「何よ、この子……?」
眉をひそめながら、珍しいものを見るような視線に思わず尻込みしてしまう。知らず息を飲む。元々人見知りで、存在感が薄いとハイター様によく言われてしまうけれど、こんなことは初めてだった。勝手に体が震えてしまう。何だか怖い。そう感じてしまう。その人間ではない瞳と、頭にある角。何よりもその魔力によって。ハイター様の魔力とは違う。肌で感じる。目の前の女性が、何か私たちとは違う存在なのだと。
(やはり、この方たちは魔族なのでしょうか……)
『魔族』
私たちとは違う生き物であり、人間にとっては怖い存在。人間にはない角を持っている、人間を騙して食べてしまう恐ろしい怪物。まだ会ったことも見たこともなかったが、それは小さい私でも知っている。お母さんからずっと、嘘をつくと魔族に食べられてしまうと教えられてきたのだから。それはここで暮らすようになってからも同じ。ハイター様からもそう教わっていた。勇者様やハイター様たちによって一番怖い魔王は倒されたけれど、魔族がいなくなったわけではないのだ。
なのに、そんな魔族がどうしてここにいるのか。それに二人も。赤いローブを着ている方だけではない。姉妹だろうか。同じぐらいの背格好の女性、ドレスのようなものを着ている魔族もいる。同じように頭には二本の角がある。間違いない。魔力の大きさは全然違うが、どこか居心地が悪くなるような視線を感じる。もしかして私を食べようと考えているのだろうか。そのまま思わず後ずさってしまうも
「おや、ちょうど良かった。この子はフェルンと言いまして。私が預かって一緒に暮らしているのですよ」
そんな私を支えるように、ハイター様が優しくその肩を抱いてくださる。まるで私を紹介するように。たまにやってくるお客様にする時みたいに。思わずそのまま顔を見上げるも、ハイター様はとても嬉しそうに微笑んでおられる。全然怖がっても、緊張もしていない。どころかいつもよりも機嫌が良さそうだ。一体どうして。やっぱりハイター様はこの魔族の方たちと知り合いなのか。勇者一行にとって魔族は敵で、悪い魔法使いのはずなのに。
「あんたね……」
その赤い魔族は、さっきよりも鋭い目でハイター様を睨んでいる。何が気に障ったのか。不機嫌そのものだ。そのまま私とも目が合ってしまう。思わず体が強張って、ハイター様の後ろに隠れてしまう。これでは小さな子供だ。でもそうしてしまうのを抑えられない。
「…………もういいわ。行くわよ、リーニエ」
それがいつまで続いたのか。赤い魔族は一度目を閉じた後、振り返りそのまま家を出て行こうとする。まるで何かに呆れているかのように。いや怒っているのか。その表情からは読み取れない。どこかそう、人形さんのような雰囲気がある。
「え? どうして? まだ教典ができてないよ? シュトロ達にもしばらくは留守にするって言って」
「少し黙っていなさい、リーニエ」
「むぅ……」
それとは対照的に、見た目以上にどこか子供っぽい雰囲気のもう一人の魔族、リーニエ様が赤い魔族にそう喋りかけるも、それはすぐに止められてしまう。まるで母親に叱られる子供のように。見た目はそんなに変わらないのに。それによってまるで借りてきた猫のように、リーニエ様は静かになってしまう。縮こまってしまっている。何だか小さな動物みたいだ。
「どこに行くのですか? もう日が暮れます。いつものように泊まって行って下さい」
そんな二人のやり取りをどこか楽し気に見守っていたハイター様がそう助け船を出される。どうやらハイター様は最初からお二人を泊めるおつもりだったらしい。そのことに不安を感じるも、ハイター様にとってはそうではないのだろう。いつものように、ということは初めてではないということ。古い知り合いなのか。全然歳も違うのに。いや、そうではないのだ。
「……必要ないわ。私たちは魔族よ。どこだろうと問題ないわ」
目の前のお二人は人間ではなく、魔族なのだから。魔族は人間よりもずっと長生きだ。何百年も生きるらしい。なら見た目ではいくつかなんて分からないのだろう。もしかしたらハイター様よりもずっと年上なのかもしれない。
赤い魔族はそう言いながらその場を去って行こうとする。魔族が人間の家に泊まるなんてあり得ないと。そもそも魔族は家に住んだりするのだろうか。動物や魔物のように森に棲んでいたりするんだろうか。しかしもう一人、リーニエ様はそうではないのだろう。何か言いたげな視線を向けているが、全く取り合ってもらえていない。口をへの字にしたまま黙り込んでしまっている。一体どうしたのだろうか。
「そういうわけには行きません。貴方が聖都に赴いては大騒ぎになるでしょうから」
しかし断られるのは最初から分かっていたのか。ハイター様は全く動じることなく、流れるように二人を引き留める。流石はハイター様だ。ここから近い聖都であれば泊まれる場所もあるのに、どうやらそこにはお二人はいけないらしい。それもそうか。魔族が人間の都市に現れたら大騒ぎになってしまう。それは私にだってわかる。
