「そもそもどうしてお前はグリュックを、ここヴァイゼを黄金に変えた? 罪悪感を知りたいならその手で皆殺しにすればいいのに。わざわざ黄金にするなんてつまらないことをして」
無慈悲に、容赦なく葬送の魔法使いはその矛盾を突いていく。まるで裁判官のように。その被告の罪を暴くために。その言動には血も涙もない。人の心がないかのように。だがそれは違うのだ。彼女は演じているだけだ。自らを魔族のように欺きながら。目の前の魔族であるマハトを騙すために。
(まさかここまでとは……最初からそのつもりだったということか)
その老獪な手練手管は、きっと千年以上生きたエルフの為せる技なのだろう。帝国での権力争いを生き抜いてきた自分だからこそ分かる。フリーレンが何を目的にしてこんな話をしているのか。そう、助言など真っ赤な嘘だ。これは罠だ。しかも分かっていても逃れられない、質の悪い物。これを避けることは魔族であるマハトにはできない。
必要以上に、マハトに喧嘩を売っていたのもこのため。悪意を見せつけてそれに反応するかどうかを見極めるためだけではない。それ以上に、この交渉において、自分たちが最も確かめなければいけないことを確かめるため。それは
「それはもういいか。私にとってはどうでもいいことだ。ほら。今すぐグリュックを黄金から戻してみればいい。殺すかどうかは別にしても、それができるなら交渉成立の条件を確認できる」
マハトが人間を、ヴァイゼの民を元に戻すことができるか否か。
それ以外のことは些事だと言っても過言ではない。究極的に言えば、マハトが悪意や罪悪感を知ることができるかなどどうでもいいのだ。自分がフリーレンに言った通り。それは勝利条件の違いだ。黄金郷の解放。それこそが自分の目的であり、為すべきこと。フリーレンは最初からそのために動いていた。欺いていた。逃れられない、悪意でその道を舗装しながら。そこにマハトを誘き寄せるために。
「…………」
ようやくそのことに気づいたのか。無言のままマハトはフリーレンを見つめ続けている。そこには先程まであった余裕が、驕りがない。変わらず無感動な、無表情を見せながらも目が違っていた。まるで敵を見るかのような意思がそこにはある。取るに足らない存在であったはずのフリーレンが、マハトにとって価値が変わりかけているかのように。
「どうしたの? グリュックが嫌なら、この屋敷の誰でもいい。人間を元に戻せばいいだけだ」
それを知っていながら、まるで微塵も気にせずフリーレンは続ける。逃げ場を塞いでいく。追い詰めていく。どう足掻いても、嘘をついてもその判決から逃れられない。人間を黄金から元に戻すという結論に至るために。それに嘘をつくことが、反論することがマハトにはできない。何故なら
「悪意と罪悪感を知りたいんでしょ? なら躊躇う必要なんてない。時間の無駄だ」
他でもないマハト自身がそれを奪ってしまっていたのだから。これまでの言動全てが、フリーレンによって誘われてしまった言葉が、自らを縛り上げてしまっている。悪意と罪悪感を知ること。それがマハトの目的であり悲願。そのための方法が人間を黄金から元に戻すこと。ならそれを拒む必要はない。なのにマハトは動かない。動けない。それは
「それとも……できないの?」
「…………」
マハトには、それができないからに他ならない。完全な矛盾。自らの魔法のせいで、自らの目的を果たすことができない。論理の破綻。嘘の立証がここに成り立った。ただ本物と違うのは、この裁判における裁判官には被告に対する明確な悪意があったということ。公平性の欠片もない。そう、この交渉に臨んでしまった時点で、マハトは彼女に騙されてしまっていたのだ。
「やはりそうか。魔法はイメージできなければ実現できない。人間を黄金に変えることと、黄金から人間を戻すことは同じじゃない。天秤が成り立たない。魔族であるお前にはできない、不可逆なことだ」
