ヒンメルはもういないじゃない【完結】   作:HAJI

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第十二話 「贖罪」

「……ソリテールの仕業か」

 

 

見るまでもない。それ以外には考えられない。ここヴァイゼを覆い隠していた目障りな結界が今、崩壊した。そんなことができるのはあいつぐらいだろう。以前ここに訪れた時も結界を前にして何かしていたのを目にしている。だが直接ここに来ているわけではないのだろう。魔力を感じない。隠匿している可能性もあるが、事ここに至っては隠す意味もない。なら結界に何か仕掛けていたのだろう。

 

 

(あいつが考えそうなことだ。どうあっても俺を利用したいらしい)

 

 

俺を驚かせたかったのか。それとも得意の実験か。何にせよ、俺を利用したい意図が見え見えだ。あいつに仲間意識などない。あるのは利用価値があるかどうかだけ。興味が惹かれるかどうかだけだろう。変わり者だけはある。

 

だが俺も他人のことは言えないのだろう。封印されていた結界がなくなったというのに、何の感慨も湧かない。本当なら歓喜しておかしくないはず。なのにそれがない。あるのはいつもの感情だけ。

 

忌々しい結界ではあったが、それ以外には何もない。五十年など魔族にとってはあってないようなものだ。足止めにすらならない。ここで過ごすことは変わらない。元々黄金に変えた後、しばらくここに留まってしまっていたように。それが少し伸びただけだ。だがそれもこれで終わりだ。もうここに留まる理由はなくなった。

 

 

「いいだろう。どうせ他にすることもない。お前の下らない実験とやらに付き合ってやろう」

 

 

次に行こう。あいつの言う通りにするのは癪だが、次に活かすために。その思惑に乗ってやろう。かつてシュラハトの掌の上で踊っていたように。借りができたからではない。俺にとってもそれは利用する価値があるからこそ。

 

テーブルにある黄金ではない物に目を奪われる。下らない教典と茶器。ともに黄金にすることなく手元に置いていた物。そのうちの一つ、教典を手に取る。魔族国家フリージア。嘘で塗り固められた理想郷。天秤だと己を偽っている断頭台の成れの果て。そこにソリテールもいる。そこでの実験が、俺の答えに近づくための何かになるのか。面白い。どうせ行く当てもない。暇つぶしだ。

 

残されたもう一つ、茶器が目に映る。同時に思い出すのはここにはいない、グリュックの姿。あの日、全てをぶち壊した時から、会ってはいない。見てはいない。今も変わらず、黄金のままそこにあるのだろう。

 

それは惑いだったのか。それを見に行くべきか。会いに行くべきか。そんな下らない逡巡。何の意味もない、無駄なこと。なのに俺は何を。もう自分にやり残したことはない。他でもない葬送のフリーレンにも言われたことだ。

 

 

(いや、まだやり残したことがあったか)

 

 

魔力探知でそれに気づく。デンケン様とフリーレン一行だろう。ここからそう遠くないところに留まっている。好都合だ。どちらにせよ、始末するつもりだった。ソリテールの手紙にも記されていた。フリーレンは俺を殺すことができる可能性がある数少ない魔法使いだと。世迷言だと思っていたが、実際に会って分かった。あいつは危険だ。生かしておくわけにはいかない。魔族としての、魔法使いの本能。俺にそれをさせるのもソリテールの狙いだったのだろう。

 

だが自分にとってはそれは変わらない。元々、自分のことを知る人間を、黄金郷の周囲の人間たちを逃がす気はなかった。自分を知る者を全て殺す事。まるでソリテールのようだが、仕方がない。俺が解放されたことを人間たちに知られるのは遅ければ遅いほど都合がいい。追手があるのも面倒だ。

 

しかし、デンケン様に関してはそんなことは必要ないだろう。デンケン様が逃げることはない。自分はそれを知っている。諦めが悪いのだから。自分がここ黄金郷を離れるのを黙って見過ごすわけが、逃げ出すわけがない。

 

 

「全く、本当に諦めが悪い」

 

 

思わず笑みが零れる。そうか。まだ自分にも残っていたのだ。ここ黄金郷でのやり残しが。まだいたのだ。自分にとって親しい人間が。あまりにも近すぎて気づけなかった。ならそれを手に掛ければ、知ることができるだろうか。葬送が告げたように。ここ黄金郷での、五十年の答え。

 

 

「共存のために殺し合いましょう、デンケン様。俺の探し求めた答えのために」

 

 

偽物ではない、本物の価値のために。黄金のマハトが今、黄金郷から解き放たれた────

 

