「交渉か。実に有意義な時間だった」
誰もいなくなった応接間。そのソファに一人腰かけながらそう独り言を漏らしてしまう。つい先ほどまでいたデンケン様も、あのエルフ、フリーレンたちももういない。この半世紀変わらない、黄金郷と呼ばれている俺の世界。何の変化もない、代り映えのない退屈な日々。だが先程までは違っていた。本当に有意義な時間だった。
(葬送のフリーレン。確かにあいつは今まで戦ってきた命知らずとは違うようだ)
魔王を殺したとされるエルフの魔法使い。その存在は知っていたが、どうやら俺はそれを侮ってしまっていたらしい。洗練された魔力ではあったが、魔力量は大したことはない。何よりも俺の魔法の前ではどんな魔法使いも英傑とやらも相手にならないと。しかしそれとは違う意味で、あのエルフは異質だった。
(怒り、か。俺が怒るなどいつ以来だ……?)
自らの掌を見つめながら思い返す。そう。あれは怒りだった。湧き上がったその感情によって自分は話し合い、騙し合いの場で手を出してしまった。愚かな魔族のように。ここヴァイゼを黄金に変えるより前から、怒りを感じることなどほとんどなかったというのに。そもそも自分は何故怒りを感じたのか。
(……そうか。あのゼーリエとかいうエルフと同じだったのか)
ようやくその答えを思い出す。半世紀前。ヴァイゼを黄金に変え、次へ向かおうとした時に自分に戦いを挑んできたエルフの魔法使い。そいつもフリーレン同様、他の命知らずとは違っていた。大魔族である自分であっても油断ならない、俺と戦いになる敵。何より驚くべきは、あのエルフには俺の魔法が通じなかったこと。それを反射してくるなど、魔族でもそんなことができる奴はいなかった。確か大魔法使いだと言っていたか。邪魔が入ったため、決着はつかなかったが、その名に違わぬ、俺が出会った中で最高峰の魔法使いだった。
それと葬送のフリーレンが重なる。同じエルフだからか。魔力も、容姿も、表情も何もかもが違うというのに。いや、そうではない。その言動が同じだったからだ。
『魔法はイメージの世界。一方的に黄金に変えるのと元に戻すのでは話が違う。人を金に変えるのと、金から人を作り出すことは等価ではない』
『人類を理解できない化け物のお前には、ヴァイゼの民を元に戻すことはできない』
知らず手を握り込んでしまっていた。それを思い出して、俺は怒りを感じているのか。差異はあれど、あの二人のエルフは似通ったことを自分に告げてきた。なるほど。ここに至ってようやく理解した。自分があの時、魔法を止めた理由を。俺は知らずフリーレンを、あのエルフに重ねてしまっていたのだ。その再現によって、魔法が反射されてしまうのを無意識に警戒してしまっていたのだと。本能のようなもの。
(それは今更どうでもいい。それよりも、あの時に感じた物。何かを掴める気がした。もう少しで、何かが……)
だがその感覚を覚えている。フリーレンの言葉によって、何かが掴めるような気がした。怒りだけではない何か。それに覚えがある。子供同士を殺し合わせた時以上の何かが、指にかかった気がした。そうだ。あの時、全てをぶち壊そうとした時と同じような、あの感覚が。あのエルフの言動の中に、その手掛かりがあるのか。
(……フリージア。いや、あの女にそんなことができるというのか)
断頭台のアウラ。いや、今は天秤だったか。そんなことはどうでもいい。重要なのは、フリーレンがあいつのことを認めていること、評価していることだ。人類に最も近い魔族などと。悪意と罪悪感を知っているのだと。あり得ない。俄かには信じられない。俺が探し続けている物を。それはあいつが一生かけても見つけられないもののはず。だがそれは嘘ではないのだろう。それを他ならぬ俺自身が口にしてしまっている。あのエルフは別にしても、デンケン様がそんなことをする理由はない。それに加えてもう一つ、自分にはそれを証明する証拠があった。裁判に倣うなら物的証拠か。あえてフリーレンたちの前では明かさなかった物。
それは一冊の本だった。手に取る。だがそれはここ黄金郷では例外だった。何故なら黄金となっていない物なのだから。俺が黄金に変えていない、そして黄金郷ができた後からここに持ち込まれた物。一度読んで以来、ずっと放置していた本を再び開く。そこには
『魔族は人間を食べてはならない』『魔族も人間も争ってはならない。』『それが守れるのなら全ての者に平等を与えよう』
あり得ない、冗談のような言葉の羅列が綴られていた。
(本当に下らない本だ。女神の真似事でもしているつもりか)
それは教典だった。人類が女神を利用する時に使う物。違うのはそれをしているのが魔族だということ。本当に下らないことを。こんなことをして何の意味があるのか。どうやらあの女は今度は自分の魔法でアンデッドではなく、生きた人間を使役するようになったらしい。それを共存だとほざいている。理解できない。やはりフリーレンたちもアウラに騙されてしまっているのだろう。
(ソリテールが好んでやりそうなことだ。あいつのことだ。俺もそれに利用しようとしているのだろう)
開いた教典を閉じながら思い返す。あの女、ソリテールのことを。他でもない、この教典はあいつが置いて行った物でもある。今から数年前。ソリテールはここ黄金郷を訪れていた。もっとも直接やり取りしたわけではない。ここヴァイゼに張られた結界は強力だ。大魔族であっても破壊することができないほど強固で複雑な術式で構成されている。そのせいでソリテールの声は俺には聞こえなかった。それを理解しているだろうに、あの女は俺に向かって何やら楽しそうに喋り続けていた。まるで独り言、一人遊びのように。全く変わっていない。あいつはそういう奴だった。