勝訴、いやマハトを敗訴に追い込んだことを確信したフリーレンはさらに続ける。曝け出された真実を。人間も魔族も逃れられない、魔法の理。魔法はイメージだ。イメージできないことは実現できない。それはすなわち、魔族であるマハトには人類を理解できないことを意味する。自らの魔法によってそれを突きつけられる。それは魔法を至上のものとする魔族にとってはこれ以上にない屈辱のはず。
だがそれは自分にとっての死刑判決でもある。それはすなわち、黄金郷を救うことが叶わなくなったことを意味するのだから。いや、そんなことは分かり切っていた。それでもそれに一縷の望みをかけるしかなかった。それがなくなっただけ。そんな今更な感傷に浸るよりも早く
「やっぱりお前はただの人食いの化け物だ。アウラとは違う。お前にはグリュックを元に戻すことはできない」
天秤の代行者は判決を言い渡す。マハトを見定める。マハトはただの人食いの化け物であると。魔法の極みに近くとも所詮はただ言葉を話すだけの猛獣でしかないと。魔族からすれば何の意味もない、気にすることもないただの言葉。何故なら魔族にとって言葉はただ人間を、捕食する相手を騙すための鳴き真似でしかないのだから。
だがそれによってマハトに変化が生じる。表面上は何も変わっていない。違うのはその魔力だった。それが揺らいでいた。儂であっても初めて見る、マハトの揺らぎ。遥か高みにいる魔法使いであればあり得ないこと。それが揺さぶられている。ただの言葉で。それは
「────アウラなら、人間を黄金から元に戻すことができただろうね」
自分とは違い、葬送によって認められた、人類に最も近い魔族である天秤のアウラと比較されての物。同じ魔族だからこそ通じる、葬送によるこれ以上にない悪意による宣告。そしてマハトにとって、己の魔法を侮辱されるよりも耐えられないものだった。
「貴様……!」
それによって、マハトの魔族の本性が暴かれる。その言葉遣いも、何もかもが曝け出される。マハトが手をかざした瞬間、フリーレンの右腕がまるで見えない力に浸食されるように黄金へと変わっていく。その発動も、魔力も認識することができない。不可視の魔法。
「マハト!」
「フリーレン様……!」
瞬間、自分たちも動き出す。交渉から戦闘の場へ。まだ若いフェルンやシュタルクの反応もまた歴戦の者たちに勝るとも劣らない。やはり勇者一行を継ぐ者たちなのだろう。自分もまたその杖を手にしながらマハトへと突きつける。瞬時に思考が駆け巡る。あるのは大きな後悔。
そう、こうなることは分かっていたのに、それを認めることができなかった自身の愚かさ。何よりもこの状況を覆し得る可能性を持ちながら、それを先送りにしてしまった自身の甘さ。だが後悔は後だ。今はただフリーレンを救うために。そう動き出そうとするも
「────」
それは他ならぬフリーレンによって止められてしまった。自らが黄金にされかかっているのに、まるでそれを感じさせない表情。その視線、仕草によって。目が合った瞬間だった。それは目配せだったのか。片目をつぶるような仕草を見せてきたのだ。それが何の意図を持ったものなのか。だがそれに誰よりも早く反応したのがフェルンだった。すぐさまその杖を下ろし、臨戦態勢を保ちながらも手を出すのを止めた。それに自分とシュタルクも倣うように続く。
「…………」
「…………」
その最中、マハトもまたフリーレンと視線を交わす。交渉の場での勝敗と実際の戦いの場でのそれは全くの別物。こと、魔法使いとしてはマハトの方が高みにいる。黄金の呪いが発動した時点で勝敗など意味がない。勝ち目がない、勝算がないことは分かり切っている。たとえこの場の全員で挑んでも結果は変わらない。マハトからすれば戦いですらない。つまらないこと。だというのに
マハトはその矛を、黄金を収める。フリーレンを見つめたまま。まるで何かを思い出したかのように。それとも何かの気紛れか。何にせよ、不測の事態が起きたのは間違いない。