 

 

「間違いない。黄金郷の大結界が破壊された」

 

 

目視でもそれを確認する。不可視であるはずの黄金郷が、この離れた場所からでも確認できるのが何よりの証拠だ。それだけではない。その黄金がさらに広がりつつある。まるで今まで抑えていた物が溢れ出しているかのように。その魔力もまた同じだ。包み隠されていた、封じられていた人類の脅威が、半世紀の時を経て、再び解き放たれてしまった。

 

 

「一体どうして……?」

「それは分からないかな。マハト自身か、それとも他の誰かの仕業か。何にせよ、手遅れだね」

 

 

困惑するフェルンに対して慰めにもならない答えを口にするしかない。黄金郷の大結界は人類の叡智の結晶とも言えるものだった。解析したわけではないが、一目見ただけでそれは見て取れた。グラナトを守っていた、師匠(せんせい)が遺した防護結界とは違う。一代限りの天才によるものではない、人類の魔法の歴史によって生み出された物。ある意味、魔族にとってはそちらの方が厄介だろう。例え大魔族であっても、人類の魔法を侮っている者ではあの結界は壊せない。だが現実はそれを否定する。マハトがその例外だったのか、それとも協力者がいたのか。今となってはそれを考えても意味はない。檻は既に壊されてしまった。なら今はそれから逃げ出した猛獣をどうするか。自分たちがどうするか。

 

 

「待たせて済まなかった」

 

 

そんな中、私達より早く黄金郷の状況を確認し、この場を離れていたデンケンが戻ってくる。その顔色は良くない。悲壮感、疲労が見て取れる。それはフェルンとシュタルクも同じだ。私も他人のことは言えない。平静を装っているつもりだが、ちゃんとできているかは怪しい。それほどに今の状況は追いつめられている。

 

 

「デンケン様。集落の方々は?」

「今避難の準備を進めている。子供や老人もいる。すぐには動けないだろう」

「それもそうか……」

「…………」

 

 

黄金郷に近い集落の人たちの避難誘導。それがデンケンが行っていたこと。黄金郷から離れているとはいえ、今自分たちがいる集落も黄金から逃れることはできない。遠からずここはそれに飲み込まれるだろう。新たな黄金郷として、人の住める場所ではなくなってしまう。できるのはできるだけここから離れた場所へ避難することだけ。だが

 

 

「分かるか、フリーレン」

「そうだね。間違いなくマハトだ。こっちに向かってきている」

 

 

それすら恐らくは絶望的だ。その黄金郷の主が、こちらへ向かってきているのだから。間違いない。魔力探知でも捉えている。あちらもそれは同じだろう。今更魔力を隠匿したところで無駄だろう。それほどまでにマハトの魔力探知は優れている。黄金郷全域を超えるもの。潜伏を得意としているレルネンがすぐに見つかってしまうほどだ。魔法使いであればそれから逃れることはできない。

 

 

「それって、俺たちを狙ってるってことか」

「だろうね。自分を知る者を全て殺してから動くつもりなんだろうね。魔族が考えそうなことだ」

「恐らくはそうだろう。儂らも、集落の人間も全てな」

「そんな……」

 

 

何よりも私達は目をつけられてしまっている。逃がす気はないだろう。自分を知る存在を全て殺してから黄金郷を去るつもりに違いない。黄金郷の解放の発覚を遅らせ、面倒な追手を振り切るために。実に合理的な、魔族らしい思考。ソリテールほどではないだろうが、目撃者を生きて逃がす気はないのだろう。私達だけではない。黄金郷に近い集落も全て。

 

 

「……フリーレン様」

「駄目だよ。許可できない」

 

 

それより先を言わせないためにフェルンにそう告げる。そう。そうなるのは分かっている。言葉にする必要もない。その表情を見れば何を言おうとしているかなんて、私でも分かる。だがそれは許可できない。このパーティのリーダーとして、師として、親として。

 

 

「私、まだ何も言ってません」

「残って足止めする気なんでしょ。それは許可できない。教えたでしょ。大魔族とは戦わずに逃げるようにって」

「それは……でもそれでは集落の方が」

 

 

この場に残っての足止め。殿。それがフェルンの言いたいことなのは分かっている。優しいこの子が、集落の人たちを見殺しにできないことも。それでも心を凍てつかせて、葬送の魔法使いとして命令する。いつも教えている通り。大魔族と会ったら戦わず、逃げること。これはフェルンだけではなく、私にも当て嵌る不文律だ。それが許されるのは明確な勝算がある時だけ。そして逃げても無駄な時。詰んでいる時のみ。今の状況も限りなくそれに近いのだが、まだその判断に至るのは早すぎる。何よりも