「そんな馬鹿なことはしないわよ。こっちから願い下げよ。心配しなくても適当に」
きっと赤い魔族もそれは分かっていたのだろう。どこか呆れ気味に溜息を吐きながらそう言い返している。そのやり取りから、間違いなくお二人が旧知の仲であるのは間違いない。そもそも泊まる気はなかったのか。言葉尻から、野宿する気なのだろう。魔族なら当たり前なのだろうか。しかしそれに
「いけませんね。貴方に野宿をさせたなんて知られたら、ヒンメルに怒られてしまいますから」
ハイター様はどこか穏やかに、それでも赤い魔族に向かってそうよく分からない言葉を告げた。
「────」
瞬間、家を出ようとしていた赤い魔族の足が止まってしまう。まるで何かに肩を叩かれたように。そのまま無言で立ち尽くしたまま。背中越しでその表情は見えない。それでも、思わず息を飲んでしまう。まるでそう、怖い動物の尻尾を踏んでしまったかのような感覚。
それは魔力だったのだろう。それによって空気が凍り付く。背筋が寒くなる。知らず息を止めてしまうほどに、怖い魔力。ここにいたくない。逃げ出さなくては。そう思ってしまうほどの緊張感。しかしそれは
「…………本当にあんたは変わらないわね、生臭坊主」
そんな赤い魔族の言葉によって終わりを告げる。この場を支配するような魔力の波が収まっていく。割れる寸前の風船がしぼんでいくように。それにほっとしてしまう。事情が分からない私にも、さっきのやり取りが何か深い意味があったことは分かる。ヒンメルというのは、勇者ヒンメル様のことだろうか。それがどうして今出てくるのか。分からないことだらけ。
「それだけが取り柄でして。貴方たちが使っていた部屋はそのままにしていますから。どうぞゆっくりしていって下さい」
それが分からないハイター様ではないだろうに。まるで気にした風もなく、いつもものままのハイター様。いや、ちょっと違うのかもしれない。ここを訪れるお客様たちに対するのとは何か違う。もっと親し気で、楽し気な雰囲気がある。それはまるで
「…………」
ハイター様に諭されたからだろうか。もう何も言うことなく赤い魔族は振り返り、そのまま勝手知ったる様子で奥へと向かっていく。本当にこの家のことを知っているのだろう。迷いがない。この家には使われていない部屋があったが、そこをこの方たちが使っていたのだろうか。それに従うようにリーニエ様も付いて行く。
「あ、あの……」
目の前を横切ろうとされるお二人を前にして、勇気を出して声をかける。まだきちんと挨拶できていなかった。それにまだ赤い魔族の方の名前もお聞きできていない。それはきっと失礼にあたる。ハイター様にも迷惑をかけてしまう。そう思い、挨拶をしようとするも
「…………」
横目で冷たく一瞥した後、赤い魔族は私を無視したまま、奥に行ってしまう。取り付く島もない。まるで私に興味がない、存在しないかのような振る舞い。
「失礼をしてしまったのでしょうか……」
それを見送った後、そう零してしまう。やはりさっきのは失礼だったのだろうか。それとも、怯えていたのを見透かされてしまったのか。気分を害されてしまったのか。落ち込んでしまう。子供の私には上手くできなかったのだろう。ハイター様にも恥をかかせてしまった。申し訳ない。
「そんなことは。そうですね……彼女は少し変わっていますから。後で彼女たちのことを教えてあげます。その前に、夕食の準備をしましょうか」
「……はい」
そんな私の気持ちもお見通しなのだろう。優しくそう頭を撫でて下さる。本当にハイター様は優しい。だからこそそれに報いなければ。それも含めて、ハイター様にお二人のことを教えて頂かなくては。魔族でも、ハイター様のお客様であることは変わらない。ハイター様が迎え入れるからには、何か理由があるのだろう。私には想像もできないような事情が。
「そういえば、まだ伝えていませんでしたね。彼女はアウラ。見ての通り魔族で、私の古くからの友人です」
うっかりしていました、とばかりにハイター様はそう教えて下さる。いつものハイター様らしくない、まるで子供のような微笑みと共に────
────ただ意識を集中させる。自らの体を巡る魔力の流れに。それを循環させ、安定させる。乱れがないように。
周りから聞こえてくる小鳥のさえずりも、木々の軋む音も。髪を揺らす風も。
ただ自分の中にだけ意識する。余計なことを考えないで、ただ一つのことに。魔法使いとしての自分を完成させるために。そう没頭しようとするも
「……あ」
魔力が乱れてしまう。頭の上に乗ってきた小鳥によって。いや、違う。集中し切れていない私のせいだ。いつもなら、そんなことぐらいでは気にならないのに。
(……やっぱり集中できない。昨日のことのせいでしょうか)
