんな熟練の魔法使いも、鍛え上げられた英傑も、その魔法の前では黄金と同じ。何の価値もない。マハトの黄金が、人間たちにとっても価値のない偽物であるように。

 

しかし、それも本当なのだろうか。儂は見てきた。マハトが自分に魔法を指南する時の表情を。グリュック様と話している時の楽しそうな顔を。それも全て嘘だったのか。だとしたら何故

 

 

「そう。聞いた私が馬鹿だった。本当に趣味が悪い」

 

 

そんな思考を断ち切るように、フリーレンはそう吐き捨てる。まるで時間の無駄だったと告げるように。奇しくも魔族との話し合いなど無駄だと証明してしまった形。交渉という場においてはあり得ない。決裂を意味するであろう態度と言葉。だがその常識はこの場においては当てはまらない。人間と魔族の交渉という例外においては。

 

 

「でも一つ分かったことがある。本当に癪だけど、仕方ない。助言をしてあげるよ。あいつに倣うなら祝福かな」

 

 

そんな中、言葉通り嫌悪感を隠すことなくフリーレンはそう続ける。本当に不本意なのだろう。その言動に自分もフェルンたちも戸惑っている。魔族に助言するという、フリーレンからすれば天地がひっくり返ってもしないであろう行動。祝福というのはフリージアで天秤から授けられるという枷のことか。

 

 

「助言、ですか? 一体何の」

 

 

それはこの場にいる、フリーレン以外の者たち全員の疑問だった。そんなマハトの問いに

 

 

「お前が悪意を、罪悪感を知る方法を」

 

 

これ以上のない悪意を込めた、葬送の魔法使いの甘言が返された。

 

 

「…………」

 

 

それにマハトは黙り込んでしまう。悪意を感じ取ったわけではない。ただ理解できないのだろう。フリーレンの助言。それはマハトにとっては求め続けていた命題に近づけるかもしれないもの。だというのに、だからこそマハトは警戒している。何故自分にそんなことをするのかと。フリーレンにとっては何の得もないというのに。魔族であっても理解できる損得勘定。それに当て嵌まらない、異常な行動。

 

 

「知りたくないの?」

 

 

それを見抜いたうえで、葬送は誘う。何の感情も感じさせないまま。それは挑発だった。静寂。それをどう判断したのか。

 

 

「いえ、実に興味深い。魔族ではない貴方にそんなことができるのですか。ぜひお教え下さい。私はどうすればそれを知ることができるのか」

 

 

それとは対照的に、礼を尽くしながらマハトはそう懇願する。それを教授してほしいと。そんなことができるのならと。魔族ではない者に、人類にそんなことができるはずがない。そんな意味が込められたもの。

 

マハトは気づけない。その矛盾を。何故ならそれは魔族である自身もまた、人類を理解できないことを意味しているのだから。

 

マハトは気づけない。それがまさに悪魔の囁きなのだと。悪意に満ちた罠であることを。魔族であるが故に、避けることができないもの。それを前にして

 

 

「簡単だよ。グリュックを黄金から戻して殺せばいい」

 

 

まるで世間話をするように、何の躊躇もなく、フリーレンはそう事実を口にした。

 

 

「────」

 

 

それを前にしてその場にいる全ての者が言葉を失った。いや、耳を疑った。確かに聞いているのに、その言葉を頭が理解できない。まるでそう、人間が魔族の言葉を理解できないように。

 

 

「…………一体何を」

 

 

それはマハトも同じだったのか。明らかに困惑している。まるで違う生き物を見るような目で。自分ですら見たことのない、マハトの姿。

 

 

「聞こえてないの? 黄金にしたグリュックを元の人間に戻して、改めて殺せばいい。親しい者を殺せば罪悪感が分かるかもしれないからね。他でもないお前自身が言っていたことだ」

 

 

それに微塵も動ずることなく、そのまま彼女は告げる。その助言を。これ以上にない、合理性を持たせながら。感情を排しながら。論理的に。無駄なく。まるでそう。人外の魔族のように。

 

 

「…………お前は本当に人類なのか」

 

 

仕える者としての振る舞いすら忘れ、黄金は問いかける。目の前の生き物が何者なのかと。人類だと思っていた物が、まるで違う生き物だったと騙されてしまったかのように。それほどまでに、人類の習性からはあり得ない言動。マハトは知らなかった。

 

 

「私は人類(エルフ)だよ。悪意を知っている、ね」

 

 

それが人類の悪意であることを。己が探し求めているものの正体であることを。それが欠落している魔族と、それを持って生まれてしまった人類。そのどちらが愚かなのか。

 

 

黄金は葬送によって知ることになる。身を以てそれを味わうことによって────

 

 

 

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