 

 

「例えフェルンが足止めに残っても無駄だ。戦いにすらならない。それは私がいても同じことだ。まだ万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)の解析ができていない。勝ち目はない。そんな戦いはさせられない」

 

 

相手がマハトであるのが致命的だ。マハトが相手では足止めすらできない。万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)を使われれば、どんな魔法も、技術も、培ってきた鍛錬も、その呪いの前では理不尽にねじ伏せられる。それが七崩賢最強と言われる黄金のマハトの力。

 

万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)の解析ができていない今、相手にすることはできない。せめてあと三日あれば、話は違っていただろう。私も自分が黄金にされないぐらいの対処はできたかもしれない。しかし現実は待ってはくれない。未だにこの右腕すらすぐに戻すことはできない。魔法は技術とイメージだ。何の代償も払わずに覆ったりはしない。勝ち目はない。そんな戦いをさせるわけにはいかない。それはただの無駄死にだ。ヒンメルにだって怒られてしまう。なら選択肢は一つだけ。

 

 

「その通りだ。これは儂の責任だ。お前たちをそれに巻き込んでしまった。それに命を懸けることはない」

 

 

それをまるで見抜いているかのようなタイミングでデンケンが割って入ってくる。フェルンを落ち着かせるために。やはり宮廷魔法使いなだけはある。歴戦の魔法使いにしか出せない風格がある。同じ一級魔法使いでも、フェルンにはまだない経験という生きた年月の差が。

 

 

「……デンケン様」

「ここでの最善はフリーレン、お前を逃がすことだ。万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)を解析することが、マハトに対抗できる唯一の方法だからだ。それができさえすれば、黄金郷も黄金にされてしまった人々も元に戻せる」

「……そうだね」

 

 

そのデンケンが告げる。本当なら私が告げなくてはいけなかった残酷な判断を。きっと私の代わりに。そう、それがこの場でも最善だ。逃げること。それ自体は何の問題もない。私も勇者一行だった時に、勝てない敵から逃げるのはしょっちゅうだった。ハイターに担がれて敗走したのは一度や二度ではない。一緒に逃げるのは私達のパーティの戦術だった。他ならぬリーダーであるヒンメルのお墨付きでもある。

 

だが今回は事情が異なる。それは他のみんなが逃げられても、私が逃げれなければ負けだということ。私だけは絶対に生き残らなければならない。マハトに対抗することができるのは、万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)という呪いを解くことができるのは私だけだからだ。それはつまり

 

 

「でも黄金にされずに殺されちまったらどうするんだ? あいつが人間を全て黄金にするとは限らねえだろ」

 

 

他の誰を犠牲にしても、私だけは生き残らなくてはいけないということ。シュタルクがその事実を告げる。きっとフェルンと同じだ。目の前にいる人たちを見殺しにはできないと。戦士としてのシュタルクの在り方。マハトが集落の人間を、逃げる者たちを全て黄金にするとは限らない。事実、魔王軍時代にもマハトが襲った集落には黄金にされた者とそうでない者がいた。そこに明確な違いはない。あるのはただの気紛れだ。捕食者である魔族ゆえの。それでも

 

 

「……それでもだ。そのために儂がここに残る。どちらにせよ、誰かが足止めしなければ追いつかれる。フリーレンを逃がす時間も稼げない。儂ならマハト相手に殺される心配もない」

 

 

私は逃げるしかない。例え集落の人たちを見捨てても。それが今の私の役割。デンケンはそれを誰よりも分かっているからこそ、あえてそれを口にしている。自らが足止めに、捨て石になると。どちらにせよ、このままではマハトから逃れることはできない。足止めは必須だ。問題は誰がそれをするかということ。デンケンは自分がそれに相応しいと告げてくる。一見すれば何の問題もない、正しい論理。だがそれは

 

 

「嘘だね。デンケンが黄金にされなかったのはマハトが黄金郷に封じられていたからだ。それがなくなった今、あいつがデンケンを見逃す理由がない」

 

 

私にも見抜ける嘘でしかない。確かにデンケンはマハトとも親交があった。事実黄金郷での話し合いでも、殺されることも黄金にされることもなかった。だがそれはあの時点での話だ。今現状は大きく変わってしまった。もうマハトには話し合い、交渉に応じる必要はない。無駄なこと。あいつにとってデンケンを見逃す理由はなくなってしまった。