「どうしたの? まさか黄金にすることもできなくなったの?」
自分が九死に一生を得たとは思えないような態度でフリーレンはそう煽る。その右腕は黄金へと変えられてしまっている。その重みのせいだろう。残った左腕でそれを庇いながら。命拾いはしたが、片腕を失ってしまった状態では満足に戦うことも難しいに違いない。以前状況は最悪に近い。だがそれは
「いいえ。良いことを思いついたのです。一週間。それが期限です。それまでに私をここからフリージアに連れて行く。それが果たされれば、その右腕を元に戻して差し上げましょう」
最悪の一歩手前でしかなかった。本当に今思いついたのだろう。それとも交渉という、この場におけるフリーレンの真似事だったのか。マハトはそんなことを告げてくる。
それは交渉ではなく、脅し、脅迫だった。黄金にされてしまった右腕と引き換えに、先の条件を満たせと。違うのは、マハトにとってそれは悪意のないものであるということ。
「ふざけているね。元になんて戻せないくせに」
「信じるかどうかは貴方次第です。その黄金は徐々に浸食していきます。全身が黄金となるまで一週間とかからないでしょう」
マハトは魔族らしく白々しい嘘をつきながら、さらなる真実を告げてくる。それは猶予なのだと。黄金の浸食。それが嘘であるとは言えない。何故なら先遣隊の者が、わざと生きたまま逃がされ、後に黄金にされてしまったのをレルネンから聞かされていたのだから。嘘だと高を括るにはあまりにも危険すぎる。
「やっぱり魔族は駄目だね。私がそんな条件飲むと思う?」
「そうですね。ですがデンケン様やお連れの方はどうでしょうか? 貴方を見捨てることができるとは思えませんが」
「…………」
変わらず不敵なフリーレンに今度はマハトが切り返す。それは悪意ではない。魔族として知っている、人類の在り方。他者を庇うという習性を利用したもの。マハトにとっては皮肉でしかないもの。しかしその効果のほどは絶大だ。その証拠にフリーレンはそれを否定せず黙り込んでしまっている。それはマハトの言葉が事実であることを意味する。フリーレンを人質に取られれば、儂らはそう動かざるを得なくなるだろう。フリーレン自身がどう思っていようが。
「足りないのであれば条件を増やしましょう。もし交渉に応じないのであれば、これまでとは違い、全力で
だがそれだけでは不十分だと、足りないと判断したのだろう。マハトは己にとっての最大の切り札を切ってくる。この半世紀切ることのなかった、切る必要がなかった禁忌を。やはりマハトは
(そうか……儂はマハトという人類の敵を刺激してしまったのか)
その結果がこれだ。黄金郷を救う可能性は潰え、新たな黄金郷を生み出すことになりかねないことをしてしまった。虎の尾を、竜の逆鱗に触れるに等しい行為。やはりここに来るべきではなかった。自分だけならまだいい。それにフリーレンたちを巻き込んでしまった。老い先短い、愚かな老人のせいで。
「…………そう。本当に趣味が悪いね。反吐が出る。戦いは嫌いなんじゃなかったの?」
「ええ。ですのでこれは話し合い。交渉です。貴方たちがそうしているように」
フリーレンの指摘に、欺きながらマハトは答える。息をするように嘘をつきながら。嘘ではないのは、マハトにとってそれは本当に戦いですらないということ。交渉という、自分たちにとっては皮肉でしかない言葉の真似事。
「まったく。慈悲深くて涙が出そうだ」
「それでは。良い返事をお待ちしております、デンケン様」
慈悲という、魔族からはかけ離れた皮肉を告げるもマハトには届かない。理解することはない。そのまま自分たちは黄金郷を後にする。その代償に、葬送の右腕と命を握られたまま。魔族にとってはただ人間の習性を利用した行動。
それがこの交渉の結末。交渉において人類が『黄金』に敗北した瞬間。そして『葬送』が騙し合いに勝利した瞬間だった────