大きく息を吐きながら、そう俯くしかない。毎日の日課でもある、森の中での瞑想、魔力のコントロールの鍛錬をしていたのだが上手くいかない。一番岩を打ち抜く修行に比べれば、全然なんてことないはずなのに。今日はそれが上手くいかない。その理由も分かり切っていた。
それは家に残っているハイター様のこと。いや、昨日からやってきたお客様のことだった。
(アウラ様にリーニエ様……八十年近く前からのハイター様のご友人……)
友人。友達。それがあのお二人とハイター様の関係。にわかには信じられないもの。人間と魔族が友達だなんて聞いたこともない。私が子供で無知なだけなのだろうか。でも、それは他ならぬハイター様から教えて頂いていたことでもある。魔族は人間を騙して、食べてしまう。魔族は嘘つきだ。だから決して騙されてはいけない。付いて行ってはいけない。私だけではない。みんな小さい頃からそう教わってきた。なのにそれとは全く真逆のことをハイター様はしている。
(でも、ハイター様が嘘をついているとは思えません)
昨日の夜聞かされた話は、とても嘘とは思えなかった。そんなことでハイター様が私に嘘をつくなんて考えられない。ならハイター様は騙されてしまっているのだろうか。あの魔族二人に。勇者一行の僧侶様でもあるハイター様でもそんなことがあるのだろうか。
(ハイター様は大丈夫でしょうか……)
家に残っているハイター様が心配になる。結局夕食も朝食も、私たちは魔族の二人とは一緒に食べなかった。食事を部屋に持って行っても、何も仰らない。昨日と全く同じ。私のこともハイター様のこともいないものとして扱っている。魔族にとっては人間はそういうものなのだろうか。魔族にとっては、人間は食べ物なのだから。私たちからすれば、牛や豚、鳥のようなものなのだろうか。なら喋ったりしないのは当たり前なのかもしれない。私は時々鳥に話しかけたりしてしまうがそれはともかく。
今朝、私は修行に出かけるのも迷ってしまった。もしハイター様が食べられてしまったら。そんな不安。魔族は人間以外の物も食べられるのだとハイター様に教えてもらった。その証拠に夕食も朝食も召し上がられていた。特にあのお二人はリンゴが好物で、それを食べれば人間を食べなくてもいいのだと。子供でも信じられないような嘘。
『食べられたりはしませんよ。こんな老人を食べても美味しくないでしょうから。お腹を下してしまうかもしれませんね』
そんな私に不安を感じ取られたのだろう。どこか楽しそうに冗談にもならない冗談をハイター様は笑いながら仰るだけ。それに少し頬を膨らませてしまった。私は本気で心配しているのに。子供だからそう誤魔化そうとされているのだ。
結局ハイター様に言われるがままに、いつものように修行に出てきたはいいものの結果は散々。集中力が乱れてしまっているのだろう。未熟でしかない。そもそも昨夜は中々眠れなかった。寝不足なのもあるだろう。
(いけない。ちゃんとしなくては……!)
一度自分の頬を叩いて、気持ちを引き締める。こんなことではいけない。私には時間がないのだ。いいや、私ではない。ハイター様には。いつも穏やかに微笑んでおられるが、もうお年を召している。時々せき込んで、苦しそうにしておられるのも知っている。それを隠していることも。私を心配させたくないのだろう。それは私も同じだ。心配はいらないのだとハイター様に見せるために。そう気合を入れるも
それは、大きな物音によってかき消されてしまった────
「っ!」
咄嗟に立ち上がり、その手に杖を持つ。大きな音がした物陰に向かって。動物だろうか。森の中には危険な動物もいる。リスやウサギなら何の問題もないが、大きな動物であれば危険もある。この森にはほとんどいないが、魔物であればなおのこと。さっきの音からして大きな獣であるのは間違いない。油断しないようにゆっくりとその場を離れようとするも
「……?」
そこあり得ない物を見た。木の陰に、何かが見え隠れしている。
それは角だった。二本の動物の角。それに私は見覚えがある。昨日、それと同じ物をこの目にしたのだから。その持ち主はそこから出てこない。きっと隠れているつもりなのだろう。
でもバレバレだった。頭隠して尻隠さず、だったか。この場合は角になるのだろうか。
「────」
それに気づいたのか。それとも我慢できなくなったのか。まるで小動物のように、その頭に葉っぱを乗せたままひょこっと顔を覗かせてくる。まるでおもちゃを前にした子供のように、瞳を爛々と輝かせながら。いや、魔族なら美味しそうな食べ物を見つけたように、なのかもしれない。こちらの様子を窺っている。それを前にして私はただぼーっと立っているだけ。
「こんなところで何してるの?」
期待に満ちた顔を見せながら、可愛らしい乱入者が問いかけてくる。それが何もかもが例外の魔族とフェルン、二人の奇妙な縁の始まりだった────