 

 

「……かもしれん。だがこの中で一番生き残る可能性があるのも事実だ」

 

 

そんなことはきっと分かっていたのだろう。それでもそれを信じたかったのか、それとも私達にそう信じ込ませたかったのか。苦渋の表情を見せているデンケン。可能性があるというのは間違いない。だがそれ以上に

 

 

「それにこれは儂の贖罪でもある。この五十年、故郷を見捨てていた、薄情者のな。それにフリーレン、お前たちだけではない。天秤のアウラを、フリージアも巻き込んでしまった」

 

 

それがきっと一番の理由なのだろう。贖罪。先にデンケンが漏らしていたものでもある。後悔と罪悪感。それを否定することは私にはできない。デンケンと比べることもできないが、私にはその気持ちが分かる。取り返しのない過ちを犯してしまった者同士として。違うのは、まだデンケンにはそれを生きている間に償う術があるということ。

 

 

「フリーレン。お前も察しているだろう。マハトが一体どこに向かおうとしているかを」

「そうだね。私達を始末したら、フリージアに行くだろうね。でもそれはデンケンだけのせいじゃない。私もそう煽ってしまったから」

 

 

もう一つの罪、理由がそれだったのだろう。私だけではなく、アウラ達、フリージアもこの件に巻き込んでしまったこと。マハトの行動を予測すればそうなる可能性が高い。表向きは知らない振りを、興味がない振りをしていたがあれは嘘だった。アウラに関しては特にそれが顕著だった。それを利用した私が言えることではないが、十中八九、マハトはフリージアに向かうだろう。しかしそれはデンケンだけのせいではない。既にマハトはその存在を何者かによって知らされていたのだから。人類との共存。それを目的とする以上、遅かれ早かれマハトはフリージアに辿り着いただろう。

 

 

「だからこそ一刻の猶予もないのだ。もしマハトがフリージアに辿り着けば、取り返しがつかないことになってしまう」

 

 

その結果、何が起こるかもデンケンは見通しているのだろう。文字通り、それが取り返しのつかないことになると。それが何を意味するのか。

 

 

「まさか……アウラ様たちに危険が」

「アウラがマハトにどんな対応を取るかは分からないけど、それは避けられないだろうね。あいつとマハトの共存は相容れない物だ。なら争いになるのは当然だ」

 

 

デンケンに代わってそれを告げる。フェルンが危惧した通りだ。あいつがどんな対応をするかは分からないが、衝突は避けられないだろう。同じ共存という思想であっても、アウラとマハトは水と油だ。決して混ざり合うことは、相容れることはない。その結果何が起きるかを。私達は今目の前にしている。黄金郷という名の結末を。

 

 

「総力戦になれば分からないけど、フリージアが黄金郷に変えられるだけならまだいい。最悪なのはアウラだけが黄金に変えられてしまうことだ」

「どういうことだ? どっちも同じじゃねえのかよ」

 

 

だがそれすらも最悪ではない。むしろまだ希望があるだろう。あってはいけないのはむしろそっちだ。奇しくも今の私と同じだ。あいつだけは、例えフリージアの住民がどれだけ犠牲になったとしても生き延びなくてはいけない。黄金にされてはいけない。何故なら

 

 

「全然違うよ。前者なら私が万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)を解析できれば元に戻せるけど、後者なら手遅れだ。フリージアはアウラの枷によって成り立っている国だ。それがなくなってしまえば崩壊してしまう。枷がなくなった魔族と人間が閉じ込められた箱庭がどうなるか。考えるまでもない。死者を蘇らせる魔法なんて存在しないんだから」

 

 

フリージアはあいつの()で成り立っているのだから。それがなくなれば、フリージアは夢から覚めてしまう。共存という名の嘘から。まるで一夜限りの夢のように。全てが崩れ去ってしまうだろう。それが分かってても、あいつはきっと逃げないに違いない。ソリテールを前にしても逃げなかったように。ヒンメルとの夢を守るために。

 

私は黄金郷(ヴァイゼ)を元に戻せても、理想郷(フリージア)は元に戻せない。私には死者を蘇らせる魔法なんて使えない。ゼーリエですら不可能だろう。できるのは、それに会いに行くことだけ。そんなことになるのは御免だ。

 

 

「本当に申し訳ないことをしてしまった。こんなことになるとは。やはり儂は甘かったらしい。かの国に縋りついてしまっていた」

「それはあいつの自業自得かな。もしそうと知れば、あいつも焦ってるんじゃないかな。肝心なところでは抜けてる奴だから」

 