人類について研究している変わり者の魔族。その噂を頼りに尋ねたのがソリテールとの出会い。だが俺とあいつの考えは相反するものだった。ソリテールはただ人類を実験動物としか見ていない。共存とは程遠い。それでもその知識は本物だった。人類の魔法にも精通しているほどに。気紛れに自分もそれを学んだが、それ以上は得られなかった。だがどうやらソリテールは俺のことを何故か気に入っていた様子だった。面白い、だったか。あいつから見れば俺もまた研究者。実験をしているように見えたのだろう。
その研究者もどきはひとしきり満足したのか、結局二月ほど黄金郷の周りをウロウロした後去って行った。この無駄な置き土産と共に。教典の間には便箋が挟まれていた。それは魔族国家フリージアの成り立ちと、アウラについて。ほぼデンケン様に聞かされた内容と同じ物。それが自分がフリージアを、アウラの現状を嘘だと言いきれない理由。ソリテールの言葉だけならそれは信じるに値しない。
しかし魔族に加え、人類もまた同じことを口にしている。ならそれは真実なのだろう。フリーレンたちが知らないのは、それもまたソリテールの実験、一人遊びであること。フリージアの成り立ちにソリテールが関わり、今もまた俺を利用して何かを企んでいる。
(人類に最も近い魔族、か……なら、俺はどうすればいい)
葬送のフリーレンの言葉が頭に残って消えない。俺とアウラの何が違うのか。それを確かめなくてはいけない。問い質さなくてはいけない。見定めればいい。先程、フリーレンたちがそうしたように。そこに俺の探し求めた答えがあるかもしれないのなら。次に進むために。
『実験っていうものはね、失敗するものなの。たくさんたくさん失敗して、最後に一つの答えを導き出すの』
かつてのソリテールの言葉を思い出す。実験は失敗するもの。何度も何度も失敗し、次に生かす。自分もまたそうしようとした。なのにここで足止めを食らってしまった。いや、留まってしまっている。
「…………」
テーブルの上に残された茶器を見つめる。この教典同様、ここ黄金郷での唯一の例外。違うのは、この茶器は自らの意志で残した物だということ。
『グリュックという人間はもういないのに、何でお前はそんなことをしているの?』
慣れた手つきでそれに紅茶を注ぐ。習慣か、習性か。もうそれを振舞う相手はいないというのに。いや、グリュックはまだいる。ここ黄金郷に。あれ以来見ていないが、変わらず黄金になったまま。あの時のままだろう。
『マハト。君は私の大切な悪友で、救いようのない悪党だ』
『いつか必ず報いを受ける。今の私のようにな』
『楽しかったよ。マハト』
仕方なく自らそれに口をつける。旨くも不味くもない。何も感じない。あの頃はそうではなかったはずなのに。違って感じる。何の価値もない。
ふと思い出す。もはやいつだったか思い出せないほどの、自分にとっての始まり。
それは何の意味もない。ただの退屈しのぎでいつものように人類の村を襲った時のこと。だがそれはいつもと違っていた。俺が襲う前から、既に村は滅ぼされてしまっていたのだから。他ならぬ人間自身によって。その理由が黄金だった。何の変哲もないただの金属であり、石の塊。食べられるわけでも、戦いに使えるわけでもない。だが人間にとってはそうではなかったらしい。人間共が殺し合いをして奪い合うほどに価値がある黄金。それに興味が湧いたのが始まり。
だが結局、何の価値もなかった。俺は万物を黄金に変える魔法を究めんとしているが、どうやら俺には本物の黄金は作り出せないらしい。人間の世界では、俺の黄金には価値がない。できるのは黄金のような偽物だけ。石ころと何ら変わらない。なのに何故人間はこんな物を血眼になって求めるのか。黄金郷には、それに引き寄せられてやってくる愚か者が絶えない。まるで蜜に寄ってくる蠅のように。
俺は人間を黄金から元に戻すことができない。それは事実だ。ならそれができるようになれば、俺は悪意を手に入れたことになるのか。それはこの支配の石環と何が違うのか。
『簡単だよ。グリュックを黄金から戻して殺せばいい』
フリーレンが言っていたことは事実なのだろう。何故それに魔族である自分が気づくことができなかったのか。なら、親しい者をこの手で殺せば、今度こそそれが手に入るのか。しかしそれはもう自分には叶わない。もう自分には、親しい人間が残っていないのだから。だから先に、次に行こう。ここでの生活もいささか飽きた。
『あなたはいつもつまらなそうね。マハト』
そう。いつものことだ。魔法の探求も、戦いもつまらない。時間の無駄だ。どうせ
だが今は違う。そう、これは期待だ。俺は今期待している。楽しんでいる。退屈ではない。
それはデンケン様がここを訪れてきてからだ。そこからの話し合い、それを楽しんでいる自分がいる。それに加えて葬送のフリーレンを加えての交渉。この半世紀、変わらなかった物が、変わろうとしている。
『君はあの子の師であり、打ち倒すべき敵だ。そうあり続けてくれ』
グリュックに命令されたことを思い出す。命令によって自分はデンケン様の魔法を教え、導いてきた。その姿形は年老いて大きく変わってしまっている。それでも、その目は全く変わっていなかった。いや、むしろ
「────本当に諦めが悪いですね、貴方は」
本当に昔から変わっていない。諦めが悪い。黄金郷を救うという、無駄なことを続けている愚かな弟子。
マハトは気づけない。黄金に変えていない、自分にとって親しい人間がたった一人残っていることを。それが誰なのか。
マハトは気づけただろう。鏡があれば。そこに映る自分が笑っていることを。