「……マハト。何故」
その後にどんな言葉を続ければいいのか。いくら考えても出てこない。あるのは疑問だけ。
「…………」
マハトはそんな儂の言葉にも反応を示さない。ただ呆然と、自らの胸に空いた大きな傷跡を見つめている。他ならぬ、自分が放った高圧縮のゾルトラークによるもの。それは完全な致命傷だった。魔族にとっても心臓は弱点だ。それを失えば、命を落とすしかない。生物としての理。人間と違うのはその傷口から夥しい魔力が流出していること。加えて黒い魔力の塵も。肉体が魔力でできている魔族は死ねば塵となって消え去る。人間のように死体が残ることはない。姿形が同じでも、全く違う生き物なのだと証明するかのように。
その例にマハトも漏れないのだろう。飛行の維持が困難になったのか。そのままマハトはゆっくりと、力なく地面へと落ちていく。先程までの魔法使いとしての強さも、魔族としての存在感もない。ただ死に瀕した獣のように。どこか憐みを覚えてしまうような有様で。
無様に地に伏しながらも、マハトは変わらずその視線をそれに向けていた。全てが黄金と化している黄金郷。その中にある、無数の人間であった黄金の像。そのたった一つの像に。それが誰かなど考えるまでもない。例え五十年経ったとしても、儂が見間違えるはずもない。義父であり、ここヴァイゼの領主であるグリュック様を。それはマハトも同じだろう。
(マハト。お前は……)
それがマハトの敗因だった。フリーレンの言葉を借りるなら油断なのか。もっともそれを自分たちは狙っていたわけではない。儂らは間違いなく敗北していた。他ならぬ、儂の失態によって。マハトを油断させて、その隙を突く。そういう作戦だったにも関わらず、儂はただ全力でマハトと戦ってしまった。死に直面することで、マハトと対峙することで。ゼーリエの言う、血の気と野心に満ち溢れていた若かりし頃のように。未熟でしかない。それによって結果的にマハトに逃亡を選択させてしまった。追い縋っても、もはやそれを止める術はない。油断と驕り。それは魔族だけではなく、儂らにも当て嵌まるもの。
果たしてマハトのそれは油断と驕りだったのか。その隙を突いて、ゾルトラークでマハトを打ち抜いた後に、儂は気づいた。マハトが一体何に気を取られ、目を奪われていたのか。それが何を意味するのか。
だがマハトは何も答えない。いや、マハト自身もそれを分かっていないのかもしれない。
「デンケン」
そんな中、いつの間にか隣にフリーレンがやってきていた。様子を窺っていたのか、それとも。手に杖を構えたまま、臨戦態勢でマハトを捉えている。自分もまたそれに倣う。そう、相手は大魔族なのだ。いくら致命傷を負ったとしても、油断はできない。手負いの獣ほど厄介な物はない。もう間違いは許されない。ここで確実にマハトを仕留める。それが儂の使命であり贖罪。それを果たすために魔力を杖に込めんとした瞬間
蹲っていたマハトはゆっくりと立ち上がり、歩き始めた。
「……?」
その行動に儂はもちろん、フリーレンもまた困惑していた。何故ならマハトは自分たちに向かってくるでもなく、逃げるでもなく、違う方向へと歩き始めたのだから。まるで吸い寄せられるように、黄金となっているグリュック様の元に向かって。
一歩一歩。足を引きずりながら。そのせいで、傷からの魔力の流失が悪化していく。寿命が削られていく。にも関わらず、その歩みを止めることはない。
それは魔族ではあり得ない行動だった。命の危機に瀕した時、魔族の取る行動は二つだ。逃走か命乞い。ただそれだけ。なのにそのどちらでもない行動をマハトは取っている。矛盾したもの。
それを前にして、自分もフリーレンもただそれを傍観するしかない。マハトの不可解な行動。それを警戒したからなのか。いや違う。その行動の意味を、儂らは知っているからに他ならない。違うのは、それは決して魔族には理解できない、人類だから分かるものだったからこそ。
物言わぬ黄金の像と化しているグリュック様。その前まで辿り着いたマハトは、そのまま膝をつき、首を垂れる。何の淀みもない、完璧な所作。魔族であるからこそ可能な、人間の模倣。魔族が人間に仕えるという、あり得ない光景。かつて何度も見てきた、二人の関係を形にした光景。
ただの黄金となっている人間にそんなことをしても、何の意味もないというのに。物言わぬ墓石に向かって話しかけるようなもの。そんなことをするのは、人間だけだろう。
「────」
だがその光景に、目を奪われる。そこには、何人にも犯しがたい、神聖さがあった。一枚の絵画のような。人間と魔族。相容れない存在同士。それでもそこには、儂らには分からない、二人の世界があったのだろう。惜しむらくは、もう二人は再び出会うことはないことだけ。それが報いなのだろう。人間を黄金にすることはできても、元に戻すことができないマハトにとっての。
「…………」
それを前にして立ち尽くしている自分の代わりに、フリーレンが前に出ていく。その杖を突きつけながら。それもまた報いなのだろう。本当なら自分がすべき役割だったというのに。彼女には迷惑ばかりかけてしまう。それでもこれで終わりだ。これ以上マハトを苦しめることもない。楽にしてやるべきだ。せめてもの情け。全ての感情を飲み込みながら、その瞬間を見届けんとするもそれは
まるで花びらが舞うかのような、美しい黄金の輝きによって埋め尽くされた────
それは解放だった。止まっていた時間からの。悪意に縛られていた、魔族の性に囚われていた一人の魔族への。その輝きが黄金郷を包み込み、そして元の姿へと誘っていく。人も、動物も、植物も、建物も。決して解けるはずがなかった呪いが今、消え去った。
「…………マハトか」
「────」
その共犯者であり、罪人であるグリュックもまた同じ。いきなり黄金から解放され、事態も理解できないだろうに。全く動じることなく、目の前に控えているマハトを見据えている。年老いてもなお変わらぬ風格のまま。まるでそれだけで全てを察したかのように。対してマハトはただ目を見開いている。目の前の光景が理解できないのか。自らの魔法が解除されたことに対する驚きか。それとも。
「私の役目はこれで終わりかな。後は任せたよ。デンケン」
その結末を見届けることなく、葬送の魔法使いは踵を返し、その場を去っていく。その二つ名のままに。本当にらしくないのだろう。自らの右腕を元に戻すことも忘れてしまっているのだから。彼女からすれば、照れ隠しなのかもしれない。
「感謝する。フリーレン」
もう何度目になるか分からない感謝を告げるしかない。それを告げることができないであろう、師に代わって。
それがこの黄金の物語の終幕。そして生まれて初めて、本当の意味でフリーレンが魔族を葬送した瞬間だった────