 

デンケンの気持ちも分かるが、これはあいつの自業自得でもあるだろう。協力すると決めたのはあいつなのだから。むしろそれでまだ希望は繋がっている。もしそれがなければ、私達はここには来れず、万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)の解析の可能性すら生まれずに、マハトが解き放たれるところだったのだから。運がいいのか悪いのか。もしこの現状を知れば、あいつも焦るに違いない。その姿をこの目で見れないのは残念だが。

 

 

「冗談はともかく、デンケンが残るのも無しだよ。デンケンはマハトの記憶を持ってる。その解析は必要だ。万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)の解析には欠かせない。何か他の手を……」

 

 

意識を切り替えながら、現状打破の方法を探る。デンケンには悪いが、その手はなしだ。デンケンにはまだマハトの記憶の解析を手伝ってもらう必要がある。黄金にされてしまった私の右腕というサンプルはあるが、記憶の解析も絶対に不可欠だ。それによって解析までの時間が全く異なる。それはマハトによる人類への被害が増えてしまうことを意味する。それは看過できない。

 

なら足止めは必須だ。問題は誰がそれをするのかということ。集落の人間を見捨てる。それすらも選択肢の一つ。しかし効果は薄い。マハトはそれよりも私達の追撃を優先するだろう。なら、やはりフェルンたちにそれをさせるしかないのか。マハトに対抗できる唯一の手段が魔力探知範囲外からの超長距離射撃。フェルンならそれが可能だ。しかし成功する可能性は限りなく低い。マハトの魔力探知を掻い潜れるのか。前衛であるシュタルクで注意を引き付ける。駄目だ。マハト相手では足止めにならない。そんな作戦を取ればフェルンの精神では集中できない。なら私が、いや駄目だ。それでは本末転倒だ。私はフェルンほど魔法を早く打ち出せない。そもそも私が戦ってしまっては意味がない。どれだけ考えても打開策が思いつかない。完全な詰み。何か一つでいい。何か

 

 

「……いや、その心配はない。儂には、いや儂らには一つだけ勝算が残っている」

 

 

そんな思考の海に沈んでいた私に、デンケンが手を伸ばしてくる。勝算という名の、あり得ない希望と共に。

 

 

「勝算、ですか? でもそんなものはないと」

「そうだね。現状そんなものがあるとは思えない。それこそゼーリエでも連れてこないと」

 

 

きっと私と同じ気持ちだったのだろう。フェルンもまたそれに疑問を呈する。マハトとの話し合い、交渉の前にしたやり取りと同じだ。現状マハトを相手に勝算なんてものはない。唯一の手段が万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)の解析だったが、時間的制約でそれは叶わない。

 

例外があるとすればゼーリエぐらいか。あの人なら、マハトの万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)に対抗する手段を持っていたとしての不思議ではない。伊達に生きた魔導書と呼ばれてはいない。しかしこの場においては意味のないことだ。瞬間移動のような魔法でもない限り、それは叶わない。それは不可逆性の原理に匹敵する、女神様の領域だろう。

 

 

「……ある意味、そうとも言える。先程言いかけたことの続きだ。お前に謝りたいことがあると。儂の下らない迷いのせいで、黙ってしまっていたことがあった。これがそれだ」

 

 

だがそれはデンケンにとってはそうではなかったのだろう。深く目を閉じ、まるで何かを懺悔するようにデンケンは何かを服から取り出してくる。まるでさっきのやり取りの続き。そういえば私の謝りたいことがあると言っていた。それと何か関係があるのか。

 

それは一冊の本だった。教典ではない。魔導書だ。いつもなら報酬かと思って喜ぶところだが、そんな物でないのは明らか。しかし何故魔導書なんて。

 

だがすぐに気づく。それは普通の魔導書ではないことに。それは魔力だった。本には魔力が満ちている。曰くつきの魔導書であればそういった呪われた、魔力を宿している物も少なくはない。問題は、その魔力を私は知っていたということ。

 

 

「それは……」

 

 

私と同じくそれに気づいたのだろう。フェルンもどこか驚いたような顔をしている。ようやく理解した。きっとフェルンは私よりもそれに早く気づいたに違いない。驚きも納得だ。何故なら、フェルンもまたその魔導書を見たことが、手に入れたことがあったから。それは

 

 

「そうだ。散々下らないと言っていたくせに、使うことができないでいた、儂の特権だ」

 

 

生きた魔導書から認められた者しか手にすることができない、私が手にしたことのない魔導書だった────

 

 